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Tの策略  作者: 天川 七
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前編

 瑠依(るい)が通う高校は八組まであり、そのクラス分けが特殊だった。一組は頭脳集団の通称エリート組と呼ばれ、飛び抜けて勉強が出来る者だけが集められたクラスだ。二組から七組は運動と勉強が平均的に出来る通称ノーマル組。残る八組は、運動と芸術に特化したクラスで通称ノータリン組。脳まで筋肉という体育会系と、芸術という能力を組み合わせての能筋である。不名誉な通称だが、瑠依はそんな二年八組に体育会系の生徒として所属している。

 その中でも問題なのが、一組と八組は教師も驚く程に仲が悪いということだ。お互いがお互いを貶すことを生きがいとばかりに日々貶しあっている。一組が勉強が出来ない学なしめと罵れば、八組はこの頭でっかちのもやしがと罵り返す。お互いに居る土俵が違うというのに、どちらも自分達の方が優れているとばかりに、相手を馬鹿にしているのだ。

 目を合わせれば顔を歪めて、けっと吐き捨てるなんて可愛いもの。やれ、傘が盗まれたとなればまず八組を疑い、財布がなくなったとなれば一組のせいにし、根拠のない悪口は火炎放射のようにクラス中に降りそそぐのである。お互いがこれまた結束の固いクラスだけに、一度火がつけば、日向に干された藁を燃やすようにそれはもう轟々と燃え上がるのだ。

 しかし全ての生徒が相手を敵と見なしているわけではない。クラスの中でほんの一握りの生徒─瑠依もある理由からいがみ合うのを止めれないかと思っていた。





 ホームルームの時間を知らせるチャイムが鳴るのと、騒音を立てて教室の扉が開くのはほぼ同時だった。足音荒く入ってきたのは担任である尾壁(おかべ)善一(ぜんいち)だ。いつも笑顔で生徒に声をかける善一にしては珍しく、その顔は険しく口元はぐっと引き締められていた。

 善一は生徒からはイチ先生と慕われている。友達のような付き合いをしてくれる先生で、生徒からの信頼も厚い。教卓の前が席のため、そんな善一の様子がいつもと違うのがよく見えて、瑠依は思わず声をかけた。

「どしたの、イチ先生? そんな怖い顔しちゃって。拾い食いしてお腹壊した?」

「そんなわけあるか! というかな、オレは拾い食いするほど卑しくないわ」

「あー、わかった。女に振られたんだろ?」

「おいぃ! オレを本気で心配する気ないだろ! いいか、オレが怒ってるのはお前達を宮田(みやた)に馬鹿にされたからだ!!」

 怒涛の突っ込みを披露した善一は、そこで教卓に両手を打ちつけた。

 宮田というのは一組の担任で英語の担当教師だ。年は善一と同じだが、その性質は極めて悪く、一言で表すと一組に相応しいインテリ眼鏡だ。生徒同士も最悪の仲だが、担任同士も途方もなく嫌い合っている。

 善一から出た名前に教室がざわりと蠢く。嫌な空気が教室に広がり始めた時、クラス一番のお祭り男、(ゆき)()が椅子から立ち上がった。

「へぇ……一組ごときが、オレ達をねぇ。よし、燃やそう」

「いや、そんな笑顔で『燃やそう』とか言っても、却下だから! 先生さすがにそれは許可出来ないからな!」

 焦り顔で止めたのは怒っていたはずの善一だった。さすが怒りに駆られようとも教師だ。生徒の暴走を止めるだけの理性は残っていたようだ。しかし善一の制止で収まるとは瑠依には思えなかった。

