第73話 オトナの秘密
「背……、大きくなったんですね」
俺の頭上で手のひらを止め、柊さんが微笑んだ。
「そうですか? まぁ、中学のときよりは大分伸びたと思いますけど」
「……そうですよ~! わたしと同じくらいだったハズなのに! こんなに大きくなって! 一体何食べてるの? 凄い不思議! なんか植物みたいで面白いです」
表情をころころ変えながら、身振り手振りで俺の成長を喜んでくれる柊さん。でも植物ってなんだよ!
「柊さんは……あんまり身長変わってない気がする」
「あっー! 言ってしまいましたね? でも、女の子はちょっと小さいくらいのほうが可愛いって……誰かが言ってたんですよ」
「誰がっ」
「どっかの有名人ですよ! そう、テレビ! テレビの!」
「柊さんがテレビ見てるイメージないわ……」
「なっ! 見てますよ。大人の恋愛ドラマとか見てキャーキャー言ってる口ですから……わたし。うふ。ていうか、失礼な感じパワーアップしてますね蒼希くん!」
微妙に顔を赤くしながら、柊さんがつんと唇を尖らせる。この人基本何も考えないで会話するからなあ……。
しみじみと昔のしょうもないやりとりを思い出しながら、頬を緩める。
「はは、そうですか。とりあえず、また会えて嬉しいですよ」
「ちぇ……また会ってしまいましたね、わたしたち」
「なんなんだアンタ!」
俺たちは二人で笑い合う。それは実に四年ぶりのことだった。
柊さんは中学生のときのような素朴な雰囲気をどこか残しつつも、垢抜けた大学生になっていた。高校生のメイクとはまた違って、化粧もなんとなく大人に見える。
「な、なんですか? ……人のことじっと見たりして……なんかその……は、恥ずかしいんですけど」
「あ、ごめんなさい。なんか、大人のお姉さんになったなーって思って」
「オトナのお姉さん……?」
「はい、大人です。柊さん素敵です!」
半分冗談のつもりで軽く拍手をしながら柊さんのことを祝福した。すると彼女は、少し艶っぽい表情で指をいじくり始めた。
「なんかそういうのって……ちょっとエロいですよね」
「えっ?」
「なんか……うっふんな感じですよね」
「う、うっふん……」
自分で言っていて恥ずかしくなる。なんでも思ったことそのまま言葉にする癖やめて! 対応に困るから! 面白いんだけど。
「んん? ……な、なんですかその反応! なんか私だけバカしてるみたいじゃないですかっ……男の子はいつもそーゆーことを考えてるって聞いた気がするのに……お話にノッて下さいよ~」
「今のに? てゆーか、聞いたって……誰からなんだ! さっきから!」
「えーと……ひ、秘密ですけどね」
誤魔化すような表情をしながら柊さんは俺から顔を背ける。その横顔が、卒業したときの彼女と不意に一致する。
「……そういえば、最後にお別れの言葉も無しでしたよね。柊さん」
「……それは、その」
「ま、いいですよ。柊さんっぽいし」
「うっわー、なんかムカつきますね! もういいですよ。言ってやります。告白したのにフラれちゃったんだもん……なんか気まずいじゃないですか」
「う……でも、それにしたって、一言くらいあったって……」
「ああ、気まずかったなぁ……告白断られてからも蒼希くん毎日のようにくるし……もう超迷惑でしたなあ。……鈍感プレイボーイ」
ジト目で視線を寄越してくる柊さん。
「迷惑でしたなあって言い方! あとその目もやめて!」
「元々こんなんですよ、狐さんの目~」
指で目を尖らせて、子供みたいに笑う。そんな幼さとたまに見せる大人っぽさの両方の面を持っている彼女はとても魅力的な女性なのだろう。
「あ、そうだ。柊さんに言いたかったことがあったんです」
「え~? なんですかー? なんかドキドキしちゃいますよ~」
「あのとき、好きって言ってくれてありがとうございました。……凄く嬉しかった。お礼をずっと言えてなかったし……今更言うのも恥ずかしいけど、一応」
