プロローグ・闇より生まれる
はじめに『闇』があった。
闇の中に意識の火花が生じる。それが『僕』だ。
次の瞬間、僕は僕自身を認識し、覚醒した。
「――ッッッ!?」
目覚めると同時に、強烈な頭痛に襲われる。
まぶたを開いて外界を認識。僕の体は硬く冷たい土の上に横たわっていた。
口の中には苦い土の味。
ペッと吐きだし、僕は両腕をつかって上体を起こした。
自分の肉体を確認。
胴体の上には頭。二本の腕と二本の足。直立二足歩行に適した肉体構造。
いうまでもなく僕は『人』だ。
そもそもこんな思考をしている時点で、僕は人以外ではありえない。
ありがたいことに目立った外傷はなく、体を動かすのに支障はなさそうだった。
しかし――
「ここは……どこだ……?」
自分がなぜ、こんな荒野に倒れていたのか。
いや、それ以前に、
「僕は……誰なんだ……?」
頭に手をあててみるが……なにも思いだせない。
闇から目覚める以前の記憶がまったくない。
ちょうど近くに水たまりがあったので、鏡がわりに覗きこんで見る。
水面に映ったのは、見覚えのない顔だった。
黒い髪と黒い瞳。どこにでもありそうな顔立ち。それ以外の感想はうかんでこなかったが、
「僕は……僕の名前は――リュー……ト?」
リュート。かろうじて、記憶の底からその名前をすくいあげることができた。
だが、それ以外はやはりなにも思いだせない。
「これからどうしたら……?」
立ちあがり、左右を見渡して途方にくれる。
荒野の只中にたった独り。ここがどこかもわからないし、思いだせたのは自分の名前のみ。
絶対的な孤独。身を寄せるよすがもなく、ただただ立ちつくすしかなかった。
まるで僕は――楽園から着の身着のまま追放されてしまった咎人のようじゃないか。
グルルッ……!
ふいに聞こえたのは、獣の唸り声。
ハッとしてふりむくと、四足の獣がにじり寄ってきていた。
犬か狼をしぼませたような、異常に痩せこけた体躯。だがその爪と牙は充分に鋭い。
だらしなく開かれた口からはよだれがたれている。獲物を前にして興奮しているのか。
「っ……!」
僕はあわてて身をひるがえそうとして――固まる。
僕の背中側にも、同じ獣がもう一匹いたからだ。
つまりは挟み撃ち。こいつらは明確に僕を狙っている――!
バッ! 次の瞬間、前方の一匹が跳躍した。
僕もまた後ろに跳ぼうとしかが――遅かった、
ザゥッ! 獣の振るった爪が、僕の右目を縦に切り裂いた。
「がっ……!? ぁっ、ぁあああああああッ……!?」
膝をつき、前かがみになって右目を抑える。手の平の隙間から血がどくどくと流れていく。
獣たちがさらに迫る。が、すぐにはトドメを刺しにこない。
まるで僕が恐怖し絶望するさまを楽しんでいるかのようだ。
「な、なんなんだよ、いったい……!?」
激痛に思考をむしばまれながら、僕は思う。
――これが、神に見放されるということか、と。
やはり僕は、大罪を犯してしまった咎人なのか。
罰として記憶を奪われ、自分が何者かもわからないまま獣に食い殺されるほどの――
絶望が思考を停止させる。
もう、いい。もう考えるのはやめて、早く楽になってしまおう。
無事なほうの左のまぶたも閉じ、僕は静かに最期の時を待った。
ボゥッ! 直後、まぶたの裏が赤く染まった。
血の赤――ではない。頬に照りつける熱気をともなったそれは、火の赤だった。
「えっ――?」
驚いて目を見開く。と、視界の外から飛来した拳大の火球が一匹の獣に直撃。
ギャウッという悲鳴を残し、痩せこけた獣はふっ飛ばされた。
地面に叩きつけられた獣は動かなくなる。
と、その全身は急速に塵と化し、最後は音もなく消滅してしまった。
「き、消えた……?」
燃やしつくされて骨まで灰になった、というわけではない。
そこまでの火力ではなかった。
とすると、この獣は既知の生物とは存在を異にするのだろうか。
――魔物。あるいはモンスター。
奇妙なことに、僕の中にはしっくりと当てはまる言葉・概念があった。
そうだ、あの獣はモンスターと呼ばれる存在だ。
グルルルッ……!
