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 目を開けると知らない天井があった。辺りで少女達が起き出して、着替えている。頬をつねると、痛い。目が覚める様子はない。

「ミオちゃん、早く着替えないと!」

「そうだね……」

 起き上がり、美桜はメイド服に着替える。食堂で朝食をとり、少女達にはそれぞれお姉さんメイド達が着いた。

「良いですか、お姉さんの言う事をちゃんと聞いて仕事を覚えるんですよ」

 美桜とアンナは、茶色い髪を後ろできっちりお団子にしてネットに入れたお姉さんメイドが担当する事になった。

「私はレア。それじゃ、行くわよ」

 レアは、足早に二人を引き連れて廊下を歩く。やって来たのは、台所である。

「良い? メイドにはやる事が沢山あるの。でも、見習いである貴方達に、いきなり城の表の仕事は任せられない。だからまず、使用人達が使う物で仕事を覚えるのよ」

 台所の洗い場には、皿が山のように積まれている。

「この城には、沢山の使用人がいる。毎日使うお皿だけでも、けっこうな量になるわよ。さぁ、やるわよ」

 水の溜まった洗い場に手を突っ込み、三人で皿を洗い始める。美桜は、手近にあったお皿を手にとってタワシのような物でごしごし洗う。

「遅いわよ二人とも、そんなじゃ絶対終わらない」

 レアは凄い早さでじゃぶじゃぶ、皿を洗っていた。美桜も負けじと洗う。

「こら、二人とも! 早さは大事だけど、汚れや泡を残しちゃダメよ!」

 レアに怒られながら、二人は黙々と皿を洗った。二、三時間くらい経った頃、レアが手を止める。

「はい、休憩入れるわよ」

 彼女はテキパキと、台所でお茶を入れて棚にあったお菓子を皿に盛って出す。アンナはお菓子に飛びついて、すぐに食べる。

「美味しい!!」

「美味しいでしょ。城務めしたら、毎日甘いお菓子が食べれるのよ」

 レアもお菓子をもぐもぐ食べている。美桜も、焼菓子を手に取って食べた。マドレーヌのようだった。甘さと、紅茶の苦味が疲れに効く。三十分程休んだら、再び皿洗いに戻った。だんだんコツが掴めて、後半には結構な早さで洗えた。それでも終わらなかったので、後から来た人達が手伝ってくれた。

 夕飯を食べてベッドに横になって眠る。

「お菓子美味しかったね、明日は何が食べれるのかなぁ」

 アンナがむにゃむにゃ言いながら、すぐに眠る。美桜は、天井を見る。

(この夢、いつ覚めるんだろう……?)

 夢はいっこうに覚める気配は無かった。同時に、とても不吉な事を思い出していた。

(私の最後の記憶……私……刺されたんだ……誰かに……それで……倒れて……意識を失って……)

 美桜は身体を震わせる。それ以上考えるのを止めて、布団にくるまって目を閉じた。


 次の日も、一日皿洗いをした。その次の日も。一週間続けて皿洗いをやって、美桜も最早楽しみが毎日のおやつと二食の食事だけになっていた。

「さて、今週は家畜の世話をするわよ」

 レアの後について外に出る。獣臭のする大きな小屋に入ると、沢山の鶏達が鳴いている。

「まず卵を拾うわよ。潰さないようにね」

 床に落ちた卵を拾い、カゴに入れていく。後ろで、べちゃっと言う音がした。

「アンナー、割ったわね!」

「ごめんなさい!!」 

「まったく。それじゃ次は、ご飯をあげるわよ」

 レアは適当に床に餌をまいている。美桜もそれを見て、バケツに入った餌をまく。

「家畜には、馬や牛もいるんだけど……見習いのあんた達じゃ危ないから、そっちはパス。その代わり、庭の雑草抜きをするわよ」

 カゴと鎌を持って連れて来られたのは、雑草が生えている庭だった。

「ふぅ、さてやりましょうか」

 レアは座り、鎌で草を刈る。美桜もそれを見ながら、草を刈った。草を刈っていると、遠くの建物に兵士が立っているのが見えた。

「レアさん、あれ何やってるんですか?」

 レアはその方向を見た後に、すぐに視線を反らす。

「……口じゃなくて、手を動かしなさい」

「は、はい……」

 彼女はあからさまに、話題を反らした。一日中草を刈り、次の日も草を刈る。何日もそれを続け、美桜はさすがにやばいなぁと思い始めた。

(もしかして、この夢って覚めない感じ?)

 美桜はベッドの中で生唾を飲む。

(ていうか……私……死んだの?)

