第1話・王都の風景
「さて、リュート。ここは安全とはいえません。ひとまず王都に戻って、それから今後のことを考えましょう」
握手のあと、メイリアが言った。
「わかった。えーと……メイリア王女様」
僕がそう呼ぶと、メイリアはぷっと噴きだした。
「な、なんで笑うんだ?」
「すみません。王女様だなんて呼ばれることはほとんどないものですから」
「え、でも王女なんだよな?」
「はい。といっても、わたしは末席の第四九王女。アルテア王族の血こそひいていますが、王族の身分はあってないようなものです」
「ふうん」
第四九王女。ということは、彼女には四八人の兄妹がいるということか。
いや、王子と王女でそれぞれ別個に数字がふられるわけだから、その倍はいるのかもしれない。
「ですから、どうぞメイリアと呼んでください」
「わかったよ、メイリア」
そんなわけで、僕はメイリアと一緒に歩きだした。
「リュートは記憶喪失だといいましたが――こうして普通に会話もできますし、基礎的な知識は失っていないようですね」
「みたいだな。あれが空で、これが地面で、僕たちが人ってことはわかる。メイリアが使ったのが魔法ってことも、さっき襲ってきたのがモンスターっていうこともね。だけど――」
「わからないのはリュート自身の身の上。それと、地名や人名に代表される固有名詞のたぐいでしょうか」
「たぶんそんな感じだな」
その記憶だが、時間の経過とともに回復していくようなきざしもない。
どうやら僕は、記憶喪失のまま生きていく覚悟を決めるしかなさそうだ。
魔法とモンスターが実在する世界。
こんな世界で果たして生きていけるのか、はなはだ不安ではあったけど。
「そういえば――メイリアにはまだ礼をいってなかったっけ」
「お礼? わたしに? なんのです?」
きょとんとするメイリア。
僕をからかっているわけではなく、本当にわからないらしい。
「もちろん、さっきモンスターから僕を助けてくれたことだよ」
頭をさげて僕は言った。
「ありがとう。僕がこうして生きていられるのはメイリアのおかげだ」
「そんな、わたしは当然のことをしただけです」
恐縮するメイリア。
謙遜しているわけではなく、本当にそう思っているようだ。
「それにしても、君みたいな女の子があんなモンスターを倒すなんてびっくりしたよ。強いんだな、メイリアは」
「えっ……?」
メイリアはきょとんとして、
「リュート、わたしは強くなんてありません」
自身を恥じ入るような声で言った。
「もうじき一六になるというのに、いまだに魔道士ランクはE級ですし……そもそもリュートを襲った『スキニータスク』は最弱クラスのモンスター。魔力解放したばかりのF級魔道士でも難なく討伐できる相手です」
「そうなんだ」
僕は少し考えて、
「それじゃ、この世界にはメイリアみたいな魔道士がたくさんいるんだ?」
「ええ。魔力に秀でた者は魔道士となって戦う。そうしなければ人は生きていけません。……ここは魔の物に支配された大陸、神に見放された世界ですから」
沈んだ声でメイリアが言った。
「神に見放された世界、か」
それでも救いの手を差しのべてくれる人はいたのだから、そんなに捨てたものじゃないと僕は思った。
◆◆◆◆◆
歩くこと三〇分少々、僕とメイリアは王都に到着した。
「ここが王都――」
周囲を高い壁でぐるっと囲んだ、典型的な城塞都市だ。
メイリアのあとにつづいて僕も門をくぐった。
正門の左右には門番が一人ずつ立っていたが、身元の確認などはされない。
人の出入りは基本的に自由なのだろう。
正門を通り抜け、王都の中へと入る。
入ってすぐの場所には人家や商店はない。あるのは見張り台や魔道士の待機所といった防衛用の施設だった。
「リュート、王都の街並みに見覚えはありますか?」
僕はざっと周囲を見渡してみるが、
「……いや。見覚えはないな」
「そうですか……」
そこでメイリアはパッと両手をあわせて、
「さて、まずは一にも二にも魔力解放ですね」
「魔力解放ねえ。それって具体的にはなにをすればいいんだ?」
「『霊樹ミスティナ』のもとにむかいます。儀式といっても難しいことはないですから、緊張する必要はありませんよ」
メイリアはつづけた。
「魔力解放とは本来、年に一度だけおこなわれるものです。その年に一四歳になる王都民は種族・性別に関わりなく集められ、合同で儀式にのぞむ。その後、魔道士の道に進むかどうかは適正と本人の意志しだいですが、魔力解放それじたいは王都民の義務なのです」
「年に一度? って、それ、今日いきなりできるものなのか?」
まさかその儀式の日が偶然にも今日だった、なんてことはないはずだ。
「できます。というのも、魔力解放の要となる『霊樹ミスティナ』は王族の所有物でして――」
「なるほど。王族のメイリアは融通をきかせることができるってわけなんだ」
「いえ。王族だから、というわけではなく、個人的なツテがあるのです」
どこか気後れしたように言うメイリア。
これまでの言動もそうだったが――どうやら彼女は、王族であることに引け目を感じているようだった。
まあ、王族なんて身分に生まれると、いいことばかりじゃなくいろいろ大変なんだろうけどさ。
◆◆◆
王都の道をなおも歩く。
道中、多くの人とすれ違ったが、その中には通常の人間とは異なる身体的特徴を持つ者も少なくなかった。
たとえば、露店で売り子をしている若い女性。
青い髪に水色の瞳。なにより特徴的なのは、両耳の位置にある魚のヒレをほうふつとさせる器官だ。
異種族――魚人というやつだろうか?
