第三百六十話 冥界士相譚その8
平穏な温泉街に広がる孤独と妬みの怨念。そして地に広がるは、血気盛んな若い死神たちの骸であった。
既にユメの体を乗っ取った貞美の姿は、
もはや原形は留めておらず、生気を感じられない漆黒の瞳から血が滴り落ち、悲痛なうめき声を上げていた。
その悲痛な声に応えるかの様に、
一度見たらトラウマ級の魍魎たちが、
貞美の元へと集まり始めていた。
一方、
呪霊三女の一角である"貞美"と対峙していた、
妖楼郭の大旦那である刹丸は、激しい戦闘の中で、貞美が持つ血塗られた禍々しい包丁により、胴を二度突かれ、更に三ヶ所も斬りつけられる重症を負っていた。
もはや、化け物相手に万事休すの中、
そこへ死神"棺"の決死の救援により、
命からがら離脱に成功した。
しかし、本来の戦況は、
刹丸の優勢で進んでおり、
確実に勝てる程の展開であった。
だがそこへ、力量を知らない血気盛んな若い死神たちが、手柄を横取るために無策な不意打ちを仕掛けてしまう。
若い死神が振り下ろした大鎌が、
貞美の両目を捉えると、そこから大量の怨念が漏れ始め、貞美は理性を失い悲痛な"うめき声"を上げながら暴れ始めた。
しかし、血気盛んな若い死神たちは、
これを臆するどころか、むしろ暴走する貞美に斬りかかり、己の力量も"はかれない"者から順に散って行った。
当然、地に伏した死神たちの魂は、
貞美の一部として取り込まれ、刹丸への旗色を悪くさせる引き金となった。
刹丸「はぁはぁ、かはっ…。はぁはぁ、やっぱり、お前たち死神共は、ろくなことをしないな…。」
棺「すまん。…詫びる言葉もない。まさか奴の目が怨念の核になっていたとは…。」
刹丸「はぁはぁ…、謝るくらいなら…。何とか…してこいよ。あと…、これが終わったら多額の賠償を請求してやるからな。」
棺「っ!そ、それはむちゃ…うぐっ。わ、わかった…。」
刹丸「はぁはぁ、それで良い…。」
重症レベルの手負いを負ってはいるが、
命には別状がない刹丸は、要求に渋る"棺"に対して、一点集中の殺気を飛ばした。
二度にも渡る高慢な死神共の妨害、
そして勝てる勝負を踏みにじられ、
更には、膨大な損害を与えられた事に怒り心頭な刹丸。
さすがの"棺"でも、
八割近くの部下が瞬殺され、お得意の保護弁論は愚か、閻魔様を盾にして逆らうことすらできなかった。
そんな殺伐とした空間に、
突如、一匹の青年が現れる。
犬神「…やはり、あの大きな妖気は刹丸であったか。」
刹丸「っ…その声は…、ふっ。やっと、元の姿になりましたか…犬神様…。」
棺「っ、い、犬神様ですと!?」
犬神「如何にも。余は白山乃宮ポチである。して死神よ、此度の失態は重いぞ?血の気が多いことは結構だが、全てにおいて場を見極めて行動しなくては、ただの荒くれぞ。」
棺「は、ははっ!」
駄犬モードの犬神なら絶対に言わないであろう言葉に、日常の犬神を知る者たちが、この真っ当な神託を聞けば、おそらく八割方笑うであろう。
しかし、日常の犬神を知らない棺は、
この神託とも言える言葉に膝を突いて受け入れた。
刹丸「ふっ。それにしてもどうして…その姿に…こほっこほっ!」
犬神「っ、刹丸よ。それ以上喋るでない。傷口から瘴気を感じる。下手に動けば命を削るぞ。」
刹丸「はぁはぁ…このくらい…何ともありませんよ。」
犬神「…相変わらず強情な奴よ。ほら、瘴気を消してやるから、後は妖楼郭へ戻れ。」
刹丸「な、何ともないと言って!かはっ!?」
犬神「大人しく寝ていろ…たわけが。」
強情な刹丸に対して、犬神は容赦なく"みぞおち"辺りに拳をねじ込むと、刹丸を蝕む瘴気を払い、ついでに気絶させる事に成功した。
普段の犬神なら絶対にあり得ない光景に、
思わず見直してしまう神々しさを感じさせてくれる。
だが、その神々しさも数秒後には、
いつもの犬神らしさを取り戻してしまう。
犬神「いってて、鬼人の大妖怪となると結構固いな。」
刹丸の"みぞおち"辺りに拳をねじ込んだ際に、
右手を痛めたのか、痛そうに手を振る。
大妖怪の刹丸を平気な顔で気絶させるためには、
もう少し神力が必要だった様だ。
犬神「おい、死神よ?」
棺「はっ、はい!」
犬神「すまないが、刹丸を妖楼郭へ連れて行ってはくれまいか?」
棺「わ、わかりました。お任せください。」
