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【親の振り見て我が振り直せ】

 夏休み。学生にとって最大の長期休暇であり、誰もが待ち望んでいたその日。

 受験勉強とも無縁な高校一年生であり、浮かれて然るべき年頃の少年――影森和樹は、遊びに出掛ける子供達の明るい声を余所に、自室で頭を抱えていた。

「はぁ~、どうしたらいいんだろう……」

 深い溜息が出てしまうのは不幸だからではない。

 むしろ逆、幸福すぎるからだ。

「亜璃沙だけじゃなく、まさかヒカリまで僕の事を……」

 この大場菜市一帯を、しょうもない理由で掻き乱した犯人を捕まえ、安心して夏休みを迎えられると思っていた時に、従妹の払間ヒカリからまさかの告白を受けたのがつい二日前。

 かねてより堂々と愛を宣言してきた実妹――亜璃沙・K・サトクリフと合わせ、二人の美少女の内どちらを選ぶかという、正解のない命題を前にして、少年はろくに眠れず悩んでいた訳である。

「どっちも好きなんだよな……」

 生まれた頃から付き合いのあった幼馴染みで、村でイジメられていた自分を助けてくれたヒーローで、最高の親友だと思っていたヒカリ。

 ちょっと変な所はあるけれど、誰よりも魅力的な少女で、何よりも深い愛を捧げてくれる実妹の亜璃沙。

 安心と刺激、信頼と情熱。

 二人に抱く好意の種類は違うが、その重さは計りで比べられるモノではない。

 それでも、大切だからこそ、決断を下さなければならない。

「二股なんて最低な真似だけはしたくないし……」

 ふと一度しか会った事のない父親の顔が浮かび、和樹は寒気を覚えて首を振る。

 色々と仕方のない事情があったとはいえ、浮気して亜璃沙という子供をこさえ、人の運命をハチャメチャにしてくれたあの男とは、絶対に同じ道を辿ってはならないのだから。

 そんな事を考えていると、傍らに置いていた携帯電話が着信音を鳴らしてくる。

「はい、影森ですけど」

 何時も通り名乗った彼の耳に響いたのは、何時も通り可愛らしい少女の声。

『私、メリーさん。今日のお昼ご飯はまだなの?』

「あっ、ごめん、直ぐに作るね」

 お腹を鳴らす同居人――メリーさんに言われ、時計の短針がとっくに真上を過ぎている事に気付いた和樹は、慌てて台所に向かった。

 従姉の持っていた料理漫画で見た、飲めるラー油のチャーハンを作って出すと、電話口からは満足そうな声が返ってくる。

『ん~、ちょっと辛いけど、そこが堪らなく美味しいのっ!』

「……はぁ~」

 甘党なメリーさんが唸るくらい、そのチャーハンは美味く出来ていたのだが、作った本人は溜息を吐くばかりで、手が一向に進んでいなかった。

『和樹、お腹痛いの?』

「いや、大丈夫だよ。ちょっと考え事をしていただけ」

 マイクスピーカーに挿した携帯電話から、心配げな声が響いてきて、和樹は慌てチャーハンを口に運ぶ。

 だが、三年も共に過ごした同居人の目は、そんな事では誤魔化せない。

『和樹、二日前からずっと様子が変だけど、いったい何があったの?』

「うっ、それは……」

 ヒカリからも告白されて、亜璃沙とどちらを選ぶか迷っている――という事実を、和樹は何故か伝えられず黙り込む。

 しかし、何の相談もしないのも失礼だと思い、少し考えてから口を開いた。

「例えば、ショートケーキとチーズケーキ、どちらかしか選べないとしたらメリーさんはどうする?」

『私、メリーさん。ブルーべーリー・タルトを選ぶの』

「まさかの三つ目っ!?」

 予想外の答えが返ってきて驚く和樹に、電話口の少女は笑って応える。

『選択肢が二つしかないという、まずはその幻想をぶち壊してこその主人公なの』

「バトル物のアニメでも見てたの?」

『でも、忘れないで欲しいの』

「えっ?」

 ふざけていた声が不意に真剣なモノとなり、驚く和樹に電話口の少女は告げる。

『貴方を大切に想う人が、他にも居るんだって事、忘れないで欲しいの』

 まるで全てを理解しているように大人びた、けれど何かを願う幼さを残した、切なくも優しい声。

「メリーさん、それは――」

 どんな意味か――と尋ねようとした瞬間、通話中の携帯電話から着信音が響いてきた。

「キャッチホンだ。ごめんメリーさん、話はまた後でね」

『むぅ~、タイミングが悪いの……』

 良い所で邪魔が入り、電話口の少女は通話を終えると共に、拗ねて何処かに瞬間移動してしまう。

 背後の気配が消えた事を感じながら、携帯電話を取った和樹の耳に響いてきたのは、良く知る人物のとても不機嫌そうな声だった。

