7 君って背中に羽根生える?
例えば、強盗が女性銀行員を人質にとり、刃物を喉元に当てて、警察を脅迫するような、傍から見ればまるっきりそのまんまの絵面で、ナユタは校舎を移動していた。
やがてたどり着いたのは、屋上に続く階段の踊り場だった。
窓が大きく取られてあって、陽の光が降り注ぐ、明るく過ごしやすい環境だ。さしずめサンルームとでも言おうか。
センを筆頭に、ビャクとロンが段違いで階段に座り、たむろしていた。
「やあ、ミスターユリシーズ。刃物なんて持ち出して、穏やかじゃないな」
センが、余裕綽々で上から物を言った。
ナユタは拘束していた生徒を離してやった。自由になると、生徒は一目散にその場から逃げて行った。
「僕に数々のいやがらせをさせてたのは、おまえたちだろ?」
ナユタは短剣をホルダーに収めてから、そう問いかけた。
「なんのことかな? それは君のことを気に入らない連中が、勝手にやったことだろう」
あくまで白を切る気か。
ナユタの頭痛はかつてないほど酷くなっていた。数々の現場から感じていた悪意の思念が、今ここで最も強く感じる。
首謀者は間違いなく彼らだ。
「まるで、蜘蛛みたいだ。自分では決して手を汚さず、目的を果たす。失敗しても、足を切ればいいだけ。替えはいくらでもきく」
クラスの全員が、彼らの足なのだ。
「蜘蛛だなんて、ひどい物言いだなぁ。まるで俺たちが悪者みたいだ。ねぇ、兄さん」
心外だと言わんばかりにビャクは口を動かした。
「言ったじゃないか、俺たちの派閥に入らないかって。それを無下にした君が悪いんだよ」
「それは、自白と取って良いのかな。子供のいじめにしてはやり方が卑劣だ。悪党の風上にも置けない」
ナユタの口調はどこまでも冷ややかだった。金銀妖瞳が、冷たい湖の底のように、底光りしていた。
「君は目立ち過ぎたんだよ。良い意味でも、悪い意味でも」
ロンがそこで初めて口を開いたが、小声だった。
ナユタは大きく深呼吸をした。
「おまえたちの粘着質な悪意がさあ、僕の中の魔人を刺激するんだよねえ」
ナユタの声色は狂気染みていた。
あまりにも、あまりにも。
顎を大きく上げ、両手で顔を覆っていた指の隙間から覗く双眸が、みるみる変わって行く。白目が、炭を落とした水のように黒く染まり、美しかった金銀の瞳が瞳孔から外側へと深紅に変化を遂げた。その様は実に禍々しく、見る者に等しく恐怖を与えた。
気温が、一度か二度、低下したように思われた。空間がたわみ、歪み、裂ける。異界の門が開く。その裂け目から、どす黒い何かが這いずりだして来る異様な気配がした。
呼び出してはならない何かを呼んでしまった。
それだけは、この場にいる人間の共通意識だったに違いない。
「ぐぅぅう、ああああ」
ナユタが唸り、自分で自分を抱き締めるようにして、身体を折った。左の肩甲骨辺りの制服が裂け、そこからミシミシと音を立てながら、羽根が生えてきた。片翼の羽根。しかも、漆黒だ。大きく裂けた口の中で、発達した犬歯が鋭い牙となって鈍く光っていた。
異形の悪魔がそこにいた。
「ば、ば、化け物!」
そう真っ先に叫んだのはロンだった。
最も近い距離にいたこともあって、ナユタは最初の生け贄にロンを定めた。
「下劣な卑怯者には、僕が制裁を加える」
ピークだった頭痛が弾け飛んでいた。
置き換わったのは、抑えきれない破壊衝動。
ナユタの右腕がロンに向かって伸びた。首根っこを捕まえ、信じがたい力で彼の身体を宙に浮かせる。
「ぎゃあああ!」
首を絞められ呼吸もままならず、地面から離れた両足を必死でバタつかせるが、用をなさない。
「『地獄の炎』」
黒い炎がナユタの右手から噴き出し、ロンの身体を焼いた。ロンの身体は熱もなく、煙も出ない炎に包まれ、ものの数秒で炭化した。その炎は、人体のみを焼き尽くす。その肉体を、精神を、魂さえも。
肉体は灰になって消滅し、抜け殻の制服だけがその場にはらりと落ちた。
ナユタの目線がセンに向けられた。
「俺の父は外務大臣だぞ、俺はその長子だ! こんなことしてタダですむと思ってるのかッ!」
センが強がりを必死に叫ぶが、
「だから、何?」
センの最後の反発も、ナユタは意に介さなかった。
ゆらりとセンに向かって歩みを進める。
「うわあああ! 違うんだ違うんだ! 俺たち、そんなつもりじゃなかった。俺たちより出来の良い君が悪いんだ! 俺たちより優秀な君が! 許してくれ、許してくれ! もう二度としないから!」
