沼女とかぶら女
☆ひだまり童話館さま 「ぷくぷくな話」参加作品です。
☆かぶら=蕪
むかしむかし、とある村に小さな沼がありました。沼の水はどんよりと濁り、昼でも暗いので村人たちは気味悪がって誰も近づこうとはしません。沼には古い祠もありましたが、ボロボロに腐って草木に埋もれていました。
ある日、村の若者である喜平は幼馴染の吾六の家についつい長居をしてしまい、帰るころにはすっかり日も落ちていました。吾六は家に泊まるようにすすめましたが、喜平はそれを断って自分の家に帰ることにしました。
「喜平さん、これを持って行って」
そう言って縄でくくった『かぶら』を持ってきたのは、吾六の妹のお初でした。幼い頃に両親を亡くした兄妹は二人だけで野菜を作って暮らしていました。特にお初が丹念に育てた『かぶら』は透き通るように白く、丸々と大きいので町でも評判でした。
「おお、これはありがたい。お初ちゃんの育てたかぶらは格別おいしいからなぁ!」
お初はかぶらを手に嬉しそうに笑います。
「お初はかぶらみたいな顔だからかぶらを育てるのがうまいんだろうよ」
喜平はお初の顔を見て吹き出します。小さな黒い目がちょんちょんとついた白い丸顔は本当にかぶらそっくりでした。
「ははは、確かにお初ちゃんはかぶらそのものだ」
「そういう喜平さんは細くて土まみれの牛蒡だろ」
「確かに喜平は牛蒡にちがいねぇ」
「なんだい吾六、俺が牛蒡ならお前は芋だぞ」
そう言い合いながら3人は笑います。喜平と吾六、そしてお初は昔から仲が良いのです。
「それはそうと喜平さん、沼は絶対通っちゃだめだよ」
お初は帰り支度をする喜平に忠告をしました。吾六も隣でうんうんと頷いています。
「なに、化け物だって牛蒡なんか食べないさ」
喜平はへらへらと笑うと吾六の家を後にしました。
しかし、月のない寂しい夜道を歩いていると喜平は早く家に帰りたくなりました。
(沼って言ったってただの濁った水たまりだ。何を怖がることがある)
そしてお初の忠告を気にせずに足は沼へと続く道に入っていきます。その方が喜平の家まではずっと近いのです。
全く気にしていなかった喜平ですが、沼に近づいた辺りから何やら様子が変わってきました。まるで季節でも変わったみたいに冷たく重い空気が漂い、何者かにじぃっと見られているような、そんな気がするのです。しかし、周りを見渡してもひとつの黒い塊になった木々の影が、ざわざわと動いているだけでした。どこからか吹いてくる湿った風が喜平の背中を押して、沼へとどんどん引き寄せられて行きます。
(やっぱり引き返そう)
そう思った時でした。
「そこのお方」
沼の方からか細い女の声が聞こえてきました。
「ひいい! 助けてくれ!」
喜平は驚いて尻もちをつきました。丸いかぶらがコロンコロロンと転がって落ちます。
「どうか、そのかぶらを沼に放ってくださいな」
「やる! やるから命だけは助けてくれ!」
いそいでかぶらを拾い集めると力いっぱい沼に向かって投げます。すると「ボチャンボチャン」と音を立てながら、白いかぶらが次々と暗い沼に吸い込まれていきました。そしてすべてのかぶらを投げ終えるとブクブクブクと泡の弾ける音が不気味に響きます。喜平はこの隙に逃げ出そうとしましたが「待って」と女に呼び止められて足がすくんでしまいました。
「な、な、なんだ! かぶらはもうないぞ! 俺を食う気なのか?!」
しかし、返ってきたのは喜平の思っていたこととはまるでちがうものでした。
「いいえ、一言お礼が言いたくて。親切な方、ありがとう。ああ、とってもおいしかった」
女はとても幸せそうでした。よく聞いてみればその声は鈴を鳴らしたように美しく、喜平はその顔を見てみたくなりました。
「お前さん河童か何か知らないが、ずいぶんきれいな声だな」
すると暗闇の中、白いものが浮かび上がるのが見えました。喜平が目をこらしてよく見ると女の鼻から上だけが沼の中からこちらを見つめています。
「河童なんかじゃございませんよ」
暗い沼に浮かぶその顔を見て喜平は息を呑みました。スッとした目元、白い肌、濡れた黒髪、どれを見てもこの世の者とは思えないほどに美しかったのです。
(こりゃ女神さまだ)
喜平はそれから毎日、日が落ちると女に食べ物を届けにいきました。握り飯、芋や大根、そしてキノコに山菜。どれも女は「おいしい、おいしい」と喜びました。
「また明日も持ってくるからな」
すると女の姿が沼から現れます。相変わらず女はその口元を見せることはなく、鼻から上だけを水面に出していました。
