4 上履きが、ない
学校へ通い始めて、早ひと月が経とうとしていた。
学園生活は、一言で言うと、『ぬるい』だった。
どの科目も教師も、ナユタの求める新たなる知識を与えてはくれなかった。
レベルが違い過ぎるのだ。
ナユタからすれば、同級生が学んでいる事柄は、お遊戯にも等しい。
自然、授業には身が入らず、窓の外へ目線をやることが多くなった。季節柄、多様に様を変化させる雲の形に、やたらと詳しくなってしまった。
そんなナユタに恥をかかせてやろうと目論む軽はずみな教師がいるが、答えられないだろうとわざと小難しい問いに当てて、簡単に答えられてしまうということが多々あった。
ただ、ナユタは正当するだけでなく更に上を行く解説を上乗せして論破してしまうので、教師はとんだしっぺ返しを食らい、逆に返り討ちに遭うのだ。
成績も徐々に目に見える形となって現れる。受けたテストではフルスコアを叩き出し、他の追従を許さない。
実技で魔術を使えば、高度な術をぶっ放して教師とクラスメイトの度肝を抜いた。誰もなし得ないことを、ナユタはさらりとやってのけるのだ。
力をセーブしないでやっていると、段々と周囲のナユタを見る目が変わってくる。出る杭は打たれるというが、少々、やり過ぎたようで、ナユタは突出した能力ゆえに、反感に似たものを買うようになってしまったようだ。
このクラスには、というか、この学園には、厳然としたスクールカーストというやつが存在する。センたちを頂点として、何層あるのかは不明だが、ナユタはそれのどこにも属さず、孤立して居場所をなくしていた。
友達も出来ようはずがなく、口をきくのは隣のフェリアぐらいのものだ。
フェリアはナユタを心配して、色々と気を遣ってくれる。
「どうだ、学校は。楽しいか」
ユーリとは必ずと言って良いほど夕食の際に一緒になるが、学校の話をあまりしたがらないナユタを慮ってくれていることは分かる。
毎日、遠回しに様子を伺ってくるのだ。
「楽しいはずがないよ」
今夜は直接的だったので、これまで曖昧模糊としておいたナユタも、はっきりと真実を述べた。
「そうなのか」
ユーリがグラスを持った手を止めて、目を丸くした。
「どうして僕をあんなクラスに入れたの」
「いや、同い年の子供たちの輪に入れば、友達も作れるかと思ったのだが……」
「朱に交われば赤くなるって? それはお門違いもいいとこだよ。僕はどこへ行っても異質でしかない。みんなと楽しく友達ごっこなんて出来ないんだよ」
「うーむ。やり方を間違えたか……」
口もとに手をやって考える仕草をしたユーリは、それっきり口を開かなくなった。そんなユーリを、ナユタは無言で見つめたのだった。
そうして次第に、学園に居心地の悪さを感じるようになっていた頃の、ある日の朝、ナユタは下駄箱の蓋を開けて、中身を無言で見つめていた。
「……」
あるはずのものが、ない。
上履きが消失していた。
「おはよー、ナユタくん」
背後からそんな挨拶があった。
フェリアが登校したのだ。
自身も靴から上履きに履き替えるという一連のルーティーンを踏んでいたフェリアだったが、ナユタの異変に気が付いたようで、
「どうかしたの?」
と、近寄って来た。
「上履きが、ない」
ナユタは下駄箱を凝視したまま、ぼそりと言葉を落とした。
「ええ? 誰かが間違えて履いてっちゃったのかなぁ」
フェリアはそう呑気な捉え方をしているが、ナユタは下駄箱に微かな悪意が残り香としてあるのを感じ取っていた。悪の思念だ。
「……いつぅ」
ナユタは軽い頭痛を覚えて、眉間に皺を刻んだ。
「だいじょうぶ?」
「うん、平気。職員室に行ってスリッパ借りてくる」
「ええ? 上履き探さなくていいの?」
「どうせ、見つからないよ」
ナユタは履いてきた靴を脱いで下駄箱に仕舞うと、靴下のまま廊下を歩き出した。
背後でフェリアが右往左往としていたが、無視して淡々と職員室へと向かった。
これが世に言う『いじめ』というやつか。
これはその、ほんの序章に過ぎなかったが、ナユタは受けて立ってやろうじゃないかと、覚悟を決めた。
その日は一日、スリッパで過ごした。
「上履きが、なくなった」
夕食時、ユーリにそう報告すると、
「何かの嫌がらせか」
「まだ、分かんない。ただ、僕のことが気に入らない奴がいるってこと」
「対処できるのか」
「うん。自分で何とかする」
ユーリの手を煩わせるまでもない。
こういうことには慣れている。
「上履きは、替えがある。明日はそれを持っていくといい」
「ありがと」
しかし、上履き盗難はそれから五度も続いた。五日連続だ。無視していればそのうち収まるだろうという考えは甘かったらしい。相手は相当しつこい。
