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蒼き蝶に赤き花  作者: 織星伊吹
第3章 蒼き蝶に赤き花
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第88話 三年前


 三年前――、高校入学の日――。



「――――蝶~! あんた早く用意しなさいよ」


 朝から騒がしい母さんの怒鳴り声が、俺の部屋まで響いていた。

 高校入学の日――買ったばかりのクローゼットに備え付けの鏡を前に、俺は自分と睨めっこしていた。


「……くっ、ネクタイむずいっ」


「ったく、ダサダサ君ねえ」


 いつの間にか部屋に入り込んでいた母さんが、ダメ出しする。


「早くしなさいよ、ほら、やったげるから」


「いやいや、何勝手に入ってんの!? 普通ノックとかするだろ!」


「あはは、何? 警戒してんの? 昨日母親にえっちなモノ見つかったからって」


「…………っ」


 何も抵抗できなくなる俺。

 あのな、母さん……昨日の事件は俺の中では無かったことになってるわけですよ。それを掘り返すとか鬼だよこの人。

 当時のことを思い出しているのか、母さんはニヤニヤしながら俺のネクタイに手をかけた。


「……今日、花ちゃんと写真撮るからね」


「……いやだ」


「……何でそんなに嫌なの?」


 母さんはネクタイを締めながら、少し寂しそうに訊ねてきた。


 高校入学式である今日は、蒼希家赤希家の方針に従えば8回目の写真を撮るのが恒例だ。


 ……だけど、やっぱり嫌なものは嫌だった。

 俺はもう花のことを完全に女の子として意識してしまっていたし、何をどうしようと気まずさが薄れることはないと勝手に決めつけていた。


 小学生のときはただ花と一緒に居ることが恥ずかしかった。周りに冷やかされるのが嫌だった。

 だけど、中学時代を経た今――まったく違う感覚に陥っている。身体も心も成長した今では。


 花のことを考えるだけで、胸の高鳴りが凄くて、たまに苦しくなるんだ。


 廊下で姿を見かけたとき。偶然目が合ってしまうとき。今まで一緒だった幼なじみの花には感じたことのない高揚感を抱くようになっていたんだ。


 昔みたいに仲良くできないのに、会話だってまともにできないのに――花のことを好きであることが、少し後ろめたかった。

 だから、ずっと見ていたいと思ってしまうのに、隣に並ぶことがはばかられた。


 この前は花が話かけてきてくれたんだ。軽くおはようから始めればきっと大丈夫だよ、と自分を鼓舞しても、なかなか勇気が湧いてこない。


「……知るか。そんなこと」


 寂しそうな表情の母さんに、俺はそんなことしか言えなかった。母さんの気持ちもちゃんとわかっていたのに。


 俺は、素直になれないバカだ。


「ていうか、何で毎回写真撮るんだよ……いつまでやるつもりなわけ?」


「……え?」


 微妙な気持ちのまま、言葉だけが先走る。

 相手を傷付けると知っていながら。


 俺の言葉を聞いた母さんは、やっぱり少し沈んだ表情をした。ネクタイをぞんざいに振り払うと、部屋を出る間際に一度振り返った。


「……花ちゃんに言っちゃうわよ?」


「……は?」


「アンタが夜な夜なえっちな――」


「ばっ、ふざけんな! ……わ、わかったよ行くよ! 写真撮れば良いんだろ!」


「ふん、そーよ! それで良いのよ! てゆーか、知られたくないってことはアンタ、やっぱり花ちゃんのこと好きなんでしょ~?」


「うるさいな、先行ってろよ」


 すると、部屋を出て行った母さんがまたすぐにひょっこり現れた。


「アンタに彼女はいつ頃できるの? ぷふっ」


「いや笑ってんじゃないよ。俺が知るかそんなこと」


