第三百八十八話 特別記念話 天下覇道編 15
会場にいる多くの人たちが、
手汗握る激闘を期待する第一回戦第六試合は、
開始早々に、激闘を始める選手たちよりも、桃馬とジェルドによる主従逆転展開に燃えていた。
惚気に走る仲の良い二人は少し置いといて、
手汗握る激闘を繰り広げる男たちはと言うと…。
ここまで白熱した試合に、テンション爆上げのうえ、更には調子に乗り始めた亀田映香による試合開始の合図で、各選手たちは一斉に戦闘を始めた。
戦闘の様子はと言うと、ここまでの試合と同様に、爆風、爆音、戦叫など、血湧き肉踊り、心までも踊らせる戦闘が旋律として響き渡っていた。
しかし、そんな中でも、別の意味で手汗握る様な戦いも起きていた。それこそ、試合開始と同時に発情スイッチが入ってしまった駄犬ジェルドによって、早々に押し倒されてしまった桃馬との惚気バトルである。
どう見ても隙だらけの二人に対して、各選手たちは不思議な事に、この二人の一時を邪魔する者は誰一人もいなかった。と言うよりは、二人が"じゃれ合い"始めた時点で、目先の相手に夢中になっている選手たちを除く多くの選手たちが、二人が本懐を遂げるまでは不可侵にしようと、心の中で利害を一致させていたのだ。
普通に見ても完全に隙だらけの現状に、桃馬の心の中では、"誰でもいいから攻撃して助けてほしい"と、切に願っていた。
しかし、周囲の選手たちは、
近寄るどころか、攻撃して来る気配もない。
そのため、この恥辱にまみれた展開を終わらせるには、リタイヤ覚悟で周囲からの攻撃に捲き込まれる事しかなかった。
一方その頃。
"シャルの魔力"と"両津直人の妖気"によって青年の姿になった豆太と、その豆太に対して対抗心を燃やし、同じく青年の姿になった本気モードの犬神様は、周囲の選手たちを捲き込みながら一歩も引かない戦闘をしていた。
※これによる桃馬への被弾は不思議な事になかった。
犬神「やるじゃないか豆太。少し見直したぞ。」
豆太「…エルゼとヴィーレを守るため、このくらい当然です。」
犬神「…へぇ~。言ってくれるね~。」
お褒めの言葉をクールに蹴った豆太の態度に、
犬神は少し"イラッ"と憤りを感じた。
この様子に観客席にいるヴィーレは、
堂々たる豆太の振る舞いに大絶賛していた。
ヴィーレ「ひゅ~、豆太いいぞ~♪ほらエルゼも、ジェルドの本懐を遂げる瞬間を恥ずかしがりながら見てないで、豆太を応援するぞ。」
エルゼ「ひぅっ//うぅ、で、でも…。」
ヴィーレ「例え主が同性だとしても、心から愛してしまうのが、私たち狼の性だ。今更恥ずかしがる事はないだろ??」
エルゼ「わぅ~。で、でも、お、男同士で一線を越えるのは…その…。」
ヴィーレ「あはは、エルゼは純粋だな~。だから、犬神様見たいなストーカーに好かれちまうんだよ。」
エルゼ「わぅ~っ//」
エルゼは困惑していた。
エルゼの恋フラグは、本来、豆太一択であるが、
エルゼの素直で可愛らしい性格と、誰でも甘やかしたくなる様な容姿が祟り、ストーカーレベルの犬神に好意を持たれている状況である。
しかし目の前には、
エルゼ好みの二匹の青年が、自分を巡って争っている。
誰がどう見ても羨ましい展開であるが、心優しいエルゼに取っては、脳内思考をパンクさせる程の悩ましいものであった。
豆太に至ってはともかく、あのしつこくて、何度フラれてもめげない犬神の神々しくかっこいい姿には、さすがのエルゼでも心が揺れ動いてしまったのだ。
これぞ、"生意気ショタ急成長現象"である。
意味(解釈)
どんなに受け付けない小生意気なショタでも、
急に成長して大人びれば、つい心が動いてしまう現象である。
視点を戻し、
生意気にもあの豆太に言葉であしらわれた犬神は、
私情に囚われながらも豆太への攻勢を仕掛けていた。
豆太「…ふぅ、それにしても少し悔しいな。」
犬神「…悔しい?」
豆太「えぇ、この満ち溢れてくる力は、俺自身の力ではなく…、"シャル姉"と"若"の力より生まれた力ですからね。」
