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【笑う門には】

 夏休みも終わり、秋が来て、雪の降る冬が訪れて。

 そうして、あっという間に月日は過ぎ、波瀾万丈の高校生活に幕を下ろす、卒業式が訪れる。

 何時か交わした約束通り、和樹はその日に答えを出した。それは――

「……お兄ちゃん、あーん」

 山吹色の髪と薄紅色の瞳を持つ美少女にして、淫魔な妹こと亜璃沙は、手にしたサクランボを唇で挟むと、それを兄の方に突き出す。

 和樹もそれを拒まず受け入れ、果実ごと妹の唇を吸うのだった。

「ごちそうさま、亜璃沙」

 三年前、直ぐに赤面して拒んでいた真面目な少年とは思えない、女を虜にする自然な微笑を浮かべ、和樹は妹の唇を指で撫でる。

 亜璃沙は夢見心地な顔でそれを受け止めると、再びサクランボを口に持っていく。

「……お兄ちゃん、もっと食べて」

「ふふっ、亜璃沙は甘えん坊だな」

 和樹は笑って再び妹の唇を味わおうとするが、不意にその横から、巨大な乳房が彼の頭にのし掛かる。

「ダーメ、次は私のサクランボを和ちゃんに食べて貰う番なんだから」

 そう言って胸の先端を押し付けてきたのは、グラマラスな金髪赤眼の美女にして、亜璃沙の母親ことリリア・K・サトクリフ。

「もうミルクは出ないけど、とっても美味しいわよ♪」

「言われなくても知ってるよ」

 脳がとろけそうな声を耳元で囁かれても、和樹は動じる事なく、何度も触れた彼女の腰を抱き寄せた。

 そうして、母と娘のけしからんサンドイッチ状態となった少年の足に、今度は幼い少女がしがみついてくる。

「兄たま、あたちも食べて」

 舌足らずな愛らしい声を上げた幼女は、山吹色の髪と薄紅色の瞳を見ても分かる通り、亜璃沙の妹、今は亡き宋馬の残したリリアの第二子。

 二歳にしては流暢に喋る新たな妹の髪を、和樹は優しく撫で上げる。

「今はまだ早いかな。でも、あと十年したら隅々まで食べてあげるよ」

「ほんとう? やった~!」

 淫魔の血を引いているだけあって、本能的に言葉の意味を理解した上で、次女は嬉しそうに歓声を上げた。

「……お兄ちゃんの、ロリコン」

「違うよ亜璃沙、僕はシスコンさ」

 頬を膨らませた妹に、和樹は臆面もなくそう言い放ち、再びその唇を奪う。

 それを見て、今度はリリアが唇を尖らせた。

「いいな~、私も和ちゃんの妹に生まれたかったわ」

「妹じゃなくても、リリアの事は愛してるよ」

「お兄たま、あたちは?」

「もちろん、同じくらい大好きさ」

 右手で母親を抱き寄せながら、左手で次女の頭を撫でる和樹。

 インモラルな快感に耽り、彼は恍惚の表情で呟く。

「あぁ、幸せだな……」

 世界中の男達に恨まれ、世界中の女達に軽蔑されようとも、決して手放せない至高の幸福がそこにはあった――



「――って、ねえええぇぇぇ―――よっ!」

 怒りに満ちた咆吼を上げ、和樹は勢いよく立ち上がる。

「有り得ないにも程があるよ! 火乃華姉さんの台詞じゃないけど、ハーレムエンドだけはないって言ってるだろ! しかも、血の繋がった妹×2+その母親を囲うとか、光源氏級のクズ野郎だよ!……あれっ?」

