第4話・癒しの教会
「無属性の魔法――フレア系の魔法、でいいのかな?」
魔道大図書館をあとにした僕たちは、新たに習得した魔法について話しあっていた。
「無属性というのは聞いたことがありません。属性がない、とはいったいどういうことなのでしょうか……?」
「っていうと?」
「なぜ火や水といった属性があるのかといえば、『魔力は魔力のまま現象化できない』という絶対法則があるからです。魔力は火や冷気といった物理的現象に変換することで、はじめて現実世界に影響をおよぼせる。だからこそ、属性というものが存在するのです」
「だから無属性魔法はおかしいってことか。いったいどんな効果なんだろうな……?」
「魔法の効果でしたら、ステータス表示で確認できるはずですよ」
「えっ、そうなの?」
先に言ってくれよと思いつつ、ふたたび『ステータスドロー』と唱えた。
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『フレア・ブースト』
(レベル1・消費10・CT0・威力-・速度D・射程C・持続A)
任意の対象に自身の魔力を分け与える。
対象は最大五名まで指定可能。
『フレア・ゴースト』
(レベル1・消費20・CT0・威力-・速度C・射程E・持続B)
魔力の作用を模倣することにより、いちど見た他者の魔法を再現する。
ただし威力・効果は自身の表層魔力に依存する。
『フレア・ハイスト』
(レベル1・消費1・CT0・威力-・速度B・射程C・持続E)
魔力反応を検知することにより、対象のステータスを可視化する。
人間・モンスターに限らず有効。
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「へえ。魔法の説明まで見れるなんて、『ステータスドロー』って便利なんだな。――って、メイリア? どうかしたのか、おーい?」
メイリアは愕然とした表情で口をパクパクさせていた。
月並みすぎる言葉だけど、せっかくの美人が台無しだ。
「し、信じられませんっ……!」
やっとの思いで言葉をしぼりだした、という感じだった。
「こんな魔法がこの世に存在するだなんて……! さすがは黒の魔道書ということなのでしょうか」
「え? これってそんなにすごい魔法なの?」
僕としては、けっこう地味な効果という感想だったのだが。
「効果のほどにもよると思いますが――他者に魔力を分け与える『フレア・ブースト』、他者の魔法を再現する『フレア・ゴースト』、相手のステータスを可視化する『フレア・ハイスト』。いずれも、ほかに類を見ない魔法であることは間違いありません」
「ふぅん、そうなのか」
「かててくわえて、チャージタイムがのきなみ0秒というのも地味ながら特筆すべき点ですね。通常、チャージタイムが0となるのは、魔導書がマスターレベルに達したときなのですが……」
「そのチャージタイムっていうのは?」
「いちど使った魔法は、一定の時間が経過しなければ連続して使えません。たとえば『ファイアボール』のような下位魔法は10秒。基本的には、強力な魔法になればなるほどチャージタイムも長くなります」
「魔法にもけっこう制約があるんだな」
「ですから、習得魔法の多い魔道士はそれだけで有利なのです。逆に、わたしのように習得魔法の少ない魔道士は、格闘戦でチャージタイムをおぎなう必要があります」
メイリアは腰に差した短剣を一瞥した。
たしかに彼女の剣捌きはなかなかに見事だったと思う。
「なんだか話を聞いてたら、魔法を実際に試してみたくなってきたな」
「魔法を使うのなら、王都の外に出ないといけませんけど」
とはいえ、気がつけばすでに日は暮れかけている。
王都の壁外はモンスターが闊歩する領域。夜間の外出が危険なのは自明のことだ。
「やるなら明日の朝、か」
「そうですね。リュートも今日はいろいろあって疲れたでしょうし、ゆっくり体を休めるといいでしょう」
「そうだな。って、あ……」
ふと気づいて、衣服のポケットを探る。が、当然のごとく目当てのものは入っていなかった。
「リュート、どうかしたのですか?」
「いや……。宿をとるにしても、僕には持ち合わせが……」
「お金のことでしたら心配しなくともよいですよ」
「でもなぁ、メイリアにはこれだけ世話になったあげく、宿代まで出してもらうっていうのはさすがに……」
「大丈夫です。今晩の宿に限っては、お金をとるような施設ではありません」
「え? それってどういう――」
「だって、これから行くのは、わたしが拠点として使っている施設ですので」
◆◆◆
メイリアに案内されてたどり着いたのは、王都の外れにぽつんと建つ建物だった。
壁にはツタが絡まっており、建てられた年代の古さを感じさせる。
だが、廃墟という言葉は当てはまらない。
壁や屋根はしっかりしているし、窓も割れていないようだ。
屋根の天辺には、星を象った特徴的なシンボルがかかげられていた。
「これって――教会、か?」
「そう、神に祈りを捧げる場です。もっとも祈りを捧げるべき神は、この世界から不在となって久しいですけど」
「でもまあ、おかげで僕は野宿を逃れたわけだしな。その点に関してだけは女神に感謝したいよ」
「ふふっ、リュートはおもしろい考えかたをするのですね」
メイリアは教会の正面入り口ではなく、裏口へとむかった。
居住スペースはそちら側にあるのだろう。
と、裏口のドアの前には先客がいた。
「ああっ、メイリア様。お帰りになられましたか」
