レベル上げ
気だるげな午後の授業が終わり、晩御飯をどうしようかと思案しながらマモルは商店街へとやってきた。
すでに陽は傾き、夕方といった時間帯になりつつある。今はまだまばらな人通りではあるが、もうすぐ主婦やサラリーマンでごった返してくることだろう。そのほとんどがマモルと同じく今日の夕飯を求めて来る買い物客だ。
「さて、今日はどうしようかな。お惣菜で済ましてもいいけど、たまにはちゃんと料理しないとシオリに叱られちゃうし……」
台所には毎日立たないと腕が落ちてしまうと、幼なじみのシオリからはよく言われている。
まぁ、マモルは毎日あくせく働く社会人でもなければ、部活や勉学に追われるようなタイプの学生でもない。
いちおう世界の守護翼の一員であり、ビャコ支部に呼ばれる頻度は多くはなったが、基本的には暇人である。
暇人ならば料理くらいちゃんと作れとも思うが、そこはまぁ、今どきの若者らしく遊びたいと思もう。
「うん、そうだね。料理をしている場合じゃなかった。僕には救うべき世界がある」
ゲームの話だ。ゲーム好きのマモルはしばしば熱中し過ぎることがある。
それこそ何も食べずに半日以上やり込むことすらあった。
「今日はお惣菜と冷凍のご飯で手早く済ませてしまおう」
目的が決まったところでいつもの肉屋へと足を向ける。
「ん、あれはココロ?」
歩き出そうとしたところで、マモルは先を歩くココロを見つけた。
この辺りは海外からの留学生が多いが、それでも初雪を思わせる白く長い髪をしている女の子はココロくらいしかいない。
そして、その中でもメイド服なんて目立つ格好をしていればもうココロ以外の可能性なんて皆無だ。
「メイド服のままで来るなんて、どうしたんだろう?」
メイド服は彼女のバイト先である喫茶店KUROの制服みたいなものなのだが、そんな格好で商店街まで来ているのは珍しく思った。
ただでさえ銀髪の外国人というだけで目立つのに、それがメイド服を着ているなんてもはや注目の的だ。
メイドに馴染みがない人がすれ違うたびに振り向いている。ココロ自身は気にしていないようだが。
ココロは目的地があるのか、街並みを眺めながらどこかへ向かっていた。
「せっかくだから声をかけてみようかな。おーい、ココロー」
マモルが呼び掛けると、ココロはすぐに気がつき、手を振り返した。
マモルが小走りで近づくと、ココロは微笑んで迎える。
「マモル、今帰りですか?」
「うん。夕飯を探しにこっちに寄ってみたんだけど、ココロが商店街にいるなんて珍しいね」
「そうですか? これでもマスターに頼まれてよく買い出しに来たりはしているんですよ」
「そうなの?」
どうやらマモルの知らないところでココロはずいぶんこっちの世界に馴染んでいたようだ。
「はい。きっとマモルが学校に行ってる間のことが多かったですから。わたしからすれば、マモルとここで会えることのほうが珍しいです」
「ああ、なるほど。それはそうだね。ってことは、今もおやっさんに頼まれて買い出し?」
「はい。いろいろと食材を買って来るように言われました。だけど……」
「だけど?」
「今回は、別の指令も言い渡されました」
「……指令、ね」
どうやらおやっさんがまた何か企んでいるようだ。
シオリの父親である喫茶店KUROのマスターは、普段からおやっさんと呼ばれ周りから慕われており、たまに突拍子もないことを思い付いて周囲の人間を面白おかしく引っ掻き回すのだ。
今回もきっと、そういうことなのだろう。
「この特別な指令を乗り越えれば、また一つわたしは強くなれると言われました」
「なんだか大層な話だね」
おやっさんの目的はわからないが、少し不安に思った。おやっさんのことを信じてはいるが、たまにやり過ぎる時もある。
せっかくココロの守り人となったわけだし、大事にならないよう見守るくらいは許されるだろう。