『……今、世界崩壊級の危機を感じた』

 名乗りもせずにそう呟いてきたのは、彼の実妹こと亜璃沙。

「隕石が落ちてくる様子も、宇宙人が襲来する様子もないけど?」

 流石は淫魔サキュバスというべき、実に鋭い女の勘だったのだが、当の和樹は訳が分からずツッコミを入れるだった。

 そんな兄に対し、妹はコロッと声色を変えて尋ねる。

『……ところでお兄ちゃん、明日は暇?』

「えっ、今のところ予定はないけど……」

『……大丈夫、デートのお誘いじゃない』

 戸惑う和樹の心情を読み、亜璃沙は前もってそう言った。

 正々堂々勝負をすると決めた以上、彼女とて抜けがけするつもりはない。

『……ヒカリにも、許可を取った。報酬はお兄ちゃんの膝枕+耳かき』

「本人の断りなく代金にしないでくれない?」

 一緒にお風呂に入った事すらある従妹だから、今更その程度は別に構わないのだが、告白された直後だと少し照れ臭い。

 そんな事を思う和樹に、亜璃沙は率直に用件を告げた。

『……是非、会って欲しい人が居る』

「あぁ、そういう事か」

 真剣なその声が何を言いたいのか理解し、和樹は複雑な表情で頷いた。

 普通の兄妹ならば、妹の恋人を紹介されるような台詞だったが、この妹は兄を恋人にしたいと願っているのだから、それは絶対に有り得ない。

 ならば、心当たりなど一つしかない。

『……私のママに』

 亜璃沙の母親、和樹の父親・影森宋馬の浮気相手、彼とは血の繋がりもない赤の他人。

 そして、地球人類の半分、三十億を超える男達の欲望から生まれたといっても過言ではない、始祖の淫魔・真なるサキュバス。

 その強力すぎる妖怪は、顔を合わせた事すらないのに、和樹の運命を大きく歪めた張本人でもあった。

「会わない訳にはいかないよね……」

 半分逆恨みのようなものだが、良い印象はない相手だ。

 だが、可愛い妹を生んでくれた女性であり、義母になる可能性もある人なのだ。

 何時までも避けて通る訳にはいかない。

『……前々から、会って欲しいと思ってた』

「今を逃すと機会もなさそうだしね」

 大きな事件が一段落し、暫く妖怪の騒動も起きそうにない。

 そして、恋愛関係は巨大な山場に差し掛かっている。

 仮に亜璃沙を選ばなかった時、その後に彼女の母親と顔を合わせるというのは、少し気まずいものがあるだろう。

「分かった、会わせて貰えるかな」

『……うん、ありがとう』

 タイミングも考慮して承諾した和樹に、亜璃沙は嬉しそうに礼を告げる。

 その上で、一言付け加えた。

『……お兄ちゃん、この世は(トラ)(イア)(ング)(ラー)こそ至高、(クア)(ドラ)()()なんて存在しない』

「何を言ってるの?」

 最強のラスボスに目を向けさせまいという、涙ぐましい妹の思いは、兄に全く伝わらなかったのだった。


             ◇


 大場菜市から新幹線や電車を乗り継ぐこと四時間。

 山の麓にあり、田畑が広がるだけの何もない小さな町に、和樹と亜璃沙は辿り着いていた。

「ここが亜璃沙の故郷なの?」

「……住んでいたのは、もっと奥」

 お出かけという事で、いつものカツラと眼鏡で変装した亜璃沙は、そう言って人気の無さそうな山を指差す。

 死んだはずの凶悪な妖怪と退魔師、その二人の間に生まれた子供。

 ほとぼりが冷めるまでの数年間、世間から隠れて過ごさなければならなかった彼女の幼少時代を思い、つい暗くなる和樹の手を、妹は気にせず引っ張る。

「……あそこで、会う事になってる」

 そう言って亜璃沙が指差したのは、駅前にある少し寂れた喫茶店。

 山奥にある彼女の実家まで歩いていくと、今日中に帰れないから気を使ってくれたのだろう。

 その配慮に感謝しつつ、喫茶店の扉を開いた瞬間、和樹の顔面は柔らかい巨大な何かに包まれた。

「な、何っ!?」

「きゃあーっ! 想像していた通り可愛いーっ♪」

 驚く和樹の耳元で、若い女性の歓声が上がる。

 それで柔らかい何かの正体を察し、慌てて顔を上げた和樹の目に映ったのは、世界中の名画が霞むような、まさに絶世の美女だった。

 雪よりも白い肌、黄金の輝きを放つ長い髪、血よりも鮮烈な赤い瞳。

 目元も鼻も唇も、どこの造形も完璧すぎて、『美人は三日で飽きる』という言葉がいかに嘘か思い知らされる。

 そんな美女から妹の面影を読み取るまでもなく、和樹は彼女が誰か理解した。

「あの、貴方が――」

「はい、亜璃沙のママン、リリア・K・サトクリフ、十七歳です♪」

「おいおいっ」

「きゃあーっ、ちゃんとツッコンでくれた~♪」

