第75話 その男、ウィンウィンにつき
「……蒼希くん? どうしたの?」
「…………行きましょう、柊さん」
「え? いいんですか?」
「はい」
首を傾げる柊さんを置いて、俺は早歩きで歩くスピードを速める。
花が何を思っているのかはわからない。
ただ、今は会いたくなかった。
何食わぬ顔で声をかけたらすべてが勘違いで終わるかもしれないのに。
でも俺の身体は言うことを聞かなかった。気が付けば別の方向に足を進めている。こんな自分自身が嫌だった。
そうだ。内心被害者ぶってる俺だって似たようなものじゃないか。久しぶりに会った中学の先輩と一緒にこうして二人きりで歩いているのだから。
いや、俺は柊さんから告白を受けたことがある。そのときは気持ちだって揺れた。
だから、全然……同じなんかじゃない。
「蒼希くん……具合悪いんですか」
俺の表情を覗き込むようにしてくる柊さんが、心配そうな顔つきで見つめてくる。
「平気ですよ。ちょっと考えごとしてただけです」
「嘘は嫌いですよ」
「…………」
今頭の中で巡っている負の感情を柊さんに相談すべきか迷った。
正直、不安だらけだった。
花が有名人のイケメンと二人っきりで一緒に居るのも。時間がないとメッセージを送っているくせに、伊波匠との時間があることにも。
本当は、花が芸能界に足を踏み入れることだって、もの凄く心配でしかたない。
テレビに出たりして、売れっ子になるかもしれない。厳しい現実を突き付けられて、悲しい思いをするかもしれない。
きっと二人で会う時間だってなくなっていくだろうし、これからも俺は今みたいな気持ちをずっと続けていかなくちゃいけないってことじゃないか?
花の小さい頃からの夢だったから、もちろん応援はしてあげたい。それは嘘じゃないんだ。
自分自身にそう言い聞かせる。できる限り自分を誤魔化そうとしても、やっぱり不安の芽を完全には摘み取れないんだ。
自分がどうしたいのか、俺はよくわからなくなってしまっていた。
そんなとき、聞き慣れた大声が廊下中に鳴り響いた。
「……うおぉーいっ! バタフラーイっ!」
「ミッチー……?」
くしゃくしゃのチラシを握りしめたミッチーが、息切れしながら俺の下半身にしがみついてきた。いや、しがみつくなよ普通に。
「こ、これを見ろよバタフライ! フラワーが舞台劇をやるらしいぞ! フライキャニオンが見つけたんだが、知ってたか? どうやらこれから公演が始まるらしい! おい何してるんだよバタフライ! 早く見にいこうぜ!」
「バタフライ? ミッチー? フラワー? ……ふ、ふらいきゃにおん……?」
俺の隣で頭にクエッションマークを浮かべる柊さん。初見ミッチー言語は辛いですよね。わかりますよ。
ミッチーからチラシを受け取り、内容を確認する。
「舞台劇……」
――なんで、教えてくれなかったんだろう。
* * *
暗いカーテンに光を遮られた体育館――まばらに空いた客席の中、空いているパイプ椅子に俺は腰を下ろした。隣には柊さんとミッチーが座った。
「楽しみですねえ! お友達が出るんですよね~?」
柊さんが嬉しそうな顔でにっこりと微笑む。
「ったくフラワーめ、あいつが演技なんて出来るタマかよ! ……俺にまで隠しやがってよ、くふふふっ……」
良くわからない訳知り顔で、ミッチーがニヤニヤと楽しそうな表情をしていた。
「ミッチーさんはフラワーさんと仲良しさんなんですか?」
「はっはっは! 当たり前じゃないか! 俺とフラワーの仲はもう本当に凄くて、なんかなかなか良い感じに凄いからな! なはっ!」
「ふふ、良くわかりませんね。なは!」
柊さんが笑顔でさらっと冷たいツッコミを入れつつ良くわからないノリにまで付き合ってくれたのが面白かった。ていうかいつの間に意気投合してんねん。しばらくは柊さんとミッチーの噛み合わない会話を横で聞きながら、開演時間を待つ。
「蒼希くん……まだ具合悪いですか」
「え? ああ、大丈夫ですよ……ちょっと、頭が痛いだけだから。すぐ良くなります」
「……うん」
さっきから心配してくれる柊さんの気持ちが、俺にとっては逆に重荷となってしまっていた。これではいけないと表情を引き締める。
ヘンなことは考えないで、花の舞台を楽しもう。
「バタフライは頭バカだからなぁ」
「ミッチーは黙ってろ」
柊さん……最後まで難しそうな顔をしてたな。俺の笑い方が不自然だったせいだろうか。
うん、そうだよ。いいかげんやめよう。
……話すんだ。この舞台劇公演が終わったら、花とちゃんと話す。
このままじゃ、やっぱり嫌だから。
