第5話・零落の瀬戸際
「……なんなんだ、あいつ」
「リュート。言いたいことはわかりますが……ブトレオ兄様をあまり責めないでください」
開きっぱなしになった裏口のドア。そこにそそがれるメイリアの視線には、哀れみと同情の色がこめられていた。
「あの髪と目の色、あいつも王族なんだよな?」
「正確には元・王族です。ブトレオ兄様はアルテア王国第二八王子の身分を剥奪され、『零落』した身ですから」
「『零落』……?」
「わたしたちアルテア王族は、この世に生まれ落ちたその日から、一般の王都民とは比較にならないほど恵まれた環境で育てられます。それはなぜだと思いますか?」
「それは……王族が特別だからじゃないのか?」
「そう、王族は特別なのです。特別で、なければならない。高い潜在魔力を有し、魔道士として大成することは、王族としての責務なのです」
「つまりあいつは、そうじゃなかった?」
「ええ。ブトレオ兄様は、王族ではきわめて稀な魔力無者でした。猶予期間もあたえられず、一四歳で王族から零落してしまえば……あのように心がすさんでしまうのも、無理からぬことです」
「だからって……」
「わたしには、兄様の気持ちがよくわかります。だって――」
弱々しく笑って、メイリアは言った。
「三日後には、わたしも王族の身から『零落』して、兄様と同じ立場になるのですから」
「ちょ、ちょっと待ってくれ! あいつもそんなこと言ってたけど、それっていったい――」
「聞きたいのですか? あまり気持ちのいい話ではありませんが」
「メイリアが嫌じゃなければ。このままじゃ、気になって眠れそうにないよ」
「それは問題ですね。わかりました、お話しましょう」
メイリアは椅子に腰かけ、僕にも座るよう勧めた。
「まずは、おさらいから始めましょうか。この世界に生を受けた者は種族や性別にかかわらず、一四歳になると魔力解放をおこない、その多くが魔道士の道へと進みます。ですが、決して強制ではない。魔道士になるか否かは、本人の意志にゆだねられています。――ただ、アルテア王族だけは例外です。王家の血統に連なる者は、魔道士となって戦うことが責務であり使命なのです」
「高貴なる者の義務ってわけか。――ん? でも、さっきのブトレオは魔道士として落第だったんだよな?」
「ええ。アルテア王族はこれまで数多くの優秀な魔道士を輩出してきましたが、中にはもちろん例外もいます。魔道士として落第し、王族の地位と身分を剥奪されることを『零落』と称します」
「……それで、メイリアが三日後に『零落』するっていうのは?」
「『零落』には二つの条件があります。一つ目はブトレオ兄様のケース。魔力解放の際に落第と判定された場合、その時点で『零落』が決定されます」
「もう一つは?」
「一六歳の誕生日を迎えるまでに、魔道士ランクD級に昇格できない場合です」
「たしかメイリアの魔道士ランクって――」
「E級です。そしてわたしの一六歳の誕生日は三日後に迫っているのです」
「そんな、もう時間がないじゃないか!」
「たとえ王族の身分を剥奪されたとしても、最低限の生活は保証されます。ただしその代わりに、一つの義務を果たさなければならない。……次の世代のために、可能な限り種をまくことです」
「種……? ま、まさか、それって――!?」
メイリアは深く重くうなずいた。
「そう、『零落』した王族どうしがつがいとなり、体が持つ限り子孫を産みつづける。そしてわたしの場合、『零落』した際はブトレオ兄様とつがいになることが以前より決められているのです」
「な……!」
絶句してしまう、とはまさにこのことだった。
ああ、そうか。だからブトレオは、メイリアが『零落』する日を心待ちにしていたのだ。
強制的に夫婦仲にした上、近親相姦を奨励する。
そうして、ただ子供を産むためだけの存在に成り果てる。
しかも、つがいにされる相手があのブトレオだ。
はっきり言って……吐き気をもよおすほどおぞましい話だった。
「……なんでだよ」
しかし、僕の胸に沸々と湧いてきたのは、熾烈な怒りの感情だ。
その怒りの対象は、メイリアの『零落』を願うブトレオではない。
『零落』なるシステムを生みだした、見知らぬ誰かに対してでもない。
「なんでだよ、メイリア……!?」
ほかならぬメイリアに対してだった。
「リュ、リュート? 急にどうしたのです?」
「僕には理解できない! どうして君は、自分の運命が決まる瀬戸際だっていうのに、貴重な時間を見ず知らずの僕のために使ったんだ……!?」
