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ハッピーエンドを求めて  作者: AiU
Intersection
36/50

KUROのひととき ~王女来店~

 世界というものは星の数ほど存在している。と言っても、星がいくつあるのかは定かではない。

 眠れない夜に星を数えて夜を過ごした旅人のように、はたまた天文学に没頭する研究者のように、星を数える者はいても、それを数えきることができた者はいないだろう。それは現代においても、もしかしたら未来においても把握することは叶わないのかもしれない。神のみぞ知る、というものだ。

 せいぜい星を見上げる者にできることは、流れる星の軌跡に願いを乗せることだ。

 しかし、星は流れても世界は動かない。

 手を繋ぎ合うこともなければ、声を掛け合うこともない。

 勝手に生まれて、勝手に滅ぶだけだ。

 だが、世界に生きる者たちは別である。

 突き動かされるように、もしくは突き動かすように、さまざまな方法で世界間を往き来する。

 今日もライゼストーンに導かれて、世界と世界が、心と心が交差する。

 この交わりが世界たちにとってどのような事を引き起こすのか。それを知る者は、まだ少ない。


 「さってと、こんなところかね」

 使い終わったモップを掃除用具入れに放り込んで『おやっさん』は店内を見渡す。

 嵐のようなランチタイムを乗り越え、一通り客が帰っていったところで、いまだ猛り立つ気力を発散するために全力で掃除を開始した。

 食器を片付け、窓と机を拭き、イスを上げてモップをかける。やることは普段からしている事であるが一人でやると時間がかかってしまう。

 普段であればバイトのココロや娘のシオリが手伝ってくれるが、残念ながら平日の午後なので学校に行っている。特にイベントもない普通の日なので助っ人も呼んでいなかった。

 他の従業員が来てからやればいいことなのだが、やると決めたことを引っ込めるのはこの男の道義に反するらしい。もしも無理だったらまた考えればいい。

 「フッ、さすが俺だな。懸命にやればなんとかなるもんだ」

 差し込む日差しを受けて店内が輝いているように見える。時間をかけてやったかいがあるというものだ。

 「ふっ、キレイになった店が喜び勇んでいるようだな。良いことだ」

 ピカピカと輝く店内に満足して大きく頷く。一仕事終えた後は清々しいものだ。

 「さて、あとは客が来るまでカウンターで意味もなくグラスを拭いて立っているか」

 喫茶店のカウンターにはいつも店主がグラスを拭いて立っている。そんなイメージに基づき、同じようなことをしていれば様にはなるだろうと思い、おやっさんは掛けてあった食器拭き用の白い布を掴んだ。

 と、そう思ったところで入り口の扉が開いた。

 (む、珍しいな)

 いつもこの時間帯には客はまったくこないはずである。昼食にしては遅く、おやつにしては早い中途半端な時間。

 もちろんまったく人が来ないことはないが、大抵はこの隙間時間におやっさん自身の昼食を済ませたり、もしくは一人でやらなければならないことを済ますことが多い。

 それを知ってか知らずか、常連客もこの時間を避けることが暗黙の了解というものもある。

 (フッ、旅人でも迷いこんだか)

 新規の客のことを独特の呼び方をしてニヒルに笑って迎え入れようと入り口を振り返った。

 「うぅぅ……ここはどこなのじゃぁぁ……」

 だが、振り返った先にいたのはどう見ても旅人には見えない少女であった。

 質の良さそうなドレスに身を包み、どことなく気品と背伸び感を漂わせる少女は、ファンタジーに出てくるようなどこかの国のお姫さまのようだ。だが、目に涙を溜めながら喫茶店の中へと入ってくる様は、見た目通りの迷子なのだろう。

 (コスプレ、にしてはずいぶんと良い物を使っているな。複雑なデザインにオリジナリティがある。着せた奴はよほどこの娘を可愛がっているようだな)

 第一印象でそう思ったおやっさんは、いまだ無意識での来店をこなす少女をとりあえず客として迎え入れると決めて声をかけた。

 「いらっしゃい」

 「ひゃっ!? 誰じゃお前は!?」

 呼びかけられた少女は飛び上がるように驚いた。不意を突いたつもりはないがよほど周りを見ていなかったらしい。

 「こんなところに連れ込みおって、まさかメリサの同類か!?」

 「メリッサ? 残念ながら植物関係は得意じゃないんだ。昔ミニトマトの栽培セットを枯らしたことがあるんでなるべく触らないよう誓っている。ただ俺は来店したやつを客として迎えただけだ」