「ねぇココロ、僕もついていっていいかな? おやっさんの指令っていうのがどういうものなのか気になるし」
「もちろんいいですよ。わたしもマモルと一緒に歩きたかったです」
ココロは快諾すると、マモルの隣に並んだ。
「それじゃ行きましょう」
「おー」
マモルたちは二人並んで商店街へと歩き出した。
店の前には様々な小物が陳列されており、カラフルなだけでなく、花柄や星柄やどこか知らない世界の模様をあしらった生地が展示されている。ワゴンの中には売れ残りの小物が半額となって置いてあった。
店内はガラス越しに覗くことができ、広いとはいえないところにミシンなどの手芸用品がところ狭しと並んでいた。
「メモの通りに来てみたわけだけど、ホントにここでいいの?」
「はい……。そのはずなんですけど……」
マモルとココロは看板に書かれた『轟裁縫道具店』の文字を見上げていた。
ココロがおやっさんから受け取ったメモには、食材の買い出しをする店の他にいくつか印がしてあった。
どうやらそれがココロの指令に関係しているのだろう。
「あ、印の横にマスターの一言が書いてありました」
「ちなみになんて?」
「えっと、『糸を掴むような話』、だそうです」
「糸? 雲じゃなくて?」
「はい。糸です」
「糸ねぇ……」
おやっさんの真意は相変わらず分かりにくい。
マモルは昔から付き合いはあるので、それなりに理解しているつもりではあるが、それでも時折幼なじみのシオリやリキヤと共に首をかしげることもある。
わざわざ独特な表現にして楽しんでいるようだ。
「まあいいか。知らないところじゃないし、行ってみようか」
「知っているんですかマモル?」
「ここのおばあちゃんには制服の仕立てとか、服飾関係でお世話になっているから」
そう言ってマモルは店内へと足を踏み入れていく。中は広くはないが、色とりどりの糸や布が虹のようで見ていて飽きない。
「どこにいるかな……。マユバァー」
マモルは知っている場所だからかためらいなく奥へと進んでいく。
「あ、キレイな模様ですね」
マモルの後ろを歩いていたココロがたくさんの生地に見とれて足を止めた。
「肌触りも良い。こういうのでお洋服を作れたら楽しいんだろうな」
「じゃあ作ってみるかい?」
「ひゃっ!?」
突然後ろから声をかけられ、ココロは驚きのあまり小さな悲鳴を上げた。
振り向くとそこには簡素な椅子に座っている着物姿のお婆さんがココロを見つめていた。
「あ、ご、ごめんなさい。勝手に触ったりして」
「んん? なんだい、そんなのはいいんじゃよ。見るだけじゃなく実際に触って想像するのは何かを作る時に大切なことじゃろうて」
お婆さんはそう言って目を細めて微笑んだ。
「久しぶりにかわいい子が来てくれて嬉しいねぇ。さて、何を作りたいんじゃ? よければこのオババが力になってやろうて」
「ああ、いえ、わたしは……」
「そうじゃの……その生地を使うならワンピースとかにオススメじゃ。これから暑くなってきてもちょうど良いじゃろうて」
「じゃなくて、わたしは、その……」
「あ、マユバァ。そこにいたんだ」
ココロがお婆さんと話し込んでいると、奥に行っていたマモルが戻ってきた。
「おや、マモルじゃないかい。どうだい、ズボンの裾上げくらいはできるようになったかい?」
「いや、あれはミシンないとめんどくさいから」
「んん? まあそうさね。じゃあ今日はミシンを買いに来たのかい? どれ、じゃあこのオババ良いのを持ってきてやろう。なに、安心せいて。今は安くても良い物がたくさんあるでの」
「いや、ミシンはまた今度でいいかな。今日はこっちのココロの付き添いで来たんだ」
「ほぅ?」
マユバァは改めてココロを見る。すると、何かに納得したかのようにしきりにうなずいた。
「そうかいそうかい。お嬢ちゃんの目的はマモルのためだったのかい?」
