ウチキちゃん8
あっさりと見合いは流れる。
書いた手紙はこっそりと置いておくつもりだったが、家の人と鉢合わせてしまい、渡すことにする。読んだ様子から、絶対に許さないという意思を感じながら、考えておく、と部屋に戻れと命じられた。
翌日の夜には、それがあっさりと覆る。あたかも、自分たちも薄々疑っていたのだというように。
わかってもらってよかったという安心感と釈然としないおもいを抱えながらしばらく過ごす。
忘れかけてきたある日、家の前に見慣れない車が止まっていた。車の価値がわからないサトリでも名前がわかり、高いんだろうなと思うほどの高級車であった。降りてきた人物は見覚えがあった。
「やっと会えた」とつぶやくのは、見合いのあの人だった。
その名を記憶の中から引きずり出して呟く。
嫌な思考を読み、家に逃げ込もうとしたが、手を捕まれる。
「離して」という前に、
「覚えていてくれたんだろう」
名前を呼んでしまったのは失言のようだった。「なのに、断ったのはなんで…」少し考える素振りをし、「わかった、誰かに反対されたんだな」
と見当違いのことを言い始める。そして、
「誰だ、名前を言いなさい」
と詰め寄る。
こわばったように、言葉が出ない。
「口止めされているのか、言いなさい」
ぐっと肩を掴まれる。その手から逃れようとしながら、そんな人いない、と口を開こうとするが、絶え間なく詰問を続ける。言えと言うのに、と思いながら、サトリは気が付く。ああ、元々この人は自分の話を聞くつもりがないのだと。大きく強い意思にかき消されそうで何とか紡ぎ出せた、助けての、”た”の言葉を発した時、詰め寄っていた男が突然大きく悲鳴を上げて身をすくめ頭を押さえる。そして、後方に意識を向け、手が離れた隙に、逃げ出そうとするが、「待て」と腕を捕まれそうになる。その手も大きく逸れて、サトリの手を掴むことができず、サトリは逃げ出すことに成功した。
逃げ出した方ではバタバタという音と、「おー!」とか「わー!」とか大きな声と、色んな攻撃的だったり暴力的な思考が入り混じって訳がわからなくなっていると、「こっちへ!」という大きな声が聞こえ、導かれるように建物の陰の方に向かう。「よかった」とか「間に合った」というような大きな安堵の言葉に包まれる。
聞き覚えのない声に顔を見ると、紙飛行機の…確か…。
「とおみみさん。」
そのサトリの言葉に、「確かにそうなんだけど、その呼び名になるかぁ、まあいっかぁ」という困ったような声が聞こえる。
「ごめんなさい」
というサトリの言葉に苦笑しつつ、
「いいよいいよ、ウチキちゃん」と手を振る。内気な子だかららしい。ほんとだ! すごいよく知ってる! とサトリは思う。
「何か不調はある?」
と問われる。何かされなかったかというのもあるらしいが、どうやら、能力の共鳴というのが気になっているらしい。どうやら、同じように感じ取ってしまう可能性があるらしく、音がものすごく溢れたりとか、気分が悪くなったりとかが稀に起こるらしい。が、トオミミさんの言うような変な感じは特にない。元々制御できてないからかもしれない。
「普通です……」
とそう伝える。トオミミさんの音しかしないと。
トオミミさんはその言葉に心の底から安心したように「そっか」とつぶやき「よかった」と微笑む。
「なぜここに…」と聞くと
「君が助けを呼んでたから」と言う。当たり前のことのようだった。「俺には聞こえる」と。
「色んな音が聞こえる、たとえば通りのパトカーの音とか」
確かに微かに聞こえた。「パトカーの車内の会話とか、犯人がつぶやいてるひとりごととかね」
と。さとりは、
「すごい…」と目を輝かせる。今も実は若干、声のボリュームに自信がない。普通ならば、2,3回は聞き返されて諦められてるところだろう。すごく耳良い人なんだー と尊敬の眼差しで見てしまう。
トオミミさんはその反応は予想外だったと驚いて目を見張る。
つまり、トオミミさんが恩人さんなのだから、
「神さまだったのですねー」と。
あれ、また不思議な流れになってきたぞ、と言われる。
「だって、私を何度も助けてくれました-」
と言う。スマートフォンの時とか、紙飛行機の時とか、今も、と。
そう言うと、そんな大層なものじゃないんだけどなぁと少し困ったように、でも、照れくさそうに
「とりあえず、神ではないかなー」と言う。助けられなかったことも、たくさんあったと、今までごめんと言う。お母さんが死んじゃって、そのあとこんな家にくることになってしまって…… それから、やなことを思い出させてごめんと言いながら
「あの時は本当に心配した」と言う。「声が聞こえなくて」と。「見ることはできないからさー」「あの時実感したよね、音だけの情報の限界をさー」と。「だから、小さくて良いから声を聞かせてほしい」と言う。
あの手紙の文を思い出す。そっか、そういうことだったんだと。
「大きくなくていいの?」
と聞くと
「俺にはちょうどいいんだよ」と笑う。
大きい声には散々聞き飽きてると。
さとりはふと思う。
「私、いっぱい助けてもらってるのに、自分はぜんぜん返せていない」とつぶやく。すると、さとりの頭をぽんぽんと撫でて、いっぱいもらってると心の中でいいながら、
「別に、相手が能力あるから、ないからで心配したりしなかったりするわけじゃないでしょ」という。
そういうものなのかなぁと思いながら顔を見上げると、トオミミさんは少し首をかしげて、
「でも、返したいと思うなら」
さとりが読み取り「うん」と頷く。
ぎゅっとされながら、たくさんの暖かい思いを感じていた。