第10話・黒の世界
デモンによる僕の処刑はつづく。
磔の次は、拷問のフェーズだった。
「ぐっ……! がっ……、あぁっ……!」
『ペイン・フェザー』の羽弾が一発ずつ僕に刺さる。
いきなり急所は狙ってこない。
四肢の末端から撃ちこまれ、じょじょに胴体へと近づけていく。
すぐには死なせず、可能な限り痛みと苦しみが持続するような殺しかただ。
それにしても、痛みがひどい。
『ペイン・フェザー』で埋めつくされた両手両足は、中で数百匹のムカデがうごめいて肉と骨を喰い荒らしているようだ。
ザクザクッ。いままで避けていた頭部に『ペイン・フェザー』が刺さった。
「あ、あたまっ……!?」
……あたま、ムカデ、やめて、脳みそを喰われるのはイヤだ。
脳みそ、ぐちゃぐちゃ、痛い、どろどろ、食べられ――
「ぅぁああああああああああああああッッッ!?」
涙と鼻水と涎がいっぺんに噴出する。
……あれ、耳からもなにか流れでているぞ?
なにこれ、髄液? それとも溶けた脳みそ?
はは、ハハハ。ノウミソがトけたらショウキでなんかイられない。
ボクはモウ、クルウしかナイじゃないカ……。
「ぐぁぅっ……っう……!?」
皮肉なことに、腹部の灼熱の痛みが僕を正気へと引き戻す。
……大丈夫、まだ大丈夫だ。脳みそは溶けていない、その証拠に僕の思考はまだ生きている。
デモンを倒せないことはわかった。それは認めよう。
だけど、やつに屈服させられることだけは我慢ならない。
だから、考えろ。デモンの目的はなんだ?
どうしてすぐには僕を殺さない?
おそらくそれは、僕を心の底から絶望させるためだ。
絶望とは、死に至る病。
絶望のどん底に叩き落され、すべての希望を失った人間は、誰に強制されるでもなくこう言う。
――はやく殺してくれ、と。
……そうだ、こいつは、それを言わせたいんだ。
僕の口からその言葉がでてくることを、いまかいまかと心待ちにしているのだ。
だから僕は、こう言ってやった。
「誰が……おまえなんかに、殺されてやるかよ……!」
一瞬、デモンの笑みが凍りつく。
その直後、槍についた汚物を振り払うように、僕を地面へと叩きつけた。
「がっ――! っあ……!?」
ドッ、ガッ! 二度三度とバウンドして倒れ伏す。
動けない。ダメージが大きすぎて起きあがることもできない。
もはや僕は虫の息だった。
ヌゥっと大きな影が僕の上に落ちる。
迫ってくるのはデモンの足の裏。
興が醒めたのか、僕を踏みつぶして終わりにするようだ。
ただ、やはりひと思いには殺さない。
僕の背中に触れたデモンの足は、毎秒一ミリにも満たない緩慢な速度でおろされていく。
「ぐっ……ぁ……」
ミシミシと背骨のきしむ音がする。
肉がつぶれ、骨が砕け、内蔵がことごとく破裂し、体中の穴という穴から体液を噴きだして死に至る。
それが圧死。嫌な死にかたとしては、かなりの上位にランクインするに違いない。
――さすがに、これはもう、終わりかな。
最初から勝ち目なんてなかったけど、完全にやつの思いどおりにはならなかった。
僕をいたぶって有頂天になっていたところに、ペッと唾を吐きかけてやった気分だ。
すでに僕は呼吸もままならず、しゃべりたくてもしゃべれない。
ざまあみろ。おまえの聞きたかった言葉は、僕の口からは永遠に出てくることはないぞ。
……さてと、そろそろいいかな。
もう考えるのはやめにして、死がおとずれるのを待つとしよう。
どうせ、いちどは死にかけた身だ。
それが思いがけず生きながらえて、命の恩人の窮地を救う手助けまでできた。
充分だ。記憶喪失で自分が誰かもわからない人間にしては、それなりによくやったじゃないか。
これでいいんだ。これで――
――「二人で一緒に、王都に帰りましょう」
そのときふいに、僕の脳内にメイリアの言葉がよみがえった。
……だめだ。
ここで、こんなところで、死んでいいわけがあるか。
目覚めた直後とは違う。
いまの僕には、死ねない理由が――死にたくない理由が、あるんだ。
「ぐっ、ぅううううっ……!」
全身に残された力をふりしぼって、デモンの踏みつけにあらがう。
もちろんどうにもならない。気合や意志の力で絶望的な力を差をくつがえせたら苦労はない。
だけど、それでも――
僕は生きたい、生きたいんだッ――!
