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冬空に紡がれる小さな名もない物語

作者: かめ

 休日の学校というものは、灰色っぽいイメージが沸く。わたしの勝手な想像なのだけど……

 それは今日の天候のせいであるかも知れない。冬の朝空にはありふれた、分厚い雲が漂っていた。

 普段は訪れない休日の学校を、締め切った窓越しに眺めている理由は、今日、我が文芸部部室の大掃除があるからだ。



 わたしは部室棟、いわゆる旧校舎の3階にある文芸部部室から、生徒たちの往来がなく、より一層冬の寒さが身に染みわたっているであろう本館の校舎を、牛耳った気分で眺めていた。大した喜びはない。

 その校舎に隣接している校庭では、野球のユニフォームに身を固めた男子生徒たち数人が、ダイヤモンドを中心に練り歩くように整備をしていた。ふと考えてみると、彼らは休日でも、毎週平然と学校に来ているのか…… 今まで全くの無関心だった事柄を知らされると、それだけで何故かいたたまれない気持ちになった。しかし実際それは、わたし基準のものの考え方であって、彼らからすると、休日も部活に縛られるのは当たり前、というか縛られるという表現ではなく、むしろその状況を楽しんでいるのかも知れない、と心の中で勝手な自己解決に至る。たかが一人の女子生徒に、野球に打ち込む情熱など分かるわけがないのだから。



 部室の中は、先ほど点けた石油ストーブがようやく部屋の中を暖め始めて、外気との差を増大させている。部室とは言っても昔使われていた資料室のような場所を一時的に、文芸部と命名しただけのもので、依然、奥に並んだ棚には古い資料が雑多としている。

 真ん中には長机が二つ並べてあり、椅子が5個、均等に配置されている。窓側にストーブが置かれていて、他にあるものといえば、扉付近の棚に本が数冊、傘立てのようなものの中にサッカーボールとバドミントンのラケットなどが立ててある。いつぞやの体力作りの名残であるのだけれど、部員からは"遊び道具"と称されている。

 今日の大掃除は、わたしが勝手に提案して、部員全員に呼びかけた。思い立ったのが3日ほど前だったので、最短で皆の予定が合う冬休み初日の決行となった。



 少し広さのある部屋にただ一人。静寂の中にストーブが唸る音だけが聞こえている。

 制服の上に羽織ったコートを、わざとらしく大胆に脱ぎ捨てる。一人でいると無性にやりたくなる行為。コートが汚れるだけで意味はない。捨てたコートを拾って払い、手近にあった椅子の背に掛け、そのまま崩れるように深く座る。ストーブの前を陣取り、吹きさらしの膝と太ももに温風を与えることにした。

「あーあ……」

 何の脈絡もない言葉が漏れる。退屈しているわけではないのだけれど……

 大掃除の開始予定まではまだまだ時間があり、それまでにわたしがやるべきことを考える。

 昨日の朝、同じ文芸部部員2年の"ゆき"から急に持ちかけられた話だ。そのことに関しては以前から彼女に相談役として聞いてもらっていたのだけれど、とうとうしびれを切らしたのか、彼女が言うには大掃除の前に、それを成さなければ絶交だそうだ。十年来の縁もずいぶん軽いな、と侘しく思ったのだけれど、それは彼女のわたしに対する助け船だったのだろう。わたしが決意を固めたのも、それが大きな要因になっていた。たとえ冗談だとしても、絶交は嫌だから。



 時計に目をやると、そろそろ彼のやってくるだろう時間が近づいてるのが分かった。先ほどからひっきりなしに気にしているので、時計の針の形は幾分の違いも見せてはいない。

 あしたあした、と先延ばしにしてきた事柄がとうとう限界を迎え、終いには来年でいいか、と1年、日の目を見させずに仕舞い込もうかと何度も思ったけれど、いまわたしがここにいることが、それを打ち消す決定打に違いないのだろうと勝手に考えた。



