眠れぬ日々の少女
『揺りかごの護法陣』
対象者が身の危険を感じた時に発動するファーネが編み出したオリジナルの陣術である。
対象者の体の一部(簡単なところで髪の毛や爪など)を特別な紙に書いた魔方陣と共に袋に入れて所持させる。
すると、対象者の想造力を覚え、負傷や疲労感を察知し、強制的に睡眠状態にさせ治癒を施す。
もちろん眠ってしまっては無防備となってしまうので、多重の守護壁を展開させる。その守護壁の堅さは全速力のダンプカーの衝突を無傷で済ませるほどだ。
さらに自動で安全な場所を探しだし、そこへと跳躍移動する。ティポスだけでなく、人避けの効果も付与されており、隠密性にも秀でている。
ありとあらゆる陣術効果をこれでもかと盛り込んだファーネの集大成といえるお守りだった。
そのかわりと言っては何であるが、このお守りはファーネ以外には外せない物となってしまった。
かなりの効果を織り込んだ複雑な陣ゆえに、製作者以外には扱えないのだ。
ヘタに取り外そうとすると、その行為じたいが対象者の危機と認識されてしまいお守りが発動されてしまう。
愛する息子が傷つかないように、安全に生きていけるようにと想いを込めて造られたわけだ。
この母の愛を呪いと呼ぶか、呪いと呼ぶかは、人それぞれである。
窓を突き破り、壁やら調度品やらにぶつかりながら幾度か跳ね返り、ようやく『揺りかごの護法陣』は停止した。
見た目は薄い膜にしか見えない防護壁は優秀であり、中にいたアレスには一切怪我はない。それどころか、マモルとの戦いによる疲労も回復している。
人によっては素晴らしいものであると解るものだ。せめて自分の意思で発動できればいいのだが。
「…………ん、止まったのか……」
中で眠っていたアレスが目を覚まし、大きく伸びをした。
「ふぁ~~。ああ、クソ、また発動したのか。やっぱりいきなり眠らされるのは慣れないな」
アレスの意思を完全に無視するかたちの睡眠は、やはり本人にとって不愉快しかない。あらがうことのできない睡魔は倦怠感を残していく。
「よっ、ほっ。……よし、とりあえず、ここはどこだ?」
体を伸ばしたり、軽くステップを踏んだりしながらコンディションを確認する。とりあえず体に異常はなさそうだ。
「わりと大きめな家、だよな。家と言うよりは館とか屋敷って言ったほうがそれっぽいか」
広い廊下の真ん中に立ってアレスはそんな感想を言った。揺りかごの護法陣の性質上、安全な場所に落ちたはずなのであまり警戒心は高めていない。
ティポスのようにどこから現れるか分かりにくい敵もいるため襲われてもすぐに動けるようにはしているが。
だがアレスはそれとは別に、気になる点があった。
「……ずいぶんと荒れてる場所だな」
壁際にあった壊れたイスを調べる。
経年劣化とは明らかに違う、意図的な暴力によって破壊されていた。
他にも壁にあったであろう絵画や燭台なども壊れて床に転がっているし、壁や床に爪痕や破壊の痕跡が残されている。
「戦闘があったみたいだな。しかも、ここ最近……」
荒れ果て具合から見て間違いないだろう。
しかも、長期的なものか破壊力によるものかは不明だが規模が大きい。
「何かが派手に暴れまわった感じだ。もしかしたら、村長の言っていたアステリっていう悪魔の仕業なのかもしれないな」
村長が言うにはアステリはとても強いらしい。
その力で幾度となく村を攻めてきた賊を返り討ちにしていたようだ。
「話の通じるやつなら一度腕試ししてみたかったんだけど、無理そうか」
自分の家をこんなにしてしまうようなやつだ。とてもまともとは言えない所業である。
「まぁ、悪魔に常識を求めるのもおかしな話なのかもしれないけどな」
と、そんなことを言っていたその時、屋敷を揺るがすほどの大きな衝撃が響いた。
「なんだ!?」
あまりに強い衝撃に思わず床に手をついた。衝撃は断続的に響き、屋敷が壊れないか不安になるほどだ。
「……だれか、戦っているのか?」
そんな考えに至るのはアレスが戦闘好きだからか。なんにせよ、同じ建物内であり、あまり遠くないように感じた。