センが決死の命乞いをしながら、完全なる及び腰で階段から滑り落ちてきた。
「そんな言葉が通じるもんか」
ナユタはセンの懇願を聞き届けなかった。例え六根懺悔をしたとしても、赦しは与えられない。
次の贄はセンだ。ロンと同じく、首根っこを締め上げて、身体を持ち上げた。
「うぎゃああああ!」
センもまた、黒炎に巻かれて灰と化して絶命した。
主をなくした制服が、灰だけを包んで静かに廊下に落ちた。
「最後はおまえだ」
ナユタの魔手は、兄と同じく腰を抜かして動けず、階段に座り込んでいるビャクへと伸びた。
と、その時。
「やめてー、ナユタくん!」
フェリアが突然、何の前触れもなしに登場し、ナユタに抱きついて来た。
「もういい、もういいから! もとに、戻って」
フェリアが泣いている。
ナユタにしがみつく両手が、小刻みに震えている。
「……!」
自ら解放した魔人の力に飲まれてしまっていることを自覚し、ナユタは我に返った。
静まれ、静まれ。
ナユタは大きく深呼吸を行い、目を閉じた。
次に瞼を開いたときには、先ほどの変化を逆再生したように、色味が元の金銀妖瞳に戻っていた。
背中の片翼も、羽根を数枚残して散り、消えてしまったし、異常に発達した牙も本来あるべき犬歯に戻った。
「ごめんね、フェリア」
まるでイタズラが見つかったときのように、ナユタはばつが悪く謝った。
「良かった。もとに、戻った!」
喜ぶフェリアの脇を抜けて、一人生き残ったビャクが、這々の体で逃げて行った。あんなものを見てしまっては、気が触れるか、失語症になるか、相当のショックを受けたのは間違いないだろう。
「どこから見てたの?」
「たぶん、最初から……怖くって、すぐには飛び出せなかった。止められなくってごめんなさい」
「君は勇敢だね」
フェリアはううん、と首を打ち振った。
「センくんとロンくんが……阻止できなかった。わたし、わたし」
「ちょっと、座ろっか。君には全部話しておくよ」
一旦間をとり、フェリアを落ち着かせて、ナユタは夕暮れの階段に彼女と並んで腰を下ろした。
「あの、悪魔みたいな姿はなに?」
フェリアの疑問は至極、自然なものだった。
「うん。僕の中にはね、魔人アザゼルが封じられているんだ」
ナユタはお腹、臍の辺りを手で押さえた。
「魔人……?」
「そう。アースシアっていう都市国家に、セフィロトの樹になぞらえて、十二のセフィラで厳重に封印されていた魔人。だけど、僕はもう一人の僕を利用して、その封印を解いたんだ。で、アザゼルを解放したときの反発で得られるエネルギーを使って、転生しようとした魔導師を欺いた。器であることを逆手に取って、アザゼルを取り込んだんだ」
「難しいよ……もう一人のナユタくんって、誰?」
フェリアの声はスズメのように小さい。
子供なりに、聞いてはいけない話だと悟ったのかも知れない。
「ユジュンっていう、僕そっくりの、もう一人の僕。僕たちは、魔導師、ルキフェン・ゼラ・リンドウの手によって造り出されたホムンクルスなんだ。人間じゃないんだよ」
「ゼラさま?」
ナユタは『ゼラ』という称号に反応したフェリアを見つめた。
「うん。知ってるの?」
「この国の有史以来、たったの三人しか現れていないっていう、大魔導師さまのことでしょう? 五十年前に立たれてから、数年前に亡くなるまで宮廷の頂点に座り続けたっていう……」
「そっか。ルキって有名人だったんだ」
何だか感慨深い。ナユタは微笑を浮かべた。
「ルキは偉大な魔導師であり、錬金術師でもあった」
ルキは自らの魂を分割し、手ずから精製した賢者の石を用いてニコイチのホムンクルスを創造した。人間の陰と陽、それぞれの特性を持たせて。陰はナユタ、陽はユジュンといった風に。それは壮大なる実験でもあった。
「それで、ホムンクルスを造ったの?」
フェリアの声は震えて、ほとんど泣き声だった。
「そう、僕は造られた命なんだ。人間のフリしたニセモノなんだよ」
「そんなの嘘だよ! ナユタくんは、ナユタくんだもん。れっきとした、ひとりの人間だよ」
フェリアはボロボロと大粒の涙を流した。
「ありがとう。そう言ってもらえると、とても有り難い。うれしい」
ナユタはにっこりと笑った。
ふと、フェリアのツインテールの片方のリボンが解けて、髪が落ちていることに気が付いた。
手を伸ばし、しゅるりともう片方のリボンを解いて、赤毛を下ろした。毛先が、肩より少し下ぐらいで揺れた。
「髪、下ろした方がかわいいよ」