 自身の失敗談を武勇伝のように得意げに話ながらおやっさんは手を広げる。

 「きゃく? らいてん?」

 首をかしげる少女は本当に無意識で店に入って来たようだ。まるで導かれるように。

 「ここは俺の店である『KURO』って名前の喫茶店だ。つまり俺の城だ。分かるか嬢ちゃん?」

 「あ、ああ。そうじゃったのか。それは失礼したな店主よ。すまなかったのじゃ」

 素直に頭を下げる少女。その表情からは若干の恐怖のが見られた。過去に軽いトラウマになるほど怒られたことがあったのだろう。

 「気にしなくていい。それより俺のことは『マスター』もしくは『おやっさん』と呼んでくれ。ここに来る連中からはそう呼ばれている。分かったか嬢ちゃん?」

 「むぅ。なら、わたくしのこともお嬢ちゃんと呼ぶのはやめるのじゃ。子ども扱いされるのは気に食わん。わたくしはルルディ王女じゃ。王女であって姫でもないから注意するのじゃぞ」

 ふふん、と鼻を鳴らして胸を張るルルディだが、残念ながらその背伸びした姿からは威厳は伝わってこない。

 「そいつは失礼したな王女様。ずいぶんと大層な設定だが、まぁ、せっかく演じるならそれくらいのほうがいいさ」

 ルルディの自己紹介を設定と思いながらおやっさんは続ける。

 「さて、せっかく来店してくれたんだ。この店のルールに則って愛称(コードネーム)を決めようじゃないか」

 「こ、こーどねーむ……とな?」

 聞いたことのないおやっさんの提案に再度首をかしげるルルディ。まだ緊張は解けていないが、それに反しておやっさんは楽しそうに微笑む。

 「そうだ。ここにはいろんな客が来る。大半は一般人だが、中にはちょっとした有名人や身分を明かしたくないような奴まで千客万来だ」

 「そこは、千差万別じゃないのじゃ?」

 「似たようなもんだ。この店にコーヒーを飲みにきた奴は誰だって客だ。俺は喫茶店のマスターとして、そして『おやっさん』として迎えてやる」

 「まぁ、立派な心掛けじゃな」

 「だが、呼び名がないのは何かと不便だろ? 毎回『お客さん』と呼ぶのはなんか味気ないしな」

 「別にいいような気もするが……」

 「だから俺は客に愛称(コードネーム)を付けることにした。それがこの喫茶店KUROのルールだ」

 「ふむ。そこまで言うのならばここは聞いてやろうではないか。では、早く決めるといいのじゃ」

 「そうだな……」

 おやっさんはあごに手を当てて考え始める。

 コードネームと派手な言葉を使ったが、この場合はいわゆるニックネームだ。

 相手の特徴を参考にして呼びやすい名を考える。

 「迷子……少女……王女……背伸び感……尊大……今のところはこんなところか……」

 思いつく単語をブツブツとルルディに聞こえないように羅列していく。あまり良い意味でもない言葉が混じっているが、第一印象ではこれが限界だろう。もっと話をしていけば選択肢は増えるだろうが。

 「……探す者(ジプシー)