 盛大なツッコミを吐き出してから、和樹はようやく己の現状に気付く。

 見慣れた大場菜高校の教室、クラスメート達と教師の驚き固まった顔。

 長い夏休みは昨日の始業式をもって終わり、今は二学期最初の授業中。

「…………影森君?」

「すみません、寝惚けていたみたいです」

 いち早く正気に戻った数学教師に話しかけられ、和樹は今のが夢だったと気付き、深く頭を下げ謝罪した。

 そうして授業は再開されたが、生徒達の視線はもちろん、黒板ではなく和樹の元へ集中する。

「影森の奴、サトクリフさんだけじゃなく、その母親まで狙ってるのかよ!」

「サイテー、警察に突き出すレベルじゃない?」

「親子丼は男の浪漫、異論は認めん」

「村松、気持ちは分かるが黙っておけ!」

 クラス一のアホを除き、全員から侮蔑の視線が降り注ぎ、和樹は羞恥で真っ赤になった顔を机に押し付ける。

「何であんな夢を……」

 夢は無意識の願望――という心理学者の台詞が浮かんだか、和樹は全力で頭を振り、その考えを追い出すのだった。


             ◇


 ヒカリが死んだ。

 横断歩道でトラックに轢かれるという事故。

 それが、幾つもの思い出を重ねた親友で、彼を村人達のイジメから救ってくれたヒーローの、呆気ない最期だった。

 頭の中が真っ白になり、現実を受け入れられないまま葬儀に参加した和樹の前に、気がつけば彼女が立っていた。

「影森君……」

 彼と同じ、もしくはそれ以上に故人を愛していた少女、結城小杜子。

 彼女は目を真っ赤に腫らしながら、人形のように凍り付いた和樹の頬を、そっと優しく撫でたのだった。

「悲しい時は、泣いてええんよ?」

 ありきたりなその言葉が、何故か深く胸に刺さり、和樹の表情が震える。

 そして、幼馴染みともう二度と会えないという事実を、ようやく心で理解し、小杜子に抱き付いて小さなその胸を涙で汚した。

 次に気が付いた時、和樹はアパートのベッドに居て、隣には全裸の小杜子が眠っていた。

 大切な人を失った者同士が、快楽でその穴を埋めようとした、愛のない虚しい交わり。

 それでも、絶望の淵にいた二人には、支えとなってくれる人が必要だったのだ。

 人肌の温もりと時間の流れは、やがて悲しみという傷を塞いでいく。

 決して消えない傷痕を背負っても、なお二人が再び前を向けるようになったのは、小杜子のお腹に宿った新しい命の御陰だった。

「子供の名前、ウチが決めてええかな?」

 病院の診査で娘と分かった時、そう言い出した小杜子の答えは、和樹も密かに浮かべていたものだった。

「女の子だって分かるまえから、それに決めてたんでしょ?」

「どちらにも使えるエエ名前やしね」

 小杜子は微笑してお腹を撫で、まだ生まれていない娘に呼びかける。

「ヒカリ、エエ子に育つんよ」

 失ったモノと得たモノを、計りに乗せて比べる事なんて出来ない。

 それでも、彼女とその子供の、三人で歩んでいく未来は、その名前通り光に包まれていると和樹は信じたのだ。

 ――そう、気が付いてしまうまでは。

 最初は、本当にごく僅かな違和感だった。

「ほらヒカリちゃん、好き嫌いしたらあかんよ?」

「パパ、小杜子が意地悪する!」

「……えっ?」

 実の娘をちゃん付けで呼ぶのは珍しくもない。

 だが、母親を名前で呼び捨てにするのはどうだろう。

 そう思って和樹が注意すると、娘は頬を膨らませてこう言ったのだ。

「でも、『小杜子って呼んで』ってママが言うんだもん……」

 それを聞いた時、背中に走った寒気は、時が経つに連れて鮮明になっていった。

「ヒカリちゃん、魔法少女のアニメなんかより、こっちの特撮番組の方がオモロイよ」

「ヒカリちゃん、髪を染めたらもっと可愛くなるで。ピンクなんてどうや?」

「ヒカリちゃんは勉強なんてせんでええ、アホでも強く逞しい子に育つんやで」

 ヒカリちゃん、ヒカリちゃん、ヒカリちゃん、ヒカリちゃん、ヒカリちゃん――

 その名前を呼ぶ度に、小杜子は娘に趣味や言動を強制していく。

 まるで、死者を蘇らせようと。

 いや、事実それが目的だったのだろう。

 彼と結ばれた事さえ、亡き少女の従兄――同じ血を少しでも引く男の子種が欲しかったからにすぎない。

 そう、小杜子は影森和樹でも影森ヒカリでもなく、払間ヒカリだけを一途に狂おしく永遠に愛していた、それだけの話。

「貴方、また日曜出勤なん?」

 スーツ姿で家を出ようとした時、玄関で小杜子に呼び止められた和樹は、背中の震えを隠して振り返る。

「うん、最近忙しくて」

 嘘だ、忙しいのは仕事ではなく、愛人との逢い引き。

 死者の代用品を作るために利用されただけと気付いてしまい、けれど娘のために離婚も出来ない生き地獄に落とされた自分が、家庭の外に安らぎを求めた事を、いったい誰が責められるというのか。