残ったほうの獣が、体のむきを変えて僕からターゲットを変更する。
火球が飛来した先。僕もそちらへと視線をむけた。
「そこのあなたっ、無事ですかっ!?」
そこには、ひとりの美しい少女が立っていた。
目に怪我を負ったことも忘れて、僕はいっとき見惚れてしまった。
歳のころは一四、五。
純白の長い髪が風をうけてはためている。
なによりも特徴的なのはその瞳だ。左右で色が異なる金目銀目。意志の強さを感じさせる輝きを放っている。
ジャッ! モンスターが少女に飛びかかる。
「やっ!」
が、少女は身をかがめて攻撃を回避。さらに右手の短剣を突きあげ、相手の勢いを利用して獣の胴を斬り裂いた!
「――『ファイアボール』!」
ドゥッ! さらに少女は左手から火球を発射。直撃。獣は吹っ飛び、一匹目と同じく塵となって消滅した。
「……!」
あの火球は――魔法?
モンスターと同じく、僕の中にはその現象を表す言葉があった。
記憶はないが、基礎的な知識はある、ということなのか。
「大丈夫ですかっ?」
モンスターの討伐を確認すると、少女が僕へと駆けよってくる。
「君は――痛ぅッ!」
右目の痛みがぶり返す。出血もまだつづいていた。
「怪我をしたのですか? 見せてください」
少女がストンを膝をおろし、僕の顔を覗きこむ。
「これは……ひとまず応急処置をします。せめて痛みがやわらぐとよいのですが」
両手を僕に差しむけ、彼女は唱えた。
「――『ヒールライト』!」
彼女の手のひらから、やわらかな光が放射される。
その効果は劇的だった。ただちに出血がとまり、傷の痛みが消えていく。
ほんの数秒で傷口はふさがり、僕は右のまぶたを上げることができた。
視覚も正常。完治したといっていい。
「す、すごい……!」
僕は感謝と称賛の言葉を送ろうとしたが、
「そ、そんなっ……!?」
彼女のほうが、なぜか驚愕のまなざしを僕へとむけていた。
「わたしの治癒魔法でこんなにも早く傷が治るだなんて、あなたはいったい……?」
「え……?」
わけがわからない。僕は混乱するしかない。
「とてつもない潜在魔力の持ち主……? だけど、そんな人が『スキニータスク』に手も足も出ないだなんて考えられない……」
早口でつぶやいたあと、彼女はまっすぐに僕を見つめて言った。
「あなたはいったい、何者なのですか?」
それを訊きたいのは僕だ。よって、答えられるわけがない。
「まさかとは思いますが……あなたはもしや『魔力解放』をおこなっていないのですか?」
「魔力解放……?」
魔力、というのは魔法の源となる力のことだろう。
それは理解できるが、
「……わからない」
「はい?」
「わからないんだ、なにも。僕は気がついたらここに倒れていて……それ以前のことはなにもわからない。……僕には記憶がまったく記憶がないんだ」
「なっ……記憶喪失?」
少女が言葉を失う。
「なあ君、教えてくれないか? ここはどこで、僕はいったい何者なんだ? 僕はどうしてこんなところに――」
「落ちついてください」
ふいに少女は、両腕で僕の頭を抱きよせた。
「っっ――!?」
頬に伝わってくるあたたかな体温と、女の子特有のやわらかさ。
それと、鼻孔をくすぐるほのかに甘い匂い。
いっとき僕は、呼吸をすることも忘れてしまった。
「大丈夫。あなたは独りじゃない。わたしがいます。わたしがあなたの力になります」
赤子をあやすようなやさしい口調。
自分でも不思議なくらいに僕の心は落ちつきを取り戻した。
深呼吸をする。僕が落ちついたのを見計らって、少女は僕から身を離した。
そして、僕をまっすぐに見つめて言う。
「わたしは、アルテア王国第四九王女・メイリア。あなたは――自分の名前はおぼえていますか?」
「僕は……僕の名前は、リュート。思いだせたのはそれだけなんだ」
「リュート、ですか。不思議な響きのよい名前ですね」
メイリアは微笑をうかべて、
「はじめまして、リュート。わたしをあなたの、はじめての友人にしていただけますか?」
僕へと右手を差しだした。
「――もちろん。喜んで」
僕もまた右手を差しだし、メイリアの手をにぎる。
真っ白で細長い指。小さくたおやかな少女の手。
だが、いまの僕にとってはなによりも力強く頼もしい手だった。