女神堕つ ②
青々としていた草原は跡形もなく消え失せ、そこにはただ焦土と化した地平線の彼方にポツンと城壁が崩れ去った首都クインベルが見えるだけである。
荒野に吹く風には砂の乾いた匂いだけがあるのみで、命の残滓がそこにあったことを虚しく伝えるだけであった。
騒然と騒ぐ天使軍と事態が飲み込めず硬直したままの防衛軍に見守られながらジュダスとフレデリカは無言で向かい合っていた。
「なあ、フレデリカ。お前、下はついてるのか?」
ジュダスの発言にフレデリカはビシリと固まる。
コートから手を離し、己の身体を確かめるようにヒタヒタと触れる。
掌は確かに筋肉質で骨張った感触を如実にフレデリカに伝えた。
「どうしよう、ジュダス……」
「流石に男をベースにして無性ってカンジか? まあ、それはそれでいいもんだが」
「……ある」
「ふーん、あるんだ……あるんだ!?」
ジュダスは更に目を丸くしてすっかり逞しくなってしまったフレデリカの肩を掴む。
「サイズは!? 形状は!? なあ、俺たちの仲だろ教えてくれよ! 俺が手取り足取り腰取り棒取り手入れの仕方から磨き方まで教えてやるからちょっと街に行かないか!? 俺は全然青姦とかバッチコイだが、初心者のお前には辛いだろ? ああ、勿論お前だけに恥ずかしい思いはさせない。俺の身体も余さずお前の気が済むまで観察していいぞ! さあ、イこう!」
「ひえええ……!?」
普段の気の強いフレデリカであったが、己の身体が男になってしまうという常軌を逸した現実を受け入れられなかった。
更に追い討ちをかけるように目をギラギラとさせたジュダスに女だった頃よりも貞操の危険を感じ、本能的に一歩後ずさる。
「おいおい、怖がることはないだろぉ? 俺はたった今、確信したんだ。『俺はお前を愛している』! 人間とか、女神とか関係ないね! どんなお前も愛おしいと心の底から思うぜ!!」
「ひえっ!? こ、来ないで!!」
ジュダスが距離を詰めようとしたその時、厳かな声が天から地へと降り注ぐ。
【平伏せよ】
荒野と化した全ての生命体に重力にも似た威圧感が襲いかかった。
ただの人間で構成される防衛軍はもとより、天使から悪魔のジュダス、果てには元女神のフレデリカすら膝を地につけて屈服のポーズを取る。
その場にいる全てが、たった今前触れもなく降臨した存在が『全能神』の化身であることを本能的に悟った。
誰一人呻き声をあげることすら叶わず、ただひたすら平伏して地面を眺めることしか許されていない。
【我は全能神の化身にして現し身たるペガコーンである。……して、フレデリカ。その有り様、我の期待を裏切るに値する】
全能神たるペガサスとユニコーンを掛け合わせたような、一角と翼を持つ神獣ペガコーンは苛立ったように蹄で地面を蹴る。
【男となったお前は処女神に在らず。あまつさえ身の程を弁えずに女神の権能を行使しようとしたその罪を自覚せよ】
「…………ッ!!」
僅かにフレデリカの肩が跳ね、地面を見つめる瞳がふるふると震える。
そのフレデリカの姿さえ煩わしいと言わんばかりにペガコーンは嘶く。
【本来なら女神の権能を剥奪し、存在の抹消とするべきだが……貴様にはその価値すらない。空いたポストには天使ミカを据える。天使軍よ、天界へと戻るがよい】
ペガコーンの赦しを与えられた天使軍はフレデリカを振り返ることもせず天界へも戻る。
【哀れな人間。天界はミカに任せ、ヒトとして天寿を全うするが良い】
高らかに蹄音を荒野に響かせ、翼を広げて天界へと消えていく。
威圧感が和らいで隣にいたジュダスが動き出しても、フレデリカは身動ぎ一つしない。
ポツポツと顔から滴が滴って、地面に黒い染みを作っていく。
「申し訳、ありませんでした……」
ポツリと呟いた謝罪の言葉にジュダスが哀れみの視線を向ける。
励ますようにポンと肩に手を置き、スラックスのポケットから白いハンカチをフレデリカに差し出した。
差し出されたハンカチをフレデリカは震える手で受け取る。
「あー……なんだ、その……悪かった」
「いえ、こちらこそ敵なのに気を遣わせてすみませんでした……」
フレデリカは目頭をハンカチで拭う。
敵同士だというのに謝り合うという異様な光景にお互い居心地の悪さを感じていたが、言葉にするのは憚られた。
「全能神もひでぇ奴だな。百年間頑張ってきた女神をあっさり捨てるかね、フツー」
「いえ、私が悪いんです……思えば、女神となってからの私は驕り高ぶっていました。私が破壊した城壁を、人間が積み上げてきたものを踏みにじったのですから、これは当然の報いです」
フレデリカの脳裏に女神となった過去が脳裏を掠める。
人間としての過去があるにも関わらず、目先の宿敵を討ち取ることに囚われて大事なものを見失っていた。
荒野と化した草原、破壊した城壁、それらが元の姿に戻るまでどれほどの年月を必要とするのかフレデリカは知っている。
「フレデリカ……その様子じゃ仲間に誘っても来てくれねえか」
「ええ、私は人を守ると誓いを立てた以上、魔神に与することはありません。……ですが、ジュダスさん。励まそうとしてくれたんですよね、ありがとうございます」
ふわりとフレデリカが微笑む。
その微笑は女神でなくなったとしても、誇りから来る微笑みは尚気高く、彼女の在り方を示していた。
さっとフレデリカから視線を逸らし、別れの挨拶も告げずに魔力の渦を開いて立ち去ろうとするジュダス。
その背中をフレデリカは呼び止める。
「ジュダスさん、このハンカチは洗って返しますね」
「……別にそこら辺の市場で買った安もんだし」
黒髪から覗く尖った耳がほんの少し赤く染まっていたような気がしたが、ジュダスの姿はすぐに魔力の渦の向こう側である魔界へと消えてしまった。
(次、いつ会えるかな……?)
それまでにハンカチを洗って、ジュダスが好みそうな菓子もつけて贈りたいとフレデリカが考えていると彼女改め彼に近づく人影があった。
そうッ! 存在を忘れられていた防衛軍の指揮官フリッツ・クインベルである!
「もし、そこの青年。今見聞きしたことについてお話を伺いたいのですが、よろしいですか?」
フリッツの震える体を見て、フレデリカはすぐに人間が置かれている状況を察知した。
全能神の言葉は悪魔のジュダスや天使、元女神であったフレデリカに聞き取れるものではあるが、人間にはあまりにも高次元過ぎる言語故に内容が分からないのだ。
だからこそ天使や化身が仲介として神の言葉を届ける伝令役となるのだが、今回は全能神の化身の中でも上位であるペガコーン。
元女神であったフレデリカですら瞬時に理解が追いつくような次元ではなかったのだから、人間が理解できるはずもない。
「はい、私が話せる範囲でという条件がつきますが」
「ご協力ありがとうございます。それでは、ひとまず首都に戻りましょうか」
フリッツは辺りに魔物がいないとはいえ、野外で事情聴取を開始することはなく、一時首都の被害状況を確認するために戻ることを提案した。
フレデリカも特に異論を口にすることなく、大人しく防衛軍の後ろに続いて首都への道を歩くのだった。
ジュダスくんとフレデリカちゃんくんが仲良しになっている、だと……!?
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