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蒼き蝶に赤き花  作者: 織星伊吹
第3章 蒼き蝶に赤き花
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第72話 柊楓


 ――――校門を抜けて見慣れた風景を歩いていると、校舎から少し離れたところに小さな小屋を見つけた。

 なんとなく気になって見つめていると、突然ドデカい音が響いた。


「なんだ?」


 何故だか込み上がる幼心の冒険心から、中坊の俺は少し高い塀をよじ登り、鍵のかかっていないドアノブを回す。


 室内はかび臭い匂いで充満していた。校舎の影になって、陽の光があまり入らないらしい。壁には様々な器材や額縁が飾られ、さながら何処かの秘密基地のようだった。


「…………誰かいるの?」


 期待半分怖さ半分といった気持ちで呟きながら、忍び足で小屋の中を徘徊する。


 そして――、俺は目にする。

 血塗られた制服姿の女の子の姿を。


「なっ……さ、さささ……殺ッ……人ッ……」


「うっ、うぅ……わたしですか? ……柊楓って言いますけど……ぁ、あなたこそ誰なんですかっ!」


 どろり――と真っ赤な液体を床に広げながら、女の子が丸い瞳をこちらに向ける。


「うわっ、こいつ生きてるッ! 死人が自己紹介をしたぞ!」


「だから死んでませんってば! あなたが誰かいるのって言ったから、お名前を教えてあげたんじゃないですかっ! なんでわたしだけ個人情報流出してるんですか、だからあなたも流してください」


「え? なんか俺が責められてる? てか何あなたも流してくださいって」


 妙な言い回しに、ついツッコミしてしまう。


 対面の女の子は、俺のことをさっそく不審者か何かと認識したらしく、じろっと睨み付けてきた。

 少し睫毛が長く、左目の下には小さなほくろ。少し変わっているけれど、大人しそうな出で立ちの女の子だった。


「……それで……その……わ、わたしに何かご用なんですか?」


「え? あぁ……いや、さっき凄い音がしたから」


 床が汚れているのを見て、なんとなく状況を察する俺。


「…………音? ……んーと、なんでしょう……あ! それ多分わたしですね」


「うん……そうだよね」


 いやだからアンタしかいないんだってば。

 出会って間もないわけだけど、とりあえずこの人はだいぶ天然が入ってるってことだけはわかった。


「……美術部員なの?」


 彼女の背後には、色鮮やかな作品群が飾られており、部屋の隅には描き途中のキャンパスもたくさんあった。芸術のことは良くわからないけど、俺には描けないようなものばかりだった。


「そうです……わたし一人だけなんですけどね」


「ふーん。絵、上手なんだね」


「本当ですか? わぁーっ、嬉しいなっ。ありがとうございます!」


 彼女はいきなり目を輝かせて俺に近付いてきた。

 そのとき、胸の赤い校章が目に入る。

 赤――ってことは三年生……? 嘘、先輩なの? てっきり一年生かと思ってた。


「あ、あの……もしかして……三年生?」


「そうですよ? 見えませんか?」


 彼女はくすりと笑いながら、使い込まれたパレットを手に持った。


「す、すいません! てっきり年下かと思ってました! 馴れ馴れしかったですよね!」


「そ、そうですよぉ! ……わたし先輩なんですよ~……ってもう結構慣れちゃってますけど」


 筆をパレットの上に乗せ、細い指で絵の具を馴染ませていく。


「……てゆーか、エプロンとかしないんですか?」


 彼女は、先ほどからブレザー姿のまま作業に入ろうとしている。ブラウスの腹部が赤く染まったまま。


「……あぁ~! しまった! ……うう、わたしいっつも付け忘れちゃうんですよね~……今言われて気が付きました~」


 ……と、言いながらそれでも彼女は手を緩めない。


「あの……聞いてます? 汚れちゃいますよ? せめてブレザーだけでも脱いだほうが良くないですか?」


「んー、そんなことより早く絵が描きたくて」


 にっこり微笑みながら、柊さんは目の前の作品に筆を入れた。

 すると、彼女の目は先ほどまでの何処かおっとりしたものから一変し、真剣な眼差しになった。ひと筆ひと筆に心を込めてるというか、とにかく絵を描くことしか考えていない様な、そんな目だ。


