1 学校に通ってみないか?
「学校に通ってみないか?」
白いレースのクロスが掛かった、長いテーブルの向かい合わせに座ったユーリがそう言ったのは、ディナーの始まりからいかほど経ったと頃だったろうか。
ナユタは出された豆腐ドリアを、匙にすくってハフハフしている所だった。隠し味にマヨネーズを使っている点がポイントらしい。
「何を今さら」
ナユタは年長者であり、後見人であるユーリに向かって、半ば鼻で笑うように返して、匙を口に運んだ。
「その方が、少しは協調性が育まれて良いかと思ってな」
ユーリは変わらず女性とも男性ともつかない容姿と、声色でそう呟くと、年代物のワインをあおった。歳は成人の入り口に立ったばかりの筈だが、昔からユーリは酒と煙草を嗜む。
「世間の荒波に、というか、同い年の子供の群れに揉まれてみてはどうか」
何をとち狂ったのか、そんな科白をユーリは続けた。
「ただのガキの群れに放り込まれるのはごめんだよ」
ナユタはスンとした態度で、顔の表情を変えずに食事を続けた。
「そーよ、そーよ。ユジュンだってそうだったじゃない。ナユタにとっては同じ年頃の子供は大抵がクソガキよ!」
テーブルの上で、身の丈もありそうな、取れたての果実にかぶり付いていた妖精のセ
ラフィータがユーリに向かって噛みついた。
ナユタは視線をセラフィータに移して、にこりと笑みを浮かべた。
「まぁ、何事も経験だ。失敗しても、経験値は上がる」
ユーリのグラスが空になったのを見計らった侍女が、背後から忍び寄り、慣れた所作で新たにワインを注いだ。
ユーリは右手で持ったグラスを、ゆらりゆらりと揺るがした。華やかな香りが、こちらまで届きそうだった。
「裏で手は回してある。後はおまえに了承させて、試験を受けさせるだけだ」
「元から僕に選択権なんてないんじゃない。なのに、試験なんて受けないといけないの」
「まぁ、形式上、だ」
「きったなぁい」
ブーイングをするセラフィータ口の周りは果汁でベタベタだ。ナユタはそれをナプキンの端で拭ってやりながら、またにこりと笑った。
「そうだなぁ……ちょっとだけ面白そうかな」
「通ってみる意思はあるか」
「誰かに何かを教わるってのが、新しくていいかなと思う。これまでは独学だったから」
ナユタがこれまでの人生で獲得してきた知恵と知識は、全て本から学んだことだった。誰かに師事したことはないので、その辺は幅が広がるかも知れないと踏んだのだ。
「学校ってどんな感じか、想像もつかないよ」
「学生生活は案外、楽しいかも知れないぞ」
「どうだかね」
その後も細々とした会話を交わして、食事を終えたユーリは席を立って、
「話はまとまったな。では、事を進めるぞ」
と、ナユタを見下ろして確認の目線を送ってきた。
「うん、まあ……」
ナユタは渋々承知した。
はっきりいって、あまり気乗りはしなかったが、ユーリの『何事も経験だ』という科白を信じた。
「送迎はしてやる。後はおまえのやる気次第だ」
そう言い残して、ユーリは食堂から退出して行った。
ナユタはデザートのソルベを口に含んで、飲み込んだ。ソルベは冷ややかに食道を滑って胃に落ちた。
後日、ナユタはユーリに連れられて、国内随一の名門校に連れて行かれた。
「へええ……ホントに、学校なんだ」
馬車の窓から覗く学園風景を目にして、ナユタは座席から腰を浮かせた。
門をくぐってから、随分と距離があったが、ようやっと正面玄関に横付けされた馬車から地に降りたナユタは、校舎を仰ぎ見た。
後から降りて来たユーリが、
「私も通った学園だ。設備は整っているし、風紀の乱れもない」