 つい白けた顔で裏拳をかました和樹に、絶世の美女こと始祖の淫魔――リリアは嬉しそうな声を上げて、また巨大な二つの膨らみを押し付けてくるのだった。

「ちょっ、お母さん、そろそろ放して下さい!」

「え~、リリアって呼んでくれないと放してあげな~い」

「じゃあリリアさん、放して下さい」

「さん付けなんて他人行儀は嫌よ。ほら、リ・リ・アって呼んで?」

「いや、それはちょっと……」

 脳がとろけるような甘い声を耳元で囁かれ、和樹は真っ赤になりながら離れようとする。

 だが、リリアは彼の体をさらに抱き寄せ、舌なめずりしてその頬に唇を寄せた。

「うふふっ、本当に宋ちゃんそっくり。つまみ食いしちゃおうかな~?」

「えぇーっ!? それはダ――」

「……ママッ!」

 振り解こうとするも何故か力が出ない和樹の頬に、リリアの唇が触れる寸前、彼の後ろから怒声が鳴り響く。

 声の主は勿論、亜璃沙。

 しかも妖力封じのカツラと眼鏡を外し、背中から悪魔の翼を生やした本気モードに成っていた。

「……これ以上、お兄ちゃんに手を出したら、ママだろうと容赦しない」

「ぶーぶー、亜璃沙ちゃんのケチ」

 怒る娘に睨まれた母親は、不承不承といった面で手を放す。

 それでようやく巨乳のホールドから逃れられ、ホッと一息吐く和樹の背を、亜璃沙は軽くつねる。

「……ママ相手でも、浮気は禁止」

「いや、それは絶対にしないから」

 父親の浮気相手を寝取るとか、どんな鬼畜だよ――と肩を落としつつ、頬に残る柔らかい感触を思い出し、つい赤面してしまう和樹を、亜璃沙はムスッとした顔で睨む。

 そんな兄妹喧嘩を楽しそうに眺め、リリアは二人を喫茶店の中へ招くのだった。

「外は暑いし、話は中でしましょう。今日は貸し切りだから何でも頼んでね」

 その言葉通り、田舎とはいえ駅前かつ昼時でありながら、喫茶店の中は一人も客が居らず、髭を生やした中年の店主だけが、ニコニコと笑顔を浮かべていた。

「あの、お金とか大丈夫なんですか?」

 少し心配になって和樹が尋ねると、リリアは可愛らしくウインクして答えた。

「大丈夫よ、店長さんにちょっと『お願い』して()()にして貰ったから」

「…………」

 淫魔の『魅了』で骨抜きにし、言う事を聞かせたという訳か。

 そう悟って和樹が眉間に皺を寄せると、リリアは慌てた様子で首を振った。

「嘘よ嘘、ちゃんとお金は払ってあるから。そんな事はしちゃダメって宋ちゃんに言われているし――今は力も使えないから」

 店長に聞かれないよう、最後は小声で呟きながら、リリアは袖のない黒いドレスの脇をつまみ、少しずらして見せた。

 和樹の目に映ったのは、まるで垂れる様子のない大きな胸の側面と、その下に巻き付けられた無粋なベルト。

 複雑な文様が描かれたそれが、下着の代わりやボンテージファッションでない事は聞くまでもなかった。

「妖力封じの霊具、ですか?」

「そう、貴方のお父さんに負けちゃった証」

 横乳を見せられて頬を染めながらも事情を察した和樹に、リリアは嬉しそうに頷き返しながら、店主の居るカウンターから一番離れた席に二人を案内する。

 そうして飲み物を頼んでから、改めて和樹の顔を見詰めた。

「で、出産日はいつ頃なの?」

「ぶふぅぅぅ―――っ!」

 いきなりとんでもない事を聞かれ、和樹は飲んでいたウーロン茶を思い切り吹き出してしまう。

「な、何を言ってるんですか!?」

「えっ? 孫が出来たから知らせに来てくれたんじゃないの?」

「……ママ、残念ながらそれはまた今度」

「亜璃沙まで!? いや、その可能性がゼロとは言い切れないんだけどさ!」

 半分血の繋がった兄妹である事を、まるで意に介さない淫魔の母娘に、和樹は改めて頭痛を覚える。

 そんな彼を見て、リリアはむしろ不思議そうな顔をするのだった。

「じゃあ、今日は何で来てくれたの?」

「それは――」

 強いて言えば、和樹が心の整理をつけるためだ。

 亜璃沙という素敵な妹を産んでくれた事に関しては、素直にとは言えないが、心の底から感謝している。

 ただ、彼から父親を奪い、そして母親から夫を奪って悲しませた事は看過出来ない。

(けれど、もう十六年も昔の事なんだよな……)

 恨みや憎しみという暗い感情は、長い年月によって殆ど色あせている。

 けれど、奥底に小さな棘となって残っていたから、それを取り除いてしまいたかったのだ。

『父親を奪った何処かの誰か』として恨み続けるのではなく、『会って話した事のある、好きな少女の母親』として許したいから。

(でも、勝手に許す許さないなんて、僕の傲慢だしな……)

