悪魔の誘い
黒を基調とした壮大な屋敷は、夕暮れ前の暗さと相まって不気味さが増していた。
というより、元から悪魔が住むと言われている建物である。どちらかといえば、らしさが深まったといえるのかもしれない。
「飛んでったアレスを追っていったら目的地に着いたわけだけど……。いるかな、アレス」
「ここまでの道程に何も痕跡はありませんでした。その先にこれだけの建物があるんですからきっと間違いないですよ」
マモルとココロは門の前で屋敷を見上げていた。
アレスの追跡と確保の指令を受けたふたりであったが、彼との戦闘中に彼の母親であるファーネが掛けたおまじない『揺り篭の護法陣』が発動してしまった。
いついかなる時でも発動してしまうこのおまじないは、アレスを安全な場所へとすっ飛ばしてしまう。
飛んでいった方角を頼りに森の中を進んできたところで、本来の目的地である悪魔の屋敷にたどり着いてしまった。
「なんていうか、いかにも出そうな所だね」
暗い雰囲気の屋敷を見上げてマモルはため息を吐いた。
「出る? 何が出るんですか?」
「ほら、こういうところは何かホラー的な雰囲気があるというかさ。もしかしたら出るかもしれないよ、オバケとか」
「オバケ……」
オバケと言われてココロが少し考えるように黙った。
「どうしたのココロ? 怖かった?」
「ああいえ、そういうことじゃないんです。霊体系のモンスターは物理攻撃が効きづらいってジルエットに聞いたのを思い出して」
「……え、戦ったことがあるの?」
「経験豊富というわけではありませんが、俗に言うモンスター……魔力のような特別な力を糧としている方々がいる世界では見かけることがあります」
「へ、へぇ、わりといるんだね」
少し引きつった笑顔を浮かべてココロの話を聞くマモル。
「もしかしてマモル、オバケ苦手なんですか」
「いや、うーん。オバケというか、ホラー関係のお話ってバッドエンドが多いから避けてるんだよね」
やっとの思いで倒した敵の裏に大きな陰謀があってさらに争いが激化していったり。呪いだったりウイルスだったりを根絶できたと思ったら実は仲間のうちの一人が感染してたりと、ホラー関係には実は何も解決できていない系が多い。
視聴する際はあらかじめ覚悟が必要だ。
「なるほど。マモルはハッピーエンドを求めているわけですから、そういうのは合わないんですね」
「……まあ、そんな感じなのかな」
どんなものにせよ、人生において幸せを求めない者なんていないと思うが。
「でも大丈夫ですよ。霊体の方々だっていざ話してみたら気さくな方もいるかもしれないですし」
「そう言われたら、そんな気がする……」
会って話してみなければ分からないのは人もオバケも同じか。食わず嫌いしていては何も始まらない。
「ここにいるアステリが良い(?)悪魔かもしれないしね。とりあえず会ってみようか」
「あ、ちょっと待ってくださいマモル」
意を決して敷地に入ろうとしたマモルをココロが呼び止める。
「どうしたのココロ?」
「そういえばやる事があったので」
そう言うと、ココロはスマホを取り出し何かを打ち込み出した。
「何やってるの?」
「今回からは定期報告をするようにファーネさんから言われてまして。今のうちにやっておこうかなと」
「へぇー、前回のトランシーバーからずいぶんと進化したね」
雑音混じりの通話よりよほどスマートだ。目覚ましい革新である。
「これもマモルたちの世界を知れたおかげです。魔力やマナを介さない通信技術は安定しているうえに誰でも使えるという利便性に長けています。それは本当に素晴らしいことですよ」
「そっか。そう言ってもらえると誇らしい気持ちになるよ」
その反面、魔法や精霊に憧れを抱いてしまうのはしょうがないことなのだろう。
だから人は空想にふけるのだ。
「……これでよし」
ココロはメッセージを送信するとスマホをしまった。
「アレスに会えたことと無事であることを伝えました。これでファーネさんも少し落ち着いてくれるでしょう」
「そっか……ん? これからアステリに会うことは言わないの?」
「あんまり不安になるようなことは伝えないほうが良いと思いまして。ファーネさんはほら、えっと、あのぉ……アレスの事となると周りが見えなくなることがありまして……」
「……なるほどね」
たしかにKUROで会ったファーネは本当にいつもと違っていた。