 10時半を長針がまもなく迎えるというくらいで、足音が聞こえ、そのあとに部室の扉が、こんこんと澄んだ音を鳴らした。1秒待たずして扉が開く。

「あ、部長。さすが早いですね」

 聞き慣れた声を発しながら、待ち人は当然のように姿を見せる。黒い学ランに身を包み、見慣れた顔と無造作な髪型が、彼であることを認識させる。

 わたしは、彼を横目で追いながら、適当な返事を用意する。

「言い出したのはわたしだし、当然だ」

 平静を保てているのだろうか…… ふと、そんなことが心配になった。

「外すげえ寒いですよ。あ-、やっぱり部室あったかいなー」

 彼は鞄を肩に掛けたまま、僕も僕も、と言ってわたしの隣、いやストーブの前へやって来て手をかざす。

「やっぱりストーブ持ち込んで正解でしたね。もし無かったら今頃、凍え死んでますよ」

「まあちょうど家に余っていたものだったから、学校側も生徒たちが凍え死ぬくらいなら電気代くらい大目に見てくれるだろう」

「部長のおかげですね」

「まあな」

 手をひらひらさせながら答える。

「でも、ここまで運んだのは」

「君らだな」

 そう答えると、彼はうれしそうな表情を浮かべ、わたしの顔をのぞき込む。

 一瞬の沈黙が、異様に長く思わせる。

「部長、眠いんですか? いや、眠たそうですよ」

 少し心配そうな表情に変え、寝てないんですか?、と付け加える。まったく女子に対して失礼なやつめ。

「後輩たちへのいたずらを考えていたら、眠れなかったな」

「変態ですか?」

「勝手に言ってろ、ばか」

 部室の寒さはストーブによる熱風で、ほとんど取り払われていた。



「それにしても、まさか大掃除で祝日に呼ばれるとは思いませんでしたよ」

 彼は窓の外に視線を向け、大っぴらに呟いた。

「迷惑、だったかな……」

「いやいや、ぜんぜんそんなことないです。今日暇だったんで。しかも、お世話になった部室だし、大掃除してあげるのは当然です」

 偽りのなさそうな笑みを浮かべ、こちらを見やる。

「それに僕、部長の手下一号なんで、言われたからには何が何でもやりますよ」

 そんな恥ずかしいことをよくストレートに言えるものだ、といつもながらに感心する。

「ありがとう、とだけ言っておこう」

 素直に感謝を言えないわたしは、遠回りをして辿り着いた。



 彼は一旦ストーブから離れ、長机の椅子をこちらに持ってきて、再びわたしの隣へやって来る。手には最近愛読しているだろう本が握られていた。

「なんか今日の部長、やさしいです。……いつもだったら、もっとなんか勝手というか気にしないというか――」

「話はまとまってから話せ」

「……はい、でも僕が何か言うごとにつっこんだり、殴ったり」

「殴り、ではなく教育だ、と何度も言っているだろう…… それにわたしは別に普通だ。ただ今日が、その、12月23日ということで気を使っているんだ」

「あー、みんな忙しい時期ですもんね」

 この時期は、みんな忙しいものか……

「で、僕のほかにも来るんですよね?」

 彼はそう言いながら、壁に掛けてある時計に視線をずらす。

 わたしはわざとらしく携帯電話を鞄から取り出し、画面を見ながら独り言のように呟く。

「あー、あいつらはなんか揃って遅れるらしい…… まあなにかしら用事があるんだろう。一昨日、急に誘ったわけだし、しょうがない」

「僕は昨日、誘われたんですけど」

「一昨日はたしか会わなかっただろ? それに、急に誘っても来るだろうと――」

「信用してくれてたんですね! ありがたいことだ」

 彼は何の気なしに、わたしを慕っているような台詞を言う。まったくこちらが恥ずかしくなるほどだ。

 しばしストーブの唸りのみの沈黙が続く。

 彼は手に持っていた本を開き、視線を落とす。紙の擦れる音が耳を触る。



 今年の春、彼が入部したての頃は、部長の権限を振り回すようなわたしの行動に、多少の文句を垂れていたのだけれど、いつの間にか物わかりがよくなっていた。わたしとしては後輩に示しが付いたから結果として正解だった、と思う反面、年上として申し訳なく思うことも少なくはなかった。

 自由気ままに過ごしていた中学時代。それがあっての高校生活2年目の冬。でも、もう自由奔放に生きていける訳でもないし、人間関係のことを考えれば、自分を押し殺して、周りに合わせていくのが道理なんだろう。