 「は?」

 「うむ、探す者(ジプシー)でいこう」

 「じぷしー……か。それはどういう意味なんじゃ?」

 「そうだな。まぁ、探求者みたいなものか。きっと思慮深いという意味だ」

 実際はそんな意味はないが、おやっさんは適当に思いついただけである。

 「ふーん。じゃあそれでよいのじゃ」

 そう言うルルディも大して気にしていないようだ。

 「よし、じゃあ改めて王女様よ」

 「今までのやり取り一切無視してるな」

 「ようこそKUROへ。我が城になんの用かな」

 おやっさんは改めてルルディを迎えた。ここまで長かったが、ルルディも少しは緊張が解けたかもしれない。

 「あー、えーと……」

 だが、ルルディは歯切れの悪い返事をしながら目を泳がせている。

 「なんと言えばいいのかな……」

 独り言のように小さな言葉を漏らしながら、ルルディは記憶を遡っているようだった。


 ルルディの住んでいる国であるリーモ王国。

 たくさんの自然に恵まれたこの王国に、今日はとある客が訪れていた。

 見た目からしてこの世界のものとは違う素材で作られていそうな制服で揃えている三人の男女は、世界の守護翼からの使者であるようだ。

 以前に国を襲った災厄であるティポスの件を片付けた際に、世界の守護翼の一員であるマモルとココロに協力関係を築くことを依頼され、現国王のコロモスはそれを快諾した。

 そして、後日使者が来るということを聞いていたコロモスは、本日使者たちを迎え入れたのだ。

 「――――であるからして、今後ティポスの脅威からの解放を目指してリーモ王国と協力して行きたいという所存でございます」

 恭しく頭を垂れて、先頭にいた女性はそういった。形式的な騎士の礼である。流れるようなその仕草は何度もこのような場面を経験しているからであろう。

 ココロたちが橋渡しをし、その後に本命の者たちが交渉をする。前線で戦う者と裏方で戦う者と、役割を分けた采配だ。

 「うむ。たしかに聞き入れた。我らリーモ王国はそなたたち世界の守護翼と協力することを約束しよう」

 コロモスが大きく頷く。かつてはティポス並びにシューメスによって衰弱させられていたが、今はだいぶ回復したようだ。

 正装を身に纏い、玉座から見据えるその眼光からは強い意思を感じることができる。

 (お父さま、もう大丈夫そう。本当によかった)

 その様子を玉座の少し後ろに立って見ていたルルディは周りに気付かれないようにホッと安堵の息を漏らす。

 父であるコロモスが昏睡してからずっとリーモ王国を背負っていたルルディはかなりの重責を感じていた。なんとか父に代わって国を治めようと四苦八苦し、少しでも威厳が出るように口調を変えたり、(まつりごと)のことも勉強し続けた。

 (でも、やっぱりお父さまのようにはいかなかった。やっぱりわたくしたちにはお父様が必要だわ)

 父の代わりを担うにはあまりにもルルディには厳しかった。

 周りの人間もさすがに厳しいと思っていたが、懸命に王族の責務を全うしようとするルルディに何も言えなかった。

 結局はシューメスによって誘導され、最終的にはマモルとココロたちによって救われたことに自責の念を覚える。

 (せめてもう少しうまくやれていたら……)

 そんなことを考えながら話を聞いていると使者の者が感謝を述べていた。

 「ありがとうございますコロモス王。これから良き関係を築けるよう全力を尽くします」

 どうやら話し合いは良い方向へと向かったようだ。

 ルルディはコロモスの側に立っていただけであったが、話がこじれることなく終わったことに安堵する。だが、それとは別に話し合いに来た使者を見て憂いを帯びた表情を浮かべた。

 『どうされましたルルディ様?』

 「ひっ!?」

 不意にどこからか聞こえてきた声に驚いて小さな悲鳴をあげてしまった。

 その場にいた者の視線がルルディへと向けられる。

 「どうしたルルディ?」

 突如奇声をあげた娘を心配するようにコロモスが声を掛けた。

 「い、いえ、失礼しました。ちょっと……しゃっくりが出ただけです」

 「そうか。もう少しだから我慢するのだぞ?」

 「はい。わたくしのことはお気になさらず」

 手に持っていた扇子で口を隠したルルディがそう言うと、コロモスは一瞬怪訝そうな顔をするが、すぐにまた使者と話し始めた。

 ルルディは前を向いたままゆっくりと後ろに下がると、あちこちに視線を向けた。声の元は近くにいるはず。すぐに見つけなければまた不意を突かれるはめになる。

 (見つけた!)