 そう浮気を正当化し、足早に出掛けようとする和樹に、小杜子は優しく声をかける。

「でもホンマ、気を付けてや――ウチ、裏切られるの、大嫌いなんやで?」

 ゾッと身の毛がよだち、振り返った和樹の目に映ったのは、変わらず微笑み続ける小杜子と、その手に乗った小さな折り鶴。

 それはフワリと宙を飛ぶと、見た目とは裏腹な重く強い力で、彼の肩を突き飛ばす。

「せやから、交通事故には気をつけてな?」

 尻餅をつきガタガタと震え出した和樹を、小杜子は何時までも何時までも、変わらぬ笑みで見下ろし続けるのだった――



「――って、怖すぎるわぁぁぁ―――っ!」

 和樹は悲鳴を上げて立ち上がり、震えの収まらない自分の体を抱き締めた。

「ヤンデレなんてレベルじゃないよ、立派なサイコホラーだよ! というか、間違いなくヒカリまで殺してるよね!? 『私を愛してくれない貴方なんて、本物じゃない』とか自分勝手な理屈で、式神で道路に突き飛ばして完全犯罪してるよね!?」

 最初の悲しくも希望に満ちた流れが、一瞬で絶望に叩き落とされるさまは、もう見事と引きつった笑みを浮かべるしかない。

 残暑が厳しい九月だというのに、まるで北極にでも居るかのように、歯を打ち鳴らし震え続ける和樹に、三時間目の授業をしていた国語教師は、教科書を閉じ静かに語りかける。

「影森君、私もホラー小説は好きだが、授業中に居眠りしてしまうほど熱中するのは感心しないな」

「はい、本当にすみません……」

 小説よりも恐ろしくリアリティーに満ちた悪夢を見たとも言えず、和樹は素直に謝罪して席に付く。

 そんな彼に、席替えで隣になった従妹は、呆れた顔を向けながら尋ねる。

「私、誰に殺されたのよ?」

「知らない方がいいよ……」

 ヒカリを手にかけそうなヤンデレなんて、一人しか居ないに決まっているのだが、気付かなかったのならば、わざわざ教えない方が良いだろう。

(ただの夢にしても、あれは酷すぎる……)

 そう一人で恐怖を抱え、もう一度震える和樹を、ヒカリは不思議そうに眺め続けるのだった。


             ◇


 ドSで女装好きでMにも目覚めた三重苦の変態。

 そんな絡屋咲八と和樹が付き合う事になったのは、サイコロの同じ目を十連続で出すくらい、奇跡的な偶然が積み重なった結果だった。

 最初は運命の女神様を激しく呪った和樹だったが、美人で愛想も良く、惚れた相手に対しては一途な咲八に、少しずつ惹かれていった。

 だが、同性という壁が、どうしても最後まで立ちはだかる。

 変態に対して容赦なくツッコミを入れてきた和樹だが、他者に迷惑をかけない限りは、人の趣味にとやかく言うつもりはなく、性別なんて関係ないくらい、本気で好きになれる相手と出会えるなんて、むしろ幸運なのではないかとさえ思う。

 それでも、最後の一歩を踏み出せなかったのは、同性愛につきまとう最大の問題――子供が産めない事。

 子供が居なくたって、幸福な恋人や家族はいくらでもいると分かっている。

 それでも、自分達の子供が欲しいと願ってしまうのを、動物の本能から抜け出せない惰弱な人間と笑うのは、いささか酷だろう。

 告げられた想いを真剣に受け止めたからこそ、結婚やその後の生活まで考え、深く苦悩する和樹を見て、咲八はある覚悟を決める。

 長年貫き通してきた(アイ)(デン)(ティ)(ティー)を捨て去ってでも、彼の悩みを晴らし結ばれる方法。それは――

「うふふっ、すっかり大きくなりましたわね」

 咲八は嬉しそうに微笑み、丸く膨らんだお腹を撫でる。

 和樹も同じように手をそえ、新たな生命の鼓動に目尻を緩める。

「あいつには感謝してもし足りないよ」

「えぇ、もう駄馬さんなんて言えませんわ」

 同性だった和樹達が、子供を授かれるようになった立役者、精霊ユニコーンの顔を脳裏に浮かべ、二人は懐かしむように笑い合う。

「この子の名前、やっぱりあいつから取るの?」

「う~ん、嫌いではありませんけれど、女の子だったら似合いませんし、男の子でもDQNぽくて可哀想ですし……」

「せいぜい『馬』の漢字を入れるくらいにしておこうか」

 そう冗談ぽく言いながら、和樹は心の中で深い感謝を告げる。

(ありがとう、ジーク。お前が命を賭けてまで性別を変えてくれたから、僕達はこんなにも幸せになれたよ)