「アステリが暴れてるのかもしれないな。おあつらえ向きだぜ」
アレスはニヤリと笑った。
目的の人物が向こうから居場所を教えてくれているのだ。これは行かない手はない。
「それじゃあ、ご対面願おうか」
アレスは立ち上がると走り出した。
廊下を走ってはいけないと昔ファーネに言われたことを思い出したが、気にせず走り抜ける。
いくつかの角を曲がり走り続けると大きな扉が見えてきた。
きっとこの奥で戦闘が起きているのだろう。
「いくぜ。おっじゃまっしまーす!」
アレスは両手にグローブの想造武具を具現化させると、勢いそのまま扉に叩きつけた。
扉を壊さんとする一撃だったが、なんとか破壊はされず、大きな音をたてて開かれる程度で済んだようだ。
「ここは……何の部屋だ?」
開かれた扉の先は広大な空間だった。
広間といえばそれまでだが、いかんせん物が少ない。
それどころか窓もなく、外の様子が一切分からない仕様となっていた。
それなのに室内は異様に明るくなっており、落ち着かない雰囲気をしているような不思議な部屋である。
いったいどういう意図で作られた部屋なのか想像もできなかった。
「しかしまぁ、ひどい有り様だなぁ……」
そして、何より異様だったのはあちこちにある破壊痕だ。柱が倒れていたりガレキの山ができていたりと、ここで起きていた戦闘の激しさを物語っている。
「これは、星?」
アレスは床に手をついてみる。そこには星形の窪みができていた。
それはここだけでない。壁や床にもいくつか連なっていたり、何かハンマーのような鈍器で叩きつけたような跡であった。
「数人でやったにしてはやり方が似通っている。まさか、これをひとりでやったのか」
それほどまでに規模が大きい。
しかし、見てとれる跡からして、ひとつの武器種であることは間違いないなかった。
そして、アレスがそう結論付けたた時、ガレキの山から小石が音を立てて落ちてきて、アレスはそちらに目を向けた。
「……」
ガレキの影から出てきたのは一人の少女だった。
少し色の抜けた赤いボブカットの髪型をしており、綺麗なドレスを着ている。
背は小さく、だいたいアレスと同じくらいの年ごろに見えた。
少女はゾンビのようにフラフラと歩いている。
「あいつが、これをやったのか?」
見た目で判断するのは早計かもしれないが、それにしても少女は無気力に見えた。
無気力どころか生気すら感じない。
声をかけることすら躊躇われるようだ。
「……あ」
と、歩いていた少女がアレスに気がついたようだ。
濁った瞳が真っ直ぐアレスを捉える。
「お、おい……」
その瞳に見つめられて少し気圧されてしまったが、アレスは声をかけた。
何はともあれ話をしてみなければ始まらない。幸い敵意は感じられない。というより、何も感じられないわけだが。
「あんたがアステリか? オレの名はアレス。訳あってこの地に伝わる魔神伝説について調べている」
「……」
「まずはいきなり屋敷に入ったことの謝罪をする。これも訳あってのことだが無礼を許していただきたい」
「……」
「こちらに争う意思はない。できれば話を聞きたいのだがどうだろうか?」
「……」
「……聞いてる?」
「……だ」
「は?」
会話のできないタイプの悪魔かと不安になったが反応はあった。
このままでは独り言と変わらない有り様になってしまうところである。
「まだいたんだ……」
「まだ?」
しかし、少女は会話をしているようには見えなかった。
うわ言のように、頭に浮かんだ言葉を発しているだけのようだ。
「たおさなきゃたおさなきゃたおさなきゃたおさなきゃたおさなきゃたおさなきゃたおさなきゃたおさなきゃたおさなきゃ……」
「お、おいちょっと待てって……」
「たおさなきゃ!」
少女の元に想造力が集まる。
「なんだってんだ!」
突然の敵意にアレスは構えをとった。
少女からアレスとは比べ物にならないほどの想造力が集まってくる。
「どうやら、違った意味で話の通じないやつみたいだな」
