少女と鎖
かつて、この地には世界と人の間を取り持つ役割を担う一族がいた。
その一族は、『未来予知』という不可思議な力を継承していき、古の時代からその世界に生きる者たちを導いてきた。
それは百年や千年では利かず、もはや世界の生まれた日から存在していると謂われるほどである。
長い長い年月が過ぎ、文明が発展した現代でも、水面下で秘密裏に一族の力によって世界は牛耳られていた。ただ普通に生きているだけの人間には知らされることのないまま。
そんな世界だが、ある時異変が起き始める。
最初は小さな紛争であった。領有権をめぐり、小さな民族同士が争いを始めたのだ。
小規模な戦いを繰り返しながら、戦いはだんだんと激化していく。
やがて、それを見かねた他国が停戦のために動きだすが、悲しいことにそれが更なる戦争の引き金となってしまう。
両陣営にそれぞれ違う国が援助をし、停戦協定がこじれてしまった。
世界中を巻き込みながら続いていく戦争は、世界の資源をいたずらに食い潰しながら広がっていく。
やがてその火の粉は一族のいる国にまで降りかかることとなる。
どれだけ科学が発展し人々が知識と知恵を得ようとも、人は追いつめられたとき奇跡や神秘に頼る他ない。
しかし、一族たちも過ぎ行く時代流れに逆らうことができず、衰退の一途をたどってしまっていた。
もはや一族の生き残りは、年端のいかない少女ただ一人だけである。
その唯一の生き残りの少女を、人々は聖女と呼び崇めたてていた。
人々は聖女にすがりつく。自分たちが生き残るためにはどうすればよいのかと。
すべてのことで聖女に頼りきりだった者たちにはこうする他に選択肢を知らないのだ。
大勢の人間が聖女の前で頭を垂れている。
その光景は、まさに祈りを捧げる信者と神そのものであった。
聖女はゆっくりと目を閉じると意識を集中させる。
かつての先祖たちと同じように世界と対話をするのだ。何世代と受け継がれてきた力を使い、世界の声を聞く。
長い長い沈黙が重くのしかかる。
誰一人として口を聞けないような切り詰めた雰囲気の中で、聖女は閉じた時と同じ速さで目を開いた。
すがるような視線が聖女へと注がれる。
この先の運命が、これから放たれる聖女の神託をよって決まるのだ。生きるも死ぬも聖女しだいということである。
そんな視線を一身に受けて、聖女はすぅっと息を吸い込んだ。
「これはもう、滅ぶしかないんじゃないかな」
「そんなこんなで、ボクはここに来たわけなんだけど、いやぁ、みんな思ったより余裕なかったねぇ」
街のはずれにある寂れた教会にて少女はひとり気だるげに呟いた。
訪れる者のいなくなった廃墟同然のこの教会は、あちこち荒れ果てており、ボロボロのイスや机が乱雑に転がっている。
しかも、少女の周りには不法投棄されたゴミが散らばっていた。
「でもしょうがないよねぇ。あくまでボクにできることは『声』を聞くことだけだからねぇ」
あのあと、怒り狂った信者たちに取り押さえられてしまった少女は、数々の過程の末に人の寄り付かない町はずれの教会に幽閉されてしまった。
「力ずくでこられたらどうしようもないからねぇ。いやぁ、まいったまいった」
世界情勢は思ったよりも悪いようだ。あちこちで戦いが起こっており、人々は精神的にも疲弊しきっていた。
その上、最後の希望であった聖女にも見放されたのである。
「そうだね。もはやあの光景そのものが戦争そのものだったよ。人って怒るとホントに目が血走るんだねぇ」
呑気につらつらと会話を続ける少女である。
だが、この場には少女の他に人間はいない。かといって少女はただ何もない空間に向かって虚しく言葉を発しているわけでもない。
「ピコピコ」
円柱型の自立型掃除機が素朴なアラートを発しながら、頭のところに付いているランプの黄緑色の方を点滅させた。
「んん? まあ、そう言わないでくれよ。そりゃあ彼らだって必死だったんだろうけどさ。でも、いい大人たちがこんな無力な美少女によってたかってるのを考えたら、ちょっとおかしくてね」