「い、いえ、違いますって!」
ココロは赤くなった顔を誤魔化すように咳払いをして仕切り直す。
「はじめましてマユお婆さん。喫茶店KUROのマスターに言われて来ました。どうかご指導よろしくお願いします」
ココロはそう言って頭を下げた。礼儀正しい挨拶である。
「ほぅ? ユウ坊の紹介じゃったか。それならそうと早ぅ言わんかい」
「す、すみません……」
素直に謝るココロ。どうにもマユバァの勢いに気圧されているようだ。
「マユバァ、ココロはマユバァのノリに慣れていないんだから、もっとソフトにね?」
「んん? そいつはすまんかったのぅ。オババのたわごとじゃ。軽く受け流しておくれ」
「い、いえ、大丈夫です。こっちもお気になさらずに」
ココロの態度を見て、マユバァは唸るようにマモルを見た。
「ずいぶん素直な子じゃないかい。いったいどこからさらって来たんじゃ?」
「ずいぶんな言い方だけど、ココロは最近仲良くなった普通の友だちだよ」
「そうかい、ずいぶんと不思議な雰囲気をしとるから、てっきり違う世界から来た重い宿命を背負うヒロインのような女の子じゃと思ってしもうての」
「アッハッハ、ライトノベルの読み過ぎだよマユバァ」
「それもそうじゃの」
「あのぅ……」
マモルとマユバァが盛り上がっていると、ココロがおずおずと手を上げた。
「それで結局、わたしは何をすればいいんでしょうか?」
「ああ、そうじゃったの」
マユバァがココロへと向き直ると目を閉じて何かを考え始めた。
ココロもその真剣な雰囲気を感じ取り、黙ってマユバァの言葉を待った。
お互いの沈黙が重苦しい空気を醸し出す。
やがて、マユバァはゆっくりと目を開いた。
「で、ワシは何をすればいいんかの?」
「……………………え?」
その予想外のマユバァの言葉に、ココロはたった一言しか返せなかった。
「どういうこと? おやっさんから何か聞いているんじゃないの?」
思わずマモルが聞いてみてもマユバァは首を横に振るだけだった。
「いや、知らんて。だいたい、今日初めて来た女子にいったい何を教えろと?」
「いや、それもそうだけどさ……。でもほら、あまりの展開にココロが身構えたまま固まっちゃってるよ。きっとどんな無理難題でも諦めないで立ち向かおうとしてたのに」
「そんなこと言われてもねぇ……」
マユバァは困った顔をしてしまう。どうやらホントに何も用意していないようだ。
「んん? マモルや、袖のボタンが取れかけてるぞ」
「え?」
マモルが腕を上げると、確かにワイシャツの袖のところのボタンがブラブラと揺れていた。残った一本の糸だけでかろうじてつながっているだけだった。
「あ、ホントだ。どっかに引っかけちゃったかな」
「どれ、そのまましてなさい」
マユバァは着物の袖から針の刺さった針山を出して机に置いた。
「ホイっと」
マユバァは同じく反対の袖から糸を取り出すと、先を投げるようにして針に通した。
「うわ、地味にすごいことするね」
「なあに、毎日針仕事をしてたらこれくらいね。じゃあ動くんじゃないよ」
マユバァの目がさらに細くなる。
一瞬、マユバァの手がブレたように見えた瞬間、すでにボタンはキレイに付け直されていた。
針を刺す瞬間どころか糸を切ったところすら見えない。
「おお、早業。しかもキレイ」
「あらマモル、誰がキレイだって?」
「うん、マユバァの手際かな」
「そうかい……」
「そ、それです!」
突然何かをひらめいたようにココロが大きな声を出した。
「なんだい、いきなり大きな声を出して」
「す、すみません。でも、わたしにその技を教えてほしいんです」
「んん? 技ってボタン付けのことかい?」
「はい。今の手際に感激しました。わたしもできるようになりたいです」
キラキラした目でココロはマユバァを見つめた。
「んん? まあボタン付けくらいできるようになっておいたほうがよかろうて」