不安を煽るようなことを言えばすぐに本人が飛んできてしまうだろう。
おいそれとトップの人間が出てきてしまっては大事になりかねない。
できるならば、そっとさせておいた方が良いだろう。
「早くファーネさんを安心させてあげなくちゃね」
「はい。行きましょう」
ふたりは少し荒れた門をくぐり玄関扉まで進む。
辺りは不思議なほど静かで、まるで時が止まっているかのようだ。
玄関扉はなかなかの重厚感があり、なんとなく拒絶されているように感じる。
扉の近くを見回してもマモルたちの世界のようなインターホンが見当たらないので、ためらいながらもノックをした。
と、マモルがノックしたタイミングでココロが話しかけてきた。
「そういえばマモル、なんて言ってアステリに会うつもりなんですか?」
「あ、そういえば特に何も考えてなかった。うーん、どうしようか……」
アレスを連れ戻すことが目的でアステリ自体には実は用はないのだ。
しかし、正直にそんなことを言ったら追い返されてしまう。
マモルが頭の中で理由を考えていたら、ほどなくして中から気配を感じ、扉が少しだけ開いた。
「どちら様でしょうか?」
扉から顔を出したのは、この屋敷に仕えるメイドだろうか、キリッとした顔つきの女性だった。
メイドは警戒するようにマモルとココロを見る。
「えっと……」
マモルは訪問理由を考える。嘘をつくのは好きではないのでなるべく理にかなったものを。
「……向こうの方で遊んでいたら、ボール(みたいなもの)がこのお屋敷に入っちゃって。取らしてもらっていいですか?」
「いや、間違っていないですけど、ぜんぜん合ってもいないですよ」
ココロがマモルだけに聞こえるように小声で言った。遊びと言うにはずいぶんと戦っていたし、ボールというのは揺り篭のご方陣によって包まれたアレス本人のことであろうか。
とっさに考えたわりには頑張った方だろう。あとはメイドが信じてくれればいいのだが。
「……」
メイドはひたすら訝しげな視線を向けるだけだった。
無理もない。見慣れない人間が突然来てわけも分からないことを言っているのだから。
「……申し訳ありません。本日は貸し切りでございまして。次回はアポイメントを取ってからいらしてくださいませ」
やんわりと断られてしまった。問答無用で追い返されないだけでもマシなほうだ。
「あ、あの、ちょっと待ってください!」
マモルを押し退けてココロが前に出た。
「すみません。実は大切な仲間がアステリさんに会うためにここへ来たみたいなんです。わたしたちもご面会させてもらえないでしょうか?」
先ほどのマモルよりも丁寧に説明する。
真摯な対応にメイドの雰囲気もどこか和らいだように感じた。
「そうでございましたか。しかしながら、当主であるアステリは多忙の身でありまして。どうかまたの機会に――――え、お嬢様?」
メイドが後ろから声を掛けられたようだ。
別の女性の声と会話をしたのち、扉が開かれる。
「失礼いたしました。アステリお嬢様がお会いなさるようです。どうぞお入りください」
「あ、ありがとうございます」
開け放たれた扉にココロが面食らってしまう。先ほどと一瞬で対応が変わってしまった。
「……入れてくれるって言うなら入らせてもらおうか」
「……そうですね。おじゃまします」
マモルが前を行き、ココロが続く。
ふたりは悪魔が住む屋敷へと足を踏み入れたのだった。
屋敷の中は、はっきり言って薄暗かった。
内装は豪華であり、全体的に清潔に保たれているように見えるが、いかんせん灯りが乏しい。
これはきっと、エコロジー的な理由ではなくて、ここに住む悪魔が夢魔という種類だからだとマモルは思った。
まぁ、明るい所に住む悪魔というものよりはよほど悪魔らしいのかもしれないが。
「暗いから足下に気をつけてねココロ」
「あ、はい。ありがとうございます」
と言っても、エントランスに躓きそうなものはない。
絨毯が敷かれているくらいでさっぱりしていた。
「ようこそ。我が屋敷へ」
凛とした声が響き、マモルとココロは顔を上げる。
正面の階段を上った先にある二階からお付きのメイドを従えた少女が、赤い髪をなびかせながらマモルたちを見下ろしていた。
(この子がアステリか……)
マモルは少女を見るがいまいちピンときていないようだった。
見た目は赤い髪が目立つだけの少女だろう。なんならマモルどころかココロよりも年下に見える。