「…………」


 それからは俺も口を出すことはなく、ただ呆然と彼女の描く立ち姿を拝見していた。


 しばらくして、ようやく彼女が筆を置き俺に視線を移してきた。


「……わっ! ま、まだ居たんですか?」


 パレットを落としそうにしながら、柊さんは全身を使って驚きを表現した。


「何で勝手に存在消しちゃうんですか、結構酷いですね。会話の途中だったのに……なんて作品なんですか? ソレ」


 綺麗な赤色の花に美しい青い蝶が止まっている絵が描かれていた。


「名前とかは……得にないですよ? わたし、全部子供のときに見たことがある場面とかを思い出しながら描いてるんです……あのときはあんなだったなー、とかそんな感じで。これもその一つです」


「……俺も……見たことありますよ」


 小さな子供のとき……花とあの場所で約束をしたことを思い出しながら言う。


「やったー! 初めてわたしの絵を見てくれた人から共感得た! 嬉しいですっ」


 柊さんは子供のように飛び跳ねて、手に持っているパレットをぶん回す。おかげで……色とりどりの液体が存分に飛散する。


「ち、ちょっと何をするんですか!」


「きゃ~! ご、ごめんなさい~! あんまり嬉しかったので……今拭きますぅ」


 柊さんはそこら辺に落ちている雑巾を拾い上げ、許可も無く俺の制服をごしごし拭き始める。


「いや待って! それ多分用具拭く奴! 制服余計汚れてんですけど!? どゆことっ!」


「あれー、これは計算外だなあ」


「絶対計算してないでしょうあなた!」


「……ご、ごめんなさい。しょうがない……! わたしの制服と交換しますか」


「それ一体どういう状況っ!? てゆーか柊さん、あなたのブレザーのほうがもっと酷いんですけど!」


「あっ……それもそーですよね……そしたらわたしが得しちゃいますもんね」


「得とか以前に小さくて着れませんよ! つーか正直ツッコミが全然追い付かないんですけど!」


「なんですか? あなたはお笑い芸人さんになりたいんですか? わたしお笑いには少しうるさいんですよう……フフフ。じゃあさっそくネタの一つでも見せてくれると嬉しいですね」


「アンタがネタみたいなもんだよっ!」


 偶然出会って、こんなにも早く仲良くなった女の子は初めてだった。


 * * * 


「こんにちはー! 柊さん、今日も描いてるんですか?」


「あっ、蒼希くんだ」


 俺を見ると柊さんは筆を止めてにこやかに笑った。

 ときたまこうしてここを訪れると、なんでもない世間話をするようになっていた。彼女は少し変わっているけど、部活にも入っていなかった俺は身近な先輩ができたみたいで嬉しかったのだ。


「これはなんの絵です?」


「ああ……これはですね」


 彼女の目の前に立て掛けられているキャンパスには、女性が描かれていた。しかし、顔がまだ描かれていない。


「お母さん」


 少しだけ声のトーンがいつもと違った。彼女はゆっくりと指先でなぞりながら言う。


「わたし、お母さんの顔を良く覚えてないんです。小さいときに病気で亡くなっちゃったから」


 正直柊さんの口からそんな悲しい声が返ってくるだなんて思ってもみなくて、俺はただ焦った。


「ご、ごめんなさい……俺」


「あっ、いいのいいの! あんまり気にしないで。もう随分昔の話だし。……お母さん、全然売れなかったらしいですけど、画家だったんです」


「……だから、柊さんも絵を?」


「ん~、わかんないです~! お母さんの影響かどうかは知らないけど、絵は小さい頃から好きだったみたいだし」


「へえ、でもどうして今日はこの絵を? 昨日まで描いてたやつはどうしちゃったんですか?」


「あれはちょっと休憩です。……たまにね、こうして昔描いた絵をただ眺めてたりすると、なんだか不思議と落ち着くんです…………って、蒼希くんが居るんでちょっと恥ずかしいですね。てゆーか見ないでください! 犯罪です!」


 柊さんは自分の作品を背に隠しながらぶんぶんと手を振った。


「絵描きなのに、隠したら意味ないじゃないですか」


「で、でも……大分昔に描いたものですし……へ、下手だし」


「そんなことないですよ! 柊さん、もっと自信持ってたほうがきっと今よりずっと上手くなりますよ」


「自信……絵を描くのは大好きなんですけど、最近自分で良いなと思う絵があまり描けなくて、実はちょっとだけ憂鬱なんです。……お母さんもこんな風に思ったりすることがあったのかなあ」