「そろそろお前さんのかわいらしい口元を見せておくれよ」
「ふふふ、それはまだ先のこと」
それでも喜平は気にしませんでした。目や鼻を見れば女の口元がどんなであろうと美人であることにちがいはなかったからです。そしてしばらくすると女はまた沼の中へと姿を消してしまいます。
「ああ、また明日が待ち遠しい」
喜平はいつしか女のとりこになっていました。
ある晩、いつものように女に見とれていた喜平は、自分でも気づかなうちに心の声を口に出していました。
「お前さんが俺の嫁さんだったらなぁ」
女は黒く大きな瞳で沼から喜平を見上げています。
「嫁がほしいのならばその願い叶えましょう。食べ物をくれたお礼です」
予想もしていなかった返事に喜平は嬉しくて飛び上がりました。
「本当か! 俺と一緒になってくれるのか!」
「でもその代わり、最初にあなたが持ってきてくれたあの『かぶら』を今一度持ってきてくださいな。それを持ってきてくれたら、あなたの願いは叶いますよ」
「わかった。かならず持ってくる」
喜平は次の日、急いで吾六の家へと行きました。
吾六の家ではちょうど吾六とお初が収穫したばかりのかぶらの泥を落としているところでした。喜平は転げるように二人の元に走り込みます。
「俺にそのかぶらをくれ!」
突然やってきた喜平がいきなりかぶらをせがんだので、兄妹はお互いの顔を見合わせました。
「なんだい、藪から棒に。しばらく顔を見せないと思っていたら、かぶらを食べないと治らない病気にでもなっちまったのかい?」
吾六がそう言ったのも無理はありません。かぶらを欲しがる喜平の目は病人のようにくぼみ、まるで憑りつかれているようでした。
事情を聴くと吾六は首を振りました。
「ダメだ! そいつは人じゃない。化け物の沼女だ! 沼女なんかにかぶらはやらないぞ、目を覚ませ喜平!」
「いいや、俺はあの女と一緒になるんだ! かぶらをもらうまで帰らないぞ」
吾六は必死で喜平を説得しようとしますが喜平は聞く耳を持ちません。すると二人のやりとりを見かねた お初が口を開きました。
「いいよ、そこまで言うなら、かぶらをやろうじゃないか」
その言葉に喜平の顔が輝きました。吾六は何を言い出すんだと驚いています。
「こら! お初! そんなこと許さないぞ」
「かぶらを育てたのは私だよ! 兄ちゃんは黙ってておくれよ」
「ありがとう! お初ちゃん」
喜平は喜びのあまりお初の手を取ろうとしましたが、お初はその手をはねのけました。
「ただし、沼女のところに私も連れて行って」
「なんだって?」
「じゃないとかぶらはあげないよ」
すると吾六は呆れて肩をすくめました。
「ああ、勝手にしやがれ。沼女もこんな気の強い女を前にしたら逃げ出すにちがいねぇ。だがな、俺は行かないぞ、化け物なんて関わりあいたくないからな」
喜平とお初は二人で沼へと向かいました。喜平はお初の肩にかけられた太い縄に目をやります。
「お初ちゃん、何をする気なんだ?」
「かぶらをエサにこれで引っ張りあげてやるのさ。喜平さんだって女を引っ張りあげなきゃ嫁にできないだろ?」
たすきで縛り上げられた袖の間から、男顔負けの力こぶがのぞいています。
(お初ちゃん、こんなだから嫁の貰い手がいないんだよな)
喜平は言葉をぐっと飲みこみ、自分の好きな沼女のことを想います。
(それに引き換え、あの女のしとやかなこと)
美しい女と夫婦になれる、そう思うだけで喜平の心は踊りました。
沼に着くとまるで喜平を待っていたかのように沼女が顔を出していました。
「早くかぶらをくださいな」
女が甘い声でかぶらをねだると、喜平は鼻を伸ばしてかぶらを沼へと放りこみました。かぶらには縄がかけられ、茂みに隠れているお初がその先を握っています。
ボチャン
かぶらは大きな音を立てて沼の底へと落ちていきました。すると女の顔はザブザブと沈み、水面に泡がブクブクと浮かんでは弾けていきます。
お初が持っていた縄をぐぐっと引くと、沼の底から強い力で引っ張り返されました。
「かかったね」
沼へと引きずりこもうとする強い力に負けないように、お初は腕に縄を巻き付けてエイヤエイヤと引っ張ります。喜平はその様子を唾を飲んで見守っていました。
「やめてぇ」
沼からは女の悲痛な叫び声が響きます。
「お初ちゃん、そんなに引っ張ったらかわいそうだ」
たまらず喜平はお初を止めましたが、その強い力に引っ張られていたのはお初の方でした。少しずつお初は沼に引っ張られていきます。