(こんな子が村一つを統率して、立派な屋敷を持つ当主なのか)
それほどまでに、アステリは幼く見えた。
「油断しないでくださいマモル」
「ココロ?」
ココロが周りに聞こえないくらいの声で耳打ちをする。
「悪魔という方々は見た目だけでは何の判断もできません。子どもに見えるというだけで実力者であることは間違いないですから」
「う、わかったよ」
まさに見た目で判断していたことを見抜かれていたようだ。
考えてみればココロたち神の偶像も見た目は完全に少女だ。
マモルはその少女に先日圧倒されたばかりである。
(気を引き締めないと……)
すでに悪魔の屋敷の中である。何が起きても不思議ではないだろう。
「……ふうん。どうやら旅人といったところみたいね。で、わざわざここへ何の用かしら?」
アステリは値踏みをするような冷ややかな視線を向ける。現れた来訪者に興味があるわけではないのかもしれない。
「えっと、仲間がひとり、アステリさんを訪ねてきたはずなんですけど何か知りませんでしょうか?」
ココロがまっすぐにアステリを見て言う。このような話し合いの場面では場数を踏んでいるココロの方が適任だろう。
「仲間? ああ、そういえば人間の子どもを見かけたわね」
「あ、たぶんその人です。わたしたちはそのアレスを連れ戻しに来たんです。今どこにいますか?」
「……いいわ。案内してあげる。こっちへいらっしゃい。マティ、アフティ」
「「はい」」
アステリが名前を呼ぶとふたりのメイドが返事はした。
一切ズレのない声の重なり方だ。よく見ると顔つきが瓜二つであることから姉妹、さらに言うなら双子かもしれない。
「準備を」
「「かしこまりました」」
メイドたちは深く一礼をすると、それぞれどこかへ行ってしまった。
「待たせたわね。それじゃあ行きましょうか」
アステリが奥へと歩き出してしまったので、マモルとココロは慌てて階段を上って後に続く。
ふたりが追いついてもアステリは振り返りもしない。
「ねぇ、アステリさん」
「呼び捨てでかまわないわ。中途半端な敬意はうざったくてしょうがない」
呼びかけたマモルの声をぴしゃりと止めてしまった。他人に気を使われるのは好まないのかもしれない。
「……じゃあアステリ、さっき準備って言ってたけど、これから何かするところだったのかな?」
「ええ、ちょうどパーティーをしようとしていたところだったの」
「パーティー? 何かめでたいことでもあったの?」
「どちらかと言えば前祝いみたいなものかしら。飾り付けは急ごしらえで拙いけど、長い時間をかけてようやくできたの。……そうだ、せっかくだからアナタたちも参加していきなさい。料理の準備もしてるし、何より参加者は多いほうが盛り上がるわ」
「……アレスが見つかったらね」
薄暗い通路をアステリは振り返ることなく進んで行く。階段を上ったりしていることから上を目指しているようだ。
「ちょっといいですかマモル?」
マモルの後ろを歩くココロが声をかけてきた。その声は小さく、先頭のアステリにはおそらく届いていないだろう。
「どうしたのココロ? 心配しなくても大丈夫だよ。お偉いさんのパーティーなんだからきっと美味しいケーキが出てくるよ」
「いえ、別に料理の心配しているわけではないんですが、それより聞いてください」
「うん」
「このお屋敷から魔力とは別のチカラを感じます」
「別のチカラ……ってもしかして」
「はい、想造力です」
神妙な顔つきでココロは言った。
悪魔の屋敷なので魔力が満ちているのは当然だっただろう。
しかし、想造力まであるのは少し気がかりではある。
「ちなみになんだけど、ティポスはいそう?」
「いえ、感じられません。まあ、想造力は自力で覚醒させることもできますから、必ずしも危ないことが起きているわけではありません。ですが……」
「うん、そうだね。そっちの方も警戒しておいたほうがいいね」
まだまだ経験の浅いマモルにとっては大半が未知である。できるだけの注意は怠らないようにしなければならない。
「ねぇ、アナタたちは」
今度は前を行くアステリが話しかけてきて二人は前を向いた。
「夢って見るのかしら?」
「僕の夢は世界中の甘い物を食べることかな」
「いえ、将来の目標を聞いているんじゃなくて」
「そして、最終的には僕自身が甘い物になる」
「砂糖にでもなりたいのアナタは? じゃなくて、眠っている時に見る方よ」