 コロモスの座る玉座の後ろに不自然な箱が置いてあった。

 箱のサイズは大き目だが、大人が一人入るにはいささか小さい。まさかこんな箱の中に人が入っているなんて普通は思わないが、こんなことをしでかす者にルルディは心当たりがあった。

 『メリサ! キサマ、そんなところで何してるのじゃ!』

 小声で怒鳴るという器用なことをするルルディ。公務の最中に周りの者を叱りつけるために身に付けた悲しき特技である。

 『ちゃんと周りに何か仕掛けてないか確認したのに、いつからそこにいたのじゃ』

 『ふふふ』

 ルルディが声を掛け続けると、箱の中から女性の声が聞こえてきた。

 『このメリサ、少し本気を出せば、ここにいる全ての人間の目を盗んで潜入する程度のことなんて造作もありません』

 『その技をもっと世の中のために使おうとは思わんのかバカ者め』

 箱からはくぐもった声しか聞こえないが、声の感じからして不敵に微笑んでいるのが容易に想像できる。

 自分の配下であるはずのメリサにルルディはいつも振り回されてしまう。日々用心を重ねて過ごしていたがいつも想像以上の事をされてしまっていた。

 『まあいい。今は大事な話の最中じゃからな。そこでおとなしくしているのじゃぞ』

 『ご安心ください。私もここまで来たのは良かったのですが、ここは注目されすぎていて逆にもう身動きがとれなくなりました』

 『アホじゃな』

 『しかも最近のルルディ様への愛情表現がコロモス様にバレてしまっておりまして、ここで見つかってしまうと、またこっぴどく叱られてしまいます』

 『やっぱりアホじゃな』

 メリサの個人的な趣味嗜好にルルディが晒されていることはコロモスも知ってはいたが、それを抑えることも人の上に立つ者の資格だと言っていた。

 だがそれでも、あまりに度が過ぎれば親として娘を守りにいくのは当然の行動だろう。コロモス王は王ではあるが、娘である王女ルルディのこともとても大切にしているのであった。

 『はぁ、まったく。お前の相手なぞしている場合ではないというのに』

 『なにやら元気がないですね。どうされましたか?』

 ルルディのため息にメリサが反応する。一挙一動を見逃さんと鋭い視線が箱からかんじられる。

 『ふん。お前なんかに言っても仕方ないわ』

 『いえいえ、みなまで言わなくてもこのメリサには全て分かります』

 『何を……』

 『察するに……世界の守護翼からお客様が来られるという話をお聞きになって、ココロ様にお会いできると胸を高鳴らせましたが肩すかしになったというところではないでしょうか?』

 「なっ!?」

 完全に思っていたことを言い当てられ、ルルディは声を漏らしてしまう。再びコロモスたちの視線を集めてしまい、軽く咳払いをした。

 「し、失礼致しました。ちょっとくしゃみが……」

 「そうか。まぁ、我慢できないほど辛かったら言うのだぞ?」

 「はい。ありがとうございますお父さま」

 コロモスは再び使者と会話を再開する。

 それを確認してからルルディはメリサを(にら)み付ける。箱には特に穴があるようには見えず、メリサがルルディを視認できているのかは不明だが、それでもそうせざるおえなかった。

 『お前はまた、人の思っていることをずけずけと見透かしおって……!』

 『ふふふ。言ったでしょう。ルルディ様の考えていることはお見通しですと』

 当然のことだと言わんばかりにメリサが断言する。

 『ココロ様はお優しい方でした。今回は残念でしたが、またルルディ様にお会いに来てくださいますよ』

 『ふん。お前なんかに励まされるほど落ちぶれていないわ』

 『それは良かったです』

 優しく落ち着いた声でそれだけ言うと、メリサは黙ってしまった。どういうつもりなのかは分からないがメリサは満足したらしい。

 いつもからかうように接して来るくせに、たまに支えるような言動をするメリサにルルディは感情をもて余していた。

 (いやいや、こいつはただの変態だ。気を抜いてはいかんぞ)

 自らを律するように扇子を持つ手に力を込めた。

 「――――ということで、友好の証にこちらをお受け取りください」

 そう言って先頭にいた女性は後ろに控えていた者に目で合図を出した。すると、その者は脇に置いてあった箱を持ち、コロモスたちに見えるようにふたを開けた。中にはちょうど手に収まるサイズの青く輝く石が2つ収まっていた。