 リリアがしたのは、自分を退治しにきた宋馬に重傷を負わせ、そのせいで記憶を失った彼とねんごろになった事。

 その結果、和樹や千枝は辛い思いをする事になった訳だが、リリアの視点で言わせれば、正当防衛の末に自由恋愛をしただけなのだろう。

 常識的な観点から見れば、他人の夫を寝取ったとして、十分に責められる罪を犯している訳だが、淫魔サキュバスに倫理を説くなど、馬の耳に念仏を唱えるのと同じだし、実の妹と恋愛フラグが立っている和樹に言えた義理はない。

 そんな風に頭を悩ませ、和樹が口を開けずにいると、リリアはふと寂しげな笑みを浮かべて告げた。

「ごめんね、色んな人を悲しませるって分かってたけど、それでも私は宋ちゃんに愛されたかったんだ」

 彼の葛藤を全て理解した様子でそう言い、深く頭を下げる。

 その美貌で数多の男を虜にし、絶大な力で敵対する者を全て這いつくばらせ、ワガママ放題で生きてきた始祖の淫魔が、謝罪するのがどれほど珍しい事かなど、和樹は知る由もない。

 ただ、彼女が他人の恋人を欲しがる遊び半分ではなく、本気で父親を愛していた事が分かっただけで、胸につかえていたモノが消えていくのを感じるのだった。

「本当に、あんなダメ親父のどこが良かったんですか?」

「それを聞いちゃう? なら今日は寝かさないわよ♪」

 ワザと呆れた声を出して空気を変えた和樹に、リリアも元の明るい表情に戻って追従する。

 家族ではないが他人でもない少年と女性は、そうやって全てを水に流す。

 恨み恨まれなんて不毛な関係は、どちらも望んではいないから。

「……よかった」

 隣で黙って見守っていた亜璃沙も、嬉しそうに微笑む。

 こうして、和樹とリリアは和解してめでたしめでたし――と終わらせてくれるほど世の中は甘くない。

 彼を見守る意地悪な運命の女神様は、何時だって最高のタイミングで最悪の目を出してくれるのだから。

「あら、和樹さんではないですか」

「ひいぃぃぃ―――っ!」

 背後からいきなり聞き覚えのある声が響いてきて、和樹は悲鳴と共に立ち上がった。

 ギリギリと壊れたロボットのように振り返った彼の目に映ったのは、貸し切りとなっているこの喫茶店に、一番来てはならない人物。

 夏の暑さにも負けず高級な着物をキッチリと着込み、長い艶やかな黒髪をなびかせた、四十路には見えない若々しい女性にして、退魔師の頂点に立つ者――

「か、母さんっ!?」

 影森千枝、和樹以上に当事者と言える彼女が、涼しげな笑顔を浮かべていた。

「あのロリコンの噂を聞いて殺――追いかけていましたら、強い妖力を感じたので立ち寄ってみたのですが……」

 ここに現れた理由を説明しながら、千枝の視線は息子から、その前と隣に座る母娘の方へと移る。

 妖力こそ今は霊具で隠せているが、人間ならざる異常な美貌までは隠せない。

 そして、娘の方に残る夫の僅かな面影を、退魔師の長は見逃さなかった。

「なるほど、ここが泥棒猫の巣穴でしたか」

 一瞬で全てを理解し、千枝の目が猛禽類の如く細まる。

 対して、睨まれたリリアの方もまた、即座に相手が何者か理解した。

「捨てられた惨めな猫がニャーニャーうるさなー。和ちゃん、保健所に連絡してくれない? あっ、結婚相談所の方が早いかな?」

「挑発するのやめてぇーっ!」

 実に悪魔らしい毒を吐くリリアを、和樹は悲鳴を上げて止めようとしながら不思議に思う

(でもリリアさん、どうしてこんなにトゲトゲしいんだろう?)