少女はその時のことを思い出してクツクツと笑う。
そんな少女の様子を内部カメラで見ていた掃除機は、ため息のような排気をして掃除へと戻っていく。
「いやでも、キミみたいなコがいてよかった。こんなところに独りぼっちだったら退屈でどうにかなっていたところだったよ」
積み重なってとび出ている机やイスに何度も体をぶつけながら掃除を続ける自立型掃除機を見ながら、少女はそんなことを呟いた。
そう、少女は掃除機と会話をしていた。
元々はこの教会の神父が使っていた物なのであろうこの掃除機は、けっしてスリムとは言えない円柱形で、ただゴミを吸い取るだけでなく、自動で充電とゴミ捨てをしてくれる機械である。
残念ながら平たい最新型の物ではないようだが、どうやらこの教会が廃教会となったのはずいぶんと昔のことらしい。
少女が目を覚ました時にはすでに稼働しており、それ以来、少女はずっと掃除機に話しかけて過ごしてきた。
「でもまぁ、ここまで荒れ果てたところに、今さら掃除したってしょうがないと思うけどね」
「ピコピコ」
少女の呟きに、掃除機は動きを止めて赤い方のランプを点滅させた。
「ああ、そんな怒らないでおくれよ。悪かったよ。キミのおかげで今日もボクは快適に過ごさせてもらってるよ」
「ピコピコ」
緑色のランプを点滅させると、掃除機は作業に戻っていった。
「まったく、すーぐ怒るんだから」
少女がため息をこぼす。
掃除機とのやり取りを楽しんでいると、出入口の扉に反応があった。いくつかの南京錠を開けているようだ。
ずいぶんと解錠に時間がかかっているようだが、やがて扉が開いていく。
そこには大きめのビニール袋を持った中年男性が立っていた。
男性はひどく怯えた様子で教会の中の様子を伺っている。
「しょ、食料を持って参りました……」
男性は震える声でそう言った。
「やぁやぁ、いらっしゃいオジサン。よく来たね」
少女は入って来た男性に向かって気さくに話しかける。
「はるばるこんな所までご苦労様だね。よければ少し話しでも――――」
「だ、黙れ魔女め!」
男性は少女の声を遮って怒鳴りつけた。怒りというより恐れの感情が強いようだ。
「オレを操ろうったって、そうはいかないぞ!」
「いや、別にボクは暇なだけで――――」
「ひぃ、魔女に呪われるーッ!?」
男性はそう言うと、ビニール袋を放り投げて扉の外へ逃げ出してしまった。
扉を乱暴に閉め、南京錠を付けていく。だか、それもひとつ付けただけで転がるように行ってしまった。
「……やれやれ。人を化け物みたいに言うんだから」
少女はため息を吐く。
「それに、鍵なんかしなくてもボクは動けないのにねぇ」
少女は首に付いている鉄製の無骨な首輪を煩わしそうにいじくる。華奢な体つきの少女にはあまりにも重たそうな首輪だ。首輪からは鎖が伸びており、その先は教会の壁や柱に繋がれている。
首輪の重さだけでもつらそうであるが、鎖の長さは立ち上がるのも横になるのもギリギリの長さだ。
これでは満足に寝返りをうつことすら難しいであろう。
「ピコピコ」
掃除機が黄緑色のランプを点滅させる。
「いやいや、こんなにカワイイ魔女がいるもんか。ボクは見た目通りのただの美少女だよ」
少女はそう言って決めポーズをしてみるが、掃除機はさして興味もなさそうに掃除を再開する。
「つれない反応だねぇ。いいけどさ」
少女は気を取り直して、男性が持ってきたビニール袋に目を向ける。
「さて、どうしたものかな」
ビニール袋は出入口に落ちている。
鎖で繋がれている少女にはけっして届くことはできないだろう。
少女が悩ましそうにビニール袋を見ていると、掃除機が近づいていく。
吸い込み口にビニール袋を詰まらせると、ゆっくりと少女の元へ引きずっていった。時間はかかったがなんとかビニール袋を届けることに成功した。
「おお、やるねぇ掃除機くん。助かったよ。ありがとう」
