第三百五十九話 冥界士相譚その7
憎らしや
喜楽に過ごす
者共に
暗き永久
皆共に知れ
かれこれ百年近く前の話だろうか。
とある医者の家に一人の女の子が生まれた。
実家は木造二階建ての大きな病院を経営しており、
大抵その様な家に生まれた子供は、勝ち組の人生が約束されていた。
だか、実際は無情であった。
彼女は生まれた時から体が弱く、
日々、謎の病に苦しめられていたため、幼少期のほとんどを実家の病院のベッドで過ごしていた。
それでも彼女は、父と母から愛されていたのであろう。彼女が生活していた病室は、明治の時代では金持ち層の者しか使わない個室であった。
そのため、彼女が小学校に通うまで友達は愚か、余所との交流など皆無であった。
強いて話せる人と言えば、
父と母くらいであろう。
そんな世俗も知らない生活を続け、
彼女が十歳の頃に、人生の転機が訪れる。
それは奇跡的に謎の病から解放され、
ようやく小学校へ通える程まで、体調が回復したのだ。
だがしかし、転機と思った展開は、
一瞬で"世間"と言う、外の世界の洗礼を受けることになる。
待ちに待った彼女の学校生活は、
小学四年生から始まった。
実家の病院で、
ある程度の知識を積んでいた事もあり、
勉学面では着いて行けていたが、肝心の友達作りで苦悩していた。
同い年の子に声をかけるも、
無視されたり、仲間外れにされたりと、
孤独な日々を強いられていた。
そんな日が、一日、一日と進み、
徐々に周囲の視線を気にする様になると、
人との関わりが消極的になり始めた。
しかし、とある昼休みの時間に、
一人寂しく絵を描いていると、そこへ偶然にも自分とよく似た境遇の女の子と出会った。
その女の子は、隣のクラスにいる"深田よしえ"と言い、その日を境に絵描き友達として付き合うようになって行った。
だが、時は明治三十七年五月。
大日本帝国とロシア帝国が対峙する大規模戦争。
日露戦争の真っ只中の頃である。
これも時世の理か、
とある時に、"よしえ"の父が徴兵により出兵してしまい、戦場で命を落としてしまう事が起きた。
この報に"よしえ"は、深い悲しみに浸り、
母と共に田舎へ引っ越すのだと"彼女"に明かした。
彼女は、悲しみと寂しさを感じながらも、
別れ際に"再会の約束"と"文通の約束"を交わした。
それから再び始まる孤独な日々は、
何とか文通のやり取りで耐える事ができた。
しかし、中学校へ上がる頃。
"よしえ"との文通は途端に止まってしまう。
そんな孤独な日々が再開する中で、
次々と不幸が彼女を襲うことになる。
中学一年の七月。雷が鳴り響く悪天候の夜。
雷の一閃が病院を襲い、不運な事に全焼火事となった。父は患者を逃がすため、火事に捲き込まれて亡くなった。
病院と父を同時に失った彼女と母は、
その日暮らしの生活が始まる。
当然、通っていた中学は中退である。
それからと言うもの、
各地を転々と回り、世間の荒波に揉まれ、
助けを求めても助けてもらえず、自分の力で切り抜く生活が続いた。
そのため、彼女が十五歳になり、とある日の夜の事。とうとう気を病んでしまった母が、禁断の行為に走った。
休みなしの日々に疲れ果て、
深い眠りにつく娘に包丁を突き立て、
母はそのまま有金を全て持ち去ったのだ。
全てにおいて貧しい親が、自分の命のために子供を捨てたり、売ったり、殺してしまう事は、今でも昔でもある話である。
彼女の人生は、本来は勝ち組に居いた。
だが、天が与えた道は、
それを嘲笑うかの様な負け組の道であった。
正直な所、今ここで死ねる事は、この先苦悩して生きるよりも非常に幸いな事であると思った。
そのため彼女は、激痛に耐えながらも、
全てを受け入れるかの様に目を閉じた。
これでようやく安らかに眠れるのだと…。
思いながら。
だが…。現実は更に違った。
意識が朦朧とする中、
かなり古い和服を着た一人の女性が目の前に現れた。
?「あらあら…、何て哀れな光景なのかしら。」
少女「…ぁ…ぁ。(…だれ…閻魔様の使い…?)」
?「…ふふっ、幼い頃から健康な体に恵まれず、人の縁にも恵まれず、そして、人生そのものに恵まれず…最後は母親に裏切られる始末、さぞ辛かったわよね?」
少女「…(な、何を言ってるの…この人は。)」