 「ライゼストーンでございます。貴重かつ繊細な物なので、予備を含めて2つだけではありますが、ご用意させていただきました」

 ライゼストーンの入った箱は、まず大臣に渡され、それからコロモスの手に渡る。

 「ふむ。これが話に聞くライゼストーンか」

 コロモスがライゼストーンを掴み、まじまじ眺める。

 「ルルディ、お前も見てみなさい」

 「あ、はい。お父さま」

 ルルディがコロモスの近く行くと、大臣がライゼストーンの入った箱を差し出してきた。そっと掴み上げると少し温かいような気がする。

 「これからこのライゼストーンは我が国の秘宝として、我ら王族が管理することとなる。気を引き締めなければならんな」

 「はい。ちゃんとできるように、がんばります」

 基本的には世界の守護翼との連絡ツールとしてしか使わないだろう。だが、異世界の技術を取り入れるということは危険を伴う場合もある。いずれたどり着けるかも分からないほどの何世代も先の技術なのだ。オーバーテクノロジーの乱用による世界の末路は、どの世界でも悲惨なものとなることだろう。

 そうならないよう管理が必要なのだ。

 (きれい……)

 ルルディは青色に輝くライゼストーンをまじまじと見つめる。

 以前メリサに持って来させたココロのライゼストーンはここまで輝いてはいなかった。ルルディはまだ知らないが、想造力(イメージ)をフルチャージさせたライゼストーンはここまで輝くのだ。技術的な面だけでなく宝石類としても価値がありそうである。

 (ココロ……)

 以前のことを思い返したしたことにより、またココロのことを考えてしまう。

 地下牢での戦いの時やすべて終わったあとに少し会話しただけであったが、あのひた向きな姿勢には心が動かされるような気がした。

 聞いた話によると、ココロも神の偶像(ギフト)と呼ばれる立場であり、世界の守護翼の中でもかなり特別らしい。おいそれと遊びには来れないのだろう。

 (全部終わったら落ち着いて話せると思ったのに。そういえば、給仕の仕事もしているとも言っていた気がする。いろんな仕事が忙しくてわたくしのことなんて忘れちゃったのかな……)

 少しネガティブなことを考えていると、ライゼストーンを握る手に力がこもる。

 「ココロに……会いたいな……」

 誰に聞こえることもないほどの小さなつぶやき。また使者と会話を再開したコロモスはおろか箱に潜んだままのメリサにも聞こえないだろう。

 だが、そんな小さな声をライゼストーンには聞こえたようだ。想いを受けたライゼストーンは輝きを増し、静かに転移の霧を出していく。

 そしてすぐにルルディは、味わったことのない浮遊感を経験するのだった。


 そしてルルディは知らず知らずのうちに転移をしてしまっていた。ココロのことを考えていたはずなのに彼女の元ではなくマモルの世界に来てしまった理由は不明だが、ココロの仕事について考えていたことも関係があるのだろう。