 先程の謝罪に嘘はなく、彼女は宋馬を奪った事を、悔いるかどうかは別として、悪い事だとは認めていた。

 ならば、息子である和樹以上に辛い思いをした、妻の千枝にも詫びてしかるべきだし、その度量は持ち合わせている筈だ。

 なのに何故、こうも攻撃的なのか――と疑問を抱く和樹の前で、女達の間に散る火花はどんどん大きくなっていく。

「謝罪の一つも聞ければ見逃そうと思っていたのですが、泥棒猫に人語を話せと望むのが、そもそもの間違いでしたか」

「きゃはっ♪ これだから捨てられた女って、心が狭くて嫌なのよね~」

「死んだ筈の者がピーチクパーチクとうるさいですね。そんなに地獄へ帰りたければお手伝いしますよ?」

「やだー、そうやって直ぐ暴力に訴える恐妻だから、夫に逃げられるのよ?」

「安心して下さい、死んだ事になっている夫も、直ぐに後を追わせてあげますから」

「それってヤンデレのつもり? 四十路のオバさんが流行に迎合する姿って、見ていて痛々しいなー」

「私の何倍生きているかも分からないお婆さんが、若者言葉を使う姿よりはマシですよ」

「(ビキッ)人の年齢を数える前に、鏡で自分の小皺でも数えたら?」

「(ピシッ)貴方こそ、そろそろ抜け毛の心配でもなされたらどうですか?」

 額に無数の青筋を浮かべ、最強の退魔師と最強の淫魔が笑い合う度に、意志なきテーブルやコップまでが恐怖したかのように、カタカタと震え出す。

「店長、機動隊か自衛隊を呼んで!」

「……お兄ちゃん、落ち着いて」

 混乱のあまり取り乱す和樹の腕を、亜璃沙が落ち着かせようと掴むが、その手も小刻みに震えており、カウンターに居た中年の店長は、とっくに店の奥へ逃げていた。

 何時かは決着を付ける事になると思っていた、本妻と愛人の正妻戦争。

 それがまさか、こんなにも唐突に火蓋を切るとは思わず、怯えて見守るしかない兄と妹を余所に、千枝はニッコリと童女のように笑って窓の外を指差す。

「ここは冷房が効き過ぎていますね。少し外で暖まりませんか?」

 要約すると『表に出ろ』である。

「そうね、ちょうど汗を掻きたい気分だったし」

 要約すると『ボコボコにしてやんよ』である。

 互いに穏やかな笑みを浮かべたまま、般若を背負って喫茶店の外へと出て行く千枝とリリア。

「……逃げたい」

「僕だって、出来る事ならそうしたいよ……」

 そんな母親達の後を、娘と息子は諦観しきった顔で追うのだった。


             ◇


 喫茶店から五分ほど歩いた所に、休耕地なのか何も植えられていない広い平地があった。

 少々暴れても問題なさそうなそこに足を踏み入れ、千枝は軽く指を振る。

 すると、甲高い耳鳴りと共に場の空気が変わった。

 人避けの結界――無意識に訴えかけて関係ない人間を遠ざけると共に、見たり聞こえたりしても意識できないようにして、この場で起きた事を外に悟られぬようにする術。

 妖怪を払う退魔師が、これを張る意味は一つしかない。

「さて、ここなら存分にお話しできますね」

 無論、使用するのは肉体言語。

 リリアの方もそれを承知しているからこそ、一度千枝から目を逸らし、青い顔でついてきた和樹の方を向く。

「和ちゃん、私に『鏡を見ろよこのドブス!』って言ってくれる?」

「えっ? 嘘でもリリアさんにそんな事を言うのは――」

「いいから、お願い♪」

「はぁ……鏡を見ろよこのドブス!」

 戸惑いながらも和樹がその単語を唱えた瞬間、リリアの元から甲高い金属音が響いた。

 そして、彼女は胸の下を締め付ける複雑な文様の描かれたベルト――妖力封じの霊具を投げ捨てた。

「お待たせ。オバさんの相手は趣味じゃないけど、今日だけは付き合ってあげるわ」

 背中から刺々しい皮翼を生やし、掌から禍々し紫色の光を放つその姿こそ、数多の退魔師を退けてきた始祖の妖怪、(オリジ)(ナル)の淫魔サキュバス。

 影森宋馬に敗北して以来、実に十六年ぶりとなる本性を顕わにしたリリアからは、突風の如き妖力が吹き付けてきて、見ているだけで吹き飛ばされそうだった。

 そう歯を食いしばる和樹達を余所に、千枝は涼しい顔で右足を上げる。

「お付き合い頂きありがとうございます――では、さようなら」

 ドンッと鉄板入りのブーツが踏み下ろされた瞬間、リリアの立つ地面の下から、百を超える緑色に輝く槍が生えた。

 (せん)(じゅ)(はや)(にえ)――あらゆる妖怪を串刺しにしてきた、残酷な霊力の針山。

 だが、的である淫魔の姿は、槍の穂先よりも遥か上空にあった。

「遅いわね。感度の悪い女は嫌われるわよ?」

 瞬きの間に生えた霊力の槍、それよりもなお速く空へ飛び上がっていたリリアは、退魔師を見下ろしせせら笑う。

 だが、千枝は驚愕も歯噛みもせず、再び右足を上げる。

「失礼、ハエ叩きは慣れていないものでして」

 そう言って再び大地を踏んだのを合図に、百を超える槍が上空に向けて飛散した。

 まるでクレイモア地雷のような、面を制圧する回避不能の攻撃。

 しかし、リリアの方もまるで怯まず、両手を向かってくる槍に伸ばす。

 そして、細い掌を槍が貫くと思った瞬間、霊力の槍は光の粒子に還元されて、淫魔の体に吸い込まれてしまった。

「あはっ、ごちそうさま♪」

 エナジードレイン――淫魔の持つ唯一にして最強の攻撃手段。

 娘であり人間との混血である亜璃沙は、触れた相手の体力を奪う事しかできないが、始祖という純粋の淫魔であるリリアは、攻撃手段として放たれた相手の霊力や妖力すら喰らう事ができたのだ。

