―2.友達―
「ねぇ」
「!」
「貴女の名前はなんですか?いつもここで本読んでるけど」
突然だった。
麗は一つだけ熱中することが出来るものがある。
それが読書だ。
読書に時間を当てている時だけは、まわりの状況が把握出来ないほどに集中してしまう。安心して集中できる場所は、今、麗がいる図書館しかない。何故図書館で集中できるかというと、今まで話し掛けられることがなかったからだ。あの独特の雰囲気もいい。しかし、話しかけられてしまった。今、目の前にいる男に。じっとそいつの顔を見る。
「僕の顔に何かついていますか?」
「いいえ。特に何も」
麗はそう答え、読んでいた本を閉じ、その場から無言で立ち去った。
一人取り残された彼はしばらくの間ぼーっと突っ立っていた。
「…僕、なんか怒らせるようなこと言ったのかな?」
(次はあいつがいないときに来よう)
そんなことを考えながら、麗は家路を早足で歩いていった。
―次の日―
午前11時。図書館に人が集まり始める時間帯。
「………」
麗は図書館の中を見回し、昨日話し掛けてきた男がいないことを確認する。
「………」
再度確認し、やっと中に入る。いつものポジションをとり、いつものように本を読み始める。
…カチッ……カチッ…
午後2時。麗の他には受け付けの二人しかいなくなってしまっていた。
図書館に時計の時を刻む音が響き渡る。静かなだけあって一つ一つの音が大きく聞こえる。最初こそ昨日の男が来ないか注意をはらって本を読んでいた麗も、今はなんの音も聞こえていない。
…ギィィ……
図書館の入口にある扉は開く時に決まってこのような音を出す。よって、ここに誰かが入ってきたことを示す。しかし、麗は集中モードに入っているため当然気付かない。
「こんにちは。美人さん」
「!」
麗はまた驚いてしまった。こいつには会いたくない、と思っていたためにショックが大きい。またあの時と同じく、言葉もなくそいつの顔をじっとみる。すると、男がまた口を開き、
「実は、昨日のこと、謝りたくて」
と、こう言った。
今度は話の内容に少し驚く。まさか突然こんなことを言ってくるとは思わなかった。しかし、私は何か怒ったりしただろうか?とも考える。まぁ、確かに読書の邪魔をされたことはストレスが少したまったが、それよりも話し掛けられたことに衝撃をうけていたからそんなに気にしていない。
「昨日の、何を謝りたいの?」
次の瞬間にはこう喋ってしまっていた。
「え?怒ってないの?昨日の帰る時の態度を見て怒ってると思ったんだけど」
それでか、と一人納得する。
「本当に怒ってないの?」
「全然」
「…はぁ、よかった。てっきりまた僕が知らず知らずのうちに何かをやらかしたのかと…」
「また?」
「はい。僕、昔から場の空気が読めなかったり、あと、ドジですから周りの人に迷惑をかけたりすることがしょっちゅうあって」
「ふーん」
「あの、昨日聞きそびれたんですけど、貴女の名前はなんですか?」
「………」
また、突然だった。
本名は部外者には教えてはいけない、と孜からきつく言われている。今も一応は偽名を持っている。しかし、こいつは私がここに毎日のように来ることを知っている。だから、どちらの名前も教えられない。教えるのを断るのも一つの手ではあるが、麗自身、独特な雰囲気をかもちだすこの男に興味を抱いていたため、断りたいと思えなかった。
「なんで私の名前を聞くの?」
「貴女と友達になってみたいから」
……友達………
友達とは何だろうか、いや、何だったろうか。
ふと、あの人の顔が頭をよぎる。
……あの人以来か………
麗は一人、回想に耽っていた。
……あれは、何年前だっただろうか………
「あのー」
その一言に、麗は我に帰る。
「いっ、嫌なら、別に、そのー、名前、無理して教えてくれなくても大丈夫です」
「ねぇ」
「はっ、はい」
「私の名前を知りたいなら、それなりの覚悟、必要だけど」
「どんな覚悟ですか?」
「…命を捨てる覚悟」
「!」
今度は彼が驚く番だった。まさか、友達になるために命を捨てる覚悟が必要だと言われると普通思うだろうか。しかし彼は、
(冗談だろうか?それとも……もしこれが本当なら、それがもとで友達が少ないのかもしれない。もしそうなのなら、友達になってあげたい!)
そう思った瞬間こう口走ってしまっていた。
「じゃあ、今ここで命を捨てたことにします」
麗は呆気にとられた。そして、
「…ふふっ……」
「え?」
「ふふふふっ」
「なっ、何がおかしいんですか!僕は真面目にいっているんですよ!」
「だから笑っちゃったの」
「…もう。冗談なんだか本当なんだか……」
「いいよ。私の名前教えてあげる」
「本当!」
「ええ。でもその前に、貴方の名前を教えて」
「はい。僕の名前は薬袋惇と言います」
「私は麗って言います。苗字はまだ教えられませんが、以後よろしくね」
「よろしく、です」
「……ふふっ……」
「なんでまた笑うんですか!」
「ふふふふっ」
あー、何だろうこの感じ。なんか、とても懐かしい。いったい何年ぶりだろう。
――私、今、笑ってる――
今、心から笑っていることをまた、しっかりと噛み締める。そして、楽しいということはこういうことだったんだ、と思い出す。
少しの間になるかもしれないけれども、口下手で、自称、ドジで場の空気が読めない、という彼と、その間友達でいようと思う。もし、彼の命が危険にさらされたら、今度こそ友達を助けようと思う。
――今度こそ――
あれからまた読書を始め、気がつくと午後5時になっていた。
「私、もう帰るね」
「えっ?…あー、もうこんな時間か」
麗は、読んでいた本を持ち、出口へ向かう。扉を開けようと手を伸ばした時、用事を思い出したように立ち止まり、言った。
「一つ、言い忘れたことがあります」
「えっ?何を?」
「私、男ですよ」
「………………ぇえっ!」
「ふふふ。さようなら!」
驚いている彼を残し、麗はその場から立ち去った。