 だが、まだ間に合うはずだと、瑠依は背後に燃え盛る炎を背負ったお祭り男に、クールダウンを促す。

「雪矢、落ち着こうよ。一度さ、冷静になって」

「馬っ鹿野郎! 冷静になってる場合か。オレ等八組が舐められてるんだぞ!? ここは怒るとこだろ! なぁ、皆そうだよな!」

雪矢の発言に賛同するように、クラスの雰囲気が殺気立ったものに変貌していく。

「我慢なんねぇな。一組なんかに馬鹿にされたままじゃ、面上げて学校に来れないぜ」

「あたし達に舐めた口聞いたこと後悔させてやろうよ」

 クラス中の生徒が立ち上がる。「そうだそうだ」「やっちまおう」と大合奏が始まった。このままではシャレにならない。下手したら一組に乗り込んで乱闘騒ぎだ。

 瑠依はこんな状況になった原因である担任を睨んだ。

「イチ先生、どうすんのこれ!」

「任せろ、手は打ってある。──聞け、お前等! 馬鹿にされて悔しいか!? 冗談じゃねぇって思ったか!?」

「思った!」

「オレァ、今すぐぶん殴りてぇ!」

「あいつ等の眼鏡全部割ってやりたい!」

 煽るだけ煽って一善は腕を天上に向けて付き上げた。

「それならお前等の力を思い知らせてやろうじゃないか。一週間後、体育と数学のテストが行われる! そこでオレと宮田で話し合い、一組と勝負することにした。負けた方は担任が頭を刈ることになるから、お前等、頼むから絶対に負けんじゃねぇぞ!」

 冷汗を滲ませて激励する一善に、一瞬の沈黙後クラス中から絶叫が上がった。

「はあぁぁぁぁ────っ!?」






 かくして教師同士の意地の張り合いから、勝手に勝負することが決まった二つのクラス。しかし、勝負と聞けば負けん気が騒ぐのが八組である。勉強は苦手と言えども、尻尾を巻いて逃げるのは恥と考え、放課後にクラスで話し合いと言う名の戦略を練ることになった。

「純粋な勝負だと勉強と運動で勝敗がはっきり分かれるからな。ここを平等にするべく宮田と取り決めをした。まず、勉強面では数学のテストの順位を競うことになる。八組は二人が十位以内に入ればこっちの勝ちだ。逆に体育面ではバスケの試合を行い、一組が二勝すればこっちの負けになる。要はオレ達が勝つには、数学で二人が十位入りすることと、バスケは全勝もしくは一敗に抑える必要があるってわけだ」

「そんな無茶な……」

 瑠依は呻いた。前回の数学の平均点は二十四点。百点満点の問題でこれだ。呻きたくもなる。

 書記係が黒板に勝利条件を書き出していく。一番最初にクエストと書かれているのには笑いを誘われたが、本人はいたって真面目な顔をしていた。

「この勝負は絶対に負けられないぞ! 八組のプライドもオレの髪もお前等にかかってるのを忘れるな!」

「いや、元凶が何言ってんだ!?」

 男子生徒が突っ込むが、本当にそうだ。瑠依は流れるように話が進んでいくのをただただ眺めていた。もはや眺めていることしか出来そうにない。

「だってよぅ、八組馬鹿にされたから思わず言っちゃったんだよ。そのくらい楽勝だ! ってさ。やっぱさぁ、愛すべき生徒が虚仮にされたとなれば、温厚な先生だって怒っちゃうって」

「その口調止めろ。腹立つわ」

「すまん。けど……オレだってな、オレだってな。宮田にだきゃあ負けたくねぇんだよ! 何だよあのインテリ眼鏡。あれでイケメン気取ってんじゃねぇってんだよボケが!」

「イチ先生、私怨モロ出しだね。心のチャック全開に開いてる」

「うるせぇ! 社会の窓じゃないだけマシだと思え!」

「煩いのはあんただ! 仮にも教師が下ネタに走るんじゃねぇよ!」

 どこまでもどこまでも多数の生徒を巻き込んで漫才のようなやり取りが続く。誰かが止めない限り永遠と続くそれに、瑠依は冷静に突っ込む。

「作戦会議はどこ行ったの? これじゃあ最初から勝てそうにないね」

「そうかもね。もうイチ先生丸坊主にしちゃいなよ。六月も半ばで暑くなってきたしちょうどいいじゃん」

前崎(まえざき)ぃ、おっ前なんつーこと言うんだよ! オレのキューティクルな御髪が芝刈りのように刈られてもいいのか!? そんな担任で恥ずかしくないとでも!?」

「いや、もう面倒だからそれでいいよ。髪くらいでごちゃごちゃ言うなよ。あんた男でしょ?」

「はいはいはい! 男女差別反対! じゃあ、女子も連帯責任で髪切っちゃうか?」

「ざけんなし。女の髪は命なんだよハゲ。あんたのいずれハゲる頭と一緒にしないでよね」

「止めろ! オレはハゲない! 親父だって頭ふっさふさなんだからな。絶対にハゲないわ。あぁ、先生は傷ついた! こりゃあもう責任取って前崎に頑張ってもらうしかないな!」