と、言ったかと思うと、到着を待ちかねていたらしい学園の職員の対応に移った。
「ユーリにとっては良くっても、僕にとってはどうだか分からないよ」
そのナユタの言葉も、届いたのかどうか。
待っていたのは学園長と理事長その他学園のトップだったらしく、揉み手に緩んだ表情で、ユーリにへりくだったいる。
「なーに、アレ。人間の大人ってホンッと汚いわね!」
定位置であるナユタの左肩に止まったセラフィータが、思いっきり吐き捨てた。彼女はためらいがない。こうしてナユタの本音も一緒に吐き出してくれる。
「まあ、人間なんてろくでもないもんだよ」
恐らく、ユリシーズ家の名と財力を持ってして、ナユタの編入をねじ込んだろうことは想像に難くない。
果たして、この度の為に、いくら積んだのだろうか。
理事長たちに先導されながら、校舎内を歩く。古いが堅牢であり、古風なデザインが却って雰囲気と味を醸し出している。廊下には塵一つなく、窓はどこも磨かれてピカピカだ。
ナユタが通されたのは、空き教室の一つだった。机がぽつねんとひと組置かれているだけで、他には何もない。
「ナユタくんにはここで、入試試験を受けて頂きます。なに、基本的な学力を測るための簡単なテストですよ」
ナユタは筆記試験を受けることとなった。
「時間になればお迎えに上がりますから、どうぞ、リラックスなさって」
「妖精さんは我々と一緒に。変な知恵を付けられては話になりませんので」
「まぁ、妖精にそんな賢明さなど持ち得ないでしょうが」
理事たちは口々に好きなことを言う。
失礼な侮辱を受けたセラフィータは、ナユタの肩口で飛び上がって怒った。
「なんですって!」
「セラフィータ……来い。ナユタの足を引っ張るな」
頭を抱えたユーリにそう請われて、何とか感情を収めたセラフィータは、
「ひとりでもがんばるのよ、ナユタ」
ナユタの肩を離れ、ゆらゆらとユーリの方へと飛んで行った。
「では、しっかり励むのだぞ」
ユーリがそう言い残して、一行は教室を出て行った。
椅子に腰掛けたナユタは、机に伏せられた問題用紙を表に返して、吐息した。
試験は基本的な五教科から成る。
よく見れば、目の前の黒板に、教科毎の試験時間の割り振りが書き記してある。
ナユタは試験に真っ向から立ち向かい、問いを次々に撃破して行った。
こんなレベル、ナユタにかかればお茶の子さいさい、時間に余裕を残して全教科を解き終えて暇を持て余した。
セラフィータがいないと何かと不便だ。こういう隙間時間を抱えた場合、特に。
問題用紙の裏に、構築中の魔術の術式を落書きしていると、引き戸が開いて、職員の女性が迎えに来た。
「あら、落書きなんて余裕ね」
ナユタの手元を無遠慮に覗き込んでくる。
「あ、これは……今、構築途中の術式で」
「教科書に載っていない術式を使えるの?」
「いや、あの、その……」
ここで年相応を越える智力を持つことを知られるのは得策ではないと判断し、ナユタは落書きをした問題用紙を丸めて半ズボンの後ろポケットに押し込んだ。
「解答用紙はこれです」
乱雑に女性に押しつけると、ナユタは教室を出た。
が、出て一歩進んでからすぐに立ち止まった。
どこに行けばいいのか、分からない。
途方に暮れていると、背後から出てきた女性に、
「理事長室はこちらですよ」
と声を掛けられ、後を着いていくことになった。
女性は二十代後半と見られ、縁なし眼鏡を掛けた、どこか緩い雰囲気のする感じだった。ファーストインプレッションは悪くはない。あと、これは個人の趣味趣向に寄るが、乳が無駄にでかい。
ナユタは乳のデカい、いい女が苦手だった。
理事長室に通されると、女性はそのままどこぞへ去り、ナユタは一人で中に入った。