少女はそう言って掃除機の頭を撫でる。しばらくされるがままにされていたが、また掃除へと戻っていく。
「さてさて、何が入っているかなぁ」
意気揚々とビニール袋の中を漁り始める。
「飲料水に缶詰め食品。菓子パンが数個……お、あんパン入ってるじゃん」
少女が嬉々としてあんパンを掴むが、すぐに落胆する。
「なんだ、つぶあんか……。こしあんの方が好きなんだけどな……」
文句を言いながらも包装を破いてあんパンを食べ始める。
「まあ、とりあえずはこんなものか。ふわぁぁあ。じゃあボクはちょっと寝るから、あとはよろしく……」
あんパンを食べ終わると、少女は丸くなって眠ってしまった。すぐに寝息が聞こえてくる。
カタカタとローラーを回しながら、掃除機はあんパンの包装を吸い込み、また掃除へと戻っていく。
日がな一日、少女はよく祈りを捧げていた。
ヒビの入ったステンドグラスに日が射し込むと、手を組んでひざまずいて祈る。
数分で終わることもあれば、一時間以上ものあいだ動かないこともあった。
射し込んだ日差しがステンドグラスによって色鮮やかに少女を染め上げている。
その様子を掃除機はじっと見守っていた。
音を出すどころか、動くことすら憚られるような雰囲気を感じとっているのかもしれない。
あれだけおしゃべりな少女は、祈る時だけは一心不乱であった。
なぜ少女がそんなことをしているのか掃除機には理解できない。
だが、能天気な彼女があそこまで集中しなければならないことなのだと掃除機は思っていた。
「……。……ふぅ。今日はこんなところかな」
少女はゆっくりと目を開くと、小さく息を吐いた。
「ピコピコ」
少女の祈りの時間が終わったことを察知して、掃除機が起動する。
それを見て、少女は表情を和らげた。
「うん。今日はもういいんだ。あんまり聞いていて楽しいものでもないし」
そして少女はじっと掃除機を見つめた。
「それに、誰かさんになんだか失礼なことを言われた気がしてね」
掃除機はそんな少女の視線から遠ざかるように、奥の部屋へと行ってしまった。
「まったく。たいした掃除機くんだねぇ」
そう言って、少女はクツクツと笑った。
そんなことをしていると、出入口のところで物音がした。
誰か来たようだ。
解錠の音が響くと、扉が開き三人の男たちが入ってきた。
木の棒を持った二人と、その前を歩く、杖をついた年配の男だ。
「おや、誰かと思えば祭司さんじゃないか。そんな足でここまで来るのは大変だったでしょうに」
祭司と呼ばれた男は、不愉快そうな表情を隠すことなく少女へと近づいていく。
「これはこれは聖女様。ずいぶんと哀れなお姿ですな」
「ふふふ、おかげさまでね」
少女はニコニコと笑顔のままで答える。
「それに、聖女様はやめてくれないかな。この前ここに来てくれた人には魔女と呼ばれてしまったよ」
「ああ、それはワシのせいですよ。『あの魔女と会話すると精神を乗っ取られ呪われる』と言っておきましたからな」
「なるほど。それは確かに魔女のしそうなことだねぇ」
「おしゃべり好きな聖女様に大事な神託の話を漏らされるわけにはいきませんからな」
祭司はそう言うと、持っていた杖で床をついた。
「それで聖女様。そろそろ本当のことを話してくれる気になりましたかな?」
「……あのね、キミには何度も話したはずだよ。この世界は確実に滅びへと向かっている。戦争は酷くなる一方でしょ? 終わらない戦いは人の心を酷く疲弊させていく。『生きよう』とする人たちは『生かそう』とする人たちを蹂躙していくだろう。気がついた時にはもう遅い。汚染された環境に耐えられるだけの力は世界に残されていないよ。僅かな再生するための力すら根こそぎ奪ってしまうだろうからね」
そう語る少女は遠い目をする。まるで今話したことを実際に見てきたかのように。
「そうですな。それが聖女様の語られた神託でした」
祭司はうなずいて答える。