犬神「うむ、頼むぞ。先程から禍々しい妖気が、温泉街に蔓延っておる。道中には気をつけるのだぞ。」
棺「はっ!刹丸には指一本振れさせません!」
犬神「うむ、その意気や良し。では、あとを頼むぞ。」
棺の意気を見届けた犬神は、刹丸を棺に託し、
目にも止まらぬ早さで、怨霊の権化と成りつつある貞美の元へ向かった。
そしてポツンと残された棺、
しかしその表情は、不適な笑みを浮かべていた。
棺「…ふっ。…ふっふっ。所詮、犬神様と言っても…、全て見通しているわけではないか…。」
先程までの慎みを込めた姿勢とは裏腹に、
犬神を小馬鹿にした様な口振りで嗤うと、懐から短刀を取り出した。
棺「さてと…、まさか刹丸が、貞美相手にここまで押すとは思わなかったが…"あの方"には及ぶまい。…が、少しでも驚異となる者は、始末しておこうか。」
目を赤黒く光らせた棺は、
両手で短刀を持つと勢いよく刹丸に突き立てる。
しかし…、
短刀の刃は刹丸の体まで、
あと数センチと言う所で突如"ピタリ"と止まった。
棺「っ、な、なんだ…か、体が…う、動かない。」
自分の意思とは異なり、体を動かそうにも動かすことができない状態に棺は焦った。
すると、
棺の背後から凛々しく妖艶な女性の声が響く。
?「全く、こんな見え透いた事も見抜けないなんて刹丸もまだまだね。っと言っても、ここ最近は力をつけるよりも、旅館の経営に没頭していたし、見抜けないのも仕方ないかな?」
棺「っ、き、貴様は…。九尾の…。」
稲荷「クスッ。怨霊に魂を売った哀れな者よ。あなたには、色々と聞きたい事が山ほどあるわ。大人しく全てを話してもらうわよ。」
棺「ふ、ふん。き、貴様に話す道理はなっ、がはっ!?」
稲荷の要求を当然の様に突っぱねる棺であったが、
これが稲荷の反感を買う事になり、みぞおち辺りに怒りの拳をもらうのであった。
稲荷「話す気になったかしら?」
棺「かはっ…はぁはぁ、はぁはぁ。」
稲荷「あらあら?少しやり過ぎたかしら。まあ、良いわ。これから色々と質問するけど、そのままの状態で聞きなさい。」
棺「はぁはぁ!?はぁ…はぁ。」
上手く呼吸ができずにその場で悶える棺は、
目を血走らせながら稲荷の方へ視線を向ける。
稲荷「あなたは、"誰"の差し金かしら?」
棺「はぁはぁ…はぁはぁ…答えると…おも…うか…。」
稲荷「クスッ、もちろん思ってないわよ♪でも、答えないと言うのなら、こちらも"それなり"の事をするまでよ?」
棺「"それなり"…はぁはぁ、だと…。」
稲荷「えぇ♪取り敢えず一応言っておくけど、私たち大妖怪をナメない方がいいわよ?」
棺「な、ナメるなだと…、はぁはぁ、それは脅しか…はぁはぁ、こんな程度で口を割ると思うなよ!この女狐がぁっ!」
最後の忠告も受け入れてもらえず、
力を振り絞ってまで飛び掛かる棺に対して、
稲荷はうつむき怒りを露にした。
稲荷「そう…。なら、仕方がないわね…。」
金色のモフモフとした九本の尻尾が逆立つと、
まるで鋭利な刃物の様に、棺の両腕を一瞬で斬り落とした。
棺「っ!!?ぐあぁぁっ!?」
突如襲った激痛に、棺は痛烈な叫びを上げる。
すると稲荷は、追撃と言わんばかりに、
棺を回し蹴りで地面に叩きつけた。
稲荷「ふぅ~。本当にくだらないわ。お陰で直人の子供を身籠るための時間か延びたじゃない。」
棺「……ぁ…ぁ…。」
実力差を完全に教え込まれた棺は、
徐々に意識が遠退いて行く中で、死を覚悟した。
しかし稲荷は、すぐにトドメを差そうとはせず、
この後の行動プランについて考え始める。
稲荷「はぁ、もういっその事、私がこの件を終わらせようかしら…。いや、それだと身籠るための妖気が失くなってしまうかも…。うーん。」
愛する弟の子を身籠りたいと願う中で、
極めて煩わしい"貞美"の存在。
今の稲荷ならば、"貞美"すらも圧倒する程の妖気を溜め込んでいるだろう。
だがしかし、
もし、貞美と戦うことになれば、
せっかく集めた妖気を全て放出してしまい。
身籠り計画が失敗してしまう展開が、
目に見えていた。
されど、このまま放置しては、
被害は増すばかりではなく、下手をすれば妖楼郭の人たちや、愛する直人までも捲き込まれてしまう可能性も十分にあった。
稲荷に取って初めて感じる究極の選択に、
稲荷は取り敢えず、気絶している刹丸と半殺しにした棺を転移ゲートへ放り込むのであった。