「ああ、そっちのか。うーん、見る気はするけど、起きたらだいたい忘れるんだよね。ココロはどう?」
「わたしはちょうど昨日見ましたよ。しかもマモルが出てきました。たしか、この前食べたどら焼きをいっしょに食べてました」
「ああ、あのどら焼きおいしかったよね。夢に出るほど気に入ったならまた食べようね」
「はい!」
「二人で食事する夢か……」
「どうかしたんですかアステリ?」
「健全そうでよかったわって思っていたのよ。アナタたちの夢は甘そうね」
「じゃあデザートだね」
「食べる機会があったらね。基本的に夢魔は悪夢の方が好きなのよ」
「理由があるんですか?」
「味が濃いの、悪夢は。さぁ、そろそろ着くわ」
アステリに続いて歩いてきてずいぶん進んできた。
このままでは屋上に出てしまうと思っていたら本当に屋上に来てしまった。
アレスは空を飛んでいたはずなので屋上に落ちたのだろうか。被害が少ないといいが。
「もう真っ暗ですね」
ココロが空を仰いでいる。
日は完全に沈んでしまい空には星が顔を覗かし始めていた。マモルたちの世界と違い光源が少ないためよく見える。
屋上はとても広い。遮蔽物もとくになく端まで見通すことができた。
なのですぐに気がつく。
遠くに少し不釣り合いな小屋が建てられているのと、これまた不思議に見える天蓋付きのベッドが野ざらしにされていた。
どういう意図で置いたのかは分からないが、きっと重要なものなのだろう。
「ここで待っていなさい」
アステリはそれだけ言うとマモルたちの返事も聞かずにベッドに向かって行ってしまった。
「なんだか殺風景なところだね」
「そうですね。でも、なんだか胸騒ぎがします」
「胸騒ぎ?」
「いえ、気のせいかもしれないですけど……」
そうは言うがココロは不安そうだ。だが、臨戦態勢を取るつもりはないらしい。
不穏な想造力やティポスの気配を感じないのだろう。そういう意味では安心してもいいのかもしれない。
そうこうしている間に、アステリはベッドへとたどり着いていた。
遠くから見た感じでは、すでに少女が横になっているようだ。顔立ちがアステリに少し似ている気がする。
「リムニ」
アステリがそっとベッドの中の少女に話しかける。すると、少女はゆっくりとまぶたを開いた。その目はすでに虚ろであり、とても眠そうだ。
「おねえ……さま……」
「一年間、よく耐えたわね。偉いわ。さすが私の妹ね」
「……うん」
リムニの反応は薄い。意識を保つだけで精一杯のようだ。
「これからアナタはとても深い眠りにつく。そこでアナタは自由に夢を喰らい続けるの。何のジャマの入らない世界でお腹いっぱいになるまでチカラを付けなさい。いいわね?」
「……う、ん」
「いい子ね」
アステリはそっとリムニの額にキスをする。その表情は少し寂しさを感じられた。
「何をしてるんだろうね?」
「……さあ」
「別れのあいさつですよ」
「「わっ?!」」
マモルとココロの間に突然知らない男性が立っていて二人は飛び退いた。
「物語において別れのシーンというのはひとつの盛り上がるところです。喜劇であれ悲劇であれね」
マモルたちの動揺に一切構うことなく男性は語り続ける。
端正な顔立ちにスラッとした長身。服装は神父が着ているような黒い服を動きやすいように改造したような格好をしていた。歳のほどはマモルよりも上に感じるが、好青年といった感じだろうか。
「び、びっくりしました……。アナタはいったい……?」
未だ動揺したままのココロがなんとかそれだけ訊ねる。
だが男性はココロの質問に答えることはなく、にっこりと優しく微笑むと口の前に人差し指を立てた。
「今の私たちはただの観衆。無粋な会話は控えておきましょう」
「す、すみません」
律儀に頭を下げるココロ。
だが、この場においてどちらが正しい行為なのかは分からない。どうにも隙を突くような話し方をする男性だ。
(あの服、どこか見覚えがあるような……)
そして、マモルは男性の服装にどこか既視感を覚えながら見ていた。つい最近どこかで見かけたような。
「フーリオ」
遠くから聞こえてきたアステリの声にマモルは思考を中止して顔を向けた。
アステリがベッドの近くからこちらを向いている。
「始めなさい」
「もうよろしいのですか?」
アステリの声に男性が反応する。どうやらフーリオというのはこの男性の名前らしい。