「だが、語られてないこともあるのでしょう?」
祭司は少女の首輪を掴んで引き寄せる。その目には狂気が混じっていた。
「言え! どうすればその滅びから逃れることができる! ワシはまだ死ぬわけにはいかないのだ!」
「何を言うかと思えば……」
祭司の狂気じみた視線を受けても、少女はフッと笑うだけであった。
「キミが死にたくないのは、せっかく築きあげた地位と名誉がパァになるからだろう?」
「な、なんだと!?」
「裏でいろいろ汚いことをやって、ようやくその地位までこれたんだもんね。ボクはそんなになってまで何かに固執したがないから分からないけど、きっと大変だったんだろうね。まぁでも、無いものは無いんだから、あとは残った余生で盆栽でも育ててみれば?」
「この、小娘がぁッ!」
怒りで顔を歪めた祭司が少女を突き飛ばす。
繋がれた鎖が首輪を引っ張り、少女は息が詰まって咳き込んだ。
「たかだか十数年しか生きてない小娘が知ったような口を利きおって! お前たち!」
祭司は振り返ると、後ろに控えていた男たちに指示を出す。
「死なない程度に痛めつけておけ! 二度と生意気な口を利けないようにしてやれ!」
祭司と入れ替わるように二人の男たちが木の棒を構えて少女に近づいていく。
その様子を確認すると、少女はそっと目を閉じた。
「ここまでしても、口を割らぬか」
うつ伏せに倒れ、ピクリとも動かない少女を見下ろしながら祭司は呟いた。
「しかし、何をしても悲鳴ひとつあげないとはな。まるでホンモノの魔女なのかもしれぬな」
気を失ってしまった少女は何も言わない。服の隙間から見える肌には青アザが見える。
「強情な小娘よ。さっさと話してしまえば楽になれるものを」
祭司は杖で少女の頭を小突いた。
しかし、まったく反応がない。少女は死んでしまっているかのように動かない。
「どれ、いつまでも休んでないで起きてもらおうか」
祭司が杖をふりかぶる。
どうやら祭司にとって良い話を聞くまで帰るつもりはないらしい。
「ピコピコ」
「む、なんだ?」
今まさに振り下ろそうとしたその時、掃除機が赤いランプを点滅させながら現れた。
掃除機は床のホコリを吸い込みながら、祭司の足へとぶつかる。
本来であれば障害物がある場所では迂回するはずだが、掃除機はけっしてルートを変えようとせず、祭司の足に何度もぶつかり続けた。
「なんだ、このポンコツは」
祭司は障害物を避けることもできない掃除機を煩わしそうに見下ろした。
たいした衝撃ではない。軽く押される程度のものである。この程度では足の不自由な祭司ですら転ばずことはできないだろう。
だか、うるさい排気音と何度も襲いかかる衝撃に、だんだんとイライラが積もってきているようだ。
「ええい! うるさい掃除機め!」
いい加減、耐えられなくなった祭司は持っていた杖を掃除機に向かって殴りつけた。
掃除機は衝撃で後ろにさがり、床に落ちていたゴミにつまずいて倒れてしまう。
ひとりでは起き上がることができないのか、ローラーだけが虚しく空回りしている。
「いったいなんなんだ。旧式のタイプというのはこうも役立たずなのか!」
倒れたままの掃除機を執拗に叩き続ける。
「どいつも! こいつも! ワシの言葉に! 従っておれば! よいのだ! 文句を言うな! 反抗するな! ワシを崇めろ! ワシに従え!」
祭司は呪いのような言葉は吐きながら八つ当たりをする。
掃除機のボディにキズが付き、少し凹んでいく。
「ハァッ、ハァッ、ハァッ……!」
体力の限界がおとずれ、肩で息をするまで祭司は杖を振り続けた。杖を持つ手が震えている。
「ピコピコ」
だか、それでも掃除機は止まろうとしなかった。
いまだ赤いランプを点滅させ、ローラーを回し続けている。
「……うっ! げほっ、げほっ!」
突然咳き込み、ひざをつく祭司。近くにいた男たちが支えようと近づくが、祭司は腕を振ってそれを拒んだ。
「よけいなことはせんでいい!」
祭司は胸をおさえて怒鳴りつける。