マユバァは手振りを交えてココロにボタン付けを教えた。
「え、今の間にそんなにぐるぐる巻いたんですか?」
「そうじゃ、それで強度が増すのじゃよ」
「むむむ、なるほど……」
ウンウンとうなずくココロ。そんなに難しいことではないはずだが、しっかり話を聞いている。
「――――とまぁ、こんな感じじゃ。簡単じゃろ?」
「て、手順はわかりました」
「じゃあ後は実践じゃ。ちょうどよくマモルの左手の方のボタンも取れかけておるようじゃし」
「え? あ、ホントだ」
マモルが手を上げると、やはりボタンが一本だけ糸を残してブラブラ揺れていた。
「まぁ、ササッと直してみなさい」
マユバァはココロに針山と糸を差し出した。
「はい。やってみます!」
ココロは受け取った針山を机に置くと、糸を持って構える。
「やぁっ!」
ココロは勢いよく糸を投げた。
だが、糸はココロの手を離れた瞬間に落ちてしまう。
「ううん、難しいです……」
「いや、ココロ。さすがにそれは無理だとおもうよ」
「ふむふむ。なかなか良い気概を持つお嬢ちゃんじゃ。がんばってみるといい」
「あれ、マユバァどこへ?」
「お茶を淹れてくる。ちょいと待っとれ」
そう言うとマユバァは奥へと行ってしまった。
「やぁっ! とぉっ! それっ!」
ココロは諦めずに何度も挑戦していた。
先ほどのマユバァの技は熟練の技術なのでおいそれと真似できるものではない。
「……どうココロ? できそう?」
「いえ、どうでしょう」
難しい顔をしながらココロは何度も糸を投げ続ける。その集中力はたいしたものだ。
「すごいなココロは。……ん?」
「やぁっ! とぉっ! それっ!」
集中するココロの持つ糸がピクリと動いたように見えた。
よく見るとココロ想造力が発動して、小さな陣ができていた。
「ちょっとココロ! 想造力が!?」
「ちょっと待ってくださいマモル。何か、何か掴めそうな気がするんです」
ココロは再度糸を構える。その糸の先がフヨフヨと動いていた。
「てやぁっ!」
ココロは渾身のかけ声と共に糸を投げた。
糸はまるで意志を持っているかのように針の穴へと向かっていき、見事通り抜けた。
「やった。やりましたマモル!」
「すごい、すごいよココロ!」
マモルとココロはハイタッチをした。良い音が店内に響く。
「これで後はボタンを付けるだけです。さぁマモル、手を出してください」
「よしわかった。……ん?」
ココロは興奮した様子で針を構えている。その目に映るのは袖の先のボタンただひとつ。
「ちょっと待ってココロ。ボタン付けはそんなに勢いよくやらなくても――――」
「てゃぁーー!」
興奮したココロは止まらず、針はマモルの腕に浅く刺さったのだった。
「うぅ、すみませんでしたマモル……」
「ああ、うん。とりあえず、もう痛くないから」
マモルは歩きながら絆創膏を張った腕をさする。もう血も出ていないし痛みもないが、さすがにいきなりはチクリとした。
「でもほら、ボタンもちゃんと付けてもらったし、これで万事解決だよ」
「それはそうかもですけど……ごめんなさい」
もう何度目になるかもわからない謝罪の言葉を口にするココロ。どうやらかなり責任を感じているようだ。
仮にリキヤやシオリなら、同じことをしても軽く謝るくらいしかしないだろうし、マモルも別に気にしない。
なので、ここまで沈んでしまうとマモルもどうしていいか分からなくなってしまう。
「うーん、じゃあさココロ」
「はい……。なんでしょうか……」
こちらから話しかけても暗いままだ。これは何とかしなければならない。
「またボタンが取れかけたらココロが直してくれないかな」
「え、わたしがですか……?」
「うん。それで今回の事は手打ちということで」
「い、いえ、でもいいんですか? また刺しちゃうかもしれないですよ?」