 それでもこの部活内では、部長として、それなりに自由に、勝手に行動してきた。そしてそれが自分の性格なんだろうと自覚も出来た。言ってしまえば、普段の学校生活なんかと比べると、数段楽しい経験をしてきた。

 当然、部活が好きになった。そして、わたしが勝手に行動しても、付いてきてくれる部員が好きになった。

 ストーブの前で本のページを捲る部員に視線を移す。

 もちろん彼だけではない。後輩の男女、もう一人は文芸部創設当時から付き合ってくれた親友のゆきだ。みんなわたしの大切な部員、いや仲間だ。

 でもそれはわたしの勝手な見解だ。全てわたし自身の目線の話だ。

 今まで他人に認めてもらおうなんて考えもしなかった。でもそれはやはり間違っているのだろう。

 これからもわたしがわたしであるためには、せめて大切な人から認められるような人間にならなくてはダメなのだろうと、今さらになってバカみたいに悩んでいるのである。



 閉め切った窓から見える冬の空は、より一層雲を濃くし灰色がかっていた。

 感じ慣れた心地よい沈黙が、ひたすら時間を進めていく。時計の針は11時を指していた。

「ゆき先輩たち遅いですねー。あれから連絡ないんですか?」

 そろそろ本題の導入部分を考えていたわたしの思考に、彼の声が再生される。

「あ、ああ。まだ来ないみたいだな…… あと2,30分は掛かるんじゃないか?」

 平静を保ち、横目で彼の姿を捉える。椅子に前屈みになり、まだ本を読んでいた。

「だったら集合時間もっと遅くしても良かったかも知れませんね。部長だって忙しかったんじゃないですか?」

「いや、わたしは忙しいタイプの人間じゃないから」

「カテゴライズされるものなんですか……」

 彼はそっと本を閉じ、わたしの方に向き直った。

「そういえば、部長。ゆき先輩からいい情報を聞かせてもらいましたよ」

 やけに楽しそうな口調で語る。

「ほう、なんだ」

「部長のことに関してです。でも言ったら部長多分怒ると思います」

「怒ると分かっていて、話題を振るとはいい度胸だ。とてつもなく気になるよ」

 言ってみな、と優しく諭してみる。しかし、ゆきのやつ、まさかわたしが隠してきたものを言ったのではないよな…… 親友だから、信じて打ち明けたのに裏切ったというのか……

 心臓の鼓動が激しくなっているのをひしひしと感じ取れた。

「怒らないですか?」

「内容次第……」

「怒らないで下さい」

「気分次第……」

「えっと、ケータイ小説を書い――」

「一触即発!」そのことか!

 椅子を大胆に後方へ押しだし、威嚇の意を込め立ち上がる。

「うわっ、すいません! やっぱり聞かなかったことにして下さい……」

 彼は、咄嗟に頭の前へ突き出した手をゆっくりと降ろしながら、こちらの表情をうかがっている。その表情は驚きにい満ちていたが、むしろ驚いたのはこちらだ。わたしの予想の斜め上を貫通する情報だった。

 くそっ! ゆきのやつ、まさかそのネタを振ってくるとは思わなかったぞ! よくもわたしの忌々しい過去を…… ああ、顔が赤くなっているのが自分でも分かる。暖かさが充満しかけている部室で、さらに熱さは増すばかりだ。



「……読んだのか」

「えっ?」

「だから、その…… わたしの書いたケータイ小説を読んだのか、君は……」

「い、いや、読んでないです。ゆき先輩からは、書いていた、としか聞いていません」

 本当です、と強調して付け加える。純真な目がそれを事実と裏付ける。

「そうか…… それはあれだ。過去の、若かりし頃の過ちみたいなものだ。掘り返しても面白くないから、そっとしておいてくれ」

 少し睨みを効かせ、心に釘を打ちこむ。また、怖い先輩という評価が上がってしまうのかな、と少し悔やんだけれど、こればっかりはしょうがない……

「……読んでみたいです」

 彼が消え入るような声で、ぼそりと呟く。

「あ?」

「その、部長の書いた小説、読んでみたいです」

 この男、懲りていない!?