「もういい……! 今日は、引き上げるぞ……!」
ゆっくりと立ち上がり、おぼつかない足取りで出入口の扉へと向かう。
「……ふふふ」
だが、少女の笑い声に祭司たちは足を止めて振り返る。
少女はうつ伏せに倒れたままで表情を見ることすらできない。
「ふ、ふふ、ふ……。まったくキミたちはひどいな……。そんなに、ボクが悩み、苦しむ姿がみたい、のかい……?」
「な、なんだ? キサマはいったい何を言っているのだ?」
あきらかに様子のおかしい少女に、祭司は怯えた声で問い詰めた。
少女は床に手をつくと、ゆっくりと起き上がる。
髪が乱れているのでよく見えないが、隙間から少女の瞳が光っていた。
暗く、暗く光っていた。
「なに、気にしなくていいよ。どうせ話したところで信じてくれないさ」
少女は顔を上げると、祭司をまっすぐに見つめた。
「せっかくここまで来たのに手ぶらで帰すのは忍びないと思ってね。キミの聞きたかった神託みたいなものさ」
「な、なんだと……」
少女の様子がおかしい。
いや、どちらかと言えばいつも通りである。
いつもと同じように、まるですべてを知っているかのように微笑んでいるだけだ。
だが、先ほどまで痛めつけられて気を失っていたはず。その直後の行動とはとても思えない。
この得たいの知れない雰囲気が、祭司を不安にさせていく。
そんな祭司の気持ちを知らずに、少女はゆっくりと手を上げて、天井を指差した。
つられて祭司は天井を見る。
だが、そこには照明さえ落ちてしまった天井しかなかった。
「頭上注意」
「頭上、注意、だと?」
思っていた言葉とは違ったために、祭司は思わず聞き返してしまった。
「ああ、頭上注意さ。この言葉を聞いてどうするかはキミの自由だ」
頭上注意。
何か降ってくるのだろうか。
意味が分からずさらに聞き出そうとしたが、体力の限界が来ていた祭司は、少女を一瞬だけ睨んで教会をあとにした。
扉の外から祭司の声が聞こえる。
「いいか、何が落ちてきてもいいように上を注意しておけ!」
怒鳴り声と共に祭司の声が遠ざかっていく。いくら気にしていないフリをしようとも自分の命を優先すれば当然の心配である。
「……さてと」
静けさを取り戻した教会で少女は掃除機に近づいていき、同じように起こしてあげた。
「どれどれ……。ボディにキズが付いたのはしょうがないけど、ベアリングが痛んじゃったかな。少しいじさせてもらうよ」
少女はそう言うと、想造力を集中させる。
すると、その手にスパナが握られた。そのあとも、スパナをドライバーやニッパーに変えていき、掃除機を修理していく。
「ピコピコ」
「面白いでしょう。想造力って力らしいよ。聖女なんて言われて崇められてきたけど、こう見えて機械いじりが好きなんだ。その時に『世界』から教えてもらったんだけど、なかなか便利なものさ。彼らもたまには良いことを教えてくれる」
近くにある廃材から足りないパーツを漁り、交換していく。
「ピコピコ」
「ん? 先に自分のキズを治せって? いや、ボクはいいんだ」
カチャカチャと機械をいじる音だけが教会に響く。
「ボクたち人間のキズってのは、放っておけば治るのがほとんどさ。勝手に生きようとするからね。だけどキミたち機械は違うだろ? 人間よりは頑丈かもしれないけど、一度壊れたところはだれかが手を貸してあげないとね」
「ピコピコ」
それでも掃除機は自分よりも少女の体を優先しろと言ってくる。
「まあ、そう言わないで、くれよ」
だが少女は手の動きを止めて、震える声でこう言った。
「体のキズは勝手に治るけど、心のキズは、なかなかうまくいかないんだ。こんなボクでも、ツラいことが、あったら、何か、好きなことでもやってないと、やって、いられ、ないのさ……」
「……」
少女がしぼり出すようにそう言うと、掃除機は何も言わずに沈黙した。少女にすべてを委ねるように。
少女は自分の腕で目もと乱暴に拭うと、掃除機の修理を再開した。