「じゃあ、そうならないように練習しなくちゃね。なんだったら僕にも教えてよ」
「教えるなんてそんな……」
「ダメかな?」
ココロは少し考えるようにしていたが、やがて顔を上げてうなずいた。
「……わかりました」
「良かった。じゃあよろしくねココロ」
「は、はい。こちらこそ、よろしくお願いします」」
「なんだか、二人してお願いし合うっていうのも変な感じだね
「ふふ、そうですね」
少し微笑んだココロを見てマモルはようやく安心した。
(やっぱりココロには笑っていてほしいな)
そんなことを思いながらマモルは歩いていくと、次の目的地が見えてきた。
そして、近づくに連れて揚げ物の良い匂いがしてくる。
「さて、次はここか」
商店街の中のとある十字路、その角を陣取るように数多くの登りが立っている。その登りには大きな文字で『肉肉屋』書かれていた。
外観は切り分けられた肉が並ぶエリアと出来立ての揚げ物が並ぶお惣菜エリアに分けられている。
「よし、まだ空いてるみたいで良かった」
「ここは人気のお店なんですか?」
「そうだね。この肉肉屋さんには人が増えるタイミングが二回あるんだけど、一回目は出来立てのお惣菜を狙いに来るタイミングだね」
「やっぱり出来立てはおいしいですからね」
「そう、しかもここのお惣菜は他のところとレベルが違う。良い食材とそれを生かす良い腕のおばちゃんたちが揃っているからね」
「な、なるほど」
「そして二回目は閉店間際だね。残ったお惣菜を安くして売ってくれるんだ。ここのお惣菜は冷めてもおいしいから」
「そうなんですね」
「つまり、ここにはいつも人がいるわけなんだけど……」
改めてマモルは肉肉屋を見る。たまに客が来るが、軽く買い物をしてすぐにいなくなる。
「今は、少ないね」
「お話を聞くなら今ですね」
嵐の前の静けさ、というわけではないが、たしかに話をするなら静かな方がいいだろう。
「ちなみに、おやっさんのメモにはなんて?」
「あ、そうですね。えーと、『攻撃は最大の攻撃』、だそうです」
「……うん、そうだね。僕もそう思う。つまり、どういうことなんだろうね?」
「わかんないです!」
やはり、おやっさんの考えていることは解りづらい。いつかスパッと解る日が来るのだろうか。
「考えていてもしょうがないか。とりあえず行こう」
「はい、行きましょう」
さっそく向かおうとしたとき、同じく肉肉屋から人が出てきた。
「おぅ、マモルじゃねぇか。よく来たな」
「こんにちはサガラさん」
大きな台を首から下げて、サングラスの奥から鋭い目付きを向けるサガラは、マモルとココロを見ながらニッと笑った。
「今日はどうした。こんな時間から若い嬢ちゃん連れてデートたぁいいご身分じゃねぇか。ああ?」
「まぁ、たまにはね」
「へっ、お前はまったく動じなくなっちまってつまんねぇぜ。こっちの白い嬢ちゃんくらい良いリアクションしてほしいもんだぜ」
「え?」
ココロの方を見ると、頬を紅くしてモジモジと照れていた。
「そんな、デートだなんて、違いますよ……。わたしとマモルはそういうんじゃ……」
「こんなウブな反応する奴、久しぶりに見たぜ。キンニクヤローのリキヤやスイカ姫のシオリじゃあこうはいかねぇ」
「スイカって……リキヤはともかく、そういうのシオリは怒るよ」
男のマモルやリキヤにはさすがに相談されたことはないが、とある一部分を露骨に見ると当たり前のようにグーが飛んでくるくらいは、シオリも気にしている。そのことをふたりとも身をもって理解しているので、なるべく見ないようには気をつけていた。
「気にすんなって。誉め言葉だ。それよりも嬢ちゃんに声掛けてやりな。いいかげん真っ赤だ」
「え、うわ、ちょっとココロ」
ココロはすでに顔を真っ赤にして、目をグルグルに回していた。
ぶつぶつ言いながらオーバーヒートしている。
