第三百七十二話 冥界士相譚その20
時は少し流れ、八月十二日。
日本全国に衝撃を与えた怨霊の反乱は、
日本政府の徹底した指揮のもと完全に鎮圧された。
一時は、怨霊根絶を求める声が上がるも、威厳を賭けた日本政府の厳正な取り締まりにより、狂気に満ちた怨霊狩りは阻止された。
また、平行に行われていた各地の復旧復興については、異世界との交流で培われた技術が発揮され、ものの数日の内で全体の八割近くのインフラ設備が復旧した。
これにより、
草津から信潟県までのインフラ設備が完全に復旧。
この機に両津直人は、名残惜しくも帰宅を提案。
これに桃馬たちは、渋々了承すると思いきや、
前日、化堂里屋にて、丸一日楽しんでいた事もあり、桃馬たち一行は満足気に了承した。
しかし、帰宅となると当然お別れもある訳で、
犬神の支神である覇盧と佗盧とは、ここでお別れである。
そのため、妖楼郭のあいさつ回りをしている両津直人を除く一行たちは、妖楼郭玄関口に集まっていた。
覇盧「白山乃宮様、皆様、名残惜しいですがここでお別れです。んんっ♪短い間でしたがありがとうございました。これからも白山乃宮様をよろしくお願いします。わうぅ~♪」
佗盧「あはは、覇盧は固いな~♪わふぅ~♪もし白山乃宮様が、また駄犬化したら変わりなく接してください♪」
犬神「お前ら…。もふられながら言うことじゃないだろ。それに佗盧は、余計なことを言うな。」
犬神の目に映る二匹の支神は、
シャルを筆頭とする大勢に"もふ"られており、その中には本来崇める側である、ジェルド、ギール、シール、エルゼ、ヴィーレ、豆太と言った犬科の獣人たちも混ざっていた。
しかも、支神様に対して恐れ多いどころが、
既に友人レベルの距離感であった。
そのため、シールとエルゼと言った仔犬ちゃんたちは、覇盧と佗盧の尻尾にしがみついたまま離さないでいた。
佗盧「余計ではないですよ~♪むしろ心配だからこそ言っているのですよ~♪あ、そうそう、エルゼちゃんとシールちゃんに迷惑を掛けたら、夜な夜な睡眠妨害しますからね?」
犬神「はぁっ!?な、なんだよそれ!?」
覇盧「佗盧の言う通りです。今後ともご自身が、犬神である事を自覚して頂き、これからは、お世話になる皆様方にご迷惑をかけないようにお願いしますよ。」
犬神「うぐっ、お、お前たちは俺をなんだと思っているんだ!?」
佗盧「そう尻尾を逆立たせないでくださいよ~♪大丈夫、二割は尊敬してますから~♪」
犬神「八割はどうしたんだよ!?」
佗盧「うーん、それは"無"か、軽蔑でしょうか?」
犬神「それのどこが大丈夫なんだ!?まさか、覇盧もか!?」
覇盧「え、えっと、わ、私は慢心しない様に言ってるだけですから…。」
佗盧「うわっ、ずるっ!でたよ覇盧の良い子ぶりっ子が!」
覇盧「っ、だ、誰が良い子ぶりっ子だ!?」
支神様と言っても、傍から見ては普通の獣人同士のじゃれ合いに、思わずシャルたちは微笑んだ。
シャル「ぬはは、ポチたちは本当に仲が良いのだ。」
ジェルド「そうだな。まるでギールとシャルたちみたいだな。」
ギール「っ、い、いきなり俺を引き合いに出すなよ!?」
ジェルド「まあまあ、そう言うなよ?内心はそう思ってるんだろ?」
ギール「うぐっ、ふ、ふん。ま、まあ犬神に取っては、小生意気な心を改める良い機会だ。」
ジェルド「全く素直じゃないな?こうして犬神たちのやり取りを見ていると、ギールの日常と変わらないけどな?」
ギール「っ、す、好きに言っていろ。」
図星を突かれたギールは、照れ隠しのためか背を向けて話題から逃げようとした。
しかしこの先には、
照れ隠しをするギールの心を見透かしたかの様に、
義妹にして神様である加茂が微笑んでいた。
ギール「な、なんだよ加茂…、な、何かおかしいか。」
加茂「クスッ♪少しくらいはデレても良いと思いますよ♪」