声を発したのは三〇前後とおぼしき女性。
その腕には五、六歳くらいの少年を抱きかかえている。
「坊やの熱が三日経っても下がらなくて……。それで、治癒をお願いしたいのですが」
少年の息は荒く、顔も火照っている。典型的な発熱の症状だ。
「わかりました。中に入ってお子さんをベッドに寝かせてください。リュート、あなたもどうぞ」
女性、メイリア、僕の順で教会の中へと入った。
灯りをつけ、少年をベッドに寝かせる。
すぐにメイリアは彼の顔に両手をむけ、唱えた。
「――『ヒールライト』!」
あたたかな光が少年の顔を照らしだす。
最初はなんの変化もなかったが、一分ほど経過すると少年の呼吸は落ちつきを取り戻していった。
「……ふぅ」
開始から三分近くが経ったところで、メイリアは『ヒールライト』を解除した。
彼女の額には、ほんのりと汗の雫がうかんでいる。
思うにその三分少々が『ヒールライト』の持続限界時間なのだろう。
最後にメイリアは、少年の額に手をあてて、
「呼吸も落ちつきましたし、熱もだいぶ下がったようです。また悪化するようなことがなければよいのですけど」
「あ、ありがとうございます! あの、治療代は……」
「いえ、けっこうです。これはわたしが好きでやっていることですから」
「でも……」
「同じお金を使うのであれば、お子さんに温かいスープを飲ませるべきですよ」
ほほ笑んでつげるメイリアに、
「メイリア様……。ありがとうございますっ! 本当に本当にありがとうございますっ!」
女性は何度も頭を下げたのち、息子を抱えて去っていった。
「メイリアは普段から、ああやって治療をしてるのか? しかも無償で」
「ええ。王族として生まれたからには、少しでも王都民の方々の力になりたい。そう思って始めたことです」
「……すごいな。そんなの、普通は思っても実際にはできないことだよ」
「そうでしょうか? 困っている人がいたら、力になってあげたいと思う。それは人として当たり前のことではないでしょうか」
「誰もが、当たり前のことを当たり前にできるわけじゃないよ」
メイリアの金目銀目の瞳をじっと見つめる。
このとき僕は、かるく鳥肌がたつような感動をおぼえていた。
言葉が、自然とつむがれる。
「僕を助けてくれたのが――この世界ではじめて出会った相手がメイリアで、本当によかった」
「や、やめてください、そんな……。面とむかって言われると、気恥ずかしいです」
照れて顔を赤くするメイリア。
ランプの薄明かりの中、僕たちだけの時間がゆっくりと流れていく。
と――
ガチャリと、ノックもなしに裏口のドアが開けられた。
マナーを無視した行動。そのくせドアを押し開く動作には、ビクビクとした妙な慎重さがあった。
「メ、メイリア、いるかい……?」
果たして教会の中に入ってきたのは、小太りした不潔で冴えない男だった。
「ぅ……!」
ムッとたちこめるのは、きついアルコール臭と体臭のまじった臭い。
率直にいって、嫌悪感をもよおす臭いだ。
「み、見てくれよメイリア。また手を怪我しちゃってさ。治癒……してくれるよね?」
どもりながら言いつつ、男が右の手の甲を見せる。そこには刃物で切ったとおぼしき生傷があった。
「……その椅子におかけください。ブトレオ兄様」
感情を押し殺した声でメイリアが言う。
彼女もまた、相手に好感をいだいていないことは明らかだった。
それにしても、この男はいったい何者なのか?
いや、僕にはすでにわかっていた。
メイリアと同じ白髪に、金目銀目の瞳。
そして「兄様」なる呼称。
以上の材料から推測するに、彼の正体は王族と見て間違いない。
しかし――仮に事前の知識がなにひとつない状態で彼を目にしたなら、王族などとは夢にも思わなかったはずだ。
それほどまでに彼は薄汚れて、落ちぶれている。
「――『ヒールライト』」
メイリアは同じく椅子に腰かけ、ブトレオの傷口に治癒魔法をかけた。
と、ブトレオは空いているほうの手をのばし、指先でメイリアの手の甲をズズッとなでた。
「あ、相変わらず、メイリアの肌はきれいだなぁ」
彼女の皮膚の上を巨大なナメクジが這っているような、ゾッとする光景。
僕は無性に胃がムカムカしてきた。
ブトレオはさらに調子に乗り、手のひら全体を使ってメイリアの手を撫で始めた。
「あと三日でメイリアも一六歳か。た、楽しみだなぁ。ようやくメイリアが僕のものになるんだね。ふ、二人でたくさん子供をつくろうね」
「……兄様、治癒は終わりました。手を離してもらえますか」
「つ、つれないこと言うなよなぁ。僕たちもうすぐ――痛だだだァッ!?」
いいかげん我慢ならず、僕はブトレオの手を掴みあげた。
「離せよ。酔っ払いすぎてメイリアが嫌がってることもわからないのか?」
「な、ななっ、なんだおまえっ! だ、誰だよっ!?」
「誰でもいいだろ。あんたには関係ない」
「い、痛い痛いッ! は、離せよっ、離せェッ!」
僕はパッと手を離した。
というのも、こんなやつの体に触れているのは、男の僕でも充分すぎるほど不快だったからだ。
ぜえぜえと荒い息をつくブトレオ。
しかし彼がにらみつけた相手は、僕ではなくメイリアだった。
「メ、メイリア! おまえっ、ぼ、ぼぼ、僕という者がありながら男を連れこむなんて……そ、そんなの聞いてないぞっ!?」
「兄様、落ちついてください。彼は――」
「フ、フンッ! ま、まあいいさ、そいつがどこの誰だろうと、三日後にはおまえは僕のものになるんだからなッ!」
下劣な捨て台詞を残して、ブトレオは逃げ帰っていった。