膨れ上がる想造力にアレスは強敵の予感をし興奮したが、少女が手にした想造武具は予想外のものだった。
「……枕?」
少女は白い枕を抱きしめるように持っていた。
辺りの惨状から恐ろしい鈍器のような物が出てくると思っていたアレスだったが、予想外の物に拍子抜けしてしまう。
「そんなもんで何するつもりだ? まさか枕投げでもしようかってのか?」
挑発するようにアレスは言ったが、少女には届いていないようだった。
少女はアレスどころかどこに焦点をあてているのか分からない目をしながら小さく呟く。
「おほしさまよ……」
「は? 星?」
聞き間違いかと思うほど小さな声だったのと関連性の無さで聞き返してしまったが、すぐに思い知ることとなる。
少女は何も間違っていなかった。
「な!?」
あまりに突拍子のない光景にアレスは目を奪われてしまう。
少女の周りに星形の想造力が展開されていく。
淡く金色に輝く星は少女の周りをフワリと浮かび上がっている。
その数は10を越える。大きさはだいたい少女の体の半分くらいだろうか。
「おしつぶしちゃえー!」
星が動き出す。凝縮された想造力のカタマリがアレスへと襲いかかる。
「危ねぇっ!」
アレスは横に跳んで避ける。直線的な軌道なので、よく見ていれば当たらないだろう。
落ちた星は強い衝撃となり、床にクレーターを残して消えていく。
「へっ、こんなのに当たってたまるか!」
「むむむ、じゃあこれならどう!」
今の攻撃よりもさらに星の数が多い。そのかわり少し小さくなっていた。
「ながれろ!」
叫ぶような少女の声が部屋に響く。
星は流星群のようにアレスへと降りそそぐ。
「いくら数が増えたって、そんな真っ直ぐなだけのやつになんか当たらないぞ」
アレスは再度横に跳んで星を避ける。たしかに先ほどより数は多いが避けられないほどではない。
しかし、安易に跳んでしまったことでアレスは後悔することとなる。
避けた方へと星が殺到してきていた。
少女もただ飛ばしているだけではない。アレスがまた避けることを予測して星を飛ばしていたのだ。
視界を埋めるほどの星屑がアレスを阻む。
「……すぅぅぅ」
アレスは思い切り息を吸い込んだ。跳ぶのを止めて床に降りると肩と足を開いて星を迎え打つ。
「だぁぁぁぁぁぁぁ!」
吸い込んだ息をすべて吐き出すように叫ぶと、連続してグローブを打ち出す。連打とも乱打とも言えるラッシュ。
星とグローブがぶつかるたびに小さな想造力の残滓がキラキラと弾け飛ぶ。
まるで星の吹雪の中にいるようだった。
「こいつで最後!」
すべての星を打ち落とし、アレスは大きく息を吐いた。
数が多くなった分、ひとつ辺りの威力が落ちたことが幸いした。これでパワーまであったらアレスは打ち負けていただろう。
「こんなもんじゃオレは倒せないぞ。もっと本気でこいよ」
アレスが挑発するように少女にグローブを向けた。
「むむむ、じゃあじゃあじゃあ!」
少女は手を上げると想造力を集めだした。
ゆっくりだが、巨大な星が生成されていく。
「これならきっと、ぺっしゃんこー!」
狂気に満ちた少女の笑い声と共に徐々に出来上がっていく巨大星。それぞれの頂点がしっかり角ばっているので、ファンタジーな見た目に反して凶悪度が高い。
これほどの強力な一撃とあっては、アレスでは避けることも打ち落とすことも、ましてや受け止めることもままならないだろう。
「おあつらえ向きだぜ」
だからアレスは走った。
少女が手を上げて想造力を集め出した瞬間からアレスはすでに走る準備をしていた。
執拗に挑発したのはこのためだ。わざと少女を挑発し、大技を誘発したのである。
「ふぁっ!?」
少女が驚いた顔をする。今まで避けるか防ぐかしなかったアレスがいきなり走り出したのだ。何もしないと思った者が反撃してきて驚いてしまった。
「これで終わりだ!」
アレスが両手に力を込める。と思いきや、自身の想造武具を消した。
「おりゃ!」
アレスは少女の前まで行くと、少女の顔の前で手のひら同士を思い切り叩いた。いわゆる猫だましである。
「きゃっ!?」
