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蒼き蝶に赤き花  作者: 織星伊吹
第3章 蒼き蝶に赤き花
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第77話 誰にも渡したくない、二人の温かい居場所のために


 沈黙したままお互いに見つめ合うと、どことなく気まずい雰囲気があった。そしてそれは無性に懐かしい感覚でもあった。


「…………」


「…………」


 指先をもじもじさせながら、花が一歩踏み出す。

 花の顔を見ることができなくて俯いていると、彼女の声が聞こえた。


「今のって……蝶の声だよね、多分」


「……ひ、人違いです」


 次第に顔が熱を帯びていく。

 恥ずかしさ以外の何ものでもない。いますぐ穴に入りたい。


「なあに、それ」


 花がくすくすと笑う。


「恥ずかしいの?」


「…………それは、そうだよ」


 当たり前のことを訊ねられて余計に恥ずかしい。意地悪だ。

 そりゃそうだよ。超絶スーパーイケメン俳優の伊波匠に嫉妬してることバレてんじゃん。こんなにも自分が惨めに思えたことってないよ! 本当に、もう!


「ここで……何してたの?」


「え? ……散歩、かな」


「じゃあ、お家では?」


「家……では何もしてなかったな。だから出てきたというか。まあ、そんな感じ」


 この会話に何か意図があるのだろうか。それ以上でも、以下でもないような気がした。だけど、花が俺のことを気にかけてくれているのは伝わった。


「そっかぁ……」


「うん」


 懐かしい流れに、はらはらする。以前頻繁に感じていた気まずさと似ていると思ったけれど、実のところほんのちょっと違う。前の気まずさはどこか心がふわふわして、ときおりきゅんと胸が締め付けられるようだったから。

 でも、今はとにかく居心地が悪かった。


 お互いに俯いて突っ立ったまま、俺たちは意味の無い会話を続ける。


 ――本当に、何してるんだよ、俺たちは。


 花は何をしにここへ来たんだろう。偶然だったのかな。それとも俺に何か用事があったのかもしれない。

 心のもやもやを発散することもできないまま、握った拳をゆっくりとほどいた。


 ちゃんと、花の顔をみて話さなくちゃ。“話さなくちゃいけない話”について。


 緊張しながら、少しずつ顔を上げていく。

 膝から、胸あたりまで視線を移動させ、栗色の毛先が俺の瞳に映る。


 今花がどんな表情をしているのか気になった。


 顎。唇。鼻。

 花の整った顔のパーツが少しずつ見えてくる。



 花の頬を、一線の雫が伝った。



「ぐすん」



「え」


 突然のことに、俺はアホみたいな声を上げていた。


「……ううっ、ふぇぇ~ん」


 顔も隠さないで、押し殺したか細い声で花は泣いていた。瞳と鼻の先っぽが赤くなっていることに俺はたった今気が付いた。


 どうして花が泣いているのか、その理由はわからなかった。

 だけど、何故だか俺の瞳にも涙が溜まっていた。それを溢れさせないように必死に堪えて、花の頬に触れようとしたけど、結局手を引いてしまう。


「花、どうしたの」


「ひぃーん……ううっ、ごめんなさぃ~」


 花は子供のように洋服の袖でごしごしと涙を拭った。


「どうして謝るの?」


 理由はなんとなくわかっていたけれど、俺は気が付かないフリをした。ただ、強がっているだけなのかもしれない。格好いい男を演じているだけなのかもしれない。


 一生懸命に想いを伝えようとする花を見ていると、涙が零れそうになってくる。


「わたし……蝶の気持ちを全然考えてなかった」


 花の瞳から、ぽろぽろと大粒の涙が溢れ出る。


「舞台のこと、言うべきだった。いくら恥ずかしいからって、隠しごとされたら蝶は辛いよね……嘘もついちゃったし、わたし最低だよ」


「うん。聞くから、落ち着いて喋って」


 泣きじゃくる花にできる限り優しい言葉をかけながら笑った。そうしたら、花も笑ってくれるかもしれないから。


「わたしのこと……もう嫌いになっちゃった?」


「なってないよ」


「……ううっ、本当?」


 花の声を聞いていると、本当に俺は心が安らかになって、温かい気持ちになる。愛しくて、愛しくて堪らない。


 昔っから、この想いは変わらない。ケンカをしたって、何があったって、この根っこの部分は絶対に覆ることはないんだ。いつまでも、ずっと。


「大丈夫だよ、ゆっくり話して」


「……うん」


 二人で近場のベンチに腰掛けて、俺たちは話をすることにした。

 結果から言うと、小さいころから自分の夢を知っていた俺の前で真剣に演技をすることがまだ少し照れくさかったことと、今はまだ見て欲しくないという気持ちが花にはあったらしかった。