 ――ふっ、乙女のためなら安いモノである。

 青空の向こうから、そう懐かしい声が響いてきた気がして、和樹は少しだけ目尻を濡らし、けれど直ぐに笑顔を浮かべて、大きくなった――自分の腹を撫でた。



「――って、変わったの僕の方かよおぉぉぉ―――っ!」

 あんまりなどんでん返しに、和樹は盛大にツッコミながら目を覚ます。

「何で絡屋先輩の方を変えないんだよ! それなら百万歩譲って考えなくもないのに! というか、この流れだとジークの奴は死んでるよね!? 妊娠しているって事は乙女じゃなくなっているから、自我崩壊を起こして消滅してるよね!? 流石にそれは後味悪いよ!」

 最低最悪の駄馬とはいえ、その命を踏み台にするのは如何なものか。

 それとも、超精霊ゼブラ・ユニコーンからさらなる進化を果たし、乙女や童貞にすら拘らない存在として、まだ存命しているのだろうか。

 けどそれ、もうユニコーンじゃなくただのスケベだろ――と心の中でツッコム和樹に、四時間目の授業をしていた保健の女教師は、目を丸くしながら告げる。

「確かに、妊娠するという事は、その過程で乙女ではなくなっていますが、そのせいで人が死ぬ事はありませんよ?」

「はい、全くその通りですね」

 精霊は死にますけどね――と言う訳にもいかず、和樹はまたも謝罪しながら席に付くのだった。


             ◇


 ある日突然、和樹の背後から彼女は消えた。

 書き置き一つ残さず居なくなり、電話を掛けても繋がらない。

 初日は友達の家にでも泊まったのかと思い、それほど気にかけなかった。

 次の日から心配になり、知り合いに聞いて回るが、誰も彼女の行き先を知らない。

 一週間の間、その姿を見れば死ぬという事すら忘れて、街の中を探し回ったが、足取りは少しも掴めず終わり。

 一ヶ月後、火乃華に頼み込んで退魔庁の手まで借りたが、結局彼女を見付ける事は出来なかった。

 半年の間、無事を祈り待ち続けたが、ひょっこりと帰ってくる事はなく、そこまで経ってようやく和樹は、三年以上も続いた長い同居生活が終わってしまったのだと悟る。

 そして同時に、心の底から理解した。

 自分にとって、彼女がどれだけ大切で、誰よりも愛していたのだと言う事を。

 後悔しても後の祭り。いくら携帯電話に向かって叫んでも、甘く可愛らしい声は返ってきてくれない。

 目覚まし代わりに起こしてくれる事も、掃除や洗濯をしてくれる事も、明かりのついた部屋で待っていてくれる事もない。

 使われなくなって埃を被った、子供趣味の歯ブラシやコップだけが、あの楽しかった時間が幻ではなかった事を訴える。

 そうして、抜け殻のようになった彼の心情に関わらず、時はただ残酷に流れ続けた。


 彼女が消えてから幾度目かの春、和樹は高校卒業の時を迎えていた。

 友達との別れを惜しみ、涙するクラスメート達を横に、彼は人形のような無表情で卒業式を終え、何の感慨もなく大場菜高校に別れを告げる。

 そうして、帰路に着いた和樹の足は、自然と近所の公園に向かっていた。

 妖怪に成り果てた少女が、両親や名前も知らぬ妹とすれ違い、泣きじゃくっていたあの場所。

 奇しくも季節はあの時と同じ、四分咲きの桜が立ち並ぶ早春。

 思い出が胸を刺し、表情を僅かに動かした彼の視界に、ふと気が付けばその少女は立っていた。

 夜明けの太陽を思わせる黄金の髪。

 澄んだ空のように青い瞳。

 身長は百六十㎝ほどで、歳は彼と同じくらいだろうか。

 子供の愛らしさと大人の美しさを併せ持つ少女。

 そんな姿に、見覚えなどある訳がない。けれど――

「ただいまなの」