少女は音と衝撃に驚き尻餅をついた。その拍子に集めていた想造力も霧散してしまう。
「ざっとこんなもんだ」
勝ち誇った笑み浮かべるアレスを見上げるようにして、少女は目をパチクリして呆然としていた。
あれだけ溢れていた敵意もすでに感じられない。
少女はただきょとんとしたままアレスを見て質問するしかできなかった。
「……あなたは、だあれ?」
どちらかといえば、その質問はアレスの方がしたかった。
「なんだ、お前がアステリじゃないのか」
「うん、アステリはわたしのおねぇちゃ……おねえさまのことよ」
一段落おいて、やっと自己紹介をする少年と少女だった。
「わたしはリムニ。この屋敷の主、アステリおねえさまの妹の夢魔なの」
「そうか。オレの名はアレスだ。えーと……そうだな……とりあえず最強を目指す拳士だぜ」
立派な名乗りが思いつかず、アレスはそう名乗った。
それを聞いたリムニは首をかしげたが細かいことは気にしない。ようは力を求めていることが伝わればそれでいいのだ。
少女リムニが正気を取り戻したおかげでようやく話を聞くことができる。
少し休みたかったアレスは、何はともあれ座れるところを探した。
しかし、どこを見ても壊れたものばかり。
無事なままの家具が少ないなか、イスがひとつだけギリギリ座れる形を保っていたのを発見した。
さっそくアレスが少女に座るように促したが少女は断られてしまった。何度か繰り返したが、頑なにリムニは座ろうとしない。
「座るとねむくなっちゃうから」
と、そんなことを言った。
もっともな理由のような気がするが、リムニもあれだけ暴れたのだ。眠ってしまうほど疲れているのかもしれない。
アレスとしても眠られてしまうのは困るのでリムニの意思を尊重する。
もちろんアレスも立ったままだ。
「しかしすごい力だったな。夢魔ってのはみんなそんな強いのか?」
リムニが錯乱状態だったからなんとかなったものの、すべての攻撃を真正面から受けていたら、やられていたのはアレスのほうであっただろう。
それほどまでにリムニの想造力は強かった。
「そんなことない。わたしなんてまだまだ。おねえさまの足下にもおよばない」
リムニはふるふると首を振って否定する。
「……なんか、さっきとはえらい違いだなお前。戦っているときはアホみたいにハイテンションだったのに」
「アホみたいって……」
たしかにアレスの言う通りだ。
今も伏し目がちに話すリムニは、先ほどまで想造力をばらまいていた時とは別人のように大人しい。
「さっきのは……ちょっと寝不足だったからおかしくなってただけだもん」
「寝不足? 夢魔なのに?」
「べつに、眠るから夢魔ってわけじゃないもん。夢を食べるから夢魔なんだから」
「ふーん、そういうもんなのか」
アレスはべつに悪魔について詳しいわけではない。むしろ何も知らないと言っていいほど、アレスは悪魔と関わる生活を送って来なかった。
せいぜい悪魔についてなんて、なんとなく悪いことをするやつら、くらいの認識しかない。
種族によって価値観が違うので争い事が絶えないゆえに争い事を好むものだと思った。
「まあいいや。なんにせよ、オレはお前の姉ちゃんに会いに来たんだ。どこに行けば会えるんだ?」
「おねえさまは今、とても大切なギシキの準備でいそがしいって言ってた。だから今は会えないかも」
「そうなのか。忙しいってんなら仕方ないか」
「あ、でもねでもね、今日でそのギシキが完成して、そしたらわたしを呼びにいくって言ってたの。だからここでまってればあえるよ」
「そうか、そりゃおあつらえ向きだぜ。じゃあここで待たせてもらっていいか?」
「うん、いいよ」
「ありがとうリムニ。助かるぜ」
リムニはこくんとうなずいた。
無理に聞きに行って機嫌を損ねてしまうわけにもいかない。聞きたいことも聞けなくなってしまう。
ここはリムニの言葉を信じて待つこととする。
「アレスはお姉さまになにを聞きたいの?」
「ああ、オレはこの地に伝わる魔神伝説について調べているんだ」
「まじん?」