 その事実に驚愕し、目を大きく見開く和樹に、リリアは得意げに手を振る。

 だが、彼の目が宙に浮く自分よりもさらに上を向くのに気付き、ハッとして振り返った。

「遅いですよ」

 そこには、いつの間にか千枝が居た。

 飛散させた槍の群に隠れながら、自らも跳躍していたのだ。

 そう気付いた時には、前転するように繰り出された踵落としが、リリアの左肩にめり込んでいた。

「ぐぅ……っ!」

 叩き落とされたリリアは咄嗟に翼をはためかせ、地面に激突するのを回避すると共に、横へ大きく飛び退く。

 それに少し遅れて落ちてきた千枝は、見事な五点着地法で衝撃を分散し、涼しい顔で立ち上がるのだった。

「感度の悪い女が、何でしたでしょうか?」

「あはっ、これだからオバさんって嫌いなのよ」

 意地悪く聞き返してくる千枝に、リリアは痛む左肩を手でさすりながら言い返す。

「「…………」」

 あまりにもハイレベルすぎる攻防に、息子と娘が言葉をなくすなか、相手の力量を悟った淫魔は険しい顔で腹を決める。

「頑張るオバさんに敬意を表して、私も本気の本気を見せてあげるわ」

 まるで負けそうになった子供のような、安っぽい台詞。

 だが、そこには確かな自信と根拠が漲っていた。

「宋ちゃんにすら見せなかった取っておきよ!」

 叫びながらリリアは両手を天に突き上げ、紫色の光を迸らせる。

 すると、まるで吸い込まれるように、彼女に向かって風が吹き起こる。

 いや事実、彼女に吸い込まれていたのだ。

 大気に存在する、霊力や妖力の根本となる粒子――霊子が。

「あはははHAHAHAaaa―――ッ!」

 莫大な力で満たされ、恍惚の声を上げるリリアの白い肌が、ドス黒く染まっていく。

 人々の放つ負の思念すらも吸収し、無限の力へと換えるその姿は――

「まさか、修羅っ!?」

「……と同じ事を、エナジードレインでしている?」

 驚愕する和樹の横で、亜璃沙も目を見開きながら理解する。

 彼女には不可能だが、他者の放った霊力すら吸収できる母親ならば、大気中に満ちる力とて吸収できるのだと。

「うふふっ、卑怯と思わないでNEeー?」

 修羅化した和樹ほどではないが、理性が飛んでいるのか、今までふざけ半分だったリリアの声に、荒々しい凶暴性が宿る。

 常人なら意識を保つことすら難しい、おぞましく強烈な妖力を浴びせられ、千枝の顔からも笑みが消えた。

「卑怯とは思いません。ですが、残念に思います」

 そう言って千枝が再び地面を踏むと、彼女を中心に森の如き槍が生える。

 だが、槍は敵に向かう事なく、彼女の右手へと集まっていた。

 視界を埋め尽くしていた千の槍は、掌の上で凝縮され、一本の光り輝く槍となる。

 それは、ケルト神話の英雄譚からヒントを得て彼女が生み出し、それでありながら、今までに一度たりとも敵に振るわれる事のなかった絶技。

「貴方は強すぎる。だから、殺さないように手加減するのは不可能です」

 ()()の葬儀――千の槍を合わせた力で金剛石であろうと貫き、敵の体内で再び千の槍に戻して、肉片になるまで破裂させる死槍。

「あはっ、オバさんってば宋ちゃんより太くて強そUu」

 対するリリアも凶悪な笑みを浮かべ、右拳に全妖力を集中させる。

 戦車すらスクラップに出来るその膨大なエネルギーを、霊力で強化しているとはいえ、生身の人間が受けたらどうなるかなど考えるまでもない。

 互いに一撃必殺。どちらか、または両方が必ず死ぬ。

 張り詰めた空気でそれを理解した娘と息子は、青ざめた顔で抱き合っていた。

「……お、お兄ちゃん、ママ達、止めないと!」

「でも、どうしたら……」

 二人の母親がもう言葉なんかで止まらないのは明白。

 そして残念ながら、力尽くが通じる相手でもない。

 仙気では手が届かず、理性を捨てた修羅となってようやく肩を並べられるレベルの相手、それがしかも二人。

 そんな化け物達の殺し合いを、何の犠牲も出さずに仲裁できる者など、神様レベルのターボ婆ちゃんくらいなものだ。

 いや、あと一人だけ居る。

 そもそも、二人の女が争う事になった元凶たる――

「げっ、何で千枝とリリアがっ!?」

 数度しか聞いた事のない、だが決して忘れぬと決めた男の声が、遥か遠くから微かに聞こえ、和樹はそちらに目を向ける。

 そして見つけ出す。木の影からこちらを伺う、自分に似た男――影森宋馬の顔を。

「出やがったな諸悪の権化がAAAaaa―――ッ!」

 ここで会ったが百年目、もとい天の配剤。

 半分修羅モードとなった和樹は、爆発するような速度で父親に詰め寄り、そのまま首を締め上げた。

「か、和樹、再会の抱擁にしては熱烈すぎるぞ?」

「そんな冗談を言える状況に見えるのかAAAaaa―――ッ!」