「おーいココロ。さっきのはサガラさんの冗談だよ。目ー覚まして」
マモルが軽くおでこをつつくと、ココロはハッとして目を覚ました。
「わ、わたしはいったい……」
「おかえりココロ」
「た、ただいまです……?」
辺りをキョロキョロと見回しながら自分の状況を確認していた。
「おぅ。良い反応するじゃねぇか嬢ちゃん」
サガラがゆっくりと近づいてきた。サングラスをしているが、その目が笑っているのは簡単に予想できる。
「とりあえず、一個やっときな」
そう言ってサガラは簡素な紙袋に入れたあるものをココロに差し出す。
「え、えっと、ありがとうございます?」
いまだ戸惑ったままのココロは言われたままにそれを受け取る。
すかさずサガラはそれにソースを掛けた。本来の味を損ねないようにほんの少しだけだが。
「揚げたてだが、手で持ってもいいくらいには落ち着いたはずだ。一口食ってみな。トぶぜ?」
「で、では、いただきます」
おそるおそるココロはかじりついた。
揚げたてのサクッとした衣の奥からホクホクとした荒めのジャガイモの甘味が広がる。
「お、おいしいです!」
ココロの目がキラリと光った。
「こ、こっちにはこんなおいしいものが、まだあったなんて」
「なんだぁ、コロッケを知らないのか?」
「コロッケって言うんですね。なんだか可愛らしい名前ですね」
そんな感想を言うと、ココロは幸せそうにまたコロッケにかじりついた。どうやらよほど気に入ったようだ。
「うまそうに食ってくれるなぁ。作りがいがあるってもんよ」
サガラはウンウンと嬉しそうにうなずいていた。
「ねぇサガラさん。僕にも一個ちょうだい」
「ああ? 卑しいヤツめ。ちゃんと買い物していくんだろうな。こいつはウチに来てくれた客へのコロッケだぞ?」
「もちろん。今日はここで夕飯を買おうと思っていたんだ」
「そういうことならいいだろう。ほれ」
「ありがとう」
マモルは上機嫌でコロッケを受け取る。隣であんなに美味しそうに食べられたらねだりたくもなるのだろう。
「ごちそうさまでした」
食べ終わったココロが紙袋を小さく畳んでいた。
「おぅ。うまかったか?」
「はい。とっても美味しかったです。おいくらですか?」
「ああ? いいんだいいんだ。そいつはサービス品だ。ウチはあんまデケェ店じゃねぇから列ができやすいんだ。そういうヤツ用の時間稼ぎ用だ」
「そうなんですか。サガラさんは優しいですね」
「あ、ああ!? 優しいだと!? この俺が!? ナマ言ってんじゃねぇよ! ったく……」
意表を突かれたかのようにサガラはそっぽを向いてしまう。
「アホなこと言ってないで、それ食ったらとっとと帰れってんだ。まったくよぉ」
「おや、サガラさんが照れるなんて珍しいね」
「うるせぇってんだマモル! いい加減にしねぇと、お前も衣を付けてこんがり揚げちまうぞ!」
「いや、だから僕は夕飯を買いに――――」
「待ってください!」
マモルの言葉を遮って、ココロが前にでた。サガラと正面から向き合う。
「実はわたし、喫茶店KUROのマスターに言われてここへ来ました。どうかわたしに力を授けてください」
「ああ?」
ココロの真摯な目を見たサガラが面食らったように息を飲んだ。
「KUROのマスターってことはあの人がが……。なるほど、そういうことか……」
サガラはなにやらぶつぶつと独り言を漏らす。しばらく考えるように目を閉じていたが、やがてココロをまっすぐに見た。
「お嬢ちゃん、ココロって言ったか?」
「はい」
「そうか……。ここが最初か?」
「いえ、さっきマユおばあちゃんのところでボタン付けを習ってきました」
「ああ、あの婆さんか。あの人もなかなか厄介な性格してたろ?」
「い、いえ、そんなことは……。優しく手解きをしていただきました」
「そうか、じゃあ婆さんも認めたってことか」
「認めた?」
「なに、気にすんな」
