part.2
数ヶ月前、初めて巫女さんを見た時の衝撃は今も鮮明に覚えている。それまで抱いていた絶望的な気持ちが、一息に希望へと変わったのだから。そのシーンを語るにあたり、まずはその前夜の晩御飯に触れなければならない。
と言っても、だだのコンビニ弁当だけど。一人暮らしのくせに自炊もまともにできない僕の生命線は、大学の近くにあるコンビニだと言っても過言ではなかった。今や僕の身体は、ほとんどがそのコンビニの食品類で構成されているとすら思う。
だからその夜も、僕は毎日そうするようにコンビニに足を向けた。
「いらっしゃいませー」
夜になると現れるバイトの女の子の、どこか舌足らずな低い声が僕を迎えてくれた。
その子は分厚い眼鏡をかけて、いつも俯きがちにしている。名札には「堀水」とあった。俯いているせいもあるけど、なにぶん影が薄いので顔は良く覚えていない。
僕は適当に弁当を選ぶと、レジへと持っていった。温めてもらう間に、彼女からお釣りを受け取る。ちょうど五円玉1枚だけだった。
何気なく裏面を確認して、僕はその黄銅貨を取り落としてしまった。チャリン。カウンターの方へ転がって、見えなくなる。
「失礼しました」
女の子はやっぱり低い声でそう言うと、レジから新しい五円玉を取り出そうとした。この時、新しい五円玉をそのまま受け取っていれば、翌日に僕が平坂神社を訪れることもなかっただろう。
「いや……今のやつを、ください」
だけど僕は思わず声を発していた。小さく、掠れた声だった。バイトの子は僕をちらっと伺ってから、しゃがみこんで、それからさっきの五円玉を渡してくれた。
その後の僕は、しばらくぼうっとしていた。どうしてこんな所に、これが。しかも……ああ、なんて巡り合わせだ。なんという運命のいたずら。心臓がバクバクと暴れ、肺が締め付けられるような感じがした。
美衣子……。彼女の制服姿、彼女の遺書が脳裏に浮かんだ。海馬に焼けつけられた、おそらく一生消えることはないであろう、その文字。
ああ。まだ僕を、許してはくれないのか。
そこからは全てが夢の様だった。電子レンジがピーと鳴る音や、バイトの子の「ありがとうございましたー」という低い声が聞こえたような気がした。気付けば自分の部屋に戻って、放心していた。ジーパンのポケットの中、僕は汗ばんだ手で、五円玉の存在を強く意識していた。
5年前、波戸美衣子の死に直面して以来、僕はちょっとした後遺症のようなものを抱えるようになっていた。僕の場合はPTSD――心的外傷後ストレス障害――ではないだろうけど、それに近いものだったと思う。
PTSDとは、命を脅かされるような危険な目に遭った人が、時間が経ってもその経験に強い恐怖を抱き続ける状態のことだ。虐待を受けた女性や、戦争から帰還した兵士など、数多くの報告がなされている。
症状は多岐に渡るが、例を挙げるとすれば、止まない不安、過剰な興奮状態、そして、引き金によって起こるフラッシュバック。トリガーは様々で、火事から生き延びた人は炎、津波に襲われた人々は津波の映像、などだ。
僕の場合、トリガーはある数字だった。「25」。この並びを見ると、僕は動悸が速くなり、汗は噴き出し、視野が急激に狭くなった……最初は過呼吸で倒れることさえあった。もともと虚弱な体質なのだ。
『疲れたの』『今までありがとう』『ごめんなさい』『私のことは忘れて幸せになってね』……。可愛らしい柄の便箋に、中学生の女子らしい丸文字で綴られた遺書の末尾には、「H25.2.5」の文字があった。くしゃくしゃになった紙のその部分を、僕は放心したまま見詰めていた。僕は「25」という数字の並びが苦手になった。
自分でも冗談のような話だと思うが、その数字を見ると本当に苦しくなった。美衣子が死んだ悲しみ、何もしてあげられなかった悔しさに、押し潰されそうになった。
まだ中学3年生だった。翌年度からは、高校に通えるはずだった。
『お嫁さんになってあげる!』
そう言ってくれたのは幼稚園の頃だったか。君は忘れたふりをしていたけど、小学生に上がってから僕がそのことを言うと、君は怒ってしばらく口を聞いてくれなかった。
『トッちゃん、最近冷たいよね』
誠っちゃんが縮んで、トッちゃん。その独特な呼び名が、中学に入る頃には少し気恥ずかしくなった。だけど、あと3年しかないって分かっていたら、もっとそう呼んでもらっただろう。