「ばかか君は! そんなにわたしに恥をかかせたいのか!」

「いやいやいやっ、そんなつもりじゃ……」

 左右に大きく首を振り否定の意を表す。

「でも、部長がせっかく書いたものですし、……文芸部後輩の自分としては、先輩の作品を読んでみたいって思うのは、と、当然です!」

 そんな直球勝負で断固たる決意を投げつけられても困る。さらに身体が熱くなるわ……

「もう、あの過去は捨て去った。今さらごみ箱を漁ろうなんて思わんぞ」

「大掃除だし、いいじゃないですか……」

 なにがいいのか「さっぱり解らん」

「でも、ゆき先輩言ってました。まだ残ってて、投稿してから時間経っているにも関わらず、いまだに人気だって…… 読ませてもらいたかったんですけど、部長に直接頼んで見せてもらいなって」

 ゆきという女、どこまでも迷惑千万なやつ…… 書庫整理の分担は決定だな。

 わたしが後の掃除分担に思考をはべらしていると、彼は少しためらいながら口を開いた。

「あの、僕、……部長の全てを見たいんです。過去だって知りたいし、これからも――」

 わたしの思考が一瞬停止した。え? 今すごい恥ずかしいこと言われなかったか?

 彼は真面目な口調で言ったからなのか、少し赤面していた。

 あー、なんか今の一言でどうでもよくなった気がする。ストーブが強すぎて頭がぼーっとしてきているんだな……

「分かった。そこまで言うなら見せてやる」

 わたしは過去何度も見たであろう、その遺産のURLを彼宛のメールに添付して送る。バイブレーションの音が、若干の気まずさを漂わせた部屋に響き渡る。

「それが、わたしの恥じたる歴史の産物だ。おうちに帰って読むのだな」

「あ、ありがとうございます」

 この件を締めくくり何とも言えない虚無感に至って、冷静さを取り戻したわたしは、その小説の内容をぼんやりと思い返していた。それに書いてある、今となっては恥ずかしい台詞が次々と頭をよぎる。

 ダメだ。やっぱり家でも読まないでくれ、と先ほどの考えを改めようと彼を見る。しかし、そこにはケータイを開いたまま、一向に画面から目を離そうとしない彼の姿があった。

 途端、急に身体が再加熱される。

「読んでんじゃねえええ!」

 考えるより先に、言葉が飛び出た。叫ぶと同時に、腕が体全体を伴って彼のケータイへと伸びる。彼は、何ごと!?、とでも言うかのような表情でわたしのほうに振り返り、咄嗟に手を上に挙げ、ひょい、と伸びてきた腕をかわした。自分でも思っていなかったほどの勢いで掴みかかったので何の抵抗もなく、そのまま体ごと前のめりに倒れ込んだ。

 彼とわたしのアホみたいな声と同時に、倒れ込んだ先にあったストーブが、ピーっと音をたてて停止した。



「いたたた……」「いってえ……」

 お互いの呻きが重なったように聞こえるくらい、その声はとても至近距離で感じられた。

 倒れ込んだ勢いはかなりのものだったが、衝撃はそれほど感じなかった。反射で目をつぶってしまっていたが、何かがわたしのクッションとなっていた。

 この状況にして、この感覚。どう転んでも彼がわたしを受け止めているのは明白だった。

 ストーブが消え、このままだと再び寒さが押し寄せる、と頭の隅では考えながら、倒れ込んだときのいささかのタイムラグを修正し終わったところで、彼が少しうごめいた。

「……ぶ、部長。その、重いです」

「君はバカだな。この状況でさらにわたしを貶める気か」

 あくまでも冷静に、反射でつぶった目をそのままにして答える。多分、いま目を開けたら、わたしは負ける。自分が自分に負けて、わたしがわたしを保てなくなりそうな、そんな気がした。

