第三百五十六話 冥界士相譚その4
久しくも
愛しき人と
側に居て
去れど叶わぬ
永久の輝き
悲劇は一瞬であった。
あの初々しい‥と言うよりは、
余りにもぎこちない二人の一時から一変。
温泉街に恐怖を纏った悲鳴が木霊した。
ユメは、片腕だけで平沼の貫き、
平沼は、何が起きたのか理解できず口から血を吐きながらユメを見つめていた。
"ユメ"は悪霊と疑われても幽霊の類い。
普通はすり抜けるなどして、害の無い貫通だと思うだろう。
しかし、悪霊や怨霊の類いは、
その名の通り普通の幽霊ではない。
彼らは無差別に、
人間や妖怪、同じ幽霊などから、
妖気、精気、魂魄などを喰らい実態を得ている。そのため、強いて言えば妖怪の類いである。
そして少し時を戻し、
平沼がユメに致命傷を与えられる前に、
一体何があったのか‥。
二人が見つめ合う瞬間まで戻す。
平沼「‥ゆ、ユメ、本当に何も要らないのか?」
ユメ「は、はい♪私はこのまま、平沼様と一緒に居るだけで十分ですから♪」
平沼「う、うーん。そ、それでも何かあるだろ?例えば食べ物とか‥。」
ユメ「クスッ♪平沼様と再会出来た以上に、求める物なんてありませんよ♪」
遠慮を感じさせない、何とも健気な返答に、平沼の心は大きく揺れた。
"ユメ"の事を一番良く知っている分、
その目に映る"純粋で曇りのない笑顔"は、
平沼に取って心が張り裂けそうな物であった。
悪霊化してしまった"あの頃"の姿と比べて、もはや悪霊などとは、縁も縁もない、生前の"ユメ"その者であった。
病でユメを亡くし、
されど幽霊として迎え入れ様とするも、
不運な事に悪霊にされ、祓うためとは言え傷つけてしまい、それ以来五十年近く離ればなれになった。
それからと言うもの。
自分の無力さを誰にも悟られずに責め続ける日々。そして、どうしても剥がれる事がない"やるせない"思いは、人が想像する以上に大きい物であった。
しかし、そんな苦しい日々は、
今日で終わるのだと、平沼は切実に実感した。
平沼「‥全く‥欲のない子だな。」
ユメ「私は"これ"でいいのですよ♪あっ、でも‥、強いて言えばですけど‥。」
平沼「ん?やっぱり何かあるのか?」
横に平行で歩きながら話す二人。
突如ユメが足を止めると、
平沼も足を止めて見つめ合う。
ユメ「あっ、でもこれは、ちょっと、わがままが過ぎると思いますし、やっぱり大丈夫ですよ♪」
平沼「な、何だよ?多少の"わがまま"くらいなら聞いてやるよ?取り敢えず聞かせてくれよ?」
ここで遠慮するユメに対して、
気分が高揚し始めている平沼は、
ユメの両肩に手を置き要望を求めた。
ユメ「うぅ‥。クスッ‥、なら、あなたの"命"かしら‥。」
平沼「えっ?」
それは一瞬の事であった。
ユメは平沼の肩を掴むと、
右手を構えて平沼の腹部を貫いた。
この時のユメの表情は、
暖かな表情から一変。
涼しげで冷酷な表情へと変わっていた。
この突然過ぎる異変に、
当然付近の観光客たちは、
パニックを起こして逃げ惑い始める。
ユメのか細い腕を腹部に貫通させられた平沼は、
口や腹部から大量の血を流し、意識が飛びそうになる程の激痛が襲う中で、忘れもしない五十年前に感じた禍々しい妖気を感じた。
五十年前、大切な"ユメ"を悪霊にした、
呪霊三女の一角、"貞美"の妖気である。
これにより平沼は、心から認めたくはない事を察してしまうのである。
そう、既にユメの魂魄は、
貞美の一部‥、いや、器として悪用されているのだと察した。
平沼「かはっ‥、ゆ、ユメ‥。ど‥して‥。」
ユメ?「クスッ‥どうしてかな?まあそんな事より、この体はとても私に馴染むわ。"この子"の意思も操れるし便利なものよね?」
平沼「っ!き、きさまぁ‥かはっ。」