「なんでもかなりの力を持った悪魔がこの辺にいたらしい。そいつが暴れまくっていたのを四人の勇士が集まって魔神を封印した、っていう話なんだが。その封印場所がこの辺にあるらしい。ちなみにリムニは何か聞いたことあるか?」
「ううん。知らない。わたし、あんまり屋敷の外へ出かけたことがないの」
「そうか、じゃあしょうがないな」
「うん。でも、わたしたちが魔界からここへお引っ越しをしてきたときにはそんな話聞いたことなかったな」
「そうなのか?」
「強い悪魔についてならお姉さまも知ってるかもしれないけど……」
「望みは薄そうか」
見た目も名前も知らないものを探しているわけだ。これといって情報も少ない。
もしかしたら、なかなか厳しいのかもしれなかった。
「まあ、アステリが知らないっていうなら、この辺を探索する許可でももらうとするか。無許可でうろうろするよりはマシだろう」
せっかくここまで来たのだ。何も手がかりも無しにおめおめと帰るわけにはいかない。
だが、アレスは少し焦っていた。
いずれは世界の守護翼から追っ手が来るとは思っていたが、それにしても早かった。
しかも、その人手に神の偶像であるココロを派遣してきた。
現状、ビャコ支部のトップ戦力である。
そこまでするのかと驚かされた。
(ココロとマモルを寄越してくるのは予想外だった。それだけ母さんも本気なんだろう。これでビャコ支部に連れ戻されたら……考えたくもないな)
少なくとも監視が強化され制限も増えることだろう。自由とは程遠い生活となる。
(そんなの、なんも面白くもない……)
縛られた運命に何の意味があるのだろうか。先のことを思うと鬱屈した気分になる。
アレスは知らずに拳を握りしめていた。
「そうだ」
リムニが何かひらめいたように声にアレスは顔を上げた。
「ここにはいっぱい本があるの。もしかしたら魔神伝説についての本もあるかも……」
自信がなさそうにモジモジと話すリムニ。だんだんと尻すぼみしていく。
「な、ないかもしれないけど……」
「勢いがあるわりには弱気だな。……まあいいや。どのみちアステリが来るまで暇なんだ。案内してくれよ」
「うん、こっちだよ」
フラフラとした不安げな足取りでリムニは奥へと歩き出す。
夢魔という種族はこういうものなのかもしれない、と思いながらアレスはついていく。
荒れた広間を抜けて次の部屋へと入る。入った瞬間すぐに古書の匂いがした。
「へぇ、これはなかなか」
先ほどの広間ほどではないが、大きな部屋に大量の本が保管されていた。小さな図書館くらいの規模はありそうだ。まさに書庫といった感じである。
リムニの言っていた『いっぱい』というのは誇張ではないらしい。個人でこれだけの本を集めるのは骨が折れる。
「すごいな。こんなにあるのは予想外だったぜ」
「おねえさまがわたしが退屈しないようにって、いろんな所からいろんな本を集めてくれたの」
そう語るリムニは少し誇らしそうだった。
「絵本、児童書、純文学、文芸書。図鑑に参考書に専門書。伝記にエッセイ。魔道書まであるな」
ジャンルのごった煮のようなところだ。
活字中毒の人間が入ったら年単位で出てこなくなるだろう。
「たしかにこれなら魔神伝説についての本のひとつやふたつあってもおかしくないな」
まあ、これだけの本の中から一冊の本を探すというのは砂漠で砂金を探すようなものかもしれないが。
「あ、そうだ。奥のほうには『きんしょ』っていうあぶない本があるみたいだからいっちゃダメなんだって」
「禁書、ね。そう言われると興味がでないこともないが、どんな本があるんだ?」
「なんでも、本を開いたら食べられるのとか、読んだ人が燃えちゃうものとか、人心を掌握しちゃう薄い本とか、回りあるものを壊そうとしちゃう本とか」
「呪いみたいなものか。おっかない話だぜ。……ん? アレは……」
と、本の説明を聞いていたアレスが何かに気がついたようだ。
読書スペースにある机に積み重ねられている本に目が止まる。
アレスは机に近づいて一冊の本を手に取った。
「これは、ビャコ支部にあるのと同じ本だな」