フーリオは何かを確認するように聞き返すと、アステリは小さくうなずいた。
「ええ、もう……いいわ」
「かしこまりました。それではココロさん、そしてマモルさん。どうぞ最後までお楽しみください」
フーリオは優しくマモルたちにそう言うと、アステリのもとへと行ってしまった。
「……あれ、僕たち名乗ったっけ?」
「あ、そういえばまだでした。どうしてわたしたちの名前を知っていたのでしょう?」
マモルたちが疑問に思っていると、その間にフーリオはベッドへと到着し、その場に片ひざをついた。何かを探るように床に手をつく。
「――――愛しき微睡みの園よ。杯に満たされし彼の願いを喰らい、その意思を解き放ちたまえ。永遠の安らぎをここに――――」
フーリオが詩のようなもの唱えると、触れていた床が赤く光りだし、幾何学的な模様が浮かび上がる。
それを見ていたココロが驚いたように目を見開きマモルの方へ振り向いた。
「マモル! 想造力を、想造武具を具現化してください!」
「え、なんで――――」
「早く!」
ココロは叫ぶように言いながら、自身も玉の想造武具を具現化させる。
ただ事ではない様子を感じ、マモルも慌てて想造武具を具現化させた。右手に現れた盾を握りしめる。
そこへ、フーリオの声が響き渡った。
「『永夢の魔方陣』、発動」
赤い光が巨大な魔方陣となって広がっていく。マモルとココロに触れながらもさらに広がっていき、屋上からも見えなくなるほど遠くまで大きくなっていった。
「うっ!?」
魔方陣に触れた瞬間、軽いめまいがしてマモルはよろけてしまったがすぐに立て直す。
「今、なんか急に眠くなったような?」
急激な眠気による不快感があったが、それもすぐになくなった。
「大丈夫ですかマモル」
どうやらココロも急な眠気に襲われたのか、頭を振って耐えていた。
「うん、大丈夫だよ。ココロは?」
「わたしも大丈夫です」
とりあえずはマモルもココロも無事のようだ。
「おや、今のを耐えますか。さすがは神の偶像とその守り人ですね」
フーリオが先ほどと変わらない笑みを浮かべながらマモルたちを見ていた。
「どうやら僕たちのことを知っているみたいだね。たぶん初対面だったと思うけど」
「はい、その通りですよマモル君。会ったのは私の弟のほうです」
「弟……って、もしかして」
「では、改めて名乗らせていただきます」
フーリオは胸に手を当てると軽く頭を下げる。
「私はフーリオ。以前あなた方に追い返されたシューメスの兄でございます。どうぞお見知りおきを」
張りつけたような笑顔で、フーリオはそう名乗った。底知れない不安を感じさせられる。
「なるほど。見覚えがある服装だと思ったけど、シューメスと同じものだったんだね」
それは以前にリーモ王国を冒険していた時の話である。
当時リーモ王国はティポスによる被害を受けており、裏で暗躍していたシューメスを撃退することで難を逃れることができたのだ。
その時に会ったシューメスは世界の守護翼に属し、特別な立場にあるココロを敵視していた。結局その理由を語られることはなかったが因縁だけが残る形となってしまった。
「弟はあなた方への反抗心をメラメラと燃やしているところです。きっと近いうちにお伺いさせていただくと思います」
「嬉しくないなぁ」
「ですが、まずは今回の物語を乗り越えていただかなければなりません」
そう言ってシューメスは道を空けるように一歩下がった。
「あくまで主役はこの方々でございます。美しき姉妹愛が紡ぐ物語を思う存分彩りくださいませ」
「ふん、いちいちめんどくさい言い回しをするのねシューメス」
シューメスに促されるようにしてアステリが前に出た。気だるそうに赤く長い髪を払う。
彼女の立つ後ろでは、空中にぽっかりと穴が開いてしまったような黒い空間が渦を巻いている。
「アステリ!」
アステリと対峙するようにココロが向かい合う。ココロの想いに反応するように浮遊している玉が彼女の近くを周回する。
「その人の言うこと聞いてはダメです。後ろの黒い穴からはティポスの『世界渡り』のような禍々しい想造力を感じます。このままではきっと悪い事が起きてしまいます」
神の偶像であるココロが何か良くないものを感じ取ったようだ。
そうでなくとも、リーモ王国の時も大変な目にあっている。さすがに傍観するわけにはいかない。
「フフフ、悪い事ね……」