少し時間が経つと、男性のナレーションで舞台劇は始まった――。
* * *
「わたしは……あなたが好きです。だから待っています、いつまでも……ずっと」
スポットライトを浴びる花の表情は、完全に役になりきっていた。
女優の顔になっている彼女を、俺はその日初めて見た。
彼女のその真剣な表情を見て、ああ本当に本気なのだなと、俺は当然のことを今更に思った。
「フラワーさん、お芝居が凄くお上手なんですね。なんだか見入っちゃいます」
与えられた役を演者として精一杯やろうとしているのが伝わってくる。
舞台の上に立つ彼女は、もはや女優の卵だった。
人前で話すことが苦手だった恥ずかしがりの彼女はもうそこにはいない。幼なじみの赤希花から、突然変わってしまったように俺は思ってしまった。
「だろ? フラワーは演技が出来るタマなんだよ」
「ミッチー、さっきと言ってること違うぞ」
俺は半笑いになりながらミッチーにそう言った。
引きつった笑みになってしまうことが彼女にとても失礼に思えたし、そもそもこんなような顔になってしまうこと自体がショックだった。
彼女には間違いなく役者としての素質がある。そして、チャンスにも恵まれている。
なら、そっちの世界で頑張るべきだ。これから踏み出す彼女の背中を押してあげることが、俺にとってできる最高の…………。
「…………」
俺は、それが……嫌なんだな。
女優を目指すと告白されたときは驚いたけど、まだ応援できる気持ちが強かった。でも、実際に当人の演技を目の当たりにしてみると、想いも変わってくる。
途中で長文のセリフが来ても、花は難なく演じて見せた。そして、その言葉たちにはたくさんの感情が乗っていた。花なりの解釈なのか、上映前に渡されたパンフレットに乗っている人物紹介のプロフィールよりも素直で、愛らしさを感じる。
今必死に演技をしている花の頭の中には、俺のことなんて一ミリもないだろう。むしろ、そのくらいでないとダメだろう。
そう。それでいいんだ。
本当にそっちの道を目指すのであれば。
だけど、俺は気が付いていた。
そうなれば、おのずと花にとっての俺は、小さな存在になっていってしまうであろうことを。
そんなとき、体育館の扉が乱暴に開き、ローファーの足音が甲高く鳴った。
「邪魔すんぜえ」
高身長の金髪オールバックがドスを利かせた声を体育館中に響かせる。
ステージ上で演技をしていた花たちの動きが一瞬止まる。すぐに再開したが、それでも明らかに自分たちの芝居の客ではない乱入者に、戸惑っているようだった。
「…………お前、ウィンか」
そうぼやいたミッチーが、険しい表情のまま席から立ち上がった。
金髪オールバックは立ち上がったミッチーに気が付くと、にやけた面のままわざとらしくセリフめいた口調で始めた。
「おぉ、懐かしいな。またそのふざけた名前で呼ばれることがあるなんてな。勝利だからWINなんだっけか? ……相変わらず面白いヤツだな、三井」
枯れ果てた声でケラケラ笑いながら、こちらに近づいてくる。
「あ、あの、すいません! 今は公演の最中なので、後からの入場はできないんですよ」
「うるせぇな、んなもん興味ねぇ」
スタッフである生徒の一人が胸を突き飛ばされ、床を滑って倒れた。付近では小さな悲鳴が上がった。
「他の人たちに凄く迷惑だぞ、お前。……一体何をしにきた。早く出ていけ」
ミッチーが慌てて席から離れて、歩み寄ってくる金髪オールバックの元へ向かっていく。いつも温厚なミッチーの、威圧的な眼光を俺は垣間見た。
「……熊沢に聞いた通りだな」
「なんのことだ」
「お前が凄げぇ腑抜けになっちまってるってことをな」
場もわきまえず大笑いを繰り出す男が、ミッチーの頭を二、三度叩いた。
「今日はな、お前ともう一度話をしに来たんだよ」
顔をグッと近づけて、「腑抜け連中とつるむのは辞めろ、俺たちのところに戻ってこいよ」
ミッチーの瞳は決して濁らなかった。でも、少しだけ悲しそうな顔でもあった。
「俺はお前に話なんか無いぞ」
冷たく、刺々しい口調で切り捨てるミッチー。
「そんなこと言うなよぉー……昔は一緒に仲良くやってきたじゃねーか! お前は普通の奴らとじゃ絶対に合わねぇよ」
「…………腑抜けじゃない。友達だ」
体育館は暗くて、はっきりと表情まで見えたわけじゃなかった。だけど、強く拳を握りしめたミッチーは、今凄く怖い顔している気がした。
「なんだよ、それ。俺はお前の友達じゃねえみたいじゃねぇか」
「一緒に人を傷つけることが友達なのか? 一緒になって人のことを嘲笑うのが友達か? それは違うよ。……友達と一緒に居ることがどんなに楽しいことか、お前にも教えてやりたかったよ」