 胃がきゅっとして痛む。ずっと考えないようにしていたけれど、この状況はそうとしか思えなかった。美桜は死んで、次の命に生まれ変わった。そう考えれば辻褄があった。

(……なんで、中世ヨーロッパぽいところにいるのかは謎だけど……)

 頬をつねってみる。すると、やっぱり痛かった。

(なんか……頭痛がする……)

 美桜はベッドから抜け出して、暗い廊下を歩く。台所でお水をくんで飲んだ。

「……そうか、私、死んだんだ」

 月明かりで、水の張った樽に自分の顔が映る。それは、美桜の知らない顔だった。茶色い長い髪で、西洋風の顔立ちをしていた。

「……そっか……」

 美桜は台所を出て、トボトボと廊下を歩く。しかし、寝室に戻りたくない。美桜は、廊下を歩いて外に出た。庭に下りて、誰もいない庭を一人歩く。すると、だんだん悲しくなって来る。

(お父さん、お母さん、悲しんだろうな……私、親不孝者だな……)

 共働きで働く親をいずれ楽させてあげたいと思っていた。それなのに、美桜は両親よりも先に死んでしまった。

(ごめんなさい……お父さん、お母さん……)

「ぐすっ……」

 自然と涙が出て、泣いていると、遠くでカサッと草の鳴る音がした。

「!」 

 美桜は驚く。誰かいるのだろう。周囲を見渡すが、人の姿は見えない。

「……動物?」

 怖くなった美桜は涙を拭って、その場を立ち去ろうとした。踵を返して走り出そうとした瞬間、後ろから押し倒された。

「ぐえっ!」

 誰かが美桜の上に乗っている。叫ぼうと思ったら、口を塞がれた。

「使用人か」

 尋ねる言葉に、美桜は頷く。声の高さから言って、おそらく彼も子供だろう。

「立て」

 言われて、美桜は恐る恐る立ち上がる。

「おまえは、使用人居住区の中に詳しいか?」

 美桜は首を横に振る。

「ちっ、新人だったか」

 彼は舌打ちをする。

「まぁ、良い。それでも少しはわかるだろ。俺はこの建物に用がある。案内しろ」

 男の子に口を塞がれたまま、美桜は後ろから押される。仕方なく、美桜は歩いて建物の中に入る。黒い廊下を歩く。

「使用人が寝起きする部屋に連れて行け。おそらく個室だろう」

 美桜は首を傾げながら、必死に建物の構造を思い出して歩いた。仕事部屋を通り過ぎ、使用人達が寝起きする部屋のある場所にやって来る。個室部屋となると、地位の高い人ばかりになるので、数は限られる。少年は鍵穴を一つ一つ覗いて中を見た。

「ここじゃないな。他に部屋は無いのか」

 美桜は首を横に振る。

「……クソ」

 少年がいらだたしげに言う。美桜は少年の手を指先で軽く叩く。

「なんだ、手をどかせって言ってるのか」

 美桜は頷く。

「叫ぶなよ」

 美桜は頷いた。少年の手がどく。

「人を探してるんですか?」

「そうだ」

「使用人ですか?」

「ちがう」

「……では、貴族ですか?」

「そうだ」

 美桜は以前、兵士の立っていた建物を思い出す。

「一つ、心当たりがあります」

「本当か?」

 美桜は頷く。

「連れて行け」

 美桜はゆっくりと廊下を歩き、外に出る。雑草狩りをしている庭を横切り、遠くにある建物に向かって歩いた。

「おい、おまえ、まさか、あそこだって言うのか」

 少年が怒気を含んだ声で言う。

「……はい。あそこに、兵士が立っています」

 美桜は、兵士に見えないように草むらに身を隠す。

「……倉庫なんかに入れやがって……」

 少年が後ろで憎々しげに呟く。

「中に入るには、あの兵士をどうにかしないと……」

 兵が扉の前から動く様子は無い。

「……貴方、どうしてもあの中に入りたいんですよね?」

 美桜は後ろの少年に尋ねる。

「あぁ、僕はその為にここに来たんだ」

 少年の決意は固い。

「なら、私が囮になります」

「なっ!?」

「貴方は建物の近くの茂みに隠れていてください。私は、少し離れた草の山に火を放ちます」

「火事になるじゃないか」

「火事にならないように、工夫します。でも火の手が上がれば、兵士が驚いて近づいて来るはずです」

「まぁな」

「その間に、建物の中に入って目的を遂げてください。なるべく長い時間を稼ぎます」

「……何故、そこまでの行動をとる。見つかれば、おまえは罰を受けるぞ」

「……貴方が強い目的があって、ココにいる事を感じました。だから、協力したいと思ったんです」

 おそらく少年は、親しい誰かに無理を押して会いに来たのだろう。

「……名前はなんと言う」

「メイド見習いの美桜です」

「そうか……わかった」

 少年が立ち上がる。

「頼んだぞ」

「はい」

 少年がこっそり、建物の側の茂みに移動する。一方の美桜は、草むらに行って少し細工を施す。その後、一度建物に戻って火を点けたろうそくを手に戻って来る。遠くの兵を確認した後に、草の山に火を点けた。火がみるみる大きくなる。すると、異変に気づいたのか兵士が走って来る。後ろで、闇にまぎれて少年が建物の中に入ったのが見えた。