 テレビや舞台の本番に出られるくらい上達したときに、成長した自分を見て欲しかった、とそういうことだった。


 伊波匠に関しては、彼が文化祭にやって来ることを花はまったく知らなかったらしい。

 文化祭で舞台をすることを演技指導を受けている先生に伝えていた花は、その先生一人が見に来るものだと思っていた。

 だけど彼は伊波匠を連れてきたのだ。

 業界内では結構有名な指導者であるらしく、伊波匠さえも彼の教え子なのだとか。プライベートを共にするくらいには仲良しらしい。そこで花の舞台を知った伊波匠の強い希望もあって、おまけでくっついて来たというわけである。


 ちなみに舞台は二回構成のものだったらしく、俺が見たのは第二回目らしい。俺が柊さんと文化祭を見回っていた間に、花は第一回目の公演をしていた。

 突然の指導者と超人気俳優の登場でガチガチに緊張していたらしい花は、一回目の公演では盛大に失敗したらしい。おかげで指導の先生にも厳しい言葉をもらったらしく、ちょっと不機嫌な花が少し可愛かった。


 第一回目公演が終了したとき、俺と文化祭を回る約束をしていた花は、二回目公演が始まるまでの少しの時間を俺との時間にしてくれようとしたけど、そこで先生に言われたそうだ。


「文化祭、匠を案内してやってくれないか。匠のたまの休日だしな。花もさっきの舞台の感想やアドバイスを匠から聞くと良い」


 断ることもできず、了承してしまったということらしい。優しい花らしかった。


 急用が入った先生は途中で帰り、少し戸惑う伊波匠と一緒に花は文化祭を案内しながら、第一回目の公演についての反省会をしていたというわけだ。

 そんなときに厄介なことに俺が花と伊波匠が二人で歩いている後ろ姿を見つけてしまった。そこで俺は、シスの暗黒卿への道を歩み始めるのだった。


 この話を聞いて自分のバカさ加減を痛感した。それと、花のことを全然信じられていなかったってことも。


「黙らないでよ。何か……喋ってほしい」


 花は俺の隣で不安そうな表情を浮かべては、仔犬のような潤んだ瞳で俺のことを見つめてくる。


「蝶、怒ってる?」


「…………」


「ねぇ、蝶っ……」


 ――違うよ、花。

 花は演技指導の先生を前にした大切な舞台劇をやりながらも、俺のことをずっと想ってくれていた。

 ダメだったのは、目の前で見せられた光景に勝手な被害妄想を繰り広げて沈んでいった俺だ。対話も無しにすべてを決めつけて悟ろうとした俺だ。君の夢を心から応援したい気持ちよりも、自分のワガママな欲求を叶えようとした俺だ。


 ――変わらなくちゃ。


 誰にも渡したくない、二人の温かい居場所のために。


「花」


「蝶……やっと名前呼んでくれた!」


 花が飛びついてきた。ふわりと甘い香りが漂う。見下ろすと栗色の小さな頭が視界に入った。それ撫でながら、俺はくすりと笑った。


「本当に、花は泣き虫だな」


 それまでできなかった分を取り戻すように、花は俺の身体に顔と身体全身を押し付けるようにしがみつきながら泣いた。これが噂に聞くだいしゅきホールドなのだとしたら、俺は嬉しくて死んでしまうかも。


 花の嗚咽を聞きながら、俺の頬にも一線の涙流れた。心から安心した気持ちと、自分自身の心の弱さへの情けなさからだったのかもしれない。


 花のことを疑ってしまったこと。それに夢を応援することができなかったことへの悔しさ。そういったものがごちゃ混ぜになってしまったからだろう。


 でも、それでも。

 二人でちゃんと話し合って、お互いに認め合えれば良いな、って想うんだ。




そのまま絞め殺された彼の表情は、とても幸せそうなものだったそうだ。

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