ただ寂しいだけの廃教会に、機械をいじる音が虚しく響いていく。
その日の夜。
他国による空爆攻撃によっていくつかの町が吹き飛んだ。
その威力はかなりのものだったらしく、襲撃された町たちは跡形も残っていないという話である。あまりにも無慈悲な攻撃に周辺に住んでいたほとんどの者が平和な世界を取り戻すために武器を取り始めた。
最後まで反戦の意志を貫く者たちを押しのけ、戦争は激化していく。
掃除機はただ見上げていた。場所は教会の奥にあるキッチン。流し台にある水道の蛇口を見つめている。
少女に水を汲んで来てほしいと言われたのでここまで来たが、残念ながらこの掃除機に手はない。そのせいで、いつぞやは自力で起き上がることすらできなかったのだ。
だか、それは過去の話。
掃除機のボディの側面が開くと、そこには円形の穴ができていた。穴の中から何かが動く音がする。
すると、穴から金属製の細いアームが飛び出してきた。
アームにはいくつかの関節が取り付けられており、柔軟に動かすことができる。
掃除機はアームの先のCの形をした手を動かして可動域を確かめた。
回転させたり、近くにあったゴミを掴んだりしてみる。
どうやら問題ないようだ。
バケツを持ち上げると、蛇口を開いて水を汲み始める。
並々汲んだところで蛇口を閉める。
なかなかの重量であるだろうが、掃除機は楽々と持ち運びができた。パワーも申し分ないようだ。
動作確認もおえたので少女のもとへと向かっていく。
「やぁ、おかえり掃除機くん。どうだい、なかなか便利なものだろ? そのアームがあれば、一人で起き上がることはもちろん、もっといろんなことができるようになるよ」
少女はそう言って掃除機を迎えた。
一人でアームを動かしている掃除機を見て満足そうにうなずいている。
掃除機は持ってきた水道水入りのバケツを少女の近くに置いた。
「ご苦労様だったね。……さて」
少女はバケツの中に両手を入れると、水をすくい上げて口の中に入れた。細いのどがこくりと動く。
そのまま少女は目を閉じた。
それは、いつもやっていた祈る行為に似ているように思えた。
しばしの沈黙の後、少女はため息を吐いた。
「はぁ。ずいぶんと酷いな……。もうほとんど何も残っていないじゃなか」
世界中を流れている『水』から世界の様子を聞く。
わずかに残った自然を奪い合い、手に入れられなければ滅ぼしてしまう戦い方は、未来を度外視していることは明らかである。
最初の争いの種だった両民族はもう全滅してしまっていた。
それでも戦争が終わらないのは、後には引けないからであろう。
銃を構え合っている時に和平案を言われても、下ろした瞬間に撃たれる可能性を完全に払拭することなどできない。
ならば撃たれる前に撃つしかないのだ。
不安なのだろう。相手を信じることができなければ人は簡単に人を撃つ。
どこまでいっても、いつまでたっても。
「この分じゃあ、もう差し入れが届くことはなさそうだねぇ。最後にこしあんのお団子が食べたかったなぁ……」
「ピコピコ」
残念そうに呟く少女を見て、掃除機黄緑色のランプを点滅させる。
「まぁ、しょうがないさ。……そうだ!」
少女は何か思いついたかのように手を叩くと、肩のところにある結び目をほどき、おもむろに服を脱ぎだした。
「せっかく水を汲んできてもらったんだ。ちょっと体を拭いておくれよ」
「ピコピコ」
「だいじょうぶ、だいじょうぶ~。ほら、アームを動かす練習さ。よろしく頼むよ」
少女はあっけらかんと笑い、掃除機に背中を向けた。
掃除機はため息のような排気をし、水に浸けた布を持って少女に向かう。
少女の背中はキズだらけであった。どのキズもふさがってはいるが、跡は永遠に残るだろう。
「気にしなくていいよ」
布を持って固まっていた掃除機に、少女は背中を向けたまま話しかける。