「おい! なにやってるんだ!!」

「探し物してたら……火がうつっちゃって……」

「良いから、水を持って来い!! 火事になるぞ!!」

 兵士が慌てて、水をくみに行く。美桜はこそっと別の草の山にも火を点けて、その場を立ち去った。大いに燃えた枯れ草は、鎮火するのに一五分以上、かかったと思う。

「この事は、明日メイド長に言っておくからな!!」

「はい……」

 げんこつを一発貰って、美桜はとぼとぼ建物に戻った。少年が建物を出たのは、ちゃんと確認済みだった。

 

 次の日、メイド長に朝から呼び出されお説教を受けた。

「火事を起こすなんて信じられません! さぁ、罰を受けて貰いますよ!」

 彼女は細い棒で美桜の後ろの脛を何度も叩く。

「っ」

 それはかなり痛いお仕置きだった。

 半日の謹慎の後に、昼過ぎから仕事に戻る。

「全く、あんた何を考えてるの。夜に探し物なんて」

「はい……」

「探し物は見つかったの?」

「いえ……でも、もう良いんです」

 探し物は、ただのでまかせだった。 


 草刈り仕事が終わると、洗濯仕事をさせられた。それが終わると、縫い物。それが終わると掃除。それが終わると、料理の下ごしらえ。次々仕事が言い渡されて、美桜は仕事を覚えて行った。日々は矢のごとく過ぎていく。その間、美桜の頭の中には度々、あの少年の事が思い出された。

(彼は……誰に会いに行ったのかしら……)

 例の建物前に居た兵士は、ボヤ騒動の二日後にはいなくなっていた。後から建物中を見たが、倉庫の中はほこりっぽく、とても人のいて良い空間では無かった。

 半年が過ぎ、見習い達にメイドキャップが贈られた。全員、一応メイドになったわけである。

「さぁ、今日から城の中の仕事に本格的に関わるわよ! 失敗は許されない仕事ですからね!」

 メイド長が吠えた後、少女達に各自仕事が割り振られた。お姉さん達に着いて行って、仕事を教えて貰う。

「さぁ、掃除をするわよ! 手早く丁寧に! 絶対に壊しちゃだめよ!!」

 レアの指示を聞きながら、ホコリを落とし、家具を丁寧に拭き、床を掃く。アンナが棚の上の不安定なツボを落としそうになって、ヒヤッとした。

 一年後、美桜は城の中の掃除、洗濯、料理、裁縫を一通り覚えた。すると、その中で特に得意な部署に割り振られる事になった。美桜の場合は、裁縫だった。

 美桜は朝起きると、朝食をとり、仕事場に向かう。縫い物長のメイドに仕事の指示を貰い、仕事をする。ボタンを付けたり、破れた服を縫い付ける。時に型紙から服を一から作る事もあった。なかなか難しい仕事だが、美桜は楽しくその仕事をこなしていた。月日が経つ内に、城の事を把握するようになった。ここは国の中心にある大きな城だった。国の名前はカラタユート国と言った。国王と妃がいる。そして、幼い王子がいるのだと知った。彼の名はカミロ=クロトフと言った。それは、美桜の大好きなゲーム『ケムプフェンエーレ』の主人公の名前だった。