「あのさ、メイリア。あの娘って――」
「彼女はウンディーネ族ですね。リュート、種族に関する知識は憶えていないのですか?」
「たぶん……そうみたいだ」
「では説明しましょう。かつてこの大陸には五つの国があり、五つの種族が住んでいました。東方のウンディーネ族、西方のサラマンデル族、南方のエルフ族、北方のドワーフ族、そして中央にわたしたち人間族です」
「かつて? ってことは、いまは違う?」
「……四方の国の首都は、いずれも魔の物に支配されて久しい。いまやこの大陸で都と呼べるのは、ここ人間族の王都のみなのです」
メイリアの表情が曇りだす。
いかん、話題を変えなければ。
どうやら僕は、暗い雰囲気が苦手なタイプらしいぞ。
「そうだ、身体的特徴っていえば――」
メイリアをじっと見つめてつぶやく。
「? わたしの顔になにか?」
「いや、メイリアの白い髪と金目銀目の瞳も、すごく目立つよなあと思ってさ」
「この髪と瞳はアルテア王族の遺伝的特性です。わたしに限らず、王族に連なる方はみな同じ色をしているのですよ」
「王族ってことがひと目でわかるってわけだ」
「ですが、それをいうなら――」
と、今度はメイリアが僕の顔をじっと見つめて、
「リュートの髪と瞳の色こそ、むしろ目立つと思いますけど」
「えっ? これが?」
きょとんとする。黒い髪も黒い瞳も、僕にとっては『いたって普通』という認識だ。
いやまあ、僕の認識にどれだけ信頼がおけるのかって話だけど。
メイリアは深くうなずいて、
「少なくともわたしは、いままで黒髪黒目の人を見たことがありません」
「そういえば――」
王都に着いてから店に入るまでのあいだ、それなりに多くの人々とすれ違ったけど、たしかに黒髪黒目の人間は一人もいなかった気がする。
「どういうことなんだろう? 僕は……何者なんだ?」
「わかりません。けれどリュート、わたしはあなたが、特別な力を持った特別な人だと確信しています」
「どうして?」
「リュートは間違いなく、稀代の魔力強者であるからです」
「へ? 僕が魔力強者……?」
説明されずとも、その言葉の意味するところは把握できる。
すなわち僕には、魔道士としての才能がある。
メイリアはそう言っているのだ。
「さきほど怪我をした右目、完全に治っているようですね」
「ん、ああ。メイリアの魔法のおかげでね」
急に話が飛んだなと思いながら答えると、
「いいえ、それは誤解です。あの驚異的な治癒力は、リュートの潜在魔力のなせる業なのです」
メイリアは自分の手のひらを見つめ、
「わたしの『ヒールライト』の効果は、対象の潜在魔力量に比例します。ですから通常は、痛み止めや止血ていどがやっとなのです。それなのにリュートの場合は、眼球まで達するような深い傷が一瞬で完治した。こんなことははじめてです」
「僕に魔力が、ねえ……?」
魔法を使えるようになる。
その点に関しては半信半疑だけど、いまはメイリアを信じてみるのが正解だろうな。