「そんなことを言っていないで喜平さんも手伝っておくれよ。それとも沼の中で夫婦になるつもりかい?」
喜平は濁った沼を見て顔をしかめました。沼はドロドロとして緑とも灰とも言えぬ、気色の悪い色をしています。
「それはごめんだ。よし、一気に引っ張り上げよう」
そう言うと喜平も縄を上げるのを手伝いました。男の喜平の力が加わると縄はどろっとした藻を巻き付けながらどんどん陸に上がっていきます。
「よいしょーっ!!」
喜平とお初は力を合わせて縄を力いっぱいに引き上げました。すると大きな黒いものがざぶーんと飛び上がり、喜平の足元へと落ちました。
「いやだよう!」
それは悲鳴を上げながらビチビチと泥をはね上げ、土の上をもがいています。
「ぎゃあああ」
喜平はその生き物を見ると叫び声をあげました。引き上げた女に口はありません。いえ、口どころか人の姿がないのです。引き上げられたのは沼と同じ大きさはあろうかという大きなオオサンショウウオでした。オオサンショウウオの背中にはコブがたくさんついていて、そのひとつひとつが人間の顔になっていました。どの顔も整った顔をした美男美女ばかりで、そのうちの一つが喜平が惚れた女だったのです。
「この沼の主だね」
お初は冷静でした。オオサンショウウオの黒い手足がぬるぬると沼に向かって動きますが、初がしっかりと縄を持っているので逃げることはできません。
「喜平、喜平……助けておくれ」
オオサンショウウオがねっとりとした口を開くと、すがるように喜平に助けを求めます。喜平は慌てて初の背中に隠れました。
「馬鹿を言うな! 化け物め」
オオサンショウウオは「うっうっ」と悲しく泣き始めました。
「お初ちゃん、こいつは人食いサンショウウオだ! 頭を見てみろ、あんなに食われちまった人間がいるんだ。やっつけないと俺たちが食われちまう」
「喜平さん、何を言っているんだい」
お初は自分の背中に隠れている喜平を前に引っ張り出すと、オオサンショウウオのこぶがよく見えるように喜平の顔を突き出しました。喜平はその不気味な姿に「うっ」と口を押えます。
「よく見てみなよ。あんな美男美女がこの村にいるかい? この村には牛蒡にかぶらに芋みたいな顔しかいないんだ。あれは人間を騙すための偽物だよ」
よくよく見ればオオサンショウウオに付いた顔の目はどれも不自然でした。あれほど恋しいと思った女の瞳も、まるで紙に描いたように全く生気が感じられません。
「私は食べ物がほしかっただけ」
オオサンショウウオの悲しい声が聞こえます。お初は朽ち果てた祠に目をやりました。昔は村人たちが沼の主を祀っていたのでしょう。それがいつしか忘れられて人々は沼に寄り付かなくなってしまったのです。
「かわいそうに、お腹がすいていたんだね。あの祠をきれいにして、そこに食べ物を供えるよ。だからもう村人を惑わさないでおくれ」
お初が縄を放すとサンショウウオは泣き止み、ぬめりぬめりと這いながら、暗い沼の底へと戻っていきました。
「さぁ私たちも帰ろう」
お初は何事もなかったように来た道を歩き出しました。その背中のなんと頼もしいこと。
「かっこいいなぁ」
「何か言った?」
「いいや、なんでもない」
喜平はそうしていそいそとお初の後ろをついて帰りました。
それから約束通り、喜平とお初は沼の祠をきれいにして食べ物を供えました。すると不思議なことに沼は明るくなり、澄んだ水も湧くようになりました。備えた食べ物はすぐになくなりますが誰もオオサンショウウオの姿を見た者はいません。そのかわり沼では時々、水底から小さな泡がプクプクと浮かんでいるのが見えました。
喜平は前よりも吾六の家に行くことが多くなりました。遅くまで長居をすることもしばしばです。この日も喜平が帰るころには空にきれいな満月が浮かんでいました。土間ではお初が手土産にかぶらを持たせようと丁寧に束ねています。白く丸々とした立派なかぶらはまるでお月さまのようでした。
(まん丸でかわいいなぁ)
喜平が見とれていたのは月のようなかぶらではなく、かぶらのようなお初の顔でした。喜平は隣に座っている吾六に言います。
「なぁ、吾六、沼女の次はかぶら女を嫁にしたいと思っているんだが反対するか?」
突然の申し出に吾六は驚きましたが、すぐにニヤニヤと笑いました。
「反対なんてするもんか! 見てみろ、かぶら女も頬を染めて赤かぶらになっていやがる」
そうして喜平はお初と一緒になりました。そして沼の主のご利益か、二人で育てたかぶらはさらに甘く美味しく実りましたとさ。
おしまい