「このキズはね、ボクが助けてあげられなかった人たちの想いなんだ。そりゃあボクに世界を救えるだけの力なんか始めからなかった。でも、それで助けられなかった人たちがいなくなるわけじゃない。ボクにできるのは、せめて想いを受け止めてあげることだけさ」
肩にあるキズ跡をさすりながら寂しく呟く。
彼らは生きたかっただけだ。
目の前の平和が崩れさり、迫り来る脅威に成すすべもない。
それでも家族や自分のために生きようとした。
「誰だって生きたいもの。自分たちの世界に危機が迫ったらなんとかしてあげたいんだろう。方法は間違っていたかもしれないけど、人の想いとしては決して間違っていないさ」
それに、と少女は続ける。
「もう、そんなに痛くないから」
そう言って少女は笑った。その笑顔には、少し影があるように見えた。
掃除機はその笑顔を見つめている。だか、何も言わなかった。
というよりは何も言えなかった。
少女の考えは分からない。自分をキズつける者たちをなぜ庇おうとするのか理解できなかった。
なので掃除機は、せめて自分にできることをする。
濡らした布で少女の背中に触れると、少女の体がビクっと震えた。
「ふぅ、気持ちいいねぇ」
少女は深い呼吸を繰り返す。
掃除機は少女を拭いながら思う。
汚れといっしょに、キズ跡も拭いとることもできればいいのにと。
「それにしても、キミには本当に助けられてるね」
体を拭いてもらいながら少女は話しかける。
「そうだ! キミは何か叶えたい願いはないかい?」
当然の少女の言葉に、掃除機はアームを止める。
「まぁ、今のボクにできることは限られているけどさ。できることならなんでもしてあげるよ」
「ピコピコ」
「ああ、そうさ。なんでもさ」
少女は掃除機と向かい合う。掃除機に両手で触れると、まっすぐに見つめた。
「さぁ、なんでも言ってごらん」
目を輝かせる少女を見て掃除機は考える。
起動してからこの教会で掃除しかしていなかった自分に今さらどんな願いがあるのか。
だがここで、掃除機は思いついたことがあった。
まだこの教会がちゃんとしていた頃に神父が言っていたこと。
「ピコピコ」
掃除機は思いついたことをそのまま言った。
だが、それを聞いた少女はつまらなそうな顔をする。
「え、それがキミの願いなのかい?」
「ピコピコ」
「うん。まぁ、素敵な考え方であるとは思うよ。ボクもそうであってほしいと思うし」
少女は少し考えるように腕を組むと、ふっと微笑んだ。
「分かったよ。ボクも美少女だ。一度言ったことはそんなに取り消したりしないさ」
「ピコピコ」
「ふふ、関係あるに決まっているじゃないか。美少女は心まで美少女じゃないとね」
少女はそう言ってウインクをすると、再び背中を向けた。
「よーし、明日から忙しくなるねぇ」
楽しそうな少女に一抹の不安を覚えながら、掃除機は少女の体を拭くのだった。
そんな少女と掃除機のやり取りをよそに、世界情勢にも動きがあった。
長きにわたる戦争に、ようやく終わりの兆しが見えてきたのである。
戦いの不毛さに気がついたとか平和や未来を願ってのことでは残念ながらないが。
早い話、戦う相手がいなくなったのである。
世界を大きく分けた戦争も、片方が滅ぶまで戦えば後には何も残らなかった。
人の命と世界の想造力を消費し尽くした結果、手に入れたものは汚れた水と枯れた大地だけだ。
残された人々は絶望と後悔の念に苛まれる。
どうして戦争なんてしたのかと。
どうして戦争に参加したのかと。
どうして戦争を止めようとした者の言葉に耳を貸さなかったのかと。
全てはもう遅い。あとはゆっくり滅ぶだけ。
だが、そう思っていた者たちの元に吉報が届く。
とある町の外れに、まだ生きている土地があると。
人々は歓喜に叫びだした。
残った武器と希望をかき集めて、人々は歩き出す。
ただ、生きるために。
「そっか、とうとう見つかっちゃったか……」
いつものように、掃除機に汲んできてもらった水を通して世界情勢を聞いた少女は諦念を込めてため息を吐いた。
