唯一の家族
何か懐かしい匂いを感じてアレスは目を覚ました。
体に異常はなく、むしろぐっすりと眠った後のような清々しい気分だ。体調は良好である。
「ここは……」
体を起こして辺りを見回す。
どこかの廃民家のようだ。放棄されてからずいぶんと時間が経っているようだ。埃っぽいし、電気が通っているかも怪しい。
アレスが寝ていたところもベッドの形は保っているが、それだけだった。最低限どこからか持ってきた清潔なシーツが敷かれていた。あまり不用意に動くと埃が舞い上がってしまうだろう。
窓の外は明るくなっており、すでに日をまたいでいるようだ。
「あ、気がつきましたかアレス」
部屋の出入り口のところにココロが立っていた。
雪のように白い髪が揺れているが、もし廃墟で出会ったら何かしらの霊と間違えられそうである。
アレスがすでに体を起こしているのを見ると案ずるように近づいてきた。
「気分はどうですか。どこかに痛みや不快感はありますか?」
「……いや、大丈夫。助かったぜ」
素直に礼を言うと、ココロは微笑んで部屋を出て行こうとする。
「落ち着いたらリビングへ来てください。簡単な物ですが朝ごはんを用意しておきました」
「ココロが作ったのか?」
「はい、お魚はさすがに缶詰めになってしまいましたが、ご飯はちゃんと炊きましたよ。和食ですが嫌いでしたか?」
「いや、大丈夫。好き嫌いは少ないほうだ」
「それは良いことですね。ご飯は食べられる時に食べたほうが良い戦士になれるとマスターが言っていました。それじゃあ待ってますね」
軽い足取りでココロは部屋を後にする。
「……マスターってだれだ?」
知らない間にココロにも新しい師ができたのだろうか。
そんなことを考えながら身支度を整えリビングへと向かう。
「おお、すげぇな」
リビングに入った瞬間に芳ばしいみそ汁の匂いを感じた。きっとキッチンの向こうで鍋に入っているのだろう。
テーブルの上も和朝食が用意されていた。
カラフルなランチョンマットの上にさばのみそ煮と漬物だけだが、少し朽ちたテーブルに似つかわしくないようなおかずだ。
「座っていてください。ご飯とおみそ汁を持っていきますので」
「ああ」
おとなしく座って待っているとココロがご飯とみそ汁お盆に載せてやってきた。
「お待たせしました。どうぞ」
「いただきます」
手を合わせて挨拶をするとすぐに食べ始める。
「む、うまいな」
「そうですか。それは良かったです」
「ココロは食べないのか?」
「わたしはマモルが戻って来るのを待ってます」
「いないのか?」
「ニフタ村へ偵察に行ってもらってます。わたしも行こうとしたんですけど、ご飯を作っておいてと頼まれたので」
「ふうん。適材適所ってやつだな」
ココロはこれでたまにドジなところがある。隠れているときに転んだりでもしたら事だ。
偵察と言っていたので戦闘するつもりはないのだろう。そのためには隠密に徹する必要がある。それを気付かれないようにココロへ伝えたようだ。
「それで、オレはどれくらい眠っていたんだ?」
「だいたい8時間くらいです。ちなみに今は朝7時くらいだと思います。逃げてる途中でこの空き家を見つけられたのは幸運でした」
「一晩まるまるか。どうりですっきりしてるはずだ」
昨日は二度も揺りかごの護法陣を発動させてしまった。
一度目から二度目までさほど時間は開いてないはずだが、それでも体力と想造力を使いきってしまったせいか、熟睡してしまったようだ。
強制的に睡眠状態にさせてしまう揺りかごの護法陣は、どうしても精神への負担が大きい。寝起きの気だるさは日に何度も味わいたくないものだ。
「アステリ相手に全部の想造力を使ったけど、それでも遊ばれるだけだった。不甲斐ない話だ」
「アレス……」
アステリのチカラは強大であった。
自前の魔力に加え、想造力まで使えるようになっているようだ。
パワーもスピードも恐ろしいまで高められている。
「このままじゃあ真面目に戦っても勝てない。やっぱりここは――――」
と、これからのことを考えていると、扉をノックする音が聞こえてきた。