犬神「…ほう、なら豆太は、二人から賜った力をドーピングか何かだと思って憂いているのか?」
豆太「お二人の力がなければ、俺の様な弱い妖怪は、こうして犬神様と対等に立ってませんからね。」
犬神「ふっ、何が弱い妖怪だ。強大な魔力と妖気を使いこなせている時点で何が弱いだ。本当に弱い妖怪なら、とうに身を滅ぼしているっての。」
豆太「えっ?身を滅ぼす?」
犬神「あぁ、身丈に合わない力を獲る者は、力に支配されて自我を失うか。はたまた、膨大な力に耐えられなって中毒を起こして倒れるか。最悪の場合は、身体が爆発するかだな。」
豆太「っ!?」
犬神の少し恐ろしい話に、クールでイケメンな豆太は、少し顔を強ばらせながら耳と尻尾を直立させた。
豆太自身、無意識で気づいていなかったのだろう。直人の生命の源とも言える妖気と、シャルが与えた魔力は、実際相当な量であり強力であった。
つまり豆太は、この二つの危険な力を制御できる程の大きな器を持っていた事になる。
犬神「その様子だと気づいていなかった様だな。全く知らぬとは言え、恐ろしい事を平気でやらかしおって…。」
犬神は悠長な構えを見せながら、気を抜いて隙を見せた豆太の懐に一瞬で入り込むと、腰を低く据えながら拳を構えた。
犬神「…本当に世話の焼ける"兄弟"だ。」
豆太「なっ!?」
犬神「悪いが…、エルゼはもらうぜ。」
豆太「くっ…ふっ…。」
防御の姿勢もなく致命的なポジションに入り込まれた豆太は、一瞬だけ焦りの表情から不敵な笑みを浮かべた。
しかし、犬神の拳はそのまま豆太の腹部を捉え、
数人の選手たちを捲き込みながら吹き飛ばした。
犬神「っ。(手応えが全く無かった。それに今の豆太の意味深な笑みは何だ…。)」
加減はしていたとは言え、攻撃の感触に全く手応えがなかった事に続いて、豆太が一瞬だけ見せた不敵な笑みに犬神は嫌な予感を感じていた。
しかし、そうとも知らない観客たちは、二人のイケメンによる熱い恋の戦いに終止符が打たれたのだと思い大歓声が響き渡った。
犬神「…。(何だ…、このモヤモヤした感じは…、いや、違う…これはモヤモヤではない。そう、これは、エルゼを嫁にするため、大きな一歩を踏み込めたと言う喜び…そうだ、きっとそうに決まっている。手応えがないのも…きっと、余韻のせいだ。よ、よし、あとは軽く一掃してエルゼとイチャつこう。)」
恋のライバルであり、強敵でもあった豆太を倒した犬神は、残りの選手たちを早々に倒して試合を終わらせようとした。
……しかし。
犬神「っ!?なっ、あ、足が動けない!?」
?「おやおや、適当に仕掛けた拘束陣に、まさか神様が引っ掛かるとは…、俺の陰陽道は神にも通ずるって事か。」
犬神「っ!?その声……孔真か…。」
徐々に足から上半身にまで動けなくなっている犬神は、背後から聞こえ新発田孔真の声に驚く。
孔真「えぇ、そうですよ。でも、不思議だな。どうして犬神様には術が効いて、豆太くんには効かなかったのかな。もしかして、豆太くんが持つ魔力と妖気が、俺の術を超越していたのか…。それとも…。」
犬神「…な、何が言いたい。」
平安貴族風の衣を羽織った孔真は、動けない犬神の背後からゆっくり正面に回り込むと、そのまま顔を近づけた。
まさかのジェルドと桃馬に続くBLっぽい光景に、今度は孔真派の女子たちを捲き込んでは注目を集めた。
孔真「…豆太くんには、俺の拘束陣が見えていたのかなって…。」
犬神「…っ、ま、まさか…。」
ここで犬神の脳裏に、
豆太の不敵な笑みが過った。
もし、豆太に拘束陣が見えていたのなら、
何も知らずに踏み込んだ自分はとんだ笑い者だ。
だがしかし、あの笑みは、
それだけじゃない気がする…。
まるで自分が、まんまと豆太の掌に乗せられてしまった様な感じだ。となると、このモヤモヤとした感じは、喜びでも余韻でもない。
となれば、嫌な予感である。
犬神は、豆太をふっ飛ばした方へ視線を送ると、