「部長、体とか大丈夫ですか? ……あ、変な意味じゃなくて、その、腕とか、足とか擦りむいたりしてません?」

 その心配がなんだか心地よく耳に伝わる。

「痛くはない…… それより君は?」

「あ、僕ですか。た、多分大丈夫だと思います。えっと、痛いのは、慣れてますから」

「そうか、わたしの教育に感謝するのだな」

「は、はあ……」

 彼の納得いかない顔が目に浮かぶ。

 段々と、わたしの思考は柔らかくなっていく。

 完全な静寂が部室の中には満ちていた。

「……部長? そろそろ、その、自力で立てるなら――」

「立てない、かも」

「えっ?」

 あー、失敗失敗。気を緩めすぎた。わたしのキャラに合わねえ……

 少し息を吐いて、気持ちを落ち着かせる。

「立つ前に、ひとつ聞いておきたいことがある」

「僕に、ですか?」

「おまえ以外に誰がいるんだ」

「はい…… でも、立ってからじゃ――」「ダメだ」

 わたしは、ぴしゃりと否定する。

 出来ればこのままで、このままの勢いで聞かなければ、1年間、先送りしそうな気がする。

 時間的にも、気持ち的にも、これが最後のチャンスだろう。

「なあ。君は、あした何か用事でも…… あるのか」

「え? ……えーと、特には」

「ないんだな?」

「はい」

 今思ってみると、ここまでは普段の会話と何ら変わりはなかった。昨日の今日のことである。本番はここからだろう、と閉じた目に力を入れ、気持ちに勢いをつける。

 彼は静かに聴き入ってるように思えた。

「あした、もし君が良かったら、その……」

 途中で詰まる。一気に言え、バカ。

「その、一緒に、過ごすなんてどうだろうか」

 静寂が部室を包むにも関わらず、頭の中は割れるように騒がしくなった。自分のすこし大きくなった呼吸でさえ聞き取ることが難しい。

「……わかりました。いいですよ」

「ふえっ?」

 あまりにも唐突というか、ごくありふれた用件の返事のようであったので、思わず変な声を出してしまう。了解されたのだろうか、されたのだろう、と頭の中で2,3回復唱され、その返事のように自然とわたしの意識も力が抜ける。

「お、おい。な、なんだその返事は!」

 ついこんなことを口走ってしまって、先ほどから守り抜いていた目を開けてしまう。本心を確かめたい気持ちが行動を加速させた。



 態勢が態勢だけに、お互いの顔は見えないのだけれど、目を開けた途端に、彼の温もりが今まで感じたことのないくらい膨張して伝わってきた。そしてわたしの頭の真横には、彼の吐息が感じられるほどの近さに、彼の顔があった。目を閉じていたときの幻想的な感覚から、一気に現実の感覚へと引き戻されたのだ。

 ストーブが消えて数分が経過し、沈黙も続いていた。しかし、身体が急に熱を帯び、心臓の鼓動が一斉に鳴りだしたのを感じ取れた。

「だぁあああ!」

 わたしはいよいよ恥ずかしくなって、急にその場から離れようと暴れ出す。うわっ、と彼が驚いて、少し後方へ身体を引き摺った。その隙に、態勢を立て直し、膝立ちになり腕で身体を支える。

 その腕を不意に掴まれた。

「部長、落ち着いてくださいよ!」

「っこ、こんな状況で落ち着いてられっか-!」

 彼に掴まれた片腕を引き離そうとするが、予想以上の力で固定されていた。

「さっきまで普通にしてたじゃないですか」

「さっきのわたしはわたしじゃないの!」

 自分でもよく解らないことを叫ぶ。離れようにも離れられないので、身体いっぱいに力を入れて顔の火照りを誤魔化しながら口を噤む。

「わかりました。だから一旦落ち着いて、……ね?」

 その言葉で、握られた腕の拘束が弱くなる。それに追随してわたしも力を抜き、少し心が落ち着いた。もう片方の手で乱れたであろう髪を適当に整える。



「部長、大丈夫ですか?」

「あ、ああ。急に暴れて悪かった……」

「いや、僕がなんか変な返事をしたのがいけなかったんですよね。でも、あの場合なんて答えればいいかなんて、僕には分からなかったです」

 あー、もうわたしのバカ! こんな時に後輩に気を使わせるな。

「あれは別に、君が悪いのではなくて…… その、君の答えがあまりにも淡泊なものに思えたから」

「そんなことないです!」

 いまだ掴まれている腕に、彼の感情の力みが伝わる。そのあとに「淡泊なものなんかじゃ……」と語尾を濁らせ、俯きながら呟いた。

 そんな彼の態度に、自分がものすごく不敏に感じられてしまう。

 知らぬ間に目がうっすらぼやけていることに気がつく。多分、わたしは今、顔をまっ赤にして、目には涙なんか溜めちゃって、文芸部部長らしからぬ、不格好な醜態を晒してしまっているんだろうと、傍目での態度を想像する。最悪だ。