――だったら、殺せよ。
シィン……。
刹那、世界が、黒一色に染まった。
「なっ――!?」
デモンの足も、周囲の森林も、体の下の地面までもが存在を消失する。
黒の世界。そこにいるのは僕だけだ。
……いや、もう一人、いる。
少し顔をあげると、玉座のような豪奢な椅子があった。
そこに足を組んで座り、僕を見おろしている男がいる。
男というより、少年だ。とりたてて特徴のない黒髪の少年。
だけどなぜか、玉座に座っている姿に違和感がない。
これ以上ないほどしっくりくる。
あるべき場所に収まっているという感じがした。
「おまえは、誰だ――?」
問いかける。
相手の目元は影に隠れて、顔立ちはうかがえない。
――誰かって、そんなの決まってるだろ。
相手は口を動かさないが、声は聞こえてくる。
頭の中に直接ひびいてくるような感じ。
この感覚は前にも体験したことがある。
こいつは、もしかして――
「黒の魔道書、なのか……?」
僕がつぶやくと、相手は噴きだすように笑った。
――しょうがないな。
――少しは思いだせよ。
――僕が、誰なのかを。
相手の目元の影が払われる。
あらわになったのは黒い瞳。
――ああ、そうか。そうだったのか。
あれは、僕だ。僕の中の僕だ。
――なあ、僕。生きたいんだろ。
――だったら殺してしまえよ、あんな雑魚。
――少し思いだせば、楽勝だろ。
「……ああ、そうだな。そうだった」
自嘲ぎみに笑って答える。
次の瞬間、僕の内なる力は解放され、黒の世界は吹き飛んだ。
ドォウッ……! 魔力の波動がほとばしり、デモンの足を押し返す。
現実への回帰。だが、一瞬前とはなにもかもが違っている。
僕はすでに立ちあがっていた。ダメージは完全に回復している。
デモンは、思いがけない事態に驚いているようだ。
その顔からは笑みが消えていた。
「どうした? 僕をいたぶるのはもう飽きたのか?」
バッ! デモンは四つん這いの姿勢をとると、大きな口を限界までひろげた。
そこから、黒い魔力の光線が撃ち放たれる!
『カーズ・レイ』。
このタイプのデモンが有する、最大最強の攻撃だ。
しかし、僕はその場に静止したままだ。
指先ひとつ動かさずに、静かに唱えた。
「――『フレア・レジスト』」
バシュオッ! 一瞬後、『カーズ・レイ』の黒い奔流が僕の全身を呑みこむ。
魔力の凝縮光線は一キロ近くにわたって森を一直線に裂き、壊滅的な被害をもたらした。
だが――至近距離で直撃をうけたはずの僕の体には、かすり傷ひとつついていない。
僕を中心とした半径一メートルの範囲のみが、いっさいの破壊をまぬがれていた。
当然だ。
僕が唱えた『フレア・レジスト』は、魔力そのものを無効化する究極の防御魔法なのだから。
下級デモンの『カーズ・レイ』ごときが、撃ち抜ける道理はない。
「そんな魔法、いままでは使えなかっただろうって? ああ、そうだよ、ついさっき、おまえに踏みつぶされてるときに僕は『覚醒』したんだからな」
魔法の習得の一形態である『覚醒』。
あの黒の世界との交信を経て、僕は新たにふたつの魔法に目覚めていた。
そう、もうひとつは、こいつを完全に殺せる魔法だ。
ブゥン……! 僕の右手に、小さな黒球が生じる。
『フレア・ゴースト』ではない。あの魔法とは決定的に異なる。
『フレア・ゴースト』の黒球は、単なる魔力の投影。いわば『影』だ。
対してこの魔法の黒球は、純粋な魔力そのもの。
魔力とは、現実世界には本来存在しえない力だ。その本質は『無』にほかならない。
ゆえに、無属性魔法なのだ。
ダッとデモンが僕から距離をとる。
怯えているのか、もはや表情からは笑みが掻き消えていた。
ようやく理解できたのだろう。愚かにも、勝ち目のない戦いを挑んでいたことを。
だけど、それで逃げられたんじゃ、僕のほうがおもしろくない。
「どうした、笑ったらどうだ?」
デモンは一歩後退する。
「いままでみたいにニヤニヤ笑いながら僕をいたぶってみろよ。それがおまえの趣味なんだろ?」
デモンはさらに後退する。
「なんだよ、つまらないな」
デモンはついに背中を見せ、一目散に逃走を図ろうとする。
「つまらないから――もう死ねよ」
右手を突きだして、僕は唱えた。
「――『フレア・バースト』」
ヒュン。僕の手にあった魔力球は、一瞬後にはデモンの背中へと転移していた。
そして、力が解き放たれる。
ズォオオオオオオオッ!
純粋な魔力の解放。現実世界に流出した魔力は、触れるものすべてを『無』に帰す。
空気も、水も、土も、樹木も、デモンであろうと関係はない。
グギィャァァァアアッ……!
デモンの断末魔の絶叫すら、『無』へと還る。
一片の塵すら残らない。『フレア・バースト』がもたらしたのは、完全なる消滅だった。
あとに残ったのは、直径一〇〇メートル規模のクレーター。
空気すら消滅し、一時的な真空状態が生じたため、局地的な嵐が巻き起こっていた。
「ははっ、あははははははっ!」
吹きすさぶ風の中、僕は独り哄笑する。
最高の気分だった。これほど心躍ることがこの世にあったのかと思う。
「はははっ! はは――ッッッ!?」
だが、そんな気分も長くはつづかない。
突然、呼吸もできないほどの猛烈な虚脱感に襲われ、僕はひとたまりもなく倒れ伏した。