サガラは何か想いに馳せるようにサングラスの奥の目を細めた。
思わせ振りな行動が多いが、何か意味があるのだろうか。
「よし、わかった。お前の修行、このサガラが請け負ってやる」
「ほ、ホントですか!」
「ああ、お前には一つの奥義を伝授してやる。さっそくやるぞ。ついてこい」
「は、はい! ありがとうございます!」
そう言ってサガラとココロは肉肉屋へと入って行ってしまった。
奥義なんて大層な言葉出たが、独り残されたマモルが思うことは一つである。
「夕飯、どうしようかな……」
「……本当にいいんですか?」
目の前に用意された物を見てココロははっきりと臆していた。
今までに経験したことのない、それどころか考えたこともない事だ。
「ああ? なにビビってやがる」
ココロの横に立つサガラが、発破をかけるようににらみ付ける。
「お前はここへ何しに来たんだ?」
「……修行するためです」
「いいや違うな。強くなるために来たはずだ」
「……はい、その通りです」
「だったら俺の言う通りにしてればいいんだよ」
「でも、こんな……」
ココロは震える手を握りしめた。その手には恐ろしい凶器のようなものが握られている。
表面にギザギザにの付いた凶悪なハンマーである。ダメージを与えることに特化していそうなそのデザインは、ひとたび叩けば一発で相手を卒倒させることができるだろう。
「かまうことはねぇ。これが後々役にたつんだ」
サガラに止めさせるつもりはない。なにがなんでもココロにやらせる気だ。
「ヤれココロ! 目の前の獲物に振り下ろせ!」
「くっ、たぁぁぁぁ!」
サガラに急かされるまま、ココロはハンマーを振り下ろした。
獲物である肉塊に衝撃が伝わり、繊維がズタズタに割かれていく。
「えーと、ふたりとも何やってるのかな?」
側で見ていたマモルがとうとう我慢できずに声をかけた。店内も広くないため、邪魔にならないように隅っこ立ちだ。
「ああ? 見てわかんねぇのか? 下ごしらえだよ」
何を言っているんだこいつは、と言わんばかりの表情でサガラは言ってきた。
むしろそう言いたいのはマモルの方である。
「いや、なんか会話だけ聞いてるとすごく恐ろしいことをしているような気がして」
実際、サガラの言ってることも恐ろしいし、ココロがやっていることも怖い。
これを見てだれが調理風景なんて思うのだろうか。
「お前は肉叩き棒を知らんのか」
「肉叩き棒? それで殴られたら骨までいっちゃいそうなんだけど」
「そりゃほとんどの棒がそうだろうよ」
「……たしかに」
サガラの言うことも正しいような気がしてマモルは納得してしまう。
だが、それはそれとして、この一種のストレス発散行為のようなことにどんな意味があるのか。
「こいつで肉の繊維をほぐすことで肉が縮むのを防ぐんだよ。火も通りやすくなるし肉も柔らかくなるしで良いことずくめなんだぜ」
なぜか嬉しそうにサガラは語る。肉屋なだけあって、肉料理について話せるのは気分が良いことなのだろう。
「ふーん、そういうことだったんだね。いろいろ溜まってたゆえの奇行だと思ったよ」
「お前、人をなんだと思っていやがる」
「あのう……」
ココロが申し訳なさそうに手を上げる。
「お肉はどれくらい叩けばいいんでしょうか?」
「ああ? そりゃあ全体的に厚みが半分くらいになるくらいまで頼むぜ」
「はい、わかりました」
ココロは言われるとすぐに肉叩きに集中する。断続的な打撃音が響く。
「いいぞココロ。なかなか筋がいい。まるで戦うことに慣れているかのような手さばきだ」
「えへへ、ありがとうございます」
(いや、えへへじゃないと思うけど)
普段からティポスと戦っているココロは、たしかに戦闘慣れはしている。だが、それは想造武具である玉を使ってでのことだ。
(ティポスを叩くことと肉を叩くこと。なにか共通点があるのかな……?)