 彼にはこんな姿を見せたくないと思いながらも、手で顔を隠すことも出来ず、後ろを向くことさえ許されない。ただただ下を向くことしか今のわたしには出来なかった。

「部長……?」

 彼は気遣うように顔をのぞき込む。ダメだ。こんな姿、見てくれるな―― そう思うと余計に涙が溢れ出す。頬を流れるなんて何年振りだろうと、どうでもいいことを考えていないと耐えられなかった。

「さっきのは、強制、なんかじゃないから…… 君の本意が…… 聞きたい」

 わたしは涙でかすまないよう、振り絞って声を出したのだが、途中、軽い嗚咽で引っかかり、思うように伝わったのかと不安になる。

「あしたの、ことですよね……?」

 優しく諭すような声でこちらに同意を伺ってくる。下を向きながら声にならない頷きで答える。

 彼はそれからひと呼吸置き、ゆっくりと聞かせるように口を開いた。

「強制なんかじゃなくても、僕はあした、部長と一緒に過ごします」

 その言葉は、少し広めの部室内では、ちっぽけだと感じてしまうぐらいの声量であった。しかしそれが、断固たる決意、であるとわたしに思わせる要素を含んでいたのかも知れない。それが単なる自己解釈だとしても、決して間違いなどではないと言える自信がある。それは言わば、慣れ親しんだ普段の会話とは僅かに違う、そこに決定的な彼自身の本意があるものだった。今、わたしが彼を感じ取ることが出来るのは、掴まれた腕の感触しかないのだけれど、その僅かな違いを見つける作用としては充分過ぎるほどに感じ取ることが出来た。



 彼が本意を伝えたのであれば、わたしもまだ伝えていないことを、わたしの本意を、語らなければならないと…… その意志が原動力となり、わたしはとうとう顔を上げた。

 そこには、先ほどの咄嗟に離れた行為に似つかわしくなく、距離を全く感じることができない、隙間を隔てて、彼の見慣れた顔があった。ここにきて、恥じらうことを完全に取り払うことは無理だと実感したのだけれど、それでもわたしは怯まない。なぜなら、これから言うべき台詞は、とうの昔に決まっていたことだから。

「あしたは…… 何の日か、知っているのか……」

 まだ軽い嗚咽が、言葉を絡め取って離さない。

「ええ。あしたは、クリスマスイブですね」

「そう…… それでも、わたしと一緒に…… 過ごしてくれるか」

「はい」

 彼は短く答え、わたしの途切れ途切れの言葉を真剣に聞いている様子だった。お互いが向き合い、至近距離で話しているので、こそばゆいほどに吐息がかかる。

「二人…… だけだぞ…… わたしと君の、二人だけ……」

「始めから、そのつもりです」

「午前から、9時くらい、から、丸一日…… 付き合わせるぞ」

「付き合います。部長の心ゆくまで」

 わたしの独りよがりの要求にも、彼は意志をもって答えてくれる。その姿勢に再び涙が溢れ出す。いつからわたしは、こんなにも泣き虫になってしまったんだろ、と滑稽に見えたる自分の姿を想像したが、もう、正面を見据えた顔は下を向くことはなかった。

「世間では…… それ、デート、って言うんだって、な……」

「ええ。デートですね。あしたは、二人でデートです」

 やさしく無邪気な笑顔をこちらに向ける。わたしの涙で崩れかけている顔と向き合わせるのは申し訳なく

思ってしまうくらい綺麗だった。素直に、かっこいい、とバカみたいな考えが浮かぶ。

 そして、わたしは最後に、まさか自分の口から言葉にするとは予想もしていなかった台詞を頭に浮かべる。

 ――それは、とある小説の一文。

 傲慢でわがままな主人公が、恋に落ちてしまうだけの短い話。

 わたしが去年、今のような寒い時期に書いたケータイ小説に綴られている、告白の台詞。

 そして、わたしが彼に、いまの想いを伝えられる、最善の言葉。

「こんな、わたしでも…… いいのか……?」

 涙のせいで声が擦れて、部室全体には到底行き渡らないけれど、たしかにわたしはそう言った。至極単純な短い一文。しかし、その一文に出来る限りの想いを詰め込んだ。

 ――他人が他人を認めるという事実。それは、本意に表さないと決して分かり合えないことだから

 その台詞を聞いた、黒い大きな瞳孔は、全くのぶれを感じさせないものであったが、その瞳はうっすら水気を帯びていた。そして、彼は僅かばかりに唇を振わせ、軽く息を吸った。