 しかし、ルルディにとってはここがどこだかも分からないままである。少なくとも自分が異世界から来たことをおいそれと言ってはいけないことはルルディも理解していた。

 「うぅ、ココロならなんと答えるかな……」

 なにか良い言い訳を考えていると、呟いた言葉におやっさんが反応した。

 「ん、今ココロと言ったか?」

 「え、ああ確かに言ったが、店主よ、ココロを知っておるのか?」

 「なんだ、王女様はココロの友だちだったか。それならそうと早く言え。それならマモルも知ってるか?」

 「おお、もちろんじゃ!」

 知っている名前が出てきてルルディの表情が明るくなる。それを見ておやっさんも微笑んだ。

 「フッ、そうと決まれば話は早い。ちょっと待ってろ」

 そう言うとおやっさんはスマホを取り出してメッセージを送る。慣れた手つきで操作すると軽快な音が鳴った。

 「これでいい。あいつらには連絡しておいた。今は学校だろうがしばらくすればここに来るだろう。ココロはシフトも入っているしな」

 「おお、こんな一瞬で手紙を送れるのか。こっちの世界はずいぶんと便利じゃな」

 「こっちの世界?」

 「ああ、いや、こっちの話じゃ」

 「フッ、まあいい。どれ、せっかく来たんだ。なにか適当にもてなしてやろう」

 「もてなす態度ではないが、もてなされようではないか」

 おやっさんに促され、ルルディはカウンターに座った。おやっさんはそのまま厨房へと向かう。

 「ふむ。なかなか良い感じのカフェではないか」

 「そいつはどうも。王女様の目に適って何よりだ」

 おやっさんは何か作業をしているようだ。厨房からは焼き菓子の良い匂いが漂ってくる。

 「そうか、ココロはここで給仕をしているのか……」

 ルルディはキョロキョロと店の中を見回す。見慣れない物もあったりするが、世界が変わっても人のセンスまではそこまで変わるものではないらしい。

 「ココロたちとはどこで知り合ったんだ?」

 厨房の方からおやっさんの声が聞こえてきた。相変わらず何かしているようだ。

 「え、うーんと、以前わたくしが困っていたところを助けてもらったのじゃ。なかなか大変な問題で本当にもうダメじゃと思った」

 ルルディは下を向いてあの時のことを思い出す。

 実際、あの時のルルディを取り巻く環境はなかなか限界であった。

 精神的支柱であった国王が倒れ、ティポスの出現と隣国への不信感。さらには自国の兵士まで傷つけられていた。

 「でも、そんな時にココロたちが来てくれたのじゃ。ココロたちは何も信じられなくなってしまったわたくしたちに必死に手を伸ばしてくれたのじゃ。ココロがいなかったら今のわたくしはなかった。何度感謝してもし足りない……」

 「ふむ。じゃあ今度は王女様がココロを助けてやらないとな」

 ルルディの前にホットミルクとクッキーが置かれる。顔を上げると、そこには微笑むおやっさんがいた。

 「ココロが困った時に王女様が側にいて力を貸してやればいい。ただ懸命にな。それが、友だちってやつだろう」

 そう言っておやっさんはコーヒーを淹れ始める。たぶん自分で飲む分だ。

 「友だち……。うむ! そうじゃな! わたくし、ココロを助けてあげたい!」

 イスに座ったままルルディは拳を突き上げる。

 「ココロを待つのじゃなくて、わたくしがココロを助けに行ってあげるのじゃ!」

 「フッ、よく分からんが、良い顔になったな王女様」

 「ああ、店主のおかげじゃ。誉めてやるぞ」

 「そいつは光栄だ。さぁ、冷めないうちに食ってくれ。焼き立てだぞ」

 「うむ!」

 元気よくクッキーを頬張るルルディだが、すぐに怪訝そうに首をかしげた。

 「なんじゃこのクッキーは? ピンク色だからイチゴかモモじゃと思ったが……」

 薄い桃色のクッキーにしげしげと眺めるが正体が分からない。今まで食べたことのない味だ。

 「店主よ。コレはなんじゃ?」

 「ああ、そのピンク色の正体は『さくらでんぶ』だ」

 「さくらでんぶ?」

 聞いたことのない言葉だった。リーモ王国にも桜が咲く場所はあるが、色からして同じ種類の植物なのかもしれない。

 「桜の木は知っておるが、さくらでんぶとはなんじゃ?」

 知らない植物の名前に興味を覚えたルルディは立て続けに質問をする。

 「あー、そうだな。さくらでんぶの『でんぶ』ってのは『臀部』、つまりお尻のことだな」

 「お、おしり?!」

 「そうだ。桜は綺麗な花を咲かせるが、綺麗な木はお尻も綺麗だな。王女様、桜のお尻を見たことは?」

 「な、ない……」

 「そうか。じゃあ今度桜を見かけたらそっと見てみるといい。ただ、あんまり見つめるんじゃないぞ。桜だってお尻を見られるのは恥ずかしいからな」

 「わ、わかった。お父様にも教えてあげよう」

 「ああ、そうしてやれ。ちなみにソレ、口に合うか?」

 「え、ああ、うん。不思議な味じゃったけど、何というか、優しい甘さがある」

 「そうか。そりゃ良かった。新しいクッキーのフレーバーを考えていたんだが、王女様の髪の色を見てピーンきたぜ。コレならシオリのやつにも引けをとらないな」

 満足そうに頷いてコーヒーを飲むおやっさんはとても楽しそうだ。

 「なんか、嬉しそうだな店主」

 「ああ、若い奴らが頑張っている話は聞いてて気持ちがいい。それを肴に飲むコーヒーは格別だな」

 そう言っておやっさんはまた一口音を立てずにコーヒーを飲む。

 「ああ、うまい」

 ゆっくり流れる時間の中で、店内はコポコポとお湯が沸いている音のみ。そんな中で不思議な王女様と共にコーヒーを味わう。

 つまり、最高の時間だった。

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