いつかはこうなる事は分かっていた。世界から想造力が急速に失われていく中で、この場所だけが守られていたのだ。
それがバレてしまえば、人々はここを目指す他ならない。
少女は掃除機を見つめる。
掃除機はアームを動かして粗大ゴミをどかすと、下にあった塵を吸い込んでいた。だが、細い隙間にある埃を吸い込むことができず四苦八苦しているようだ。
この場にいるのは鎖につながれた少女と旧式の自立型掃除機だけだ。
数十人の武装した者たちに攻め込まれればひとたまりもないだろう。
もはや少女たちの命運は風前の灯だ。
「せっかくやってみたいことが見つかったのにな。残念な話だね……」
言われるがままに聖女として生き、祝福と謂われたこの力を呪いながら過ごしてきた。
だが、やっとだれかのためにこの力を使えると思ったのに。
「どうにも、ならないかな……」
掬った水が手のひらポタポタと落ちていく。
「……え?」
その時、こぼれる水から、否、『世界』から声が聞こえてきた。
「……そうなんだ。想造力というのはそんなことまでできるんだ」
世界からの声を聞いた少女は、目を閉じて内容を吟味する。
たしかにその方法なら、そんな事ができるというならば、時間を稼ぐことができる。
「……掃除機くん。ちょっといいかな?」
目を開けた少女は、掃除に夢中になっている掃除機を呼んだ。
「ピコピコ」
緑色のランプを点滅させて、掃除機は少女の近くへと行く。
少女は近づいてきた掃除機の頭に手を置いて優しく撫でる。
「いいかい掃除機くん。よく聞いておくれ。もうすぐここに大勢の人がやってくる。目的はこの場所に残っている想造力と、まぁ、ボクの存在がバレちゃえばボクも捕らわれてしまうだろうね」
こんなところにいる生き残りだ。怪しく思われないわけがない。
「そうなってしまえば、さすがにもうどうしようもないだろう。完全にお手上げだ。だから、キミにお願いしたい」
少女はまっすぐに掃除機を見つめる。
「ボクを、守ってほしい。キミの、そしてボクの願いを叶えるために」
「ピコピコ」
少女のまっすぐな目を見た掃除機はすぐさま返事をした。迷うことなどない。
「ありがとう。キミがいてくれて本当によかった」
少女はそう言うと、想造力を集中させる。この場所に留まり、今まで溜めてきた世界の想造力を。
少女のもとに集まった想造力は、ヘタをすれば小さな世界を創れてしまえるほどのものであった。
とても一人の人間で扱えるほどのものではない。
その莫大な量の想造力からほんの一握りを切り離し、掃除機に与えていく。
少女の手から淡い光が掃除機へと注がれていく。
「これでよし。キミにはボクの集めた想造力を与えたよ。それだけあれば当分の想造力としては申し分ないでしょ。もしも足りなくなっても、これから集まってくる黒いのを吸い込めばキミ自身の想造力に変換できるはずだ」
掃除機は感じる。全身に満ちてくる不思議なチカラを。それはフル充電された時以上のものであった。今ならビルだって吸い込むことができるだろう。
「最後に、仕上げをしてと」
少女は想造力を集中してマイナスドライバーを具現化させると、指を浅く切って血を滲ませる。
そして、掃除機のボディに字を書いていった。
「ピコピコ」
「なあに、ちょっとしたマークみたいなものさ。キミはボクにとってのヒーローだからね。カッコいい名前で呼んでもらわないと」
書き終えると、少女は満足そうにうなずいた。
「よし、『掃除機』の発音に近く、なによりカッコいい名前だ。これならキミもきっと喜んでくれるよ」
掃除機は呼び名など別段気にしていないようだ。
「ピコピコ」
「うん、いってらっしゃい。またあとでね」
掃除機から少女の手が離れる。
少女に見送られながら掃除機は外へと続く扉へ向かった。
アームを出してドアノブを掴むと、そのまま外に出ていく。
「……よろしく、頼んだよ」
ひとりぼっちになった少女の呟きを聞くモノは、もういなかった。