?「本当に世の中って言う物は理不尽よね~。人は生まれた時は平等って言うけど、私は、そんな外見しか見ていないおバカさん染みた台詞は好きじゃないのよね~。人は生まれた瞬間から、個々の能力と才能に差が生まれるのにね~。」
少女「……(ほ、本当…何言ってるんだ…ろ…う。)」
突如現れた高貴な女性が、
好き放題訳の分からない事を語る中で、
少女の意識は徐々に遠退いて行く。
呪忌「ふふっ、話が長くなったわね。私の名は、呪忌…。貴女の様にこの世から見捨てられ、負け組に落ち、遺恨と因縁などを纏った呪霊…、いや、簡単に言えば怨霊と言えば良いかしらね。」
少女「……。」
呪忌「あらあら、話してる間に死んじゃったみたいね?さてと、お話の続きっと。」
呪忌と名乗る怨霊が、
少女の体に触れると禍々しい妖気を注いだ。
すると、少女の心臓の辺りから"黒い魂"の様なものが浮き出て来ると、徐々に死んだ少女の骸と同じ姿へと変わり始める。
呪忌「ふふっ、やっぱりね。貴女は古都古以来の逸材ね。二百年ぶりに私の力を受け入れる適応者…。さて…、これから、どうするかしらね。」
久々の逸材を見つけた呪忌は、
餞別だと言わんばかりに、
血塗られた包丁を置いて去って行った。
その後、黒い魂から具現化した少女が、
手の指を"ピクッ"と動かすと、すぐに体全体の関節をバキバキと鳴らし、曲がっては行けない方へ曲げながら血塗られた包丁に手を掛けた。
少女「…ぁぁ…カカ…。」
顔面蒼白で、白目を向いた血だらけの少女は、
ブリキのおもちゃの様な動きで、よろよろと外へ出ると、世にも奇妙な走りで"誰か"を追いかけ始めた。
そして、その"誰か"とは…。
もちろん、自分を殺めて逃げ去った少女の母親である。
その頃。
娘を殺した母親はと言うと、
行く宛もない真っ暗な道を走っていた。
母「はぁはぁ、はぁはぁ。殺ってしまった…。ど、どうしましょう。」
殺めて気づいた罪悪感に、
少女の母親は混乱していた。
母「…うぅ、ひっく。"貞美"ごめんなさい…。お母さん…取り返しがつかないことを…。」
今さら悔いても遅い懺悔をしていると、
無意識にずっと左手で握りしめていた包丁に気づく。
母「…はぁはぁ、さ、貞美…ごめんなさい…。い、今お母さんも行くからね。」
娘の後を追う決心がついた母親は、
娘を殺めた包丁で、目を閉じながら自分の喉元へ突き立てる。するとそこへ、何者かに手を掴まれる。
反射的に目を開けて見ると、そこには自らの手で殺めたはずの"貞美"が立っていた。
真っ暗で微量の光しかないが、
シルエットからして、すぐに貞美だとわかった。
母「さ、貞美!?い、生きてたのね!?」
貞美「……。」
母「ご、ごめんなさい貞美!お母さんが間違っていたわ。でも、よかった早くお医者さんへ…。」
貞美の母親が、貞美の顔に近寄ると。
突如、貞美の目が赤黒く光、この世の者とは思えないほどの不気味な表情を見せた。
母「ひぃぃっ!?さ、貞美…や、やっぱり貴女…、ば、化けてかはっ!?」
貞美「…カカカカ。ぁぁぁぁーーっ。」
怨霊と化した貞美は、母親を壁へと追いやると、
情け容赦なく血塗られた包丁で何回も突いて殺めた。
因果応報とも言える展開ではあるが、
これが貞美の初めての呪殺となった。
この機に貞美は、永遠の孤独を抱え、
幸せそうな者を見ると呪い殺しては魂を喰らい、
たったの数年の内で呪霊三女の位につくことになる。
貞美が初めに魂を喰らったのは、
小学生の時に唯一の友達であった。
深田よしえの魂であった。
それは母を呪い殺してから、三日後のこと。
本能に従いかつての友人の元へ行くと、
そこには、今の自分とは異なり幸せそうに過ごす"よしえ"の姿があった。
小学生の時は同じ境遇であり、
自分と同じ道を歩む者だと思っていた。
しかし、"よしえ"の母親の再婚が成功したのだろうか、"よしえ"は大きな家に住み、良い服を着ては何不自由のない生活を送っていた。
自分とは異なる恵まれた環境に、
激しい劣等感と裏切られた感情が生まれ、
貞美の怨念に火をつけた。
貞美は、すぐに"よしえ"の部屋に忍び込むと、
"よしえ"が完全に一人になるところを見計らった。
そして、その夜。
就寝のために部屋へ戻った"よしえ"の前に現れるや、恐怖を与えたの末に殺害。魂と体を喰らい。その場から去った。
これにより、同じ手口の犯行が増えると、
当然、事件は迷宮入りや誤認逮捕が相次ぎ、
一部では神隠しだと噂されるほどのものであったと言う。