epilogue
今日も僕は30分早めに授業を切り上げると、講義室を出た。そのまま教授室へ向かう。
部屋には黄さんが居た。
「先生、最近良いことでもあったのですか?」
そう聞いたのは、僕の顔が晴れやかだったからだろう。やはり彼女は鋭い。
「そうだね……ようやく、子離れできそうなんだ」
彼女が淹れてくれたコーヒーを味わいながら、僕は軽い調子で答えた。黄さんは「そうですか」と言って一重の目を優しく細めると、それきり何も聞いてこなかった。
……あの後、僕は思いきって堀水さんに下の名前を聞いてみた。すると、彼女は呆気にとられたような顔をしてこう言った。
『何をおっしゃっているのですか? 何村さん。いつも呼んでいたじゃないですか』
『え?』
聞けば、なんと名は御衣子というらしかった。堀水御衣子。それが彼女の本名だった。
僕が「巫女さん」と呼んでいるのを聞いて、名前で呼ばれていると思っていたらしい。確かに、本来僕くらいの年齢なら、彼女くらいの歳の子を下の名前で呼んでも違和感はないかもしれないが……。彼女はてっきり、お父上である宮司さんが僕に教えたのだと思っていたそうだ。
彼女もまた、「みいこ」だった。
奇妙な符合に、しかし、僕は心を奪われたりはしなかった。数日前の僕なら危なかっただろうけど、今の僕は、もう大丈夫だった。娘は帰ってこない。美衣子と堀水さんは、別人だ。
「それと先生。さっき、おかしなことを言ってきた学生がいたのですが――」
「へえ。聞かせてくれるかい」
今日の晩ご飯も、コンビニだ。僕が自動ドアをくぐると、いつもの低い声が迎えてくれた。
「いらっしゃいませー」
僕はのり弁当と、少しだけ考えてサラダも手に取り、レジへ持っていった。
「こんばんは、御衣子さん。ちょっと不思議な話があるんですが――」
僕は勇気を出して、彼女のことをファースト・ネームで呼ぶことにしていた。だけど、美衣子と同じ響きだからって、混同しているつもりは一切ない。あれ以来、御衣子さんが美衣子と重なることは一度もなかった。
「――見込みがあるわね」
伊達眼鏡の奥で、御衣子さんの目がキランと光ったような気がした。僕はこぶしをぎゅっと握りしめる。訳もなく、気持ちが高ぶっていた。
人知れず抱いていた想いが、みんなに知られてしまった。じゃあ、その恋は終わってしまうのか?
いや、違う。そこからだって――むしろそこから、ドラマは生まれていくのだ。
これは僕と御衣子さんの出会いのお話。
物語は、始まったばかりだ。
「黄銅貨5枚の謎」 了
この小説を全てのオジサンスキーに捧げます。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。