「マモルが帰ってきたか?」
「あ、わたしが行きます」
ココロが扉へと向かっていく。そして顔を近づけると何かを確認するように口を開いた。
「キルシュ?」
「トルテ」
「お帰りなさいマモル。今開けますね」
「ちょっと待てココロ。まさかじゃないが、今の合言葉なわけないよな?」
キルシュトルテは、ケーキの一種である。それを合言葉として使う文化をアレスは知らなかった。
「え、そうですけど」
「そう、ですか……」
新しい文化との出会いだった。
ココロがカギを開けるとマモルが入ってきた。
「ただいまココロ。アレスも起きたみたいだね。おはよう」
「……おはよう」
しぶしぶといった表情でアレスはマモルを迎えた。マモルとちゃんと会話するのは二度目だが、その温和な表情のせいかどうにも何を考えているのか分かりにくいような印象がある。
何度か話せば慣れるだろうか。
「マモル、先に話しますか? もしくはご飯にしますか? それとも……」
「そ、それとも……?」
「デ・ザ・ー・ト?」
「……」
「どうしたんですかマモル! そんなひざから崩れ落ちるように落ち込んでしまうなんて」
「いや、気にしないで。さておき、とりあえずご飯を食べようかな。冷めちゃうのももったいないからね」
「分かりました。じゃあ準備するんで待っていてください」
「うん、よろしく」
慌ただしくココロが走っていく。
「ふぅ、悟られなかったかな」
「なぁマモル」
話を聞いていたアレスがみそ汁をすすりながら話しかける。
「お前はご飯を食べる前にデザートを先に食べるのか?」
「まぁ、そういう日もあるさ」
またアレスの知らない文化だ。まるで異国に来たような気分である。
マモルも合流し、ひとまずの休憩を挟むことにするようだ。
「結論から言うと、今の状況はあんまり好ましいとは言えない」
朝食を食べ終え、食後のお茶を飲みながら話し合うアレスたち。
お腹いっぱいの幸福感とその余韻を楽しむお茶ではあるが、マモルの切り出し方はあまり良くないものだった。
「ニフタ村の様子を見に行ったんだけど、辺り一面ティポスだらけだったよ」
「えぇ! それは大変です! 早く助けに行かないと!」
「いや、ちょっと待ってココロ」
テーブルを乗り出すココロをマモルが止める。
「まずね、村の人たちなんだけど、みんな眠っているみたいなんだ」
「眠ってるだって?」
「うん、そうなんだアレス。たしかに今この辺は薄い霧がかかっているみたいに視界が悪いけど、眠っていられるほど暗くはない。それでもぐっすりと眠っているんだ」
「でも、眠っているんだったら無防備じゃないのか?」
ほとんど戦う力の無い村人たちが、さらに眠っているとなれば逃げることもできないはずだ。それではあまりにも無抵抗が過ぎる。
そんなアレスの疑問にマモルはうなずく。
「うん、実際されるがままで、ティポスが何かしようとしてたんで僕も飛び出そうとしたよ」
ただ、とマモルは少しためらいながら続ける。
「眠っている村の人が最初苦しそうだったんだけど、ティポスが何か黒いカタマリを抜き出したら安らかになったんだ」
「えぇっ! な、亡くなってしまったんですか!?」
「いや違う。違うよココロ。ちゃんと寝息は聞こえていたから生きているよ」
「じゃあ、いったいどういうことなんだ?」
「それは、僕にも分からない。ちなみにココロ、黒いカタマリって聞いて何か思い当たらない?」
「いえ、ティポスが奪う想造力や想造核は一般的に白く光っているはずです。黒いカタマリっていうのは聞いたことがないです」
これは見たことがある、というより想造力を使う者なら誰もが知っていることである。
アレスもマモルも想造力が覚醒した時に実際見ているからだ。
「どういう意味があるのか分からない。でも、数が多すぎるから下手に手出しもできなかった。なんで、とりあえず戻ってきたんだけど」
解決の糸口も見つけられないまま暴れても仕方ない。戻ってきたマモルの判断は正しいだろう。
「でも、結局ティポスの目的、ひいてはアステリも分からないままか……」