とある旅人による冒険小説だ。見覚えがあったゆえについ手に取ってしまった。
「……そうか、母さんの出身世界だからか。やっぱりここで母さんと父さんは冒険していたんだ」
思わぬところで両親の痕跡を見つけてしまった。
ということは、やはり魔神伝説がこの世界のものである確率は高い。
そんな確信に内心喜びながら他の本を見るとあることに気づく。
「これも、これも、これもそうだ。冒険小説が好きなのか?」
置かれているのは主に冒険小説ばかりだった。
ジャンルやシリーズは違えど、主人公がいろいろな場所を巡るというものが多い気がする。
「そうなの。それがわたしの夢なんだ」
リムニは少し高揚して話す。
「その本に書かれているようないろんなところに行ってみたい。ふしぎなものを見たり、おいしいものをたべたり。こわいと思ったりたのしいと思ったり、いつかいろんなことがしたいな」
リムニは楽しそうに語る。それこそ夢みる少女のように。
ほとんど屋敷から出たことのないリムニにとって旅や冒険は夢物語なのだろう。
「……だったら」
「え?」
それを聞いていたアレスは少し怒ったかのようにリムニに近づく。
「だったらなんで、すぐに旅立たない!」
「ど、どうしたのアレス……?」
突然のアレスの豹変ぶりにリムニは少し怯えている。
「いろんななものが見たいんだろ。いろんなところに行ってみたいんだろ。旅に出たいんだろ。だったらすぐにでも旅立てばいいじゃないか」
「で、でも、お姉さまがここにいろって……」
「それがなんだ!」
アレスが両手でリムニの肩を掴む。リムニはそれで硬直してしまった。
「姉ちゃんの言いつけを守るのがお前の人生じゃないだろ。オレたちはもっと自由なんだよ!」
「で、でも、わたし、わたしは……」
「……ハッ!」
リムニの目に涙が溜まっているのに気がついてアレスは手を離す。
「ご、ゴメン。お前らにも事情があるんだよな。ついオレと重ねちまった……」
「……」
リムニは何も言わず、震えを抑えるように自分を抱きしめている。
「……わたしの、じんせい」
「え?」
瞳は潤んだままだったが、リムニは顔を上げる。
「アレスの言ってること、すこしわかる気がするよ。ちょっとだけ考えてみる」
「あ、ああ。そうか、そうしてみてくれ」
何かリムニの琴線に触れるものがあったのかもしれない。
とりあえず、リムニに追い出されずに済んでアレスはホッとした。
と、そこで扉がノックされた。
「失礼しますリムニさま」
返事も待たずに扉を開けたかと思うと、台車を押してメイドが入ってきた。
「お食事のお時間ですよ。カフェインや刺激の強いものが多くてツラいですけどなるべくおいしく調理しました。残さず食べま、しょ……」
メイドは部屋の中の様子を見て言葉を失っていく。
「あ、ミティ」
リムニがメイドを見て、おそらく名前を呼んだ。
現状を確認しよう。
部屋の中には子どもといえど見知らぬ男。
そして、涙を浮かべる幼き見た目の主君。
(おあつらえ向き、じゃないぜ……)
これから起こるであろうことが容易に想像できてしまい、アレスはため息を吐いた。
トンファーによる強力な一撃により、アレスは再び広間へと追い出された。
寸でのところでグローブの想造武具が間に合う。もし素手のまま受けていたら容易に骨折していた。
「くそっ、容赦ねぇな」
グローブの上からでも手が少し痺れている。普通の人間が出せる力ではない。
「ガードできても痛ぇなチクショウ」
手の痺れに早く慣れるようにパタパタと手首を振っていると、書庫からメイドのミティが飛び出してきた。
先端を鉄で覆ったトンファーを構え、怒りをあらわにしている。
「侵入者め、いったいどこから入ったんだ。ここはお前のようなこそ泥が立ち入っていい場所じゃないんだぞ」
「……」
当たり前かもしれないが、ミティはアレスのことを泥棒か何かだと思っているようだ。
たしかにアレスは許可をもらって入ったわけではないが。
「言え、目的はなんだ。金か、魔道書か、それともお嬢様か?」