既に豆太の姿はなかった。
更に驚く事に、目の前に居る孔真が、
微食会の藤井尚真と激しい術式による試合をしていたのだ。
犬神「っ、こ、孔真が二人!?ま、まさか分身か。」
孔真?「いえ、分身ではないですよ。」
犬神「…な、何っ?」
孔真?「犬神様が見ているのは、俺が見せている幻惑…。"幻影"と"変化"を組合わせた術ですよ。」
犬神「っ、変化…だと…まさか…お前は。」
目の前の孔真が言い放った、変化、幻惑という言葉に犬神は、驚きながらその正体を確信した。
犬神「……豆太なのか。」
孔真?「ふっ…。そうですよ。」
正体を見破られた豆太は、
孔真の姿から先程のけも耳男子の姿に戻った。
多くの観客を化かした豆太に、孔真と信じていた孔真派を含む観客たちは大混乱である。
犬神「くっ…この拘束陣と言い、さっきの攻撃で手応えがなかったと言い…、全部豆太の掌って訳か。」
豆太「今のところはそうですね。拘束陣については、孔真さんが藤井さんを嵌めるために仕込んだ物を利用したまでのこと。あとは、犬神様の攻撃に手応えがなかったのは、俺の姿をした幻影を攻撃したからですよ。」
犬神「っ。くっ…。そこまで出来るなら、すぐに俺を倒せたはず…、どうしてそんな遠回りな事をした。」
豆太「…っ、ふぅ。それは、普段感じられないこの力を今の自分ならどこまで使いこなせるのか、少し気になったからですよ。」
犬神「くっ、愚弄しやがって…。」
今の豆太の理由は、
神としての犬神の心を大きく傷つけた。
真の力は出していないものの、それなりの力を出していた犬神に取っては、屈辱的な完敗であったからだ。
故に、シャルの魔力と直人の妖気だけで、神をも翻弄する力を生み出す豆太は、まさに天才的な才能の持ち主であると証明された。
これには思わず、犬神は悔しそうな表情をしながら涙を隠そうと首を下に向けた。すると豆太は、"そっと"両手を犬神の両頬に触れると、慰めるかの様に優しく包み込んだ。
豆太「愚弄なんてしてないですよ犬神様。」
犬神「う、うるひゃい…、俺からしてみれば立派な愚弄だ!」
豆太「ごくり…犬神様。そう"ふて腐れない"で顔を上げてください。実際私は、真っ正面からの対決をやめて、姑息な手段を使った卑怯ものなんですから。」
犬神「…うぅ、くっ。ま、豆太の癖に生意気…だ。」
小生意気にも慰めてくる豆太に、
犬神様はつい弱々しい顔を上げてしまう。
しかし、その目に入って来たのは、優しく慰めてくれる豆太でも、小生意気な豆太でもなかった。
目の前に居るのは、目を赤く光らせ、小者を弄ぶ様な笑みを浮かべては、息使いを荒くしている獣であった。
豆太「はぁはぁ、犬神様…、その弱々しいお顔…凄く良いです…はぁはぁ。」
犬神「ま、豆太…、お、おまっ…な、何を言って…。」
豆太「あぁ~、その何が起きたのか分からない表情…、不思議と興奮してしまいます。はぁはぁ…。」
犬神「ひっ!?」
優しい言葉をかけられてから数秒で、あの純粋無垢で、マジで良い子である豆太の急変に、さすがの犬神でも平常心を保てなかった。
豆太は犬神の頬を少し上げると、上から見下ろすかの様に、動揺する青年姿の犬神を見つめていた。
豆太「はぁはぁ、その怯えた顔もたまりまひぇん♪」
犬神「っっ~~//!?」
もはや変態レベルまで達している豆太に、
犬神は恐怖のあまり、声を上げる事すら出来なかった。
もし声を上げたとしても、今の豆太に取っては狂気的な喜びに繋がる可能性があった。
おそらく豆太は、
慣れない魔力と妖気による中毒を起こしている。
このままでは、豆太の沽券はもちろん、犬神自身の沽券にも関わるため、早く何とかしたいところである。
しかし、拘束陣によって動けないため、
結局どうする事もできなかった。
時折、激戦によりアドレナリンを大量に分泌した選手たちが、勢いに乗じて襲いかかって来るも、今の豆太に敵う者がいるはずもなく、無惨に一蹴されるのであった。