「面白い、偶然もあるものよね……」

 この世界を現実と受け入れて三年の月日が経った。同じような日々を繰り返していた美桜はメイド長に呼び出される。

「貴方は裁縫の担当でしたね」

 美桜は頷く。

「素晴らしい腕を持っていると聞きました」

「恐縮です……」

「しかし……心苦しいのですが、貴方には仕事を移動して貰います」

「え」

 美桜は驚く。仕事の移動は、何かやらかした時に行われる。

「わ、私。何かしてしまいましたか……?」

 三年前の、脱走事件以外、事件は起こしていないつもりである。

「いえ、貴方に問題はありません。そうではなく、王子の問題なのです」

「王子……」

 ここは国の城で、当然のように王子がいる。

「第二王子のシメオン=クロトフ様が、貴方を指名したのです」

 美桜は目見開く。

「驚いていますね。えぇ、シメオン様は妾の子で、長い間、王子として扱われる事はありませんでした。しかし、数ヶ月前ついに王の口から認知が成されたのです」

 美桜は動揺を悟られないように聞く。

「何故、私を?」

「……さぁ、わからないわ。とにかく、明日から貴方にはシメオン様付きのメイドになって貰います」

「わ、わかりました」

「とても気難しい方です。お怒りに触れないように、気を張ってお世話をしなさい」

「はい」

 美桜は強く頷いた。

 メイド長の部屋を出た後、美桜は走り出したい気持ちを我慢して、足早に廊下を歩く。

(シメオン=クロトフ! シメオン=クロトフ! 第二王子のシメオン=クロトフ様!!)

 倉庫に入って、扉を閉じて天井を見上げる。

(こんな事ってある!?)

 美桜は口を覆う。

(ここ、『ケムプフェンエーレ』の世界なんだ!!)

 興奮のままに大きく息を吸って吐く。

(それとも私はまだ、夢を見ているの? いや、夢でも良い、夢でも……シメオン様に会えるんなら!!)

 美桜は思わずガッツポーズをした。


 扉の前で自然と上がって来る口角を指先で押さえて、部屋の扉をノックする。返事が無い。もう一度、ノックする。

「誰だ」

「新しくシメオン様のお世話を担当にする事になった、メイドでございます」

 しばらくの沈黙。

「入れ」

 美桜は扉を開けて中に入る。彼は椅子に座って、分厚い本を読んでいた。視線を、美桜に向ける。しばらくじっと見る。美桜もその顔を真っ直ぐ見つめ返す。そこには美少年が居た。

(凄い、凄い、立体的だ……!)

 2Dグラフィックで表現された美麗な顔グラと負けず劣らず、美しい顔がそこにあった。白銀の髪を紫のリボンで束ね、切れ長の目は紫水晶のような綺麗で冷たい目をしている。そして陶磁器のように滑らかな白い肌。全体的に紫と銀でデザインされた、貴族服。美桜はひと目見ただけで、頭がクラクラした。あと数年すれば、グラフィック通りの美しい大人の姿になるだろう。

「こちらへ来い」

「はい」

 彼に近づく。

「ふっ、追い出されはしなかったようだな」

 彼は笑みを浮かべる。美桜はきょとんとした顔をしてしまう。

「なんだ、気づいていないのか。三年前、おまえが火事を起こした夜の話だ」

 美桜ははっとする。

「あ、あ、あ、あの少年はシメオン様だったんですか!!」

「そうだ」

 彼が頷く。

「あの時、おまえには助けられた」

「そ、そんな! 滅相もないです!!」

 美桜はペコペコと頭を下げる。

「おまえは、私に忠誠が誓えるか」

 唐突に聞かれた言葉に美桜は驚く。ゲーム中のシメオンは、けして他人を信用しない人だった。彼は鋭い目で美桜を見ている。

「……ち、誓います」

 美桜は頷く。

「では、ひざまづけ」

 言われたように、ひざまづく。

「靴の先にキスをしろ」

 美桜はきょとんとした顔をしてしまう。

「出来ないのか?」

 美しい顔で少年が睨む。

「い、いえ!」

 美桜は彼の靴にキスをする。

「顔をあげろ」

 顔をあげると、彼に髪を撫でられた。

「良いか、私をけして裏切るなよ。裏切れば相応の報いを受ける。……尽くせばその分、褒美をはずもう」

 彼は口角を上げて笑った。それは明確な主従関係の宣言だった。

「は、はい!」 

 美桜はあの夜の少年と、ほんの少し友情のような物を感じていたのだが、彼の方はそんな事は微塵も無かったようだ。 

(でも、これはチャンスよね……彼が私を信用すれば、私はシメオン様の側にいられる。そうすれば、死亡フラグが折れるかもしれない……!)