威嚇するようにミティはトンファーをアレスに向ける。その表情からは焦りのような余裕の無さがうかがえる。
アレスの答えによってはすぐにバトルになってしまうだろう。
「……その三択で言うなら、お嬢様かな」
アレスはマモルとの戦いから離脱した結果ここへ来た。だが、そもそもアステリに魔神伝説について聞きに来たのだ。
本来の目的としては『アステリへの謁見』が正しいはずである。だからアレスはこう答えたまでだった。
「な、なにぃ!?」
アレスその答えにミティはただ驚愕した。
「そんな堂々とお嬢様の命を狙いに来たやつは初めてだ。ずいぶんと自信があると見たぞ」
ミティはやはり誤解した。そもそもその三択の答えだけではどれを選んでも戦いは避けられない。
バトルを回避するためにはきちんとした説明が必要だった。
「ああいや、べつに争いをするために来たんじゃないんだ。オレはただ――――って、おわっ!?」
トンファーによる横凪ぎの攻撃を後ろに跳んで避ける。
「なにすんだ!」
話の途中で攻撃されてアレス怒鳴った。あんなのに当たったらタンコブでは済まない。
「うるさい、お嬢様は渡さないぞ!」
ミティは構えを解かないままアレスを睨み付ける。徹底抗戦する気だ。
「わざわざこんな時に来て……これ以上やっかいごとを増やすな!」
ミティは左右からトンファーを振るう。風切り音を響かせながら息つく暇もない連擊である。
それをアレスは時に避けながら時に受けながら捌いていく。
「ぐっ!」
グローブで受ける度にアレスが唸る。
ミティは想造力を使っているように見えない。トンファーも普通のものだ。
しかし、それでもかなりの威力であった。
「なかなかすごい威力だな。とても普通の人間が出せる力とは思えないぜ」
「ふん、これはアステリ様の魔力による力だ。私たちメイドが十分に戦えるように魔力を分け与えているんだ」
「なるほど……。どうりでこの威力……!」
振り下ろされたトンファーをグローブをクロスさせて耐え受けた。つばぜり合いのようにギシギシと震える。
「そういうお前のチカラは知っているぞ。想造力っていうんだろ?」
「……よくご存じで」
「こっちもいろいろ事情があってな、そのチカラを教えてくれたヤツがいるんだ」
「……なんだと?」
「ティポスとか想造核とか難しい話は解らなかったけど、とても重要なことなんだろう」
この世界に世界の守護翼が干渉したのは一度だけである。
そのときはファーネの勧誘が主な理由だったので、その時に神の偶像によって想造力を覚醒された者はいないはず。
自然覚醒でないかぎり、想造力を使える者が増えることはない。
「……じゃあ、なんでお前は想造力を使わないんだ? その教えてくれたヤツはお前にも教えてくれたんじゃないのか?」
「そ、それは……」
ミティの表情が曇る。嫌なことを思い出したような顔がすべてを物語っているようだ。
「私じゃあ、あの赤い宝石に耐えられなかったんだ……。ふたりの姉様たちはちゃんとできたのに……!」
「……なるほどな」
ミティの悔しさがトンファーから伝わってくる。自分だけが力を得られなかったのは辛いだろう。
「お前らに事情があるのはよく分かった。どうやら思ったより面倒なことになっているみたいだ、な!」
「きゃっ!?」
アレスは想造力を込めたグローブを振るって力任せにミティを振り払った。
「ティポスが関わっているって話を聞かされたら黙っているわけにはいかないんでな。これでも世界の守護翼ビャコ支部の一員なんだ。アステリには詳しい事情どころか事の顛末を全部聞き出さなきゃな」
「くっ」
ミティがアレスを睨み付ける。まさかこんな子どもに力負けするとは思っていなかったのだろう。
「まってミティ」
その背中に呼び掛ける者がいて、ミティはゆっくりと振り向いた。
「もういいのミティ。だいじょうぶだから」
リムニは労るような目をミティに向けていた。争う必要はないと訴えかけているようだ。
そう、たしかにアレスは戦いを好む傾向にあるが、今回は話し合いをしに来たのだ。