「アレスはアステリの妹と会ったんですよね?」
「ん、ああ、リムニのことか」
アレスが屋敷で最初に会ったのがリムニだった。
リムニは最初、錯乱状態で、アレスを見ると襲い掛かってきた。
強い想造力でアレスを追い詰めるが、ここはアレスが機転を利かせて事なきを得る。
「会うには会ったけど、リムニは特に何か聞かされてるって感じじゃなかったんだよな」
「そうですか……。でも、あの陣の中心にいたのがリムニでしたから。きっとキーになっているのがリムニだと思うんです」
「うーん、結局はもう一度聞きに行かないといけないかなぁ」
アステリの目的が分からない以上、何が正解かも分からない。
しかし、ティポスが関わっているので世界の守護翼として放っておくこともできない。
そんな状況でどうしようかと三人で唸っていると入り口の扉がノックされた。
「……だれか来たみたいですね」
「だれかって、だれだ?」
三人は顔を見合わせる。
今、この時この場所を訪ねて来る者に心当たりはない。
ニフタ村の人を含め、この辺の人たちはみんな眠ってしまっている。
ということはアステリ陣営のだれかということになってしまう。
「ティポス避けの結界は張りましたけど、人避けの結界は張らなかったんですよ」
「なんでだ?」
「だれか起きてる人がいたら逃げて来られるかなと思いまして」
「それもそうか」
もしかしたら、アステリが発動した魔方陣のようなものを逃れた者がいるかもしれない。
「よし、ここは僕に任せて」
マモルが席を立ち扉へと近づいていく。
「マモル、気をつけてくださいね」
「うん」
不安そうなココロにマモルは親指を立ててみせた。そのまま扉に向かってそっと話しかける。
「ザッハ?」
「え? ……トルテ?」
マモルの合言葉の問いに戸惑いながらも女性の声で返事が帰ってきた。
「よし」
「いや、よしじゃないが」
アレスが止めようとしたが、マモルは満足そうにうなずくと扉を開けてしまった。
「まさか、すんなり開けてもらえるとは思わなかった……」
扉の向こうにいた人物は、若干戸惑いながら姿を見せた。
「あ、お前は!」
その人物にアレスは見覚えがあった。
屋敷でアレスと戦い、最後まで立ちふさがったメイドの一人。
「えーと、アステリ様、そしてリムニ様にお仕えするミティ……です」
気まずそうにミティは自己紹介をすると、深々と頭を下げた。
「お茶をどうぞ」
「あ、ありがとうございます」
ココロがお茶を出すと、ミティは素直にそれを受け取った。ゆっくりと飲むと大きく息を吐いた。
「それで、何しに来たんだ? まさか昨日の続きをやろうってことじゃないだろうな?」
ミティと直接戦ったアレスが警戒するように言った。
何せ昨日の今日である。アステリ陣営の者が来たらどうしても身構えてしまう。
「やろうってんなら相手になるぜ?」
「いや、わたしは……」
「ダメだよアレス。そんな喧嘩腰になったら」
「そうですよ。わざわざ一人で来るってことは話があって来たんでしょうから」
「……ふん」
マモルとココロにたしなめられ、アレスは背中をイスにあずけた。とりあえず話は聞いてやろうという気らしい。
「き、昨日ことはすまなかった。リムニ様を守るためとはいえ、やり過ぎた。いろんなことがあって余裕がなかったんだ……」
「……わかったよ。オレも防衛とはいえ手を出して悪かった。話を聞かせてくれ」
ぶっきらぼうにだが、アレスにそう言われてミティは少し表情を和らげる。
「ありがとう。実は、今日ここへ来たのはアンタたちにお願いがあって来たんだ」
「お願い、ですか?」
ココロが首をかしげる。
「どうか、リムニ様を助けるために力を貸してほしい」
ミティはそう言って頭を下げた。
予想外の話にアレスは背もたれによりかかるのをやめて身を乗り出す。
「どういうことだ? 今回のことはアステリが考えた事じゃないのか?」
そう聞かれたミティは辛そうに目を伏せて話し出す。
「……アステリお嬢様は変わってしまったんだ。以前はリムニ様やわたしたちメイド、それにニフタ村の人たちにも優しくしてくれていた。でも、一年くらい前にあのフーリオという男がやって来てから少しずつおかしくなっていった」