「アンタはモテなさ過ぎなんだから、花ちゃんしかいないのよ~! お嫁さんは」


 花は、きっと……モテるんだろうな。あんなに……可愛いんだから。

 ていうか……彼氏とか居るんだろうか。

 勝手な妄想が止まらなくて、俺は一人で勝手に落ち込んだ。



 * * *


 母さんと一緒に外構の階段を降りると、いつもの場所には俺と同じ高校の制服を着た花と、花母さんが立っていた。


「おはよう! お待たせ~」


「おはよ~、あっ、花……ほら、蝶くん来たよ」


「……も、もう早く撮ろうよ~」


 花母さんが花に耳打ちする。花は不満そうに花母さんの服を引っ張っていた。

 待っている間、花たちは一体何を話していたんだろう。

 まさか……俺のことだったりして、と有りもしないことを想像してしまう。俺と母さんも花のことばかり話してたし。


「お母さん、早くしようよ~。……入学式で遅刻なんて、やだ」


「…………」


 花と一瞬視線が合って、俺はすぐさま反らした。

 ああ……参った。思っていたよりも辛いなこれは。反らしたことを相手に認識されてしまったことがまた辛くて、ヘンな悪循環に陥りそうだ。


 花が、俺のことを考えているわけないじゃないか。ただ家が隣で、昔仲が良かった幼なじみってだけで、ソレ以外の何者でもないんだ俺は。むしろ鬱陶しく思ってるに違いない。幼なじみなんて肩書き、花にとってはマイナスでしかないんだ。現に今だって凄く迷惑そうにしてるし。


 ――そうだよ。そう思っていたほうが、俺のほうだって楽だ。俺たちは、


 今更好意を寄せられたって、なんだよって感じだよな。昔の花のことばかりで、今の花のことなんて全然しらないのに。

 ていうか、俺はなんでこんなに花が好きなんだろう……。


 ……一体、なんなんだろうな。この気持ちは。


 今のこの距離感、空気。そのすべてが辛くて苦しい。

 だったらもう、このまま他人になっていくほうが……ずっと……。


 どこまで考えても思考は止まらなかった。ずっと、ぐるぐるぐる同じところを回り続ける。

 ただ一言、花とお話できれば解決できそうなモノなのに、俺は上手くできそうになかった。ただ勇気のない単なる弱虫だった。


 やがて、母さんたちは俺たちをいつもの位置に立たせて、カメラを構えた。


「中学卒業のときも思ったけど、やっぱり二人とも大きくなったんじゃない?」


「そうね~、身長以外もイロイロ大きくなったわよね~花」


 えっ、と俺は花母さんをガン見してしまう。え、イロイロって……どういうことだ。一体どこが大きく……!?


「は、はあ! お母さんのバカ! 何言ってんの」


 花は真っ赤な顔でムスッとそっぽを向く。その一瞬を見逃さなかった俺は、つい彼女の胸部辺りをチラ見してしまった。すまない。花……。

 ブレザーの上だから正直良くわからなかったが、なんとなく膨らみがあることはわかった。本当に胸が生えたんだなあ……花。


「蝶くんなんて格好良くなって~」


「このポンコツ太郎が? ナイナイ。そんなことより花ちゃんほどの美少女も珍しいわよ!」


「「おっほっほ!」」


 すぐ帰りたい……。いや、正しくはこれから登校なんだが。

 母さんたち二人のくだらない世間話が繰り広げられる中で、俺の全神経は左側面に寄っていた。何故かって? そこに花が立っていたからだ。


 俺の心臓の音とか……聞こえてないだろうか。心配でしょうがない。

 なんかヘンな汗かいてきたし……動悸がヤバい。


 ああ……見たい。花の顔が……見たいなぁ。俺の全細胞が花を渇望していた。

 そんな俺は付近を通り過ぎるちゃりんこおばちゃんを利用して、視線の流れを花へとスムーズに移すことに成功。


 これならばそう不自然でもないだろう!