「……なーんだ。つまんないです」
気の抜けた表情になる柊さん。
「アンタに言われるとぐさっと来るな……」
「ふーんだ。今更そんなこと言われたって、わたしの心は動かないですよ~!」
あっかんべーをしながら、ふふんと得意げな表情の柊さん。
「……別にそういう意味で言ったんじゃないですよ。柊さんが告白してくれて、俺変われたというか、ちょっとだけ成長したんです。……とにかく、ホントに心から感謝してるんですよ」
「成長……ですか。んー、でも今感謝されてもなぁ~、複雑です。……じゃあ、一応どういたしましてと言っておきますね。これで満足ですか?」
「なんで俺が不満持ってるみたいになってんだ……」
「蒼希くんの芸人魂、相変わらず良いですよね~」
柊さんはくすくすと笑ってから、目の前の絵に視線を向ける。何処か懐かしむ表情で、額縁に触れる。
「……これ、お母さんの絵なんです」
「えっ」
彼女のお母さんは亡くなったと以前聞いていた。
――だから、さっきは涙を流していたのかもしれない。
「今日は、この絵を見に来たんです」
にっこりと頬を上げて、俺のほうを振り向いてくる。
「地元近くの色んな学校に自分の絵を提供してたみたいなんです。だから、文化祭とかで結構見かけたりするんです……それを大学の先輩が教えてくれてからは、色んな文化祭に出没してます」
「それは大変ですね」
右下にはしっかりお母さんのものと思われるサインがあった。
「大変でも楽しいです! それに見てると、やっぱりお母さんの描いた絵って凄いなあって思っちゃいますね。……まぁ、ちょっとだけ悲しくもなりますけど」
「お母さん大好きなんですね」
「大好きですよ……優しいお母さんだったもん」
「なら、きっとお母さんも幸せですね。柊さんみたいな親思いの娘を持てて」
「えぇ~、そうですかぁ? えへへ~!」
だらしないくらいデレデレした顔で喜ぶ柊さん。そんな彼女を見ていると、少しだけ柊さんのお母さんを羨ましく思う。
こんなに愛しい娘さんに、慕われ愛されてるんだから。
「柊さんいい子ですもん」
「いい子って……わ、わたしの方がお姉さんなんですよ? なんだかそれじゃあ子供っぽく聞こえちゃいます」
むすっとしたふくれっ面で俺を睨み付けてくる。
大人っぽく振る舞おうとしているのか知らないが、俺にとっては面白くて、優しくて、おっとりで天然の愛らしいお姉さんだ。
「よし! 今日はもうこれも見たし……帰ろうかな」
「もう帰っちゃうんですか?」
踵を返す柊さんの後ろ姿を見つめながら、素の言葉が出た。せっかく会ったのだから、もう少し彼女と話がしたかった。
「はい。わたし絵以外に興味ないですし……帰る」
きょとんとした表情でそんなことを言う。本当にぶれないなこの人のマイペース節は。仮にも告白されたんだよね俺。もう少し気にしてくれても良いんだよ!?
スマホを確認する。花からの連絡は未だなかった。ということは、まだ忙しいのだろう。時刻は丁度昼時だった。
「……お昼とか食べました?」
「まだですけど」
「じゃあ、一緒に食べましょうよ」
「どうしてですか? お家で一平ちゃんがわたしを待ってるんですけど」
「いやそれどこで食べても一緒!」
「からしマヨネーズが付いてるんですよ!?」
「何が付いてても一緒だよ!」
「まじですか……」
「何ビックリしてるんですか……美味い出店を知ってるんです。それに、柊さんと一緒に食べたいです。きっと楽しいと思うんで」
俺がそう言うと、柊さんは少し大人な表情で、唇の前に人差し指を立てた。
「一つアドバイスしますね。そういうことは、あんまり言わない方がいいです」
「どうして?」
「秘密です」
一平ちゃんからしマヨネーズ味が食べたい……。今あるのか知らないけど。最近インスタント焼きそば殆ど食べませんね……良いことですけど。