「フーリオ……。アステリの近くにいた奴か」
魔方陣を発動させ、あの場の出来事をまるで劇でも観るように愉しんでいた男。
「当時、わたしたちはティポスの襲撃にあって、なんとか凌いだところだった。でも、その時にリムニ様がわたしたちを守ろうとして魔力を使い果たしてしまったんだ。リムニ様はお体が弱くて、魔界から影響の少ないこちらの世界へ来てゆっくりと夢魔になる準備を整えている最中だった」
その話を聞いてココロが何か思い出したかのように話す。
「聞いたことがあります。純粋種の悪魔は成長過程で強すぎる魔力を受けると他の悪魔の影響を受けてしまうと」
「それってマズいことなの?」
それほど悪魔に詳しくないマモルが質問した。
「少なくとも、純粋種というものではなくなってしまうそうです。それがどこまで影響があるのかは分かりませんが」
「そう、それは魔族の理に関係するもの。わたしたち人間には分からない感覚。でも、アステリお嬢様はリムニ様をとても大切にされているから、そんな混ぜ物みたいになるのは避けたかったのかも」
王族や貴族が血統を重んじるような話だろうか。周りの者には分からないが、当人たちにとっては大切なものなのだろう。
「話を戻すけど、リムニ様の容態は良くなかった。使いきった魔力をとり戻すにはまた時間が必要になってしまった。今まで長い間お屋敷で窮屈な暮らしをされていたのに、また同じような暮らしに戻るのはお辛いはず。何より、それに一番堪えられなかったのはアステリお嬢様だった。リムニ様を誰よりも大切に思っているから。どうにかして早く窮屈な生活から解放させようとしていた。そして、そんな時にやって来たのがあの男だった」
フーリオは傷心中のアステリの隙を付くためにやって来たのだろう。ティポスを支配する力を謳い文句にアステリへと近づいた。
「『妹君を助けたければ、魔力と一緒に想造力を与えればいいのです』。フーリオはそう言っていた」
「想造力って魔力の代わりになるものなの?」
マモルの素朴な疑問に答えたのは、この中で誰よりも想造力に詳しいココロだった。ココロは、少し考えるような素振りを見せてから答える。
「うーん、できるかどうかと訊かれると、たぶんできる、と思います」
「あいまいな返事だね」
断言はできないが、試してみる価値はあるのかもしれない、といった感じだ。
「世界の守護翼では『万物想造論』という考え方が信仰されています。全てものは想造力で成り立っているという考え方です。それは物質だけでなく理や概念を含めてです。つまり、想造力はなんにでもなれるんです。その考え方ならきっと魔力にもなれます」
ココロの話は宗教的なニュアンスを含むと思うが、あながちそうではないのかもしれない。
そもそも想造力から生まれる想造武具でさえ、木材やら金属やら様々な材質のものに姿を変える。それだけでも何にでもなれるということだ。
「つまり、リムニに無理やり想造力を食わせて成長を促すっていうことか。でも、村の人間を眠らしたのはなんでだ? 反撃なんかして来ないだろ」
ティポスが想造力を奪う時、多少の抵抗はあるだろう。だが、結局はただの一般人だ。戦う力を持たない村人なら弱いティポスでもさほど苦なく想造力を奪えるだろう。
「わたしも詳しくは知らないけど、今、ニフタ村にいるティポスはアステリお嬢様の魔力が混ぜられた特別なティポスだって言ってた。アステリ様の魔力で作られた魔方陣で村の人たちを眠らせて強制的に夢を見させる。それを夢魔の力を与えられたティポスが悪夢として回収し、リムニ様のもとへと送り届けられる。その夢の中には上質な想造力が含まれているそうだ」
「なるほど。人の夢には想いが凝縮されているはずです。それに、夢という形を取れば夢魔であるリムニも摂取しやすいでしょう。よく考えられています」
ココロが感心するようにうなずいていた。
「夢からしか想造力を取らないなら村人たちに害はないのかな?」