 その声だけは、決して忘れる筈がなかった。

「――っ!」

 鼓膜が震えた瞬間、脳が理解するよりも早く、和樹の足は走り出す。

 そして、細く柔らかい少女の体を、壊れるほどに抱き締めた。

「なんで……どうして……っ!」

「ごめんなさいなの。でもこうなるためには、私を誰も知らない、『都市伝説の妖怪』だなんて思わない場所で、暫く過ごさないといけなかったの」

 声を詰まらせながら問う和樹に、少女はそう答えながら彼の体を抱き返す。

 難しい理屈は分からない。

 だが、彼女の想いと事情を知り、もう一度その声が聞けただけで、和樹の胸に空いていた大きな穴は、涙と共に埋められていく。

 別れる前より背も伸びて、もう少年とは呼べない姿に成長したのに、子供のように泣きじゃくる彼を、少女もまた頬を濡らしながら、初めて正面からその顔を見詰めるのだった。

「私、メリーさん。今やっと、貴方の前に居られるの」

 その背中だけを見詰め、携帯電話でしか繋がれない時は終わった。

 長い別れと悲しみの末に、掴み取ったその幸せをもっと強く感じたくて、二人は静かに目蓋を閉じ、喜びの涙で濡れた唇を寄せて――



「――って、オチはどうしたっ!?」

 肝心のシーンで目が覚めた事よりも、そちらの方が納得いかず、和樹は机を叩いて立ち上がる。

「今まで全部酷いオチがあったのに、何でこれだけないんだよ!? まるで今のが本命みたいじゃないか。だから僕はロリコンじゃないと言ってるだろ!……いや、成長していたけどね。全世界三十億のロリコンが涙しつつも拍手を送るくらい、立派で綺麗に成長していたけどね!?」

 混乱して言い訳のような事を口走りながら、和樹は悶え身を捩る。

 そんな彼に、五時間目の授業をしていた化学の教師は、冷静に言い放つのだった。

「影森、廊下に立ってなさい」

「…………はい」

 体罰だと騒ぐ権利などある筈もなく、和樹は火照った頬を冷ますためにも、大人しく廊下に向かった。


             ◇


「あんた、今日はどうしたのよ?」

 ようやく放課後となり、久しぶりの授業で知恵熱を覚たヒカリは、自分以上に頭を抱えた従兄を心配して話しかける。

「いや、本当に、何でもないから……」

 和樹はそう言い訳するが、真面目な彼がほぼ全ての授業で居眠りし、さらに奇声を上げて飛び起きるなんて珍事を、気にするなという方が無理である。

「徹夜で平成ライダー全シリーズでも見たの?」

「それは何時間かかるの?」

「たったの二百四十八時間かしら」

「…………」

「間違えた、テレビスペシャルや映画版があるから、プラス三十時間は必要ね」

「その記憶力をどうして勉強に使えないの?」

 不眠不休でも二週間近くかかるものを、どう一日で見ろというのか。

 相変わらず頭が残念な従妹に呆れていると、実妹の方も話に交ざってくる。

「……ヒカリも、二時間目に寝てた」

「そういうあんただって、一時間目に眠ていたじゃないの。しかも、ニヤニヤと笑ってさ」

「……人の寝顔、覗くなんて……レズ?」

「私にそっちの気はないと言ってるでしょうが!」

 顔を青くして遠ざかろうとする亜璃沙に、ヒカリは青筋を浮かべて怒鳴る。

 どうやら、和樹が派手に目立っていただけで、彼女達も居眠りしていたらしい。

 仲良く喧嘩する二人を見ながら、和樹は軽く溜息を吐く。

「疲れているというより、罰が当たったんだろうな……」

 一ヶ月半という夏休みの間、彼を慕う二人の少女と、海や山へ遊びに行ったり、妖怪の事件を一緒に解決したりする間に、関係は進展こそしたものの、結局答えを出すまでには至れなかった。