 柊さんは、部屋の隅に山積みされた作品群に目を移す。その中の一つに、この間見せてもらった蝶と花の絵があった。


「……実は俺、この間あの絵を見て、ちょっとだけ勇気をもらったんです」


「……勇気?」


 きょとんとした表情で顔を傾ける柊さん。


「昔は仲良かったんですけど、今は……ちょっと話しづらくなった幼なじみの子が居まして。その子とのことを少し思い出してました。もう十年位前の話だけど」


「…………」


「だから柊さんは凄いんです! 絵で人を感動させることができるんですから! その証拠に俺はこんなにも心動かされてる! 俺、芸術なんで点でダメですけど、きっとこの絵のことはもう忘れないですよ。だから、柊さんはもっと自信もって好きな絵をたくさん描いて下さいよ。きっと俺以外にも柊さんの絵を見て感動する人がいっぱいいますよ」


 少し影のかかるところに立て掛けてあるキャンバスを指さし、


「あの子供を守ってるキツネの絵だって、凄く良い!」


「あの、その……ぃ、一応……カンガルー……なん、です」


「えっ!? ぁ、マジすか!? じゃあきっと俺の目が腐ってるんですねえ。…………変顔で許してください」


 俺が怒濤の一発ネタを披露すると、柊さんはお腹を抱えて大笑いした。


「うふふ、やっぱり蒼希くんは変な人ですね~」


「柊さんにはあんまり言われたくないなー」


「……でも、ありがとう」


 その言葉には彼女の笑顔が詰まっていた。これから、きっと色んな人たちを感動させる素敵な絵を描く人の顔だ。


 そして、そのままじいっと俺の顔を見つめたかと思うと――、


「……蒼希くんって…………彼女とか居るんですか?」


「え? 彼女? 居ないですけど。どうして?」


「じゃあ、言うだけ言っておきますね。わたし、きっと蒼希くんのことが好きです」


 さらっととんでもないことを言ったかと思えば、彼女は次第に顔全体を赤く染め上げていく。


「ひ、柊さん? ……え? ……あの……す、好きって?」


「……ぇ?」


 柊さんは、わざとらしくとぼけたような表情で聞き返してくる。

 でも、彼女の言葉の意味を俺は良くわかっていた。

 手紙やメールじゃなくて、口から直接の告白。周囲に漂う緊張感や雰囲気。相手の気持ちが、表情と仕草で簡単にわかってしまう。


 だから絶対嘘じゃない、冗談ではないことがわかる。


 ――柊さん……俺のことが好きなんだ。


 年上の人に恋愛対象として見られたのは初めてだったし、柊さんのことは実際好きだった。彼女と一緒に話したりするのは凄く楽しいし、たまにドキっとしてしまうような表情をしたりするときだってあったから。