はた目から見ているだけのマモルでは分からないが、もしかしたら、ココロは何かを掴んでいるのかもしれない。
「えいっ! やぁっ! たぁっ!」
ココロは肉叩きに熱心である。どんどん薄くなった肉が生成かれていく。
「そうだ。強く、されど丁寧に。心を込めて叩くんだ」
「はい、ココロ込めます!」
決め台詞も決まり、ココロもテンションを上げながら次々と肉を薄くしていく。
「よし、そんなとこだろう」
「はい、わかりました」
「そのひと手間が料理を旨くするんだ。手間は面倒なことが多いけどな、そこは想いのチカラで乗り越えろ」
「想いのチカラ……」
ココロは何かを噛み締めるように呟くと、手に持つハンマーを、もとい、自分の手を見つめた。
「何はともあれ後は衣を付けて揚げるだけだ。最後まで気を抜くなよ」
「はい、わかりました!」
ココロたちは着々と次の工程を終えていく。終始楽しくとんかつを揚げたきった。
「よしよし、戻ったなココロ。どうだった『商店街』の奴らは?」
修行を終え、KUROへと帰ってきたマモルとココロをおやっさんが迎えた。
「皆さん、とても優しかったです。いろんな事を教えていただきました」
マユバァからは針仕事を通して集中力を、サガラからはとんかつ調理を通して攻撃力を会得していたようにみえる。
「うむ、そうかそうか」
おやっさんは満足そうにうなずいた。
「あいつらから習った技はこの先必ず使うことがあるはずだ。いつでも使えるように何度も復習しておけよ?」
「はい、わかりました。必ず自分のものとして使えるようになってみせます」
ココロ自身もなにか得るものがあったようだ。
まぁ、針仕事やとんかつの作り方などの家事スキルを覚えたと思えばいいのだろう。
「うむ。ココロはレベルが2上がったな」
「2も! いいなぁココロ」
マモルの口から思わず本音が漏れてしまう。
「レベル? 上がるとどうなるんですか?」
「レベルが上がる」
「???」
ココロは首をかしげる。
マモルもレベルという魅力的な言葉に反応しているだけだ。特に意味はない。
「これからも定期的に修行ミッションを与えてやろう。そのうち俺からも技を教えてやる」
「ま、マスターがじきじきにですか!?」
驚いたココロを見て、おやっさんは不敵な笑みを浮かべて親指を立てた。こういう顔をする時のおやっさんはなかなかこちらの考えの及ばないことをしでかしたりする。
「ああ、楽しみにしておけ。それはそうと、お前たちに客が来てるぞ」
「お客さんですか?」
心当たりがないのかココロが聞き返す。
しかし、マモルはおやっさんの言葉を聞き逃さなかった。
「お前『たち』ってことはぼくも?」
「そうだ。なにやら切羽詰まってそうな顔をしてたからな。早く行ってやれ」
そう言っておやっさんは親指で奥の座席を指した。ここからは微妙に見えづらい位置にある内密席だ。
「たいへん! じゃあすぐに行きますね」
ココロはすぐに奥の席へと向かっていった。
マモルも後を追おうとしたが、ふと気になったことがあっておやっさんの方を向いた。
「ねぇおやっさん、ココロの修行ってなにが目的なの?」
ティポスのことを知らないおやっさんたちが、まさか本当に戦闘に役立つようなことを教えるとは思えない。
実際、ココロが覚えたのは家事ばかりだった。
ココロは満足していたが。
「強くなること、成長することに目的なんかいらないだろ?」
「いや、なんか家事を覚えただけだったけど」
「それでいいんだよ」
おやっさんは置いてあったコーヒーを一口飲むと微笑んだ。
「思うがままに進んでいけ。ココロも、お前もな」
「……うん。わかったよ」
ココロはシオリからも料理や裁縫を習っていると言っていた。
ティポスと戦うために生きているココロだったが、こうした事を習うのは初めてだったようなので、とても生き生きとしているように見えた。
「バイトしてるところを見てもココロはその手のことは不得手みたいだったからな。覚えておいて損はないだろう」
「たしかにね。ココロも楽しそうだったし」
「ま、マモルー!」
マモルとおやっさんが話をしていると、ココロが慌てた様子で呼びにきた。
「どうしたのココロ?」
「と、とにかく来てください!」
ココロに腕を引っ張られていくマモル。なにやらよっぽど慌てているようだ。
奥の座席へと行くと青ざめて項垂れている女性がそこにいた。
さらに言うならばその女性はココロの、そしてマモルのよく知る人物だった。
「あれ、ファーネさん?」
マモルに呼ばれるとファーネはゆっくりと顔を上げてマモルたちを見た。
「ああ、マモルさん。よく来てくださいました」
普段の彼女からは想像もできないくらい衰弱しきっているファーネを見てマモルは思った。
(これは、良い報せではなさそうだね……)
ある意味で、新しい冒険の予感を感じていた。