ギール「うぐっ、か、加茂まで…。」
ヴィーレ「あはは、ギールにそんな事を頼んでも無駄だぞ加茂ちゃんよ?」
加茂「えっ?どうしてですか?」
ギール「っ、ヴィーレ姉…。」
からかいのループから何としてでも抜け出したいギールであるが、これもギールの性なのであろうか、ここに来てヴィーレまでも話に入ってきた。
ヴィーレ「いいかい?今のギールは生粋の恥ずかしがり屋モードに入っている。こうなっては、そう簡単に人前でデレる事はまずない。もしデレるなら、大方一人になった所でデレつくだろうな。」
加茂「か、可愛い…。」
ギール「うがぁぁ~っ!あるはずのない事を言うな!?」
ヴィーレ「なら、今すぐデレて見ろよ?」
ギール「っ!?い、いや…それは…。」
まんまと典型的な罠に掛かったギールは、
アワアワと動揺し始めた。
するとヴィーレは、
ギールの耳元に口を近づけると卑劣な助言を囁いた。
ヴィーレ「まあまあ、そう動揺するな。それに良く考えてみろ?お前のデレひとつで、桃馬との株を上げられるんだぞ?」
ギール「っ!」
妖楼郭へ来てから桃馬への接近は出来るものの、先の事件を始め、身内の面倒を見ていた事もあり、本命の夜這い(襲う)は愚か、散歩すら出来ていない状態であった。
※ちなみに、ジェルドも同様である。
一方、その桃馬は、
犬神たちの小競り合いに夢中になっており、
一回声をかけて振り向かせればこっちのものである。
ギールは意を決して、
渾身のデレを桃馬に披露しようと向かった。
しかしギールは、後方に恋敵であるジェルドが居る事をすっかり忘れていた。当然、ギールの行動に違和感を感じたジェルドは、ギールの肩を掴んで止めるわけで、そこからいつもの小さな争奪戦が始まった。
本来なら寂しい幕引きの所であるが、
一行らはかなり楽しそうであった。
一方、あいさつ回りをしている直人はと言うと、
貞美の事件以来、顔を見せるどころか、全く姿を見せなくなった稲荷を心配して、二人の弟と共に稲荷の部屋を訪ねていた。
直人「い、稲荷姉?そ、そろそろ俺帰るよ?」
白備「あ、姉上?そろそろ出てきてくださいよ?兄さんを心配させて帰す気ですか?」
昴「そうですよ。兄さん一人ならまだしも、桃馬さんたちも居るんですから、早く出て来てくださいよ?」
正直な所、自分から声をかければ、直ぐに出てきてくれるだろうと思っていた直人であったが、第一声の時点で反応がない所を見ると、想像以上に深刻な状態であると思い始めた。
直人「…稲荷姉。」
白備「はぁ、兄さんの子供を身籠れなかっただけで、ここまで落ち込まれるとは。」
昴「うーん、兄さんに取っては奇跡的な父親回避展開。姉さんに取っては、練りに練った計画が失敗して絶望を浸っている感じだな。」
完全に引き籠っている稲荷に対して、
もう出て来る事はないであろうと、白備と昴が諦める中、直人は最後のお願いを試みる。
直人「い、稲荷姉。えっと…その…こ、この前の淫らな一件は全然怒ってないよ?だから、最後の日くらい顔を見せてよ?」
ダメ元で声をかけた直人であったが、
稲荷は依然として無反応であった。
直人「…はぁ、やっぱりだめか。」
白備「すみません兄さん。」
昴「ま、まあ、時間が経てば姉さんの機嫌も治る思うだろうし、兄さんはそろそろ皆さんの所に行かれた方が…。」
直人の諦めた声に、
白備と昴が申し訳なさそうにお帰りを促した。
しかし、どうしても稲荷に会いたい直人は、
結界が何重にも張られた扉に手を掛けると、
渾身の妖気を注いでの強行突破を図った。
直人「ごめん稲荷姉、もう時間ないから入るよ。」
白備「に、兄さん!?」
昴「っ、ま、まずい、結界の防衛システムが発動してしまう!?」
予想外な強行展開に、稲荷の強力な結界を知る白備と昴は、少し遅れて引き剥がそうとするが、直人はそのまま稲荷の部屋へと入って行った。