だが、ココロの説得を聞いたアステリは、ただ暗く笑うだけだった。
「そうね、アナタの言う通りとても悪い事になってしまうでしょう。でもね」
アステリは真っ直ぐ見つめ返す。まるで、この先に起こるであろう全てを見据えるように。
「私は悪魔よ。悪を以て我が道とするのが私の生き方よ」
彼女のなかでどのような決心があったのかは分からない。それでも、強い意思は伝わってきた。
言葉で止めるのはもはや無理であろう。
「アステリ……」
「ココロ、危ないっ!」
フレイルを振り回したマティがココロ目掛けて走ってきたのが見え、マモルは間に飛び込んだ。
「ちなみに、悪魔なんだから不意打ちだってするわよ」
アステリは面白がるようにそう告げた。
「う、うわぁぁぁぁ!?」
トゲ付きの球体部分を盾で受け止めようとしたが、バランスを崩した状態で受けたため、威力を殺しきれずにそのまま軽くすっ飛んでしまう。
「マモル! このっ!」
ココロの玉がマティへと襲いかかる。
「弱いですね」
だが、マティは再びフレイルを振り回して玉を容易く弾いてしまった。
「その程度では、アステリお嬢様からいただいた魔力と想造力で造られた私のフレイルは止められません」
「な、なんて力ですか!」
「アフティ」
マティが名前を呼ぶと、双子のもう一人のメイドが隣に現れた。
「あちらの方を」
「わかった」
アフティは短くそれだけ言うと、長い棒のような想造武具を手に持ちマモルへと襲いかかった。
「くっ、不意を突かれなければ!」
すぐさま盾を突きだして弾こうとする。
「甘い」
「え?」
ただの棒だと思っていたが、マモルの盾に当たる手前で三つに分裂した。
「さ、三節棍!?」
突如軌道が変わってしまい、翻弄されてしまう。
不規則な動きのせいで、マモルはうまく弾き返せないでいた。
その近くでココロも苦しんでいた。
何度も玉を当てようとするが、どれもフレイルで墜とされてしまう。
同じ球使いでも威力が違うのだ。
「もちろんこれだけではありません。ティポスよ!」
マティが左手を掲げると、同じようにアフティも右手を掲げる。その手には赤い宝石が埋められていた。
その赤い宝石に呼応するようにどこからともなくティポスたちが集まり、あっという間マモルとココロを取り囲んでしまう。
「これは、けっこうマズいかもね……」
「そう、ですね……」
迫りくるティポスたちの輪の中でマモルとココロは背中合わせに絶望していた。
多勢に無勢。
あまりにも危機的状況だった。
「さて、あとはお二人が消耗していくのを待つだけですね。お約束したとおり、マモル様とココロ様の身柄はこちらで引き取らせていただきます。何しろ私の愛する愚弟が望んでおりますので」
「……好きになさい」
マモルとココロが現れたのを確認したとたん、フーリオはいきなり条件を増やした。どうやら少なからず因縁があるようだが、アステリにとってそんなことはどうでもよかった。
「それよりリムニの様子はどうなの。想造力は集まっているの?」
「ええ、ご心配には及びません。村へ行ったティポスたちも少しずつこちらへと向かっております。なんといってもアステリ様の魔力を混ぜた特別なティポスですからね。大きな成果が期待できます」
「……ならいいんだけど」
そう言ってアステリは少しだけベッドを振り返る。
不気味な黒い穴の下でリムニは安らかに眠っている。一年ぶりの熟睡だ。
常人なら気が狂ってしまうような行為でも、最低限の魔力があれば生きられる悪魔なら耐えられる。
それでも、精神が不安定になるのは避けられなかったが。
「それにしても、あの二人、なかなか耐えるわね。私のマティとアフティ相手になかなか粘っているじゃない」
防戦一方たが、少しずつティポスを減らしている。マモルが前で敵を食い止め、そのうちにココロが玉を当てていく。
前衛と後衛のバランスが取れた戦い方だ。
「ええ、さすがと言ったところでしょう。ココロ様はともかくマモル様は最近戦い方を覚えたばかりのはずです。想造力という力は考えてること、想っていることが伝わりやすい性質をもちます。きっと仮想空間の中でシミュレートを何度もしてこられたのでしょう」
「ふーん、戦う素質はあったのかもしれないわね」
そのシミュレートというものがどういうものなのかは二人は知らない。それがただのゲームであることを。
「それでも後は時間の問題ね。いくら何でも数が違うわ」