 その自責の念があんな夢を見せたのだろうか――と思いつつ、和樹は席を立ち教室を出る。

 向かった先は何時も通り、怪奇研究会の部室。

 そこにはやはり何時も通り、彼の従姉こと払間火乃華が居たのだが、何時もと少しだけ違うところがあった。

「火乃華姉さん、それどうしたの?」

 和樹が指差したのは、机に寝そべった従姉の頭を柔らかく包む、高そうなテンピュール枕。

「枕で寝ると起きたくなくなるから、学校では使わないんじゃなかったの?」

 ヒカリも不思議そうに問うと、火乃華は彼らの方を向き、だらしなく欠伸をしてから答えた。

「そうなんだけどね~、今朝貰ったばかりだから~、つい使っちゃったのよね~」

「貰ったって、誰に?」

「ん~、宋馬さん」

「えっ、父さんまだ死んでなかったの?」

「和君……」

 とっくに母親の手で地獄に送られたと思っており、驚く薄情な和樹の姿に、火乃華は呆れ顔をしながら起き上がる。

 そして、今の今まで使っていた枕を、彼の方に差し出した。

「はいこれ~、和君へのお詫びの品だって~」

「人への贈り物を勝手に使うな、馬鹿姉貴」

「でも、何で枕?」

 ヒカリに頭を叩かれる火乃華から、それを受け取りつつ和樹は首を傾げる。

 十六年間、寂しい思いをさせられた事や、実の妹と恋愛する事になったのはともかく、二人目の妹を作ってくれやがったせいで、母親の機嫌を損ねてくれた事に関しては、頭蓋骨が割れるまで土下座して貰いたいところだったので、詫びの品というのは分かる。

 だが、どうしてそれが枕なのか。

 まるで見当がつかない和樹に、火乃華はまだ眠そうな声で説明した。

「それただの枕じゃなくて~、宋馬さん特製の霊具なのよ~」

「それは予想してたけど、枕でどう妖怪と戦えと?」

「いや~、武器とかじゃなくて~、人の可能性を見せてくれるんだって~」

「逆襲する劇場版?」

「機動戦士の話じゃなくて~、未来予知って意味よ~」

 素でボケた和樹に、珍しく火乃華がツッコミを入れながら、手渡した枕を指で叩く。

「これを使うとね~、起こりえる未来の可能性を夢で見られるんだって~」

「夢で、見る?」

 その単語は当然、まだ記憶に生々しい、授業中の事を思い出させた。

 嫌な予感がヒシヒシとして、顔を強ばらせる和樹に、火乃華は宋馬から聞いた説明を伝える。

「完全な未来予知は情報量的に不可能だから~、恋愛関係だけに絞ったらしいけど~、使用者本人と結ばれる可能性のある相手に~、夢として未来を見せてくれるんだって~」

「……相手にも」

「未来を見せてくれるっ!?」

 聞いた途端、亜璃沙とヒカリまでが驚いた顔をし、続いて頬を赤くする。

 火乃華はそれを訝しみながらも、頷き肯定した。

「うん、二人に見せてくれるらしいの~。でも新機動戦記のゼロなシステムじゃないけど~、未来予知なんて凄い事を~、何の危険もなく出来るのか心配だったから~、ちょっと私が実験台になってみたんだけど~、未来の夢なんて見られなかったのよね~……」

 宋馬さんが失敗作を送るとも思えないけど――と考え込む火乃華の横で、和樹は確信する。

 この枕は恐らく、未来予知なんて不可能を可能とするために、和樹専用に調整、及び限定された霊具であり、誰が何処で使おうとも、和樹とその相手にしか未来を見せないのだろう。