 ……いや、キモっ、何してんねん俺。とか自分を責めつつも俺はちゃっかり花の横顔を確認した。


 天使の羽のように白く潔白な肌。発色が良くぷっくりした愛らしくも扇情的な唇大きく丸い印象的な琥珀色の瞳。


 ――やっぱり花、凄く可愛くなったよなぁ……。


 それは嬉しくもあり、寂しくもあった。

 子供だったときは、花を独り占めしていたのに、こんな美少女になってしまったら、周りの男が放っておかないだろう。だからこそ、俺が入る隙など無いに等しい。現実を思い知らされた感じだ。


 すぐに視線を反らそうと思っていたのに、しばらく見惚れてしまっていた俺に――、


「……ぁ、あの」


 花の声。


「え?」


「その、な、何……かな?」


「えっ、な、何って……? 何が? えっ?」


「へ? や、あの……なんか……さっきからすごい……み、見てくるからっ」


 花は恥ずかしそうに顔を俯けた。たまに横目が合うとドキっとくる。


「……あ、あぁー……なるほど。あの……いや、なんでも……ないよ」


「ん? ……う、うん」


「……うん」


「…………」


 え、キモッ。なんなの俺。なるほどってなんだよ。死んでくれ俺。


 ――っていうか。

 チャンス! 千載一遇のチャンスだったんじゃないの!? 今タイミングを完全に逃したよね俺! んなアホな! でも花が突然話しかけてくるから! 心の準備全然できてなかったし!


 突然体温爆上がりで皮膚という皮膚が真っ赤に染まる。

 行き場を無くした俺の右手が、左肩を求める。俺は肩を掻くフリをしてまた花をチラ見する。もう気持ち悪くてしょうがねえなぁ!! お前はよォ!!


 そんなとき、背後のコンクリート壁に懐かしい落書きを見つけた。


 ――そういえば……良く落書きしたよな、ここに。


『ちょう 5さい』『はな 5さい』


 ぐにぐにの筆跡で俺たちの名前と共に、年齢が書かれている。


 もうチョークの色が薄くなっているけど、そこにはしっかりと俺たちの名前が残っていた。

 小さかった頃は、写真を撮った後に身長がどれだけ伸びてるかなんてことを良くやったっけ。チビ助だったときは花のほうが身長が高かったから、俺は悔しくて。

 今じゃもう逆になっちゃったけど。


 ――懐かしいな。

 信じられるか? 今、隣にいる女の子と俺は一緒にお風呂にも入ったことがあるんだぜ? ……今考えると無性にドキドキする。

 大人の真似をしてキスだって何度もした。結婚の……約束だって。


 花の隣に立って、こうして昔の出来事に想いを馳せることがこんなに幸せな気持ちにしてくれるなんて、知らなかった。


 ここに来るまではあんなに嫌な気持ちだったのにな。今では、この時間が終わって欲しくないとさえ、思ってる。


 ずっと……花の隣に居られるだけで、こんなに……。


「おい。放心状態アホ助くん、ちゃんとこっち向きなさい」


「……え?」


 いつのまにやら世間話は終わっていて、撮影に戻っていた。


「花~、もっとにっこりしてよ~」


「……してるもん」


 俺の隣で花が、むすっとした顔でそう言った。

 俺が言うのもアレだが、なかなかにふてぶてしい顔をしている。大分ご機嫌斜めのようだ。


 ――だよな。


 さっきまで俺の胸に満ち足りていた幸せな気持ちは一瞬で消え去った。

 もう今後、花と仲良くなることはないだろう。


「もう……じゃあ撮るよ?」


 親たちももはや諦めているようで、とても悲しそうな顔でシャッターを押した。


 高校入学の日――8回目の写真は、お互いに距離も離れていたしカメラもちゃんと見ていないしで、嫌々撮られたような格好の写真になった。


 これが、丁度三年前の出来事になる。


落書きって想い出を呼び起こしますよね……全然関係無いけどラクガキ王国ってゲーム好きだったな……。

さて、あと2話、89話、90話で完結予定です!

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