第9話・デモンの悪夢
真っ白な巨人。
突如現れたのは、そのようにしか形容できなモノだった。
全高は七メートル。カドラオークよりひと回り以上大きいが、全体的にスマートな体型だ。
体の構造は人間に酷似しているものの、異なる点が三つ。
両肩から噴出する魔力の黒い翼。
瞳のない頭部。
人間でいえば耳まで裂けている、異様に大きな口。
その口がガバッとひらかれ、びっしり生えた鋭い牙が露出する。
ふいに巨人はかがみこみ――
バリッ、ベギッ、ゴリンッ!
カドラオークの死骸を喰い始めた。
「あ、あいつ、カドラオークを喰ってる、のか……!?」
「……あれは、食事ではありません。わたしたちに見せつけているのです」
「見せつけて……? いや、そもそもあいつはなんなんだ? モンスター、なのか?」
「……あれは、デモン。魔の物を統べる存在にして、わたしたち人の天敵です」
百聞は一見にしかず。『フレア・ハイスト』でステータスを確認する。
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固有名:デモンA型“アンギラス”
種別:魔神
討伐推奨魔力:3000
弱点:-
耐性:火・水・風・土
出現地域:???
〈攻撃方法〉
『格闘』
『ペイン・フェザー』
『イーブル・クロス』
『カーズ・レイ』
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「と、討伐推奨魔力、3000だって……!?」
あのカドラオークの6倍以上。いまの僕とメイリアの手に負える相手ではない。
「……三年前、あの“アンギラス”三体が王都を襲撃するという事件がありました。たった三体相手に王都民の被害者は三桁を超え、討伐が完了するまで二〇人以上の魔道士が命を散らすことになったのです」
「そんなやつが、どうして急にこんなところに?」
「デモンがいつ、どこに出現するのかは誰にもわかりません。いつも突如として空にゲートが現れ、そこから降臨してくるのです」
それが、いま、ここで起きた。
僕たちは不幸だったというだけのことなのだろうけど――
デモンがカドラオークの死骸――いや、すでに残骸となったモノから顔をあげた。
顔をあげ、僕たちを見てニイッと笑う。
その瞬間、「見せつけている」というメイリアの言葉の意味が理解できた。
言語はなく、感情を表す瞳すらない。
だが、僕は背筋が凍りつく思いがした。
デモンはこう言っているのだ。
――次はおまえたちの番だ、と。
「……リュート。あなたはいますぐ王都に戻って、応援を呼んできてください」
メイリアが静かな声で言った。
「は? あなたはって、メイリアはどうするんだよ?」
「いまのわたしは満足に走ることもできません。一緒に行ってもリュートの足手まといになるだけです」
つまり、自分はここに残る。残って、僕が逃げる時間を少しでもかせぐと言っているのだ。
「悪いけど、その案は却下だ」
「なっ――! リュート、あなたはデモンの恐ろしさがわかっていません! デモンの王都への侵攻を許せば、また多くの人々が犠牲になるのですよっ!」
「わかってないのはメイリアのほうだ。僕が一人で王都に戻ったとして――誰にどう話せばいい? ろくに知りあいもいないのに、僕の話を真剣に聞いてくれるやつなんているのか?」
「ですが、ほかに方法はありません!」
「いいや、ある」
僕はメイリアをその場に座らせて言った。
「僕が時間をかせぐ。メイリアは体力が回復したら王都に戻って応援を呼んでくる。これでいこう」
「ま、待ってください、リュート!」
もう遅い。言うが早いが僕は駆けだしていた。
走りながら『フレア・ゴースト』を起動。
「――『ライトニングボルト』!」
魔法を放って先制。
雷撃はデモンの頭部にあたったものの、ダメージをあたえたようには見えなかった。
が、デモンは僕へと顔をむける。
こちらへ注意を惹きつけ、メイリアから引き離すことができればまずは上出来だ。
果たして僕の思惑どおり、デモンは僕を追ってきた。
「――『ラピッドモーション』!」
風属性魔法を再現。移動速度を強化してなおも走る。
一〇〇メートル、一五〇メートル、二〇〇メートル……よし、これだけ離れれば、メイリアが狙われることもないだろう。
立ちどまって、ふり返る。
デモンは僕の背後にぴったりと張りついて追跡してきていた。
いくら『ラピッドモーション』を使っていたとはいえ、追いつこうと思えば追いつけたはず。
だというのに、律儀に距離をたもって追いかけてきたのは、
「簡単に殺したらつまらないから、か?」
むこうが人語を解しているかどうかはわからない。
が、デモンは答えるかわりにニイッと笑みを深めた。
……おそらく、当たりだ。
その証拠に、デモンは自分から仕掛けてこようとはしなかった。
さて、どう戦うか?
『フレア・ブースト』が僕自身にも効果があれば、多少なりともましだったのだが。
この土壇場で試してみるが、やはり自分には黒糸を結びつけられなかった。
それでも、やるしかない。
「――『ファイアボール』!」
火球を顔面めがけて撃ちこむ。
デモンは微動だにしない。直撃したというのに、純白の表皮には焦げ跡ひとつついていなかった。
「っ……! 『アイスロック』! 『ライトニングボルト』!」
矢継ぎ早に攻撃魔法を繰りだす。が、デモンへのダメージはゼロに等しい。
一〇発近く撃ちこんでも、デモンの生命反応は白のままだった。
「っ……! はぁ、はぁっ……!」
異常なまでに消耗が激しい。気がつけば僕は肩で息をついていた。
――なにをしても無駄。絶対に勝ち目のない相手。
絶望の影が体を重くし、心の均衡を狂わせ、戦意を足元から砕いていく。
僕がそうなるのを見計らって、はじめてデモンが動きだす。
グバッと、いきなり自身の口に右手を突っこむ。
そうして、ずるりと引き抜いたのは――両肩の翼と同じ、黒い魔力の槍だった。
先端部が十字型になっている。あれが『イーブル・クロス』か。
かなりリーチが長そうだが、槍とわかっていれば攻撃方法には想像がつく――
「へ……?」
いつの間にか、僕の腹部を槍が貫いていた。
動きが見えなかった。動作そのものを知覚できなかった。
レベルが……違いすぎる。
ブォン! 串刺しにされたまま、僕の体は持ちあげられる。
「ぐっ、ぅうう……!」
魔力の槍であるから、貫かれても腹に穴は空いていない。
だが、痛みは尋常ではない。腹に焼きごて突っこまれたような心地だった。
デモンが黒き翼をひろげる。
フィン、フィン……! そこから羽が分離し、弾丸のように射出される。
「がっ……!?」
両手両足を『ペイン・フェザー』が貫き、僕は空中に磔にされた。
デモンが満足げに笑みを深める。
そのいやらしい顔つきを見て……僕はようやく理解した。
どう戦うか、だって?
馬鹿だな、戦闘なんて最初から成立しようがないじゃないか。
ここでおこなわれていたのは、一方的な「処刑」だったのだ。
「あはっ、はははっ……」
僕の口からは乾いた笑いがこぼれ落ちた。
……人って、不思議な生き物だ。
本当にどうしようもなくなると、泣くでもなく喚くでもなく、なぜだか笑ってしまうんだから。