「はい」

 明白な答えだった。

「部長は、自由で、少しわがままで、たまに振り回されることもあるんですけど、でもやさしさくて、後輩の僕たちのことを一生懸命考えてくれてたりして、それだけですごく嬉しいんです」

 彼の頬にも涙が伝う。

「部長は、いや僕にとっての部長は、ずっとそのままでいてください。これは僕のわがままです。あしたも、明後日も、冬休みも、来年も、再来年も、その先も。ずっとです。…… 好きなことを楽しんでいる姿や、僕につっこみ、じゃなくて教育してくれる部長、そして今みたいに可愛らしい顔を浮かべる部長。他にも僕の知らない一面も。……僕は、部長の全部が好きです」



 そこまで言うと彼は、すいません、と手の甲で涙を拭った。

 彼の放った言葉は全て理解できた。わたしを、今までのわたしを認めてくれたこと。これからもそのままでいてほしいこと。そして、彼がわたしを好きだと言ったこと。理解できたはずなのに、望んでいたことが叶えられたはずなのに、素直なうれしさはそれほどわいて来なかった。でもそれは、これから二人で紡いでいくものなのだろうと、わたしはわたしの解釈で、結論に至った。場慣れしない恥ずかしさだけがわたしを包む。

「ばかっ…… 女の子を前にして、男は泣くものじゃない……」

「すいません……」

「それに、さっきみたいなこと言われたら、……これから君のこと、殴れないじゃないか」

「教育だって、言ってたじゃないですか」



 そのあと、取り留めのないやり取りを2,3回交わし、彼とわたしは長机を挟んで対面に座っていた。ストーブは停止したままなので、部室内には少しずつ寒気が流れ込んでいたが、どうしても立って点ける気にはなれなかった。

 ――沈黙が続く。

「あの……」

 始めに口を割ったのは彼の方だった。

「お、遅いですね。あとの人たち」

「ああ……」

 こちらの位置からは時計が見えない。振り返る動作すら適わないと体が拒否を示すので、正確には分からないけれど、あと10分ほどで、本来の集合時間である11時半を迎える。その時間には3人とも来るはずだ。


 ――

 昨日の朝、ゆきに、相談していた内容の展開を勧められた。なかなか渋っているわたしに、彼女は『明日の大掃除の前に、彼にクリスマスイブの予定を聞いて、そしてデートに誘って、そのまま想いも伝えちゃいなさい! わたしもう親友が悩んでる姿なんて見たくない。言わなかったら絶交だからね!』と言ってきた。

 そして彼女は、彼とわたしが二人でいられる1時間を用意してくれた。その時間で全てを伝えなさいと。

 ――


 図らずも、わたしはその1時間で全てを成し遂げられたわけだけれど、きっかけは倒れ込むほどの衝撃を与えた、ゆきの情報提供なのである。そして一番伝えたかった想いを端的にまとめた一文を、あの場面で思い起こさせたのも、ケータイ小説の話題があったからだった。

 偶然なのか、必然なのか。そんなことは実際どうでもいい。結果的にわたしは親友に背中を押されて、倒れ込んで告白できた。あのまま何もなければ、伝えられなかったんだろうなと思う。

 ゆきという女、末恐ろしいほどにわたしを見抜き、行動させた。愛おしいほどの、わたしの親友である。



「あ、部長」

 再び彼が口を開ける。

「あしたのデート ……どこ行きたいですか?」

「あ? えーと……」

 急な問いに答えが詰まる。デートって普通はどこに行くものなのだろう。 ……困った、考えつかない。

「部長の行きたいところなら、どこでもいいと思います」

 彼はそう言ってわたしの解答を待ってくれている。

 でも、そんなことより一つ気になることがあった。

「なあ」

「は、はい」

「その、一応もう、あれなんだし……」

「あれ、ですか?」

「あれはあれだ。で、二人だけのときは ……その、名前で呼んで欲しい、かも」

「僕が部長をですか……?」

 コクリと頷く。わかりました、と戸惑いながらも、彼は少し息を吸う。

 そして――

「ぁ――」ティロリン、と軽快な音が鳴り彼の小さな声は掻き消されてしまった。メールが来た。今のタイミングでメールが来たのだ。着信音のばか!こういう時こそマナーモードを貫き通せ、ばかばかばか!