じりじりと追い詰められているのは間違いない。
「そうですね。今は我々もただの観客ということです。物語の行く末を見守りましょう」
「つまらないわね」
始まってしまえばこんなものなのかと、アステリはため息を吐く。準備期間が長かったためか、余計に肩透かしだ。
「待てっ!」
アステリがベッドへ腰を下ろそうとしたところで張り上げるような声が聞こえた。
戦いをしていたマモルたちも動きを止め、屋上にいる者は声がした方を注目する。
そこにはグローブの想造武具を付けた少年、アレスが立っていた。
アレスは肩で息をしながら辺りを見回したあと、真っ直ぐにアステリを睨んだ。
「おやおや、ずいぶんと可愛らしい増援じゃないですか」
アステリの隣でフーリオがそんな感想を言っていた。
「アレス!」
盾を構えながらマモルが嬉々とした声を上げた。
「助かったよアレス。ティポスの数が多くて困っていたんだ。頼んでもいいかな?」
「……」
アレスは答えず、ただアステリの方を見ていた。
「あの、アレス?」
「なめやがって……」
「え? あ、ちょっと、アレス!?」
マモルの言葉を完全に無視して、アレスはアステリのいる方へと走っていってしまった。
もはや何も見えていないという感じである。
「「お嬢様!」」
「マティ、アフティ!」
駆け出そうとした二人のメイドを一言で止める。
「目の前の敵に集中しなさい!」
アステリの言葉を受け、メイドたちは戦闘を再開した。早く終らせようとするために先ほどよりも気迫が違う。
「いいのですか?」
「当たり前でしょ。ちょうど退屈していたところよ」
「そうですか」
アステリもフーリオもまったく意に介した様子もなくアレスの到着を待つ。
アレスは一心不乱に走ってきた。
見た目かなり疲労感を負っているように見えるが、アステリを見る目はまだ力強い。
「どうやらミティはダメだったみたいね」
「……次からは、スカートで足技はやめるよう言っておけ」
「ふふ、考えておくわ。それで、アナタはこんな所まで何しに来たの?」
「……リムニはどうした?」
「リムニ?」
予想外の質問に思わずアステリは聞き返した。
これまでアステリの前に現れた者といえば、屋敷に眠る財宝を狙う者か、 純粋種の悪魔を討伐して名を上げようとする者などろくでもない者ばかりだったからだ。
「……姉として聞きたいんだけど、リムニとはどういう関係?」
「いきなり襲われた被害者と加害者だ」
「……なるほど。たしかに私のリムニは可愛いけれど、いきなり襲いかかるのは引くわね」
「ちなみに加害者はリムニのほうだ」
「ああそう。じゃあリムニへの仕返しに来たってこと?」
「……まぁ、広い意味だとそうだが、オレはアステリ、お前にも用があったんだ」
「あら、そうなの?」
「でも、そんなのは今はいい」
アレスは苛立ちを振り払うようにグローブを振るうと構えをとった。
「オレはお前たち姉妹が気に入らないんだ。生き方を縛りつけたり従うだけだったり。自由を否定するような生き方をするやつが大嫌いだ」
「……そう」
ひどく稚拙な、後先なんて考えていない理由。それゆえに真っ直ぐさが伝わってくる。
アレスは本当に、ただイライラするからアステリにケンカを売っているだけなのだ。
「……ふふふ、あーはっはっはっ!」
短絡的で感情的。そこになんの意図もない。
アステリはそれがただ可笑しかった。
「いいわ、それでいい。面倒な理由なんかいらない。戦う理由はシンプルなほうがいいわ。ただし……」
アステリは足に想造力を込めると、アレスの目の前に跳んだ。アレスが驚いた顔をする。
「悪魔にケンカを売るということがどういうことか、その身に教えてあげなきゃいけないわ、ね!」
「ぐっ!?」
アステリがアレス目掛けて拳を振るう。ほぼ不意打ちのつもりだったが、アレスはしっかりグローブでガードした。
しかし、アステリのパワーに耐えきれず大きく後ろに跳んでしまう。
「ふむ、やっぱりね」
アステリは今の一撃の感触を確かめるように拳を見る。
「さっきもそうだったけど、衝撃を逃がすためにわざと飛ばされているみたいね。良い目と感覚を持っているわ」
「……」
黙ったままグローブを振りながらアレスはアステリを見据える。
「その歳でそれだけの戦闘感覚を得ることはほぼ無理でしょう。となると、どうやら親譲りということかしら」
「これでもけっこう修行したつもりなんだけどな」