 一触即発、デッド・オア・アライブな母親達を指差し、和樹は父親に向かって遠慮なく吠える。

 そして、容赦なくその体を放り投げた。

「罪滅ぼしに命懸けで止めてきやがれEEEeee―――ッ!」

「まだ心の準備があああぁぁぁ―――っ!」

 この期に及んで尻込みしていた宋馬は、息子の手で戦場のど真ん中に放り込まれる。

 今まさに決着を付けようと、踏み込もうとしていた二人の女も、泥だらけになって登場した夫の姿を見て、思わず足を止める。

「宋ちゃん、帰ってたの!?」

「や、やあ、リリア。それと……久しぶりだね、千枝」

 驚きつつも顔を輝かせる浮気相手に苦笑を向けた後、宋馬は冷や汗を浮かべて本妻の方を窺う。

「宋馬さん……」

 十六年という長い年月を経て、ついに夫と再会を果たした千枝は、必殺の槍を手にしたまま無表情に歩み寄る。

「浮気をして子供を作った事に関して、何か釈明はありますか?」

「当時は記憶を失っていて、浮気になるって知りませんでした……」

「なるほど。今は記憶を取り戻した様子ですが、どうして帰って来なかったのですか?」

「それは、こんな事になってると知れたら、君に迷惑を掛けるから……」

 命惜しさからではなく、本心から宋馬はそう告げた。

 退魔師の長、影森の当主である者の夫が、退治した筈の妖怪相手に子供を作っていたなどと知れたら、千枝の評判や信頼まで傷付けてしまう。

 なら、彼は死んだ者として、皆に忘れ去られた方がいい。

 例え、妻や息子に二度と会えなくとも。

 そう決断したから、彼は誰にも知られぬ山の奥に隠遁していたのだ。

 だが、所用で海外へ赴いている間に娘が山を抜け出し、兄へ会いに行った事でその生存が知らてしまい、今の状況がある。

「俺は君に殺されても何の文句も言えない。けれど、リリアと亜璃沙は見逃してくれ」

 宋馬はそう頼み込み、首を差し出すように額を地面に擦りつける。

 必殺の槍を手にした千枝は、それを見てただ低い声で告げた。

「立ってください」

「…………」

 黙って言うとおり立つ宋馬の顔に、死への恐怖は一欠片も見当たらない。

 ただ、妻への不義理を詫びるように、静かに目蓋を閉じていた。

 それを正面から見据え、千枝は手にした必殺の槍を振り上げる。

「本当に、貴方は出会った時からアホでスケベな女タラシで――」

 思い切り振り下ろされた槍は、宋馬の遥か後方の大地を抉り、爆音と共に土砂を跳ね上げる。

 それに驚き目蓋を開けた夫が見たのは、十六年経っても変わらず美しい妻の、涙に濡れた微笑み。

「――そのくせ、女心が分からないんですから」

 驚く泥だらけの宋馬を、千枝は高価な着物が汚れるのも気にせず、力の限り抱き締める。

「貴方さえ側に居てくれたら、他には何もいらないんだって事くらい、いちいち言わせないで下さい」

 世間の風評を気にするような女なら、そもそも馬の骨呼ばわりされていた宋馬と、周囲の反対を押し切ってまで結婚する筈もない。

 理由があったとはいえ、浮気をした事は絶対に許せない。

 けれど、嫉妬や独占欲など、彼が居ない寂しさに比べればどれほどのものか。

 惚れた弱みですね――と、少しだけ悔しそうに歯を噛みながら、千枝は退魔師の長ではなく、ただ一人の女として愛する男のぬくもりを全身で確かめる。

「おかえりなさい、宋馬さん」

「ただいま」

 宋馬もまた、己の身勝手な浅知恵を深く悔やみながら、千枝の懐かしい黒髪に顔を埋めた。

 そんな両親の姿を見詰め、息子は軽く溜息を吐く。

「まったく、母さんも甘いんだから」

 散々口にしていた恐ろしい拷問を見たかった訳ではないが、父親のしでかした事を思えば、百発くらいは殴ってもよいだろうに。

 そう物騒な事を考えつつも、和樹の顔は嬉しそうに綻んでいた。

「あーぁ、見せつけてくれちゃって」

 声がして横を見れば、疑似修羅モードを解除したリリアが立っていて、拗ねた顔を宋馬達の方へ向けていた。

「リリアさん、これは――」

「別にいいわよ、最初から知ってたし」

 気遣って何か言おうとした和樹の口を、リリアは人差し指で封じる。

 十六年前、妖怪とそれを払う退魔師として出会った時、リリアは宋馬の事が気に入って、自分のモノになるよう誘った。

 だが、彼はすげなくそれを断り、結局二人は戦う事になった。

 美貌も富も併せ持ち、この世のあらゆる快楽を保証した淫魔を、彼が拒絶した理由はたったの一つ。

『俺、他に好きな子が居るから』

 結婚しているという倫理観でもなく、親になるという義務感でもない、ただ純粋な愛情。

 二十歳をすぎた男とは思えない台詞を、照れながらも断言した彼の笑顔が、どんな宝石よりも眩しかったからこそ、リリアは男を食いものにしてきた生涯で、初めてにして唯一の恋に落ちたのだから。

