2 馬子にも衣装、ってのよ
「こんな感じかなぁ」
ナユタは大きな姿見の前で、学園の制服に袖を通して、その姿を確かめていた。
サイズを採寸して作られた、オーダーメイドだ。当然、それなりのお値段がする。制服といい、鞄といい、その他諸々の必要な物を一通り揃えるとなると、かなりの経費がかかる。
全てはユリシーズ家持ちなので、ナユタは知ったこっちゃないが。
「ええ、ええ、とても良くお似合いですよ、ぼっちゃん」
ナユタ専属の侍女であるナンシーが背後から襟と肩口の具合を直しながら、鏡越しに褒めてくれた。
ナンシーはユリシーズ家の最古参の侍女であるが、まだまだ元気で恰幅も良く、現役を務めている。
「次は、鞄を背負ってみましょうね」
「うん」
ナンシーの手を借りて、鞄を背負ってみる。
その恰好のまま、ぐるりとその場を一周した。
「まあ、まあ、お似合いで」
ナンシーがご機嫌ではやし立てる。世が世なら、孫の晴れ姿をスマホで写真を撮りまくる祖母の図が出来上がりそうなシーンだ。
「こういうの、なんて言うのか、あたし、知ってるわ」
スツールの上でだらしなく体勢を崩しているセラフィータが、出し抜けに言った。
「何?」
「馬子にも衣装、ってのよ」
「それはヒドイよ。まだ、怒ってるの?」
「ふんだ」
セラフィータの機嫌が悪いのは、元はと言えば昨夜まで時を遡る。
ナユタが学園に通う際、付き添えず、屋敷でひとり留守番していなくてはならないという事実を知らされたからだ。
「なんで、学校に行っちゃいけないの? あたしたち、ずっと一緒だったじゃない!」
「君を連れて登校するわけにはいかないんだよ。ただでさえ、僕は目立つのに、妖精なんか連れてたら、余計に悪目立ちするんだよ。それに、君は希少種だ。また、不埒な考えを持つ輩に拐かされる危険だってあるんだから」
「やだ、やだ、やだ! ナユタのバカ! おたんこなす!」
「セラフィってば……」
セラフィータは癇癪を起こし、ヒステリックになった上に、最後は完全に臍を曲げた。
一晩寝ても、機嫌は直らなかった。
そして、現在に至る。
「うん、いいね。ユーリにも見せに行ってくる!」
鏡の中の自分自身の姿に満足したナユタは、ユーリにも見せびらかしに行くことにした。
「さ、セラフィ。行こう」
ナユタはそう、促したが。
「やーよ。あたし、行かない」
セラフィータはむくれた顔でそっぽを向いた。
「ホントに行かないの?」
「行かない」
「じゃ、ひとりで行ってくる」
ナユタは反転すると、姿見の前から立ち去った。
もしかしたら、もう一押し、二押しするべきだったかも知れないが、しつこいのも示しがつかないので、やめておいた。それでセラフィータの考えが変わるとも思えなかったし。
女心と秋の空とはよく言ったものだ。
自室を出たナユタは、ユーリの姿を探して広い屋敷を彷徨った。ユーリのいそうな場所を当たったが、最終的にはバルコニーで発見した。
ユーリは煙草を吹かしていた。
重度のニコチン中毒で、ヘビースモーカーのユーリであるが、肺は真っ黒でも心根はそうでもない、とナユタは思っている。煙草呑みの中年のようなダサさはなく、むしろその姿はスタイリッシュでさえある。
煙草を吸う姿が、妙に様になるというか、絵になる不思議な未成年なのだ。
ユーリに煙草を教えた人物が、そうだったからかも知れない。いつか聞いてみようと思ったまま、まだ聞けていないことの一つだ。
「また、シーリカお姉さんに怒られるよ」
背後から声をかけると、おもむろにユーリが振り返った。
「なんだ、ナユタか。姉さんには告げ口しないでくれ。カスは侍女に片付けさせる」
身体ごとこちらを向いたユーリが、背を柵に預けて紫煙をくゆらせた。足下には煙草の吸い殻が既に散らばっている。
シーリカとは、出戻りの長女だ。幼い子供を三人も連れて。隙あらばユーリの喫煙をやめさせようと画策している、優しい野心家である。
「ま、いいけど。それより、どう? この制服」
ナユタは両裾を引っ張って、右脚のつま先で地面を叩いて見せた。
「ああ、よく似合っている。随分と馴染んで見えるな」
「珍しく、直球」
驚いたナユタは、思わずズレそうになった帽子の鍔を整え直した。
「褒めるのに回り道もないだろう」
「それもそっか」
ユーリに他人を焦らして楽しむ趣味はない。
納得したナユタはユーリの隣まで行って、バルコニーから見える庭の景色を眺めた。
庭師によって整えられたガーデンは、芸術的であり、計算された美の集大成のようなものだ。花が好きなセラフィータとよく散策するスポットでもある。
「僕さ、学校で上手くやっていけると思う?」
ナユタは漠然とした疑問を呟いた。悩みや不安といった感情とはまた違った、純粋な疑問だった。
「さて、どうかな。あくまで、おまえ次第なのでは」
ここで、大丈夫とか安易な慰めをしないのが、ユーリがユーリたる所以である。
「まぁ、おまえなりにやってみるといい」
「うん、そうだね」
ナユタはあれこれ未確定な未来のことを考えるのをやめて、目の前の景色に目を向け
た。ユリシーズ家の庭は今日も美しい。