アレスの両親はこの世界で魔神伝説に遺されるほどの人物である。
なので、その遺伝子がアレスに受け継がれていても何ら不思議はない。
「なんでもかんでも親の威光で済まされたらたまらないぜ」
アレスは嫌悪感を込めて言う。苦虫を噛み潰した顔というやつだ。
「気にすることはないわ。才能なんて種族と同じくらいどうしようもないものなんだから」
「それを活かすのは努力だ」
「ふふ、ずいぶんとコンプレックスを抱えているみたいね」
「関係ない」
「ええそうね、関係ないことね。アナタは私にその才能を見せてくれればいいの」
アステリは爪を立てるとアレスへと攻めかかる。
アレスもグローブを打ち込むが相殺するまでに至らず、軌道をそらす程度にしかならない。
「うわっ!」
「リムニの友だちのようだし、殺しはしないわ。でもそのかわり、あの子のためにアナタの想造力を捧げてもらうわ」
「想造力を、捧げるだって?」
「それも気にする必要はないわ。気絶でもなんでもいいからちょっと眠ってくれるだけでいいわ」
「ふざけんじゃねぇ!」
激情を叩きつけるようにグローブを振るい続ける。アステリのパワーもスピードも格上だが、天性のセンスで食らいつく。
防戦と回避に専念すれば多少なら継続して戦うことができる。そうアレスは思っていた。
「ここまでかしらね」
「あ、ぐ……!」
アレスはアステリに首を掴まれ宙吊りにされてしまう。
グローブの想造武具はすでに消滅しており、戦う力は残されていないように見える。
「まぁ、ちょっと想造力が使えるだけの人間が、純粋種の悪魔に挑むなんて無理な話なのよ」
「く、くそぅ……」
「それだけ暴れればもう十分でしょう。じゃあ、眠ってもらうわよ」
「はぁ、はぁ」
アレスは首を掴まれながらも拳を握る。その行為にアステリは目を細めた。
「……やめておきなさい。もうアナタにできることは何もないわ。このままおとなしくしてなさい」
「勝手に、決めるなっ!」
アレスは拳を振るう。首を絞められながらにしてはたいしたスピードだが、それも首を傾けるだけで避けられてしまう。
だが、それだけよかった。
「っ!?」
アステリの頬が浅く切られて血が流れる。アレスの拳は当たっていないはずなのに。その痛みよりも驚きで手を離す。
「ど、どうだ。風狩り直伝の技『風浪拳』だ」
咳き込みながらもアレスはそう言った。拳から放たれた小さな想造力がかまいたちとなってアステリの頬を切ったのだ。
「……本当に楽しませてくれるわ」
自身の髪の色と同じような赤い血をなめながらアステリは笑う。
「さぁ、もっと遊びましょう」
「……ぐっ!?」
やる気の増すアステリとは反対に、アレスは自分の胸を押さえる。
「く、そ。こんな時に……!」
「な、何がおきているの……?」
アレスが首に下げていたお守りから強い想造力の光が漏れだしている。
いきなり苦しみだしたアレスに狼狽えているアステリには分からないが、揺りかごの護法陣が発動しようとしていた。
アレスは必死に抗おうとするが、あまりにも強い想造力に耐えきれない。
「これはチャンスかな。ココロ!」
メイドたちと戦っていたマモルがココロを呼んだ。
「ここは一度退こう!」
「分かりました!」
マモルは片方の盾を掲げると叫ぶ。
「絆想造力!」
盾がバッグへと姿を変えていく。
「ミヅキ、借りるよ!」
マモルがバッグに手を入れて何かを探している。
「逃がしませんよ」
そこへフレイルを振り回しながらマティが走ってきた。
「はい、コレどうぞ」
「え?」
その目の前にマモルは試験管を投げる。
マティはそれを反射的にフレイルで叩き割ってしまった。
「あ」
割られた試験管から漏れた液体が空気に触れた瞬間、強烈な光が溢れた。辺りを白く埋め尽くす。
「行こうココロ!」
「はい!」
光源に背を向けてマモルとココロは走りだした。勢いそのまま屋上から飛び降りる。
そこへ、アレスの揺りかごの護法陣も発動した。
「ちく、しょう。オレはまだ、戦え……」
アレスが光の膜へと包まれていく。同時に意識も薄れていく。
「……まぁ、いいわ。せめて逃げ延びなさい」
アステリは腕を下ろし、アレスから離れる。
「二度とここへは来ないことね。次は、容赦しない」
「……」
揺りかごの護法陣はアレスを空へと逃がす。意識が途切れる瞬間まで、アレスは拳を強く握りしめていた。