これは、現行犯を押さえるしかない。
と、ナユタが決意を固めると、
「わたしも付き合う!」
唯一、事情を知るフェリアがひっついてくることになった。
六日目の朝、いつもより一時間早く登校した二人は、下駄箱が見渡せる廊下の角に隠れて、犯行が行われる瞬間を待っていた。
「ほんとに来なくてもいいのに」
「ナユタくんに、こんな卑怯な真似する人がいるなんて、許せないじゃない」
冷静なナユタに比べて、フェリアは少々お冠だ。
しばらく張っていると、怪しげな人影が一つ、二つ、三つと現れた。コソコソと辺りを窺いながら、ナユタの下駄箱に向かって近寄って来る。どうも二人が見張り、一人が実行犯という役回りのようだ。
「あ、あれ、クラスの男子だ」
フェリアがはっとなった。
「そういえば、そうだね。見たことある顔だ」
クラスでも目立たない部類の、カーストの底辺にいるような生徒たちだった。
一人が、ナユタの上履きをくすねた。
その瞬間、
「おまえたち、なにしてる! 人の物を盗るな!」
ナユタは角から飛び出して、三人に向かって叫んだ。
気付いた盗人三人組は、大層驚いて、その場から脱兎の如く逃げ出した。玄関ホールを抜けて廊下の方へと走っていく。
「待て!」
ナユタも後を追って飛び出した。
追いかけるが、盗人たちの逃げ足と言ったら、悪役らしく速かった。このままでは追いつけない。ナユタは実力行使に出ることにした。
「『縛』!」
呪文の詠唱もなしに、右手を突き出しただけで魔方陣が展開され、魔術が発動した。薄い桃色に光る糸状の光が走って、前を走る三人に絡みつき、その身柄を束縛した。
「すっごーい! 詠唱破棄だ!」
併走していたフェリアが、ちょっと興奮している。
上履き盗難犯たちは、蜘蛛の糸にぐるぐる巻きにされたみたいになり、さながら不格好な芋虫といった風体だ。身体の自由を奪われて尚、逃げようと藻掻いている辺りが、それを助長している。
追いついたナユタは、そのうちの一人の上に馬乗りになって、問いただした。
「どうして上履きを盗む!」
「ち、違う! ぼくたちは、ぼくたちは、悪くない!」
その男子生徒は、つばきを飛ばして必死で藻掻いている。
「どういう意味だ」
「……ぼくたちは、ただ、命令されただけだ! あいつらに、おまえの上履きを盗めって」
「命令したのは誰だ!」
ナユタは追求したが、
「言えない、言えるわけない! 言ったら、次にターゲットになるのはぼくらだ」
と、その男子生徒は断固として答えないつもりらしかった。
イライラする。頭にくる。頭痛がする。
すると、脳裏でこんな声が響いた。
『殺セ、殺セ、滅セヨ』
奥深い闇からの呼び声だった。
頭痛が酷くなる。
「ううう!」
ナユタは左手で顔を覆い、右手を振り上げた。
振り上げた指の爪が、かぎ爪のように鋭く伸びた。黒光りする、まるで熊か狼のような鋭利な凶器だった。
「いくら替えがあるっていっても、お金はかかるんだ。養い主に、こんなバカバカしい負担をかけるわけにはいかないんだよねぇ」
男子生徒の首根っこに爪先を押し当てる。
「言いなよ。誰が命令したのかってさあ」
爪に圧力をかける。
薄い皮膚を破って、深紅の血液が流出を始める。三本の細い川が首を伝って、白い制服のブラウスの襟に赤い染みを作った。
「ひぃぃぃぃ!」
「ナユタくん……」
ふと、フェリアの手が、右肩にぽんと置かれて、ナユタは、はっとなった。
「これに、履き替えよ?」
見れば、フェリアがいつの間にやら回収した上履きを示した。
「……うん」
ナユタは爪を引っ込めた。
遠くに行きそうだった所を、フェリアに引き戻された気がした。
「爪、伸びるんだね。黒いの、ネイルしてるんだと思ってた」
「伸びるってのは、今知ったよ。いろいろあって、爪は黒くなっちゃった」
そんなお洒落さんじゃないよ、とナユタは笑って、男子生徒にまたがるのをやめて立ち上がり、スリッパからフェリアに手渡された上履きに履き替えた。
頭痛は治まっていた。
「先生に言わないの?」
「ユミルちゃん先生に? 大人に言ったら助けてくれる? 無駄だよ。大人はなんにもしてくれやしない。期待するだけ無駄だよ」
ナユタはわざと重ねて無駄だと言った。
大人がどれだけ役立たずなのかは、身をもって知っている。あれは信用ならない生き物だ。自分勝手で計算高く、自分の得になること以外しない。弱者を嘲り、すぐに他者を虐げる。
分別がなく、多様性を認めず、自分と違うものを排除しようとする傾向が強い子供もまた、大人とは別の意味で残酷だったが。
鬱ゾーンに入ったので、このあと「あらすじ」を書き換えます。