「独り占めしたかったけど、あのオバさん強くて無理そうだしね」

 ふざけた仕草でケラケラと笑うリリアだが、先程まで見せていた殺意も決して嘘ではない。

 記憶を失うという幸運を生かし、持てる限りの技を尽くして快楽を与えたというのに、宋馬は結局妻の事を思い出し、そして彼女への想いを捨てる事もなかった。

 例え会えなくても、愛する男の心に住み続けた女など、認められる筈もない。

 けれど、宋馬に憎まれ嫌われるのだけは堪えられないから、淫魔は敗北を受け入れた上で笑うのだ。

「それに、人の旦那と浮気する方が興奮するしね♪」

 実にサキュバスらしい淫乱な台詞を口にするが、その目尻が微かに濡れていたのを、和樹の目は見逃さなかった。

「本当に、どしてあんなダメ親父がイイんだろう……」

「そう思うなら、お父さんから私を奪ってみる?」

「……ママ、許さないと言ったはず」

 納得いかないと溜息を吐く和樹に、もう普段の調子に戻ったリリアが胸を押し付け、それを見た亜璃沙が目をつり上げる。

 そんな彼らを余所に、運命のイタズラで引き裂かれていた夫婦は、離れていた時間を取り戻すように抱き締め合うのだった。


 ――と、綺麗に終わらせてくれるほど、運命の女神様は甘くない。

 意地悪な彼女は何時だって、最高のタイミングで最悪の目を出してくれるエンターテイナーなのだから。

「私はママとして、娘の彼氏の筆下ろしを――うっ!」

 和樹達をからかっていたリリアが、急に顔色を変えたかと思うと、口を押さえて物陰へと走り去る。

 あまり聞きたくない苦しそうな声が響き、何事かと心配する和樹達だが、吐き終え帰ってきたリリアの顔は、何故か妙に晴れ晴れとしていた。

「今の、まさか――」

 嫌な予感が過ぎり、ゾッと冷や汗を浮かべながら、和樹は壊れたロボットのように母親達の方を見る。

 すると、千枝もこちらの様子に気付いており、息子と同じ予感を抱いたのか、顔が凍り付いていた。

「えっ、どうしたの?」

「…………」

 一人気付いていない鈍感な宋馬に、娘の亜璃沙が憐れんだ視線を向けるなか、リリアは淫魔とは思えない晴れやかな笑顔を浮かべて告げたのだった。


「二人目、出来ちゃったみたい♪」


「………………………………はぁ?」

 恋した少女が妹だと聞かされた時の息子と同じくらい、宋馬は長い間硬直してから、ようやくその意味を理解する。

「二人目って、子供がっ!?」

「そんなに驚く事かな。やる事はやってたでしょ?」

「いや、でもちゃんと避妊薬を――」

「ごめん、あれただのラムネ。てへっ♪」

「何とおおおぉぉぉ―――っ!?」

「だって、宋ちゃんの愛を無駄にしたくなかったし」

「そういう問題じゃ――はっ!」

 リリアを問い詰めていた宋馬は、背中に突き刺さる絶対零度の視線に気付き、ギリギリと首を回した。

 目に映ったのは、童女のように柔らかい千枝の笑み。

 それが、核戦争を知らせるサイレン級の危険信号である事など、今更言うまでもない。

「宋馬さん?」

「いや、これにも事情があって、妖力を封じたままでいるのは命に関わるから、せめて淫魔の本能である性行為で――」

「ごめん、それも嘘。ただエッチしたかっただけ♪」

「何やてえええぇぇぇ―――っ!?」

 また暴露された真実に、宋馬は何故か関西弁になって叫ぶ。

 そして、顔面蒼白となった夫の肩を、千枝はどこまでも優しく、かつ握り潰すように掴むのだった。

「宋馬さん、安心して下さい」

「その台詞が来ると、まず安心できないんだけど!?」

「貴方が側に居てくれれば、私は他に何もいりませんから――例え、どんな形になろうとも」

「やっぱりかあああぁぁぁ―――っ!」

 ボートに乗った千枝が、自分の生首を抱えている光景が目に浮かび、宋馬は絶叫を上げ逃げようとする。

 だが、最強の退魔師がそれを許す筈もなく、腹にパンチをめり込ませ、一撃で身動きを封じるのだった。

「げふっ……!」

「それでは和樹さん、ここから先は夫婦水入らずという事で、お話はまた今度に致しましょう」

 千枝は笑顔で息子にそう告げると、リリアともう一度だけ火花を散らしてから、勢いよく走り出す。

 痙攣する宋馬を担ぎ、遠くにある人気のない山の中へと向かって。

「和ちゃん、この子の新しい父親になってくれる?」

「絶対に嫌です」

 冗談なのか本気なのか、濡れた瞳で懇願してくるリリアを、和樹は素っ気なくあしらう。

 そんな彼の横で、亜璃沙は母親のまだ膨らんでもいないお腹を見詰め、苦々しく歯を噛み締めるのだった。

「……また、新たなライバルが(ギリッ)」

「それはない」

 兄が妹にツッコミを入れるのと同時に、山の方から聞くに堪えない悲鳴が響いてくる。

 だが、薄情な息子は父親の自業自得と断言し、助けに行きはしないのだった。



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