すると不思議な事に、いつもなら白備や昴に問わず、許可無く稲荷の部屋に入り込む者には、容赦のない電撃や火炎などの防衛システムが発動するはずが、何故か発動しなかったのだ。
これには白備と昴は、
扉の前でキョトンとしながら立ち尽くした。
シンプルに結界が機能していなかったのか、
それとも直人の渾身の妖気で結界を全て解除したのか、
二人に取っては謎であった。
一方、稲荷の部屋に無傷で入った直人は、
部屋の外にいる弟たちと同様に、キョトンを通り越して唖然とした。
直人の目の前には、
両手を鎖で繋ぎ、胸から下まで見えそうな際どすぎるドレスを身に付け、更にはギャグボールを咥えては、VRや大人のおもちゃを付け、ベッドの上で悶えている稲荷がいた。
直人「……。」
エロ系主人公ならすぐに欲情しては襲ってしまう展開であろう。しかし直人は、一目で罠だと気づいた。
稲荷姉は、俺が部屋に来ることを予想していたのであろう。こんな…かなり性癖に刺さる様な格好でスタンバるとは、完全に攻めから受けに転換している。恐らく再び強引に攻めて嫌われる事を恐れてのことだろう。
それに稲荷姉が、一度や二度の失敗で、
本懐を諦めるほど潔くはない。
今思えば、この日まで出て来なかったのは、
敢えて姿を隠す事で心配を誘い、俺を誘き出す計画であると思った。
人の心理を突いた…と言うよりは、
ただ、直人の優しさを漬け込んだ変態行為である。
一方の稲荷は、計画が失敗してしまったあの日から何ともなかったわけではない。当然ショックのあまり引き籠っていたのは事実。
稲荷に取って直人との子を身籠るのは本懐である。
つまり稲荷は、この引き籠りを上手く使い、
まんまと直人を誘い込んだわけである。
結界の防衛システムが発動しなかったのは、
直人の妖気に反応したためである。
こうして第二次身籠り計画のチャンスを迎えた稲荷であったが、この時の稲荷は直人が来た事すら気づいていなかった。
なぜなら、この淫靡な状態は二日前からスタンバっており、愛する弟に滅茶苦茶にされると言う展開のVRを見ていた挙げ句、大人のおもちゃを使っては、色んな意味で楽しんで蕩けていたのだ。
直人「…はぁ、全く。稲荷姉は本当に変態だな。でも、元の稲荷姉らしくて安心したよ。」
完全に誰にも見せられない様な姉の姿に、
直人はため息をつきながら近寄った。
直人「…稲荷姉。こ、子供は、あ、あと五年、いや、あと三年は待ってくれよ。」
稲荷の耳元で先走った約束を述べると、
稲荷の"もふさら"な頭と耳を撫で、後は何することもなく部屋を後にした。
白備「に、兄さん…姉上の様子は?」
昴「も、もしかして、凄く落ち込んでいましたか?」
直人「ふぅ、いつもと変わらずだよ。さてと、稲荷姉の顔も見れたし帰るとするか。」
白備「は、はい。…では、玄関までお送りしますね。」
いざ帰るとなると、ひしひしと感じる寂しさに、
特に白備は、白い尻尾を小さく左右に揺らしては、もふさらな耳を"へにゅっ"とさせていた。
愛くるしい弟の仕草に、直人は堪らず笑みを浮かべて白備に抱きつくと、そのまま頭を撫で始めた。
直人「ふっ。よっと。ありがとうな白備。」
白備「んんっ…兄さん。」
昴「なっ!?白備ばっかりずるいぞ!!兄さん兄さん、次は俺にも撫でてくれよー。」
直人「はいはい、あっそうだ。稲荷姉だけど、当分部屋に入らない方がいいぞ?」
昴「えっ、どうして?」
白備「や、やはり落ち込んでいましたか?」
直人「いや、むしろ元気だった。」
直人の一言で白備と昴は、
一瞬で中で何が起きているのか、
大方の予想がつくのであった。
その後、波乱万丈な旅行が幕を閉じ、一行らは名残惜しくも妖楼郭から信潟県へと帰るのであった。
日に日に続く不安定な浮き世。
さて、次なる物語は如何に。