ユメ?「クスッ‥安心しなさい坊や。この体はこの先ずっと‥有り難く利用させてもらうから。」
先程までの温厚な表情から想像も付かない程まで豹変したユメは、無力な平沼に対して弄び始める。
胴体を貫通させた細い腕を"グリグリっ"とねじ回しては、血肉を抉り、平沼の悶絶する姿を楽しんでいた。
するとここで、
"異変"に気づいた"二人の鬼人"が、
慌てながらも豹変したユメに斬りかかった。
だが、しかし、
二人の鬼人から振り下ろされた刃は、
突如ユメの背中から生えた腕によって防がれた。
その腕には、瘴気が纏っており、その手には血塗られた包丁が握られていた。
アイシュ「っ!」
リヴァル「なっ!何っ!?」
ユメ?「クスッ‥、ずっと誰かに付けられているとは思っていたけど‥。まさか鬼人とはね‥、私もここまでかしら‥?」
アイシュ「ぬかせ、貴様の様な"禍々しい者"が何を言うか‥。」
リヴァル「そうだ!それより、"沼"さんを離せ!」
ユメ?「クスッ、そうね~?"器に注ぐ"妖気も吸えた事だし‥、もう"これ"は要らないわ。」
平沼を貫通させた細い腕を引き抜くと、
瀕死状態の平沼を蹴り飛ばした。
リヴァル「っ!"沼"さん!"沼"さん!」
平沼「‥‥ぅぅ、くぅ‥、リ‥ヴァ‥‥す‥ま‥ない。」
リヴァル「っ、無理して話さないでください!急いで治療をしないと。」
大量出血に加えて妖気まで吸われた平沼は、
生死を分けるまでの虫の息であった。
アイシュ「リヴァル。ここは私が何とかする。平沼さんを担いで一旦妖楼郭へ戻れ。」
リヴァル「っ!そんなの無茶だ!アイシュも相手の力量くらい分かってるだろ!」
アイシュ「あぁ、分かっている。勝てるかどうかは、五分五分、あるいはそれ以下だろうな。だが、ここで足止めをしなければ、多くの人たちが殺されるだろう。」
リヴァル「そ、そうだが‥。」
アイシュの言う通り、
今の"ユメ"をこのまま放置すれば確実に、
数秒事に死人が出る事であろう。
だがここで、計り知れない程の禍々しい妖気を纏ったユメに、一対一で戦うのには大きなリスクがある。
それに、ここでアイシュと共に戦ったとして、
平沼が手遅れになる可能性だってある。
おそらくこの騒ぎで、
妖楼郭にいる死神たちが、
血眼になって出動している頃だろうが、
確信が持てない以上、この運命を分ける程の決断が、リヴァルにはできなかった。
すると、"不適な笑みを浮かべる"ユメが、
アイシュの案を推すかの様に語り始める。
ユメ?「クスッ、悩む気持ちは分かるけど、ここは早く決断しないと‥‥死ぬわよ?"そいつ"‥。」
リヴァル「っ。」
光はおろか、生気すらも感じられない瞳と、
背筋を凍らせる程の生気のない冷酷な声に、
リヴァルは"金縛り"よりも強い、肌を刺す様な感覚に襲われ恐怖を植え付けられた。
まさに、この世の怨念を全て背負った様な存在の前で、まともな思考で要られない状態で、リヴァルは二つに一つの選択を強いられる。
アイシュを信じて平沼を妖楼郭へ連れて行き、
救援を呼びつけるか。
あるいは、死神たちがすぐに来る事を信じて、
アイシュと共に足止めをするか。
どちらかを取れば、犠牲が出る可能性がある。
まさに究極の選択である。
リヴァル「‥ぁ‥ぁぁ‥えっ‥と。」
当然、今のリヴァルに答えが出せるわけがなく、
痺れを切らしたアイシュが一喝する。
アイシュ「リヴァル!考えている暇があるなら早く行け!」
リヴァル「っ!?くっ‥わ、わかった‥すぐにもどる‥死ぬなよ。」
痺れを切らしたアイシュの一喝により、
リヴァルは遂に折れた。
瀕死の平沼を抱えて離脱しようとする。
するとどこからか、怨霊堕ちした"ユメ"目掛けて、突如赤黒い閃光が走るのであった。