「ホント……?」
フェリアが目を見開いて、こちらを見た。
夕刻の斜光が彼女を照らして、赤毛と目尻に浮かんだ涙がキラキラと光を放ち、それはとても美しい光景だった。
「僕、明日から学校には来ないと思う。これで、さよならだね」
「そんな、どうして?」
「二人の命を奪ってしまったんだから、当然だよ。僕は感情に任せてアザゼルの、その力を使ってしまった。これは僕の業だ」
「ナユタくんに会えなくなるの、やだ! だって、わたし、わたし、ナユタくんのこと……!」
その先を言わせないように、ナユタは無理強いでフェリアを抱き寄せ、強く胸に抱き締めた。
「ごめんね。フェリア。君に会えて本当に良かった。ありがとう」
「ナユタくん……!」
「ほとぼりが冷めたら、ユリシーズ家のお屋敷を訪ねておいで。そしたらお茶を出しておもてなしするよ」
腕の中が暖かい。これが人肌の温もりか。
フェリアが小刻みに震えながら、声も無くすすり泣いていた。
そんなフェリアを愛おしく、ナユタは日が落ちるまで、ずうっとずうっと抱いていた。
「刃物を持ち出したのは不味かったな」
今回の件で、苦々しいユーリの小言が、さっきからずっと続いている。
クラスメイトを刃物で傷つけたことが、学校側から非難された訳だが、センとロンを殺害してしまったことについてはお咎めがなかった。恐らく、死体がない為、罪を立証できないことから、消息不明と結論づけられたようだ。肝心の目撃者であるビャクは、ショックで口がきけなくなり、入院を余儀なくされているらしい。
結局、ナユタは二ヶ月余りで学園を自主退学することとあいなった。
短い学園生活だった。
経験値は少しでも上がったのだろうか。
アザゼルの力を行使したことを重く見たユーリに、ナユタはじっくり検査されることになった。
宮廷の、ルキの死後、ユーリが引き継いだ研究室に連れて行かれた。
二十畳ほどの、狭くも広くもない天井の高い部屋で、壁一面の本棚と、羊皮紙と、本に埋もれた机と、ゴチャゴチャとした配線に繋がれた魔導具類で占領されている。
簡素な白い診察台の上に素っ裸で寝転び、青白い光線が頭の天辺からつま先まで通過していくのをナユタは見つめていた。下腹部には気休め程度の布が掛けてあった。
「ナユタ、どこか悪いの? ビョーキなの?」
同伴しているセラフィータが、枕元にちょこなんと寝そべって、不安げにしている。
「ううん、違うよ。だいじょぶだから、心配しないで」
ナユタは上を向いて、微笑した。
長い時間をかけて、全身くまなく検査をされたナユタだったが、ようやく終わって服を着始めたとき、ユーリに問うた。
「なんかさぁ、目が変わるのは前もそうだったじゃない? 今回は、羽根が生えたんだよね。片っぽだけ」
「羽根? 完全体のアザゼルにはそんなものなかったぞ」
ユーリが首を傾げる。
「僕を器として、アザゼルは復活する?」
ユーリは検査結果の表示された、手元の半透明のスクリーンに見入りながら答えた。
「いや、それはないな。アザゼルはどうやらおまえの魂に着床して、完全に同化してしまっているようだ。今後、分離させることは難しいだろう。あの、ユジュンの『同胞』が施した封印は所詮その場しのぎの付け焼き刃。機能しなかったらしいな」
「ってことは、一生付き合っていかないといけないのかぁ」
「だろうな。人間の悪意を食らって生きる存在だからな。ある意味、おまえの中で成長し続けているのかも知れん」
データを確認し終えたユーリは、ナユタをまじまじと見つめた。
「これだから、ホムンクルスは面白い。可能性に富んでいる。ナユタ、おまえはこれから先、私にどんな成長を見せてくれるのか?」
「そんなの、知らないよ」
ナユタは小さな窓から、晴れ渡る蒼穹を眺めて、半ば呆れつつ言った。
その後、ナユタは身の丈に合ったレベルである、大学院に飛び級で編入することになった。周りは成人だらけだが、新しく得られる知識は確実に多かった。
独学では手に入らない論理的思考や、魔術の成り立ちの歴史など、面白いデータが脳に上書きされる日々は心地良かった。
遙か遠く、アースシアで暮らす、ルキが造ったもう一人の自分、半身であるユジュン
に、ナユタは手紙をしたためた。
『ものは相談だけど、君って背中に羽根生える?』
『グロース』は『成長』って意味らしいです。
『黒翼』は『魔人アザゼル』を象徴する言葉なので、直訳すると『アザゼルの成長』となります。
タイトルの意味のネタばらし。