「直接想造核を取るよりかは精神に負担はないです。でも、短い間に何度も想造力を抜き取られると、それだけで精神にダメージを負ってしまうでしょう」
「じゃあ、やっぱり手放しでは安心できないね」
想造力とは精神力そのものだ。そんなものを無理矢理奪うのだから無害なわけないだろう。
従来の行為とは違って、ティポスが相手の意識に作用することはないようだが、早めに対処しなければ村人たちの精神が壊れてしまう。
「このままアステリお嬢様の思う通りに進んでも、ニフタ村には居られなくなってしまう。魔界から出てようやく見つけた場所を失ってはリムニ様も悲しんでしまう。だから」
ミティはイスから立ち上がり頭を下げる。
「頼む。わたしだけじゃあアステリお嬢様たちを止められない。力を貸してくれ!」
ミティの想いはとても真摯だ。
ミティのことだけでなく、アステリたちがまだニフタ村に居られるように考えている。
そのために敵であるアレスたちのもとへ来るほどだ。
きっと、これがミティの懸命さなのだろう。
「……どうする、アレス?」
「え、オレに聞くのか?」
マモルから急に話を振られてアレスは少し驚く。
てっきり二つ返事でマモルとココロが承諾すると思っていた。
「僕とココロは今回アレスを追いかけて来ただけだからね。ファーネさんからはこの世界でティポスと戦うようには命令されていない。もちろん個人的にはどうにかしたいと思っているけど」
マモルがチラリとココロの方へ目配せすると、ココロも大きくうなずいた。
「僕たちはアレスの意志を尊重する」
「それは、おあつらえ向きだぜ」
アレスはニヤリと笑い、拳を突き上げる。
「このままやられっぱなしでおめおめと帰れるか。アイツらには言いたいことがあるんだ。もう一度アステリのところへ行くぞ!」
言われるまでもない。仮にマモルが何も言わなくても、もしくは反対してもアレスは一人で行くつもりだ。
アレスの言葉にマモルもココロも、そしてミティでさえも賛同するのだった。
「……あれ、何か忘れているような?」
ただひとり、ココロだけが首をかしげていた。
アレスたちがアステリたちを止めるために気合いを入れているその頃、とある場所でも動きがあった。
「……ココロからの連絡はまだなの?」
手にした小型の端末を見つめながらファーネは落ち着かない様子だった。
世界の守護翼ビャコ支部の支部長という立場にあるファーネのもとには毎日たくさんの仕事がやってくる。
そのほとんどは事務的なものではあるが、本部や他の支部との連携に欠かせないものなど重要な書類の確認が多い。
普段であれば滞りなく進む作業だが、今は机の上に山積みである。
「……アレスは……アレスは無事なの……?」
呟く声に返事はなく、誰にも届かない。一人きりのこの部屋にはファーネの声は虚しく消えていく。
「……やっぱり、私が直接行くべきだったかしら」
ビャコ支部の全責任を担っているファーネは、おいそれと支部を離れるわけにはいかない。
もしそんなことになればビャコ支部そのものが動くということになる。
「いくらなんでも私情でそこまで大事にするわけにはいかない……」
あくまでも今回は息子のアレスを連れ戻すだけのことである。
そのためにビャコ支部の中で一番自由のきくマモルとココロに向かわせたのだ。
多少アレスとのもめ事になる可能性はあったが、大きな戦闘になる可能性は皆無だった。
「でも、もし何かあったとしたら……」
可能性はもちろんゼロではない。ティポスはどこにでも現れるのだから。
「……よし」
ファーネは手にした端末を操作するとどこかに連絡を取る。
「……もしもし。ええ、ファーネです。今大丈夫? ええ、ええ。今待機中のメンバーは誰がいる? ええそうね、戦闘できる人がいいわね。……それなら一個小隊は作れそうね。え、別に戦争するわけじゃないわよ。わけじゃないけど出撃準備をさせておいて。ええ、よろしく」
通話を切るとひとつ息を吐きファーネは立ち上がり部屋を出る。その目には強いやる気が灯っていた。
「待っててねアレス。今、お母さんが迎えに行くから」




