石職人
時は、数十年前までさかのぼる。
チュンチュンチュン……
輝くような鮮やかな朝、与吉は新鮮な山の空気を吸い込む。
身も心も、弾むように軽くなる。
「よしっ! 今日も一仕事しますかっ」
カツーンカツーンと、石ノミで与吉は石の塊を削っていく。
機械のように正確な動きで、コツコツと仕事をする与吉。
そうして、数時間。
「できたっ! 今日からおまいは弥勒だ、世のため人のために働くんだぞ?」
「……」
石の塊からは返事がない。
「うんうん、そうか、頑張るか。さすがは稀代の石職人のこの与吉様が産んだ子だ」
「……」
相変わらず、石の塊からは返事はない。
こうして、二人の奇妙な共同生活が始まった。
数日後……
「弥勒! 今日のお風呂も気持ちいいな~」
やけに熱い水に、俺は浸かっていた。
目の前にはやけにたくましいおっさんがいる。何が好きで一緒に熱い水に浸からなきゃいかんのだ。今の俺なら、そう思っていただろう。
俺が自我の意識を持ったのはこの頃からだ。
どうも与吉という男は、石職人で、この山奥に一人で石を加工して生計をたてているらしい。あごには無精ひげをたくわえ、腕はたくましく、いかにも山男という言葉がピッタリくる、そんな男だ。
俺と一緒にお風呂に入る、まさに稀代の変態だ。
「弥勒、今日は、おまいの完成記念に、良いものを買ってきたぞ」
そう言って、与吉は、俺に赤い布を首からかけてくれた。
一体これは何だ、と思ったが、素直に俺は嬉しかった。
「これから、おいは大事な用があるから留守番、頼んだぞ」
与吉は、いつも以上に真剣な表情で家を出て行った。
夕日も暮れた頃に、与吉が帰ってきた。
「ただいま、弥勒。おまいの行き先が決まったぞ」
与吉は、少し寂しそうな声を出す。
「村のはずれだが、おまいは道中の旅人やわっばのために役に立てる。頑張るんだぞ」
「……」
俺は、細長い目で、与吉を見つめる。
「弥勒、達者でな……」
与吉の瞳は少し潤んでいた。