今も攻撃を受けたから振り払っているにすぎない。
リムニはそれを伝えたかったのだ。
「リムニ様……」
ミティはその視線をまっすぐに受けて、リムニの両肩に手を置いた。
「大丈夫ですリムニ様。貴女のことは必ず私が守ってみせます」
「え、いや、そうじゃなくてね」
「私もまだぜんぜん本気じゃないですからね。見ててください。今からあの不届きものをコテンパンにしてみせますから」
「じゃなくてね。べつにたたかうことはしなくても……」
だが、リムニの言葉は届かずミティは前に出た。リムニを守ろうとすることに躍起になっているようだ。
「……私は負けない。第二ラウンドだ!」
「へっ、来るなら相手になるぜ!」
両者は共に動いた。衝突は避けられない。
「……ダメ」
それはとても小さなリムニの呟きだった。
すでに戦う気になっているアレスとミティには到底届かないような。
けれど、どれだけ小さくても心の底から出た想いだ。
初めてできたに等しい友だちのような存在といつも世話をしてくれている大切な存在。
その両者が勘違いで争おうとしているのである。
「……」
知らずに想造武具である枕を抱えていた。
これはそう、ただ止めようとしての行為である。
衝突寸前のふたりに手を向けた。
そして、一瞬で集めた想造力を解放させ――――
「その必要はないわ」
伸ばした手に違う手が重ねられて、そこから小さな槍の形をした赤い想造力が放たれた。
「なっ!?」
槍はアレスに命中し、そのまま壁に叩きつけた。衝撃で脆くなっていた天井が落ちてくる。
「あ、アステリお嬢様!?」
振り返ったミティが驚きの声を上げる。
「どうしてこちらに?」
「……」
だが、アステリはミティの問いに答えず、放った槍の先を見ていた。上から落ちてきた天井のせいでアレスの様子はわからない。
「おねえ、さま……」
自身の腕の中にいる妹の声に反応して、アステリはリムニの方を向いた。
「リムニ、儀式の用意ができたから迎えに来たわ行きましょう」
「あ、はい……。おねえさま……」
有無を言わせぬその迫力に、リムニはうなずくことしかできなかった。
「あ、あれ?」
だが、歩き出そうとしたところでリムニがひざから崩れてしまった。
「想造力を使い過ぎたようね」
「ご、ごめんなさい……」
「……いいわ」
「あ……」
アステリはリムニを抱え上げる。伸長差はあまりないように見えるが、アステリは楽々といった感じだ。
「……こういうの、これで最後になるかもしれないし」
「え?」
「なんでもないわ。行くわよ」
アステリはそのままリムニを抱えて広間を出て行こうとする。
「あ、アステリ様、私もご一緒に」
「ミティ」
アステリは駆け出そうとしたミティを振り返りもせずに声だけで止める。
「アナタはそこの来客を片付けてから来なさい」
「ぶふぁー! 危ないなチクショウ!」
アレスが落ちてきた天井の破片を殴り飛ばして出てきた。
「文字通りの横槍を入れやがって、許さないぞ!」
憤ったアレスは腕をブンブンと振り回す。
「アイツ……!」
「そういうことだから、よろしく頼んだわ」
そして、アステリは広間を出ていく。
「そうそう」
扉を閉める瞬間に、アステリは少しだけミティを振り返った。
「急いだほうがいいわよ。じゃないと『おやすみなさい』も言えずに終わってしまうわ」
そう言って、今度こそアステリは扉を閉めた。その時にミティはリムニと一瞬目が合ったような気がした。
「追わなくていいのか?」
扉に手を伸ばしたままのミティにアレスが声を掛ける。
「……先にお前を倒してからだ」
「リムニのことが大事なんだろ? オレなんかに構ってる場合かよ」
「うるさい! 何も知らないクセに好き勝手言うな!」
ミティはトンファーを構える。先ほどまでとは気迫が違った。
「ソッコーで叩き潰してやる!」
走り出したミティをアレスはため息を吐いて迎え撃つ。
「どいつもこいつも、なんでやりたいことを最優先しないんだよ……!」
苛立ちを込めて、アレスは振り下ろされたトンファーにグローブを打ち付けた。