 ぎゃあぎゃあ喚き合う前園と一善に、瑠依は穏やかな窓の外を眺めて現実逃避に勤しむ。あぁ、なんて良い天気だろう。ハードル走も今日は自己ベスト出せそうだ。

「オレの考えを聞いてくれ!」

椅子の上に立った雪矢が机に片足を乗せて訴える。

「喚いていても結果は出ないんだ! 一組なんぞにオレは負けたくねぇぞ。お前等はどうよ? 勝負と聞いて背中を見せるか? 八組の女は骨があるはずだ! 男なら腕力があるはずだ! オレ達もイチ先生と共に頭を丸める覚悟くらい持ってるよな!?」

「さすがお祭り男。真夏でも全力の男は暑苦しさも並じゃねぇな。でもまぁ、オレ達は八組だからな。賛成でいいな、お前等?」

 男子生徒が同意の声を上げる。

「女子はどうなんだ、前崎?」

「……わかったわよ。言っとくけど頭を丸める気はないからね。けど、挑戦する前に逃げるのは八組の女じゃないもん。ね?」

 女子生徒から頷きが返る。

「そうだよな! やってやろうぜ!」

 こうしてクラスは一丸となって打倒一組を合言葉に奮闘することになった。引きつり笑いをする一部の人間を除いて。





 八組のノリの良さは時に物凄い力を発揮する。たとえば真夏の体育祭。毎年この時期は熱の入れようが凄いのだ。二か月前から入念に準備を重ね、本番では自分達が主役とばかりに毎年優勝をもぎ取る。だから、学力は底辺でも他クラスに馬鹿にされることもなく、あぁ、八組だからなと一目置かれているのだ。

 瑠依はそんな八組が好きだった。自分のクラスというのを抜きにしても、男女ともに仲がよく、仲間意識が強い分だけ、一人の危機には全員で助けに向かうような気風があり、そんな所が八組のいいところだと思っている。

 しかし一組を心底憎んでいるかと言うと、そうではないのだ。そこには瑠依の個人的な理由があった。

それは瑠依が担任から体育の小道具を運ぶように頼まれた時のことだ。段ボールで運んでいたそれを、人にぶつかって廊下にぶちまけてしまったのだ。飛び出したピンポン玉が廊下に転がって行き、瑠依は慌ててそれを追いかけた。ぶつかった相手は一組の生徒だったようで、瑠依が八組の生徒だと知ったからだろう。舌打ちしてそのまま行ってしまったのだ。落ち込んだ気分で一人黙々とピンポン玉を集めていると、声をかけてくれた人がいた。

『──大丈夫?』

 そう言って親切にも手伝ってくれたのは、優しい顔立ちの一組の男子生徒だった。瑠依はそんな彼に、俗に言う一目ぼれをしてしまったのだ。あれ以来彼のことが気になってしまい、唯一の取り得でもあるハードルにも身が入らない。ハードル走の選手であることで八組に所属している瑠依には、それは由々しき事態だった。到底叶わない恋だ。忘れなければと思うのに、偶然擦れ違ったり、遠くに見つける度に胸が騒ぐのだ。

 相談したくても八組を嫌う友達には言えなかった。まるでロミオとジュリエットのようだ。運動系の人間で、恋のこの字も考えたことのなかった自分が、こんな乙女思考を持つようになるとは未来とはわからないものだ。しかし、恋は盲目とはよく言ったもので、その気持ちは一組を嫌えない理由になった。

 人間にも善い人悪い人と二通りいるように、一組の中にも困っている人に手を差し伸べる人間がいた。当たり前のことなのに、気付かなかったのはお互いがいがみ合い、嫌いな部分しか見えていなかったからだろう。瑠依はそれを知ったために、クラス対抗の勝負が行われるという状況に不安を抱いていた。

 勝敗の先にあるものが、少しだけ怖かった。



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