ユーリと大人たちは優雅に紅茶を飲みながら、談笑していた。
「ああ、ナユタ。良いところに」
ナユタに気が付いたユーリが、背後を振り返って、紅茶の入ったカップをソーサーに戻した。
「何?」
人の苦労も知らないで、とあからさまにイラっとしたナユタは、不機嫌に返事をした。
「ナユタ~」
間、髪を入れず、ナユタに向かってセラフィータが飛んできた。
ナユタは彼女を受け止めると、
「セラフィ、良い子にしてた?」
優しく人差し指でその頭頂部を撫でてやった。
「寂しかったわ。美味しいお菓子は食べられたけれど」
机に目をやると、紅茶のお供にたくさんの色とりどりなスイーツが用意されてあった。
数人で摘まんだ形跡がある。
「ちょうど、おまえが魔術の心得があるという話題になってな。理事長たちに見せてやってくれないか」
「え~~」
ナユタは有り体に不満を態度に表したが、大人たちの勝手な話の流れで魔術を披露する羽目になってしまった。
比較的開けた場所だという、中庭に移動した。
「まぁ、とりあえず、これを的にして……」
と、へらへらした大人の一人が、丸太を置いた。
ナユタは一発で決めてやろうと、精神を集中し、両手を前に突き出した。
一瞬、時空が停止したかのような違和感が、周辺を包む。魔力を放出した影響である。
そして、ナユタが言葉を発せば、空気が細やかに振動し始めるのであった。
『汝、炎帝イフリートよ、彼方より来たる者よ、万物を司る始まりの命よ、ここに起源の炎を現し、全てを焼き尽くす力を示し給え』
ナユタの一言一言によって、魔方陣が宙空に現れ、次々と立体的に陣が構築されていく。辺りは暗くなり、空気は熱を帯びる。天地が鳴動する。
『我、ここに力を顕現させん!』
炎の嵐が巻き起こったかと思うと、もの凄い勢いで丸太は火の渦に巻き込まれ、天高く吹き上がって、真っ黒焦げに成り、塵と化して消えた。
轟音と、熱風凄まじく、見物人はその圧倒的な力に身動きが取れなかった。いや、動きようがなかったのだろう。強大な力の前では全てが無力。ただ、火の粉が降りかからないよう祈るばかりで、冷や汗だけが背を、うなじを、額を伝ったことだろう。
しばらく間があってから、
「いやあ……これは、これは……」
理事長が掠れた声で、乾いた拍手をした。だが、節がズレている。
「少しは加減をしろ。こちらまで焼けるかと思ったぞ」
ユーリまでが理不尽な抗議をしてくる。
「今のはオリジナルかな? 基本ではあんな無茶苦茶な攻撃魔術は教わらない筈ですが」
「僕の魔術は基本、オリジナルだよ。学校で、どんなものを習うのかは知らないけど」
すると、校舎の方から、
「大変ですぅ~~」
乳をばいんばいん揺らしながら、さっきの乳のデカい眼鏡女性が走り寄ってきた。
「テストの点数が、ヤバイんですぅ~」
「どうだったんです? 合格ラインに届きませんでしたか?」
ユーリが冷静を保って、そう聞いたが、
「違いますぅ、逆ですぅ。全教科、フルスコアだったんですぅ~~!」
一同に衝撃が走った。
無理もない、あんな高等魔術を見せられた後だ。
「こ、これは、将来有望な宮廷魔導師候補を迎えられたのかも、知れませんなぁ」
理事長がそう声を絞り出すのを、ナユタはどこか他人事のように聞いていた。
ともあれ、編入試験を無事突破したナユタは、晴れて学園の生徒となることになった。
ナユタ、十二歳の晩夏のことだった。
「乳のデカい、いい女」の元ネタは、シン・エヴァですw
二回観にいったわ。薄い本が欲しくてさ。
マリがシンジに言ってたのは、「胸のデカい、いい女」だったっけ……忘れた。