「ふん。友達ね、で、なに? お前あれからずっと喧嘩してないんだって? 鈍ってんじゃねーだろうな。熊沢でもやれたんじゃねーか? あいつビビりやがって」
「もう人を傷つける様なことはしないって決めた。何も楽しくないからな」
「……じゃあ、もう俺等と連むつもりは無いのか?」
「ああ、無い。あれが友達だって言うんなら……いらない」
「そうか」
次の瞬間、金髪オールバックは深く踏み込み、強烈な右ストレートをミッチーの頬に叩き込んだ。
「ミッチー!」
俺はぶっ飛ばされたミッチーの側に走り、金髪オールバックの男を見上げた。
「ほぉ……これが腑抜け友達か。ミッチーね、くくっ……仲良しごっこは楽しいかい? 本当くだらねーな」
「腑抜けで悪かったな。……でも友達だよ。くだらない仲良しごっこなんかして無い。ちゃんと友達やってる」
「口だけは達者だな、友達くん! 実に鳥肌が立つよ」
本当なら今すぐへらへら笑ってるコイツをぶっ飛ばしてやりたい。……でも、ミッチーは周りの人達の迷惑になることがわかってたから、被害を最小限にするために殴られ役を買ってでたんだ。
だったら、悔しいけどここで俺が台無しにすることはできない。
ミッチーのケガの程度を確認する。口が切れて血が溢れていた。俺と目を合わせると、彼はにっこりと笑った。
「バタフライ、ありがとう」
「あぁ、大丈夫?」
「……本当に悪い。俺のせいだ」
ときおり見せたミッチーの感傷的な表情が、ウィンと呼ばれる彼との苦い物語を教えてくれる。そこに、俺が踏み込むことはきっとないだろう。
だけど――さっきまで怒りの表情をしていた男が、俺の顔を見た途端にこんなにも優しい表情になれる奴が、悪いやつなわけがない。
知らない三井のことなんてどうでもいい。俺は友達のミッチーのことならなんでも知ってるんだ。
ミッチーの血を拭き取ろうと考えたとき、俺の隣には中腰になった柊さんがいた。
「ミッチーさん。これ、使ってください……」
「メ、メイプル……ありがとう」
「うん、どういたしまして」
今すぐにググりたい。しかしその衝動を柊さんの言葉が打ち壊した。
「あの……謝って下さい」
「あ? なんだ今度は女か?」
さっきまで柔らかい表情をしていたはずの柊さんが、途端に険しい表情になっていた。
「み、ミッチーさんに……ぁ、謝って下さい……」
「なんだ? コイツ三井の女か?」
柊さんは、仔犬のように足をぷるぷるさせて目を潤ませながら、精一杯の瞳で相手の顔面を捕らえていた。
「ぉ、女じゃありません! ……ひ、柊楓ですぅ!」
「あん?」
「ひぃっ……」
ここでまさかの天然炸裂。柊さんは男に自己紹介をした。
「ひ、柊さん……」
「蒼希くん……こ、交代です。こ、怖かったですぅ」
柊さんはぶるぶる震えながら俺の背中に隠れた。
「変な女だな。……ぁ、そういや熊沢が良い女が居るとかなんとか言ってたな……なんだっけ、赤希? 花? とかなんとか」
背筋を何か冷たいものが通った。
「なぁ赤希花ってどれだ? 今この体育館にいたりすんのか? 三井」
「……居ない。俺を殴って満足したろ、用が済んだんならさっさと出ていけ」
血を拭いながら立ち上がるミッチーの声が、少しずつ俺の知っている彼のものでは無くなっていく。
「別にいいだろー、怒るなよ怖いなあ! ちょっとお話するだけじゃねーか」
男はニヤニヤした表情のまま、スポットライトで照らされるステージのほうに向かっていく。
「お……? っぽいの発見!」
男は花にピシッと人差し指で狙いを付けると、困惑する花を舐める様に見上げ、こちらを振り向いた。
「……ウィン、早く出ていけ」
「当たりか。お前、嘘が下手くそだからな」
今にも飛びかかりそうになったミッチーを、俺は強引に引き留める。
「ミッチー……いい、俺が行く」
足が引けているのは事実だ。あまり喧嘩の経験があるわけではないし、度胸があるわけじゃない。
だけど、もしこいつが花に何かしようって言うのなら……それは絶対に許せない。
花のためなら、俺はなんだってできる。いや、してやる!
頭に血が上ってぼうっとしてきた。視界が軽く揺れてる気がする。でも、もう止まれない。
金髪オールバック野郎の背中だけを見て早歩きで突き進む。
「アンタさ、いい加減に――」
「――――いい加減にしてくださいよ」
俺の言葉を、誰かが掻き消した。
俺の声より大きく、ハッキリと。
視線の先には――、伊波匠が立っていた
シリアス展開をタイトルでぶち壊していきたい。(お久しぶりです!がんばります!)