『好きだよ、トッちゃん』
吐く息が白かった。彼女が死ぬ、少し前。僕は美衣子の華奢な肩に、おずおずと腕を回すことしかできなかったけど、もっと言えば良かった。僕も、君のことが大好きだったんだ。
……最近はかなり注意して、もう発作も起きなくなっていたけど、コンビニでの出来事はあまりにも突然だった。五円玉の製造年がまさにあの平成25年だったのだ。不意打ちのようにそれを見てしまった僕は、再び生々しくあの瞬間を思い出してしまった。
「25」という数字の並びを見てしまった時、それへの対処として、僕はある行動を取ることにしていた。まず、過呼吸にならないようにゆっくり息を吐く。息を吐けば、ちゃんと吸うことができる。
次に、その日の日付を唱える。『今日は、平成30年3月16日……』。もう「25年」ではないことを自分に言い聞かせる。これらは、PTSDへの対処法をそのまま自分に当てはめたものだった。
最後に、「25」を消してしまう。僕は「折り合いをつける」と表現していた。今回なら、五円玉を手放せば良い。
しかし、さすがに悩んだ。天秤にかけられるようになっていたあたり、僕の心の傷もかなり癒えていたのかもしれない。
コンビニの募金箱に入れるのは楽そうだったけど、もっとちゃんとしたところに納めたいという気持ちもあった。悩んだ末に、神社を選んだ。硬貨を手放すなら、お賽銭として納めるのが適当に思えたのだ。
こうして翌日、僕が訪れたのが平坂神社だった。そこで僕は初めて巫女さんと出会うことになるのだが……その時の衝撃は、今も鮮明に思い出せる。神社を訪れた目的を一瞬忘れそうになったくらいだ。その可憐な姿は、まさに僕が取り戻したかったものだった。
その時、僕は本当に、美衣子がそこに居ると感じたのだ。5年の時を経て、大人になった美衣子が、そこに。
思わず声をかけそうになって、ぐっと堪える。いつの間にか、ポケットの中の五円玉を握りしめていた。平成25年の五円玉を。
すると、巫女さんがこちらに気付いた。目だけでこちらに気付いた後、ちゃんと身体ごと僕に向き直り、そしてお辞儀をした。なぜか彼女は微笑んでいるようにも見えた。
『どうかなさいましたか』
近付いてきた巫女さんが言った。よくよく見れば、顔は美衣子に似ている訳ではない。なのに、ああ、なぜだろう。近付けば近付くほど、美衣子を前にしているような懐かしさと緊張感があった。
僕は意を決して、巫女さんに話しかけた。初対面の女性に声をかけるなんて、普段の僕には考えられない大胆な行動だった。それほど、この縁を逃してはいけないと思った。僕はポケットの中で、握りしめていた五円玉をそっと手放した。
『あの、お賽銭をあげたいのですが……作法を教えてください』
いきなりだったのにも関わらず、巫女さんは落ち着いた声で答えてくれた。鈴の音のような綺麗な声だった。
『では、まずは手水から』
結局僕は、十円玉を一枚、賽銭箱に滑り込ませた。その時に参拝の作法を色々と学んだ。いったん境内から出て手水の作法を教わることに始まり、拝礼の作法はもちろん、参道を歩くときは真ん中を避けるとか、お賽銭を放り投げてはいけない、といったこともこの時に教えてもらった。
以来、僕と巫女さんは会えば話をするようになった。1ヶ月した頃には、巫女さんが無類のミステリ好きであることも知ったし、お父上である宮司さんとも、趣味が同じだったことから仲良くなった。
結局手放せずにいた件の五円玉も、先日ようやく「折り合いを付け」られた。巫女さんのミステリ講義に着想を得た方法だった。
この5年間で、もっとも穏やかな一時かもしれなかった。いつしか「25」を見ても発作は起きなくなった。だけど代わりに、無性に巫女さんに会いたくなった。大学の授業をすっぽかすこともあった。人付き合いが悪くなったと言われることもあった。
今日も、そんな日のうちの1つだった。
……僕は巫女さんの後ろを歩きながら、ふと疑問に思った。そういえば、あの時、巫女さんはなぜ僕が手水舎に寄らなかったことを知っていたのだろう? 手水舎は境内の外にあるし、高低差があるため境内とその外は互いに見通せない。
それなのに巫女さんは、まず境内を出て手水の作法から教えてくれた。後で理由を聞いてみよう。