 そうとでも考えなければ、真面目な彼が授業中に居眠りをして、あんな酷い夢を見るとは思えない。

 理性がそう冷静に結論を導き出した瞬間、和樹は溢れ出る感情のまま、手にした枕を床に叩き付けた。

「余計なお世話ってレベルじゃねえよっ!」

「ちょ、和君、いきなりどうしたの!?」

 怒りが収まらず、詫びの品を何度も踏み付ける和樹を、火乃華が驚いて止めようとする。

 とそこで、妹が荒ぶる兄の肩を叩いた。

「……お兄ちゃん」

「誤解しないで、僕はあんな事を望んでいないから!」 

 自分の相手、つまり亜璃沙もあの背徳的な淫夢を見ていたと知り、和樹は必死に否定する。

 すると、妹は全て分かっているというように、深く頷き返してくれた。

「……大丈夫、私はもっと欲深い。お兄ちゃんを独り占めしたいから、あんな未来は絶対に来させない」

「そうだよね、分かってくれて嬉し――」

「……でも、親子姉妹で4Pとか、超興奮する」

「変態だあぁぁぁ―――っ!」

 イイ笑顔で親指を立てられ、和樹は何時もどおりのツッコミを叫ぶ。

 そんな彼の裾を、今度は従妹が遠慮がちに引っ張る。

「あ、あのね和樹、あんたはどう思うか知らないけど、私はあの夢どおりになればいいなって思うわよ?」

「トラックに轢かれて死にたいのっ!?」

「何の話よっ!?」

 三時間目にみた悪夢を思い出し、考え直せと肩を掴んでくる和樹に、ヒカリは驚愕して言い返す。

「二時間目に見たあの夢は、そんな悲惨な未来じゃなかったでしょ!」

「えっ、二時間目?」

 言われて和樹は考え込む。

 確かに世界史を習っていた二時間目も、居眠りしていたのか少し意識が飛んでいたし、その間夢を見ていた気もする。だが――

「ごめん、覚えてないんだけど」

「何で忘れてんのよ! 私と和樹だけじゃなく、ふられた相手も幸せになれた、これ以上ないGOOD・ENDだったでしょ!?」

「……ヒカリ、ギャルゲー的には、GOOD・ENDなんて前座」

「訳分からない事を言うな!」

 和樹に忘れられ、亜璃沙にイチャモンをつけられ、不憫なヒカリはちょっと泣きそうになる。

 とそこで、部室の扉が勢いよく開いたかと思うと、何者かが飛び込んできて彼女に抱き付いた。

「ヒカリちゃん、会いたかったでっ!」

「えっ、小杜子!?」

 想い人の薄い胸に頬ずりし、息を荒げる危ない変態は、ヤンデレズこと結城小杜子。

「何であんたがここに居るのよ!?」

 山奥の退魔師学校に通っている筈の親友が、どうしてここに来たのか。

 また妖怪にストーカーでもされたのかと、まっとうな心配をするヒカリに、小杜子は実に純粋かつ不純な動機を告げる。

「そんなん、ヒカリちゃんと一緒に居たくて、転校して来たからに決まってるやん♪」

「はぁ!? 転校ってあんた――」

「大丈夫やって。引き留める氷川先生の説得に手間取って、こんな遅くなってもうたけど、ウチの親戚におるIT会社の若社長を紹介する言うたら、快く送り出してくれたわ」

「……それ、説得じゃなく賄賂」

 嫁き遅れで焦る三十路女教師に、容赦なく親戚を売り払ったと知って、流石の亜璃沙も青ざめる。

 そして、妹よりも青くなり声を失っていた和樹を余所に、小杜子は愛する人を抱き締め続けるのだった。

「あのな、ここに来る電車の中で、ごっつ怖い夢を見たんよ……」

「そ、そうなの?」

「ウチがヒカリちゃんを殺すなんて有り得へんのにっ!」

「和樹が言ってたのあんたかっ!?」

「そんな事するくらいなら、両手足を切断してどこにも行けなくして、一生ウチだけのモノとして愛でるに決まってるやん!」

「いやあーっ! 放して、お願いだから放してえぇぇぇ―――っ!」

 事故死よりも酷い猟奇的な妄想を、目を輝かせながら語る小杜子から、ヒカリは必死に逃げようとするが、親友の細腕は異常な力で彼女の腰を放さなかった。

「結城さんって、僕の母さんと仲良くなれそうだよね」

「和君、そんな事を言ってないで――」

 現実逃避して関係ない感想を漏らす和樹を、火乃華が正気に戻そうと話しかけたその時、さらなる刺客が現れる。

「和樹様、私の子供を産んで下さいましっ!」

「帰れ雄蜘蛛っ!」

「あぁ、いきなりご褒美を頂けるなんて最高ですわ♪」

 余裕がない和樹にいきなり罵声を浴びせられながら、恍惚の表情で身悶えしたのは、言うまでもなくドMに目覚めた男の娘こと絡屋咲八。

 彼女も当然、あの夢を共有していた訳であり、それで一言いいたくて突撃してきた訳である。

「男の娘として誇りを貫いてきた私が、男として孕ませる側に回るなど遺憾の極み!」

「女の子にされて孕まされる方が遺憾だよ!」

「ですから私、考えましたわ」

「どうせろくでもない事でしょ!?」

「いっそ、駄馬さんに両方つけて貰って、突いたり突かれたり致しましょう!」

「ほらやっぱり!」

「即ち、二人はフタ○リですわ!」

「自慢の糸で今すぐ首を吊ってこい!」

 変態妄想ここに極まれり。

 だが、今は封印中の変態駄馬ならば、嬉々として実行する可能性があるだけに、和樹はなおさら怒声を張り上げるが、咲八にとってそれはご褒美にすぎず、より熱い吐息を漏らす結果に終わる。