 もう既に言い終えて照れた雰囲気を醸し出す彼には、もう一度言って欲しい、などと言える訳もなかった……

 仕方なくケータイを確認すると、メールはゆきからだった。

『終わったみたいだから入るよー』 ケータイは投げられた。

「あっ、ちょっと部長どこいくんですか!?」

「名前で呼べー!」

 わたしは咄嗟に部室の扉を開けた。



 廊下には見知った顔の3人がいた。いずれも文芸部部員で後輩二人と、親友、という発言は取り消して悪友のゆきの姿だった。

 急に部室から飛び出してきたわたしに、驚く男女。

「急に飛び出してきてどうしたんすか」

「ゆき先輩が、まだ入っちゃダメっていうからここで待ってたんですー ……寒いですよー」

 二人とも何があったんだろうと不思議そうな顔を浮かべている。わたしが刺すような視線を送ると少し怯え、そしてその横にいる、いやらしく笑う女に目を移す。

(こいつらに言ったのか……!)

 そんなアイコンタクトに気づいたかは分からないが、ゆきは手のひらを上に向け、さあ、と首を傾げるのみだった。

「もう入っていいみたいね。さあ、寒いから中に入りましょ」

 その言葉に連れ、ゆきは後輩たちと白々しく部室の中へと入ってしまう。わたしも渋々戻らざるを得なかった。



 部室内には長机で本を広げ、「なんでお前だけ先にいるんだよー」と言われて、適当な言い訳を取り繕っている彼の声が聞こえていた。

「あれ? ストーブ点いてないのに、ずいぶん部屋の中が温かいね」

 アツアツだ、と、ゆきがわざとらしく口にした。

「お、おまえ――」

「あ、見て下さい! 雪が降ってますー!」

「お、マジだ!」

 後輩二人は彼への言及を止め、上機嫌に窓を開け、外に首を突っ込む。部屋の中にどっと寒気が入り込む。彼も窓の方を眺め、うれしそうにしている。小粒ではあったが、冬空にはたしかに雪が舞っていた。

「うまくいったみたいでよかったね」

 ゆきがわたしに囁く。

「いつから見ていた」

「寒くて、あつい二人を見てないと凍え死んじゃうくらい」

「楽しんでたな」

「みんながしあわせなら嬉しいもんね」

 にっこり微笑みながら語る彼女。まあ、たしかにな、と心が許していたので、今はそれに従っておこう。

 後輩たちのうしろから雪の舞う空を眺めると、灰色がかっていた空さえ白く色づいているように思えた。

 校庭の方からは、雪だ、雪だとはしゃぐ声が聞こえる。野球部だってきつい練習だけではなく、冬空のプレゼントはうれしいのだろう。

 よし、あしたの予定は決まった。部員全員のプレゼント選びでもしてやろう。



 わたしの目線ではあるけれど、そこに映った全員がしあわせであるように思えた。きっとそれは間違いなんかじゃない。みんながそれを認め合っているのだから。

 あしたも降ってくれるかな、と自由なわたしはそんなことを思っていた――



「大掃除、はじめるぞー!」



 終

 こちらのサイトには初めて投稿させて頂くものです。

 

 少し男混じりの女の子が主体の、気持ちを描いた小さな物語です。

 展開は全くといっていいほどなく、日常的な一幕をだらだらと書いてしまっているような気がして、読まれた方が不快に思われたらすみません。

 ただ、読んで指摘や批評などで、いろいろご教授願えたらと思っております。


 内容の時期的には投稿時期と被りますので、わたしの思いとしては、幸せな気分になれて頂けたら嬉しい限りです。

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