 だけど――……、


 ずっと胸のうちでぐるぐると回り続けている感情があった。そして、それは柊さんの絵を見てから、余計にそう思ってしまうようになった。


 花の顔が、どうしても頭に過ぎってしまうのだ。


「……ふ、ふつー聞きますかね、そーいうこと……」


「あ……ごめんなさい」


「もうっ」


 柊さんは唇の端を上げた。わかりやすい作り笑いだった。


「…………」


「…………」


「困った顔、してます」


「え?」


「蒼希くん。凄く困った顔してますよ? ……そんなに眉毛を寄せて」


 彼女に言われて、自分がそんな表情をしていたことに気が付く。

 そのまま柊さんは俺に背を向けると、使い込まれた椅子にそっと腰を下ろした。


「…………ふぅー、は、恥ずかしかったぁ……」


「ひ、柊さん……あの」


「もういいですよ~! 忘れてくださいっ。……へへ、実はもしかしたら~なんて思ってましたけど~……蒼希くんの顔を見たらすぐにわかっちゃったから」


「……何がです?」


 彼女はくすりと笑って、人差し指をくるくるさせながら俺を指さした。


「蒼希くんには好きな人が居るってこと」


「なっ……」


「図星でしょう? 的中しちゃった? ばきゅーん?」


「何言ってんですか……俺に、好きな人なんて……」


「……じゃあ、わたしとお付き合いしてくれます?」


「……そ、それは」


「ほらっ! 困ってるもん……いいですよ、もう!」


 柊さんは少しいじけた様子で頬を膨らませる。


「でも、言えて良かったですよ。溜め込んじゃってたら、笑って卒業なんて出来ないだろうから」


「…………」


「もー……ホントに蒼希くんは……あ、アレですよ。め、迷惑な人種ですよ!」


「……めっちゃ大きく出ましたね」


 俺がツッコんでやると、柊さんはあたふたした様子で続ける。


「うわっ、ごめんなさい……! また変なこと言っちゃいましたね。あの……一応まだ好きなので……これでも緊張とか、してるんですっ」


「改めて言いますけど、柊さんって天然ですよね」


「あぁ~、割と天然ですね。お父さん似で天然パーマ仕様です」


「ああ、良さげですね。安上がりで」


「うふふ、嫌いじゃないですー。蒼希くんは天然パーマ好きですか?」


 柊さんがにこにこしながら語りかけてくる。気が付けば俺たちは壁に背中をつけてしばらく雑談をしていた。

 すると、柊さんは少ししおらしい表情をして、口を動かした


「わたし、絵を描くの辞めようと思ってたんです」


「そうだったんですか」


「でも、蒼希くんに会えて本当に良かったです。恥ずかしい思いもいっぱいしましたけど……わたし、人格が変わりましたから」


「いや、それはちょっとマズいですよ」


 きっとわたし変われた! 的なことを言いたいんだろう……。


「……絵、続けてみようと思います。高校に行っても自分の描きたい絵を描いてみます。そしたら、蒼希くんは応援してくれますか……?」


「しますよ。より上手になった柊さんの絵を見るのが今から楽しみです。……あ、てゆーか柊さん、連絡先交換しましょうよ」


「なんですか、ナンパですか? ナンパーセントくらいの確率で?」


「はっ倒しますよ」


「嘘です。実はわたし、ケータイ電話持ってないんです。ごめんなさい」


「そうなんですか」


「大丈夫です。きっと卒業してもまた会えますよ……なんか、そんな気がするの」


 そして柊さんは卒業した。

 死に際を悟った猫みたいに、彼女は俺の目の前から姿を消したのだ。

 俺はそんな柊さんを笑った。彼女らしいな、なんて俺思ったのだ。柊さんがあのとき何気なく笑ったときのように、なんとなくまた会える様な気がしたから。


 彼女は俺に出会って変われたなんて言っていたけど、それは俺も一緒だ。

 彼女の絵を見て感動し――柊さんに告白されて、俺は花への想いをもう一度見つめ直すことができた。


 ずっと喋れなくても、やっぱり好きなんだっていうことを。ほぼ沈みかけていた気持ちを、柊さんが変えてくれた。

 それ以降、俺は花に対してほんの少しだけ積極的になった。具体的には家を出る時間を合わせてみたりして。顔を合わせたときの「おはよう」はなかなか言えなかったけど、あのときの俺からしたら大いなる一歩だった。


 少し大袈裟かもしれないけど、柊さんは俺と花の恋のキューピッドだったんだ。彼女と出会ってなかったら、花とも今のような関係では居られなかったかもしれない。


 だから――また会いたいって思ってた。


 柊さんのあの自信満々の顔は嘘なんかじゃなかった。


 だって……、こうしてもう一度出会えたんだから――。




本作はわたしが学生時代に書いていたもののセルフリメイク作品になりますが、今改めて見てみると、ストーリー構成上無駄な展開や描写は途轍もなく多いです。もう死にたくなるくらいに!w そういった不要な要素はすべて削ってしまうのが作品としては美しいし、より面白い物語になるのですが、そうしてしまうともはや別の作品になってしまいます……。

ですから、無駄だと知りながら、不要だと思いつつもオリジナルの要素を残しつつ読みやすく整理しているのがリメイク蝶花になります。つまり、当時の青臭さはそのままにお送りするということです。そのほうが蝶花っぽいと思ったので。

……だから、この展開おかしいぜ作者! とか、おいおいこのキャラ必要あんのかい作者! とか、そういうのは全部寛大な気持ちで受け取ってくだされ。

で、作品外でしたいお話みたいなものはわりと多い作者ですので、本作が無事完結したとき、あとがきでも書こうかと思った今日でした。(更新遅くてゴメンね――!投稿作でいろいろ頑張ってるんです!)

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