いや、メイリアに対して怒りをいだいたというのも、正確には少し違う。
なにも知らずに彼女に頼りきっていた、僕自身に腹が立ったのだ。
「それは……。わたしにとって三日という時間は、あってないようなものだからです」
メイリアの口調には、諦めの響きが色濃かった。
「魔道士ランクD級への昇格を果たすには、ギルドが指定したモンスターを単独で撃破しなくてはなりません。いまのわたしが三日でその目標を達成するのは……限りなく不可能に近いのです」
僕は返す言葉を見つけられない。
「わたしに残された道は二つに一つ。『零落』の運命を受け入れてブトレオ兄様とつがいになるか……さもなくば、無謀な戦いを挑んでこの命を散らすかです」
「そ、そんな……。そんなのって……!」
これが、現実だっていうのか。
追いつめられているメイリアを前にして、僕はなにもできないのか。
メイリアは言った。ここは、神に見捨てられた世界だと。
魔の物に支配された、希望なき地。
だから、過酷な運命も残酷な現実も、甘んじて受け入れるしかない。
たとえば目覚めた直後、ほかならぬこの僕が死の運命を甘受しようとしたように――
……いや、違うな。
たとえここが神なき世界であろうと、魔物が跋扈する人外魔境であろうと。
それでも、救いの手を差し伸べてくれる誰かはいるはずだ。
僕にとってメイリアがそうだったように――
そうだ、今度は僕が手を差し伸べる番――!
「メイリア。もしかしたら、第三の道があるかもしれない」
「え……?」
「いくつか確認したことがある。モンスターの討伐ってのは、ギルドから随行員がついていって判定するのか?」
「いえ、討伐の結果はこの『記録水晶』で自動的に判定されるようになっています」
メイリアは腰にぶら下げた、正十二面体のアイテムを見せた。
「これは戦闘の一部始終を記録して判定をくだしますから、ほかの誰かに戦ってもらってとどめだけを刺す、といった手は使えません」
「なるほど。戦うのはあくまでもメイリア一人でってことか。――それならむしろ好都合だな」
「リュート、あなたはいったいなにを考えているのです? 第三の道とは――」
「簡単なことだよ。僕がメイリアに協力する」
「はいっ……?」
メイリアがまぶたをパチクリさせる。
「って言っても、もちろん一緒に戦うわけじゃない。メイリアが一人で戦って――僕はそれを『フレア・ブースト』で補助する」
「……!」
『フレア・ブースト』。黒の魔道書よりもたらされた、僕の固有魔法。
その効果は「任意の対象に自身の魔力を分け与える」こと。
「た、たしかにその方法でしたら『記録水晶』の判定にも引っかからないかもしれませんが――」
一瞬、明るくなったメイリアの表情だったが、またすぐに雲におおわれてしまう。
「メイリア? なにか問題でもあるのか?」
「リュート、いうまでもなくモンスターの討伐は危険をともないます。今回わたしが挑む敵の強さは、先の『スキニータスク』の比ではありません。そんな危険な場所にあなたを同行させるというのは……」
「……なんだよ、そんなことか」
僕は目元に手をあてて首を横に振った。
「そんなこと? リュート、あなたは本当に理解しているのですか? モンスター討伐とは自身の命を危険にさらすことにほかならないのですよ」
僕はひとつ嘆息をこぼすと、その場に立ちあがって言った。
「僕がいま、ここにこうしていられるのはメイリアのおかげだ。誰がなんと言おうと、これは、君が救ってくれた命なんだ」
胸に手をあて、つづける。
「だから、今度は僕の番だ。ただそれだけのことだよ」
そうだ、危険なんて知ったことじゃない。
メイリアがいてくれなかったら、この命はなかったも同然なんだから。
「リュート……っっ!?」
突如、メイリアの瞳から涙の雫がこぼれ落ちた。
「あ、あれっ? へ、変ですね。わたし、どうして涙なんか……」
あえてたずねたりはしない。
涙のワケを訊くのが野暮だってことくらいはわかる。
彼女はいままでたった独りで、過酷な運命と戦ってきたのだから。
僕の顔には自然と微笑がうかんでくる。
ふと思いついて、メイリアの前で片膝をついた。
記憶の中にあった、「騎士がお姫様に対してするポーズ」だ。
「君に救ってもらった命を、今度は君を救うために使いたい。メイリア、僕にそうさせてくれるかい?」
「――はい。あなたが示してくれた第三の道を、わたしも選びたいと思います……!」
涙をぬぐい、笑顔を見せてメイリアは言った。