 そう混沌の渦と化した怪奇研究会の部室に、次なる波紋をもたらしたのは、携帯電話の着信音。

「このパターンでいくと、まさか!?」

 慌ててポケットに手を突っ込んだ和樹の予想通り、携帯電話の画面に映っていたのは同居人の名前。

 そして、通話ボタンを押した彼の背後に、音もなく電話口の少女が現れる。

『私、メリーさん。今日はお別れを言いに来たの』

「待ってメリーさん、あれは――」

『辛いけど、悲しいけど、また会えるから泣かないって決めたの』

「だから待って! あれはいい加減な夢だから、現実になるとは限らないから!」

 真偽不明の未来予知を信じ、一時の別離を言い出す同居人を、和樹は必死に呼び止める。

 そんな彼に、電話口の少女も真剣に言い返す。

『でも、私はあの夢を本当にしたいのっ!』

「メリーさん……」

『ずっと貴方の後ろに居るって約束したけど、もうそれだけじゃ嫌だって、あの夢を見て気付いたの。貴方の前に立ちたいのっ!』

 それは初めて、子供の妖怪としてではなく、一人の少女として明かした、少年への熱い想い。

 今のが愛の告白である事くらい、鈍い和樹にだって分かる。

 だが理解したからこそ、彼は自分の心を救ってくれた大切な女性を呼び止めた。

「メリーさん、それでも僕は一分一秒だって君と離れたくないっ!」

『…………』

「君が望むなら、僕はどんな手段を使ってでもあの夢を現実にしてみせる。だからメリーさん、ずっと僕の側に居てよっ!」

 それは、電話口の少女が復讐で手を染めようとした時、それを止めたのと同じ身勝手な懇願。

 でも、彼女を救い幸せをくれた、優しいワガママ。

 だから電話口の少女は、何度だって告げるのだ。

『私、メリーさん。今は貴方の後ろに居るの』

 全ての柵を打ち破り、堂々と彼の前に立って愛し合えるその時まで。

「ありがとう、メリーさん…………あっ」

 電話口に向かってありったけの感謝を告げた後になって、和樹はようやく気付く。

 自分の身に突き刺さる、三つの冷たい眼差しに。

「……お兄ちゃん(ゴゴゴゴッ)」

「和樹……っ!(ジャラララッ)」

「酷いですわ和樹様っ!(キシキシキシッ)」

 掌にエナジードレインの光を宿す亜璃沙、霊力の鎖を構えるヒカリ、指先から蜘蛛の糸を生み出す咲八。

 臨戦態勢に入った三人の気持ちを代弁し、小杜子が呆れ顔で呟く。

「影森君、女っタラシも時と場所を考えてや?」

「いや、今のは――」

 違う――と否定しなかった彼を、嘘の吐けない正直者と見るか、八方美人の節操なしと見るかは人によるだろう。

 もちろん、告白したのに返事待ちを強いられていた少女達が、後者と捉えたのは言うまでもない。

「「「この変態ロリコン浮気野郎っ!」」」

「だから僕は変態じゃねえぇぇぇ―――っ!」

 浮気者の部分は全く否定できない事を自覚し、和樹は深い自己嫌悪を覚えながらも、今はただ生き延びるため、襲いかかってきた少女達から逃げ出す。

「……もうこうなったら、どんな手段を使っても、お兄ちゃんの童貞を奪って虜にする!」

「よし、和樹を最初に男にした奴が恋人だからね!」

「負けませんわよ!」

「だから待って、絶対にちゃんと答えは出すから! あと、()()()は帰れっ!」

 恥も外聞も投げ捨てて、押し倒そうと迫ってくる少女達(一名は男)と、それに叫び返しながら逃げ続ける少年。

 彼らが廊下に走り去るのを見送り、部室に残った三人はそれぞれの呟きを漏らす。

「な、何か酷い事になっちゃったの……」

「メリーちゃん、普通に話せるようになったん!? という事は――」

「やっぱり宋馬さんの息子よね~」

 一風変わった少女達に好意と波乱をもたらされる少年、影森和樹。

 女難の相というには美味しすぎる宿命を背負った彼が、少女達の嫉妬や妖怪達の変態に翻弄されながら、最終的に選び取る未来がどんなモノかは、やはり意地悪な運命の女神とて知り得ないのだった。



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