「おまえは、私の命令を全て聞けるか」

「はい」

 美桜は頷く。

「なら、その言葉が本当か試す。この窓から下りて、庭のバラを一輪詰んで、また窓から戻って来い」

 美桜は目をぱちくりした。見下ろした窓の下は地面がとても遠い。およそ三階くらいの高さである。美桜は生唾を飲む。

「出来ないか?」

 シメオンは笑う。

「いえ、やります!」

 美桜は窓から下を見下ろして、壁をよく見る。石の積まれた壁は、手や足をかける事ができそうだ。途中途中に休める、大きめの段差もある。

 覚悟を決めて窓に足をかける。深呼吸して、下におりる。足場を確認しながら、積まれた石に手をかけて、ゆっくり下におりる。

(けっこう、力がいる……)

 細心の注意を払っておりる。とはいえ、時間をかけすぎると、体力が無くなりそうだ。自分の体力と相談しながら、焦らず下りていく。大きめの段差で、息を整え、体力を回復させる。

「ふぅ……」

 上を見れば、遠くの窓からシメオンがこちらを見ている。彼の瞳を見返すと、やる気がわいて来る。再び、ゆっくりと下におりた。

(落ち着いて、落ち着いて……)

 最後まで焦らず足場を選んで下におりる。

「よしっ」

 芝生に降り立ち、ガッツポーズする。上を見ると、彼は見ていなかった。疲労した手足をぐっぱぐっぱと動かし、辺りを伺う。人の気配は無い。近くの花壇に、黒いバラが咲いている。美桜はその大輪の花を手で折る。

「いたっ」

 大きい棘が刺さる。指先から血が垂れる。

「むぅ」

 指を舐める。棘を外して、バラをくわえる。再び、壁に手をかけて登り始める。下りるのより体力を使う。ゆっくりと足場を選んで進んだ。

「はぁ、はぁ……」

 大きい段差で荒く息をつく。まだ半分ある。

(けっこうやばいかも……)

 手が痺れてきた。少し気を抜けば、落ちてしまうだろう。長めの休憩をとって、再び上り始める。

「はぁ、はぁ……」

 指先が震える。美桜は窓を睨みつけて、必死で上った。

 窓枠に手をかけて、最後の力を振り絞って身体をあげる。部屋の中に入って、震える手でバラを口から取る。一人分の拍手の音が部屋に響く。顔を上げると、シメオンが笑みを浮かべている。

「素晴らしい」

 美桜はエプロンでバラの茎を拭って、跪いて彼にバラを差し出す。彼が黒バラを受け取る。

「確かに君の忠誠は受け取った」

 彼は笑みを深くした。

 その言葉に美桜はほっとした。

「精一杯仕えさせていただきます」

(これで、彼の生存ルートが開けるかもしれない……!)

 美桜の胸には希望が広がっていた。


 その夜、ベッドに横たわった美桜は天井を睨んでいた。『ケムプフェンエーレ』の世界だと気づいた美桜は、頭の中でゲームの内容を思い出す。

(シメオン様を生存ルートに導くには、何がなんでも私も一緒に戦場に行かなければいけない。けど、ただのメイドでは、それは無理……戦える兵士にならないと……でも、どうやって兵士になれば良いの? そもそもせっかくシメオン様のメイドになれたのに……兵士に志願するのも変だし……)

 美桜はうんうん唸る。

(だいたい私がそんな戦況を変える程、強くなれるかわからないしな……)

 美桜は眉を寄せる。

(でも……もしも、この世界が『ケムプフェンエーレ』の世界なら私にも『特性』があるはずなのよね)

 『ケムプフェンエーレ』はタワーディフェンスゲームなのだが、兵士毎に一つ『特性』と言うのが振られていた。同じ剣士でも『特性』が違えば、その兵士の強さや使い勝手も随分変わった。美桜は数年この世界で暮らす中で自分の特異性に一つ気づいていた。

(私……この世界に来て異様に飲み込みが早いのよね)

 メイド見習いとして家事を覚えた時、他の見習いの子より習熟が早かった。最初それは、生前の記憶があるせいかと思っていた。けれど、裁縫を覚え始めてからその特異性は顕著になった。指導する先輩達にも驚かれたのが、美桜はおよそ普通の人の十分の一の時間で技能を修得した。そんな特異性、生前も持っていなかった。

(もしかしたら、私の特性は『学習技能』なのかもしれない)

 『学習技能』という特性はゲーム中でも最高レアの特性だった。その特性を持った兵士は、なんと普通の兵士より早く技能を覚え、なおかつ自分のジョブ以外の技を覚える事が出来るのだ。つまり、万能のコマとなる。序盤に『学習技能』持ちのキャラがいるかどうかで、後半の攻略難易度が大きく変わる程だった。

(私が『学習技能』を持っていると考えれば、納得出来る事が多い)

 この世界に来た美桜は、何かを学ぶ時、驚く程頭の回転が早かった。数回動作を見れば、同じ事が出来た。更に繰り返す度に精度が増した。

「そっか、私が異様に裁縫仕事を覚えるのが早かったのはこのせいなんだ!! うん、これなら勝てる……!」

 美桜はガッツポーズをとる。

「あ……でも、どうやって兵士になろう……」

 その問題が美桜には残っていた。



つづく


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