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8. 命の航海

 海斗は受話器を置くと、美波を見た。二人の目には、すでに同じ決意が宿っていた。


 ヘリは飛べない。船も出ていない。


 絶望的な状況。


「『為すべきことを為せ。何が起ころうとも』」


 海斗が言った。


「なんでうちの推しのセリフ、知っとるん!? さては布教が成功した!?……て。ちゃうちゃう、うちらが届けるしかないんやな! 船の操縦は任せとき!」



 海斗と美波は、ずぶ濡れになりながら、漁師の剛さんの待つ港へと走った。


「剛さん! 船を貸してください!」


 海斗の必死の頼みに、漁師は首を横に振った。


「無茶じゃ! この嵐で、この小舟を出したら自殺行為じゃぞ!」


「ですがこのままでは子供の命が!」


「……っ!」


 剛さんはしばらく、二人と荒れ狂う黒い海とを見比べていた。やがて剛さんは覚悟を決めたように頷いた。


「……分かった。準備をするから、待っとれ」


「剛さんは乗らないでください! この嵐じゃ、十年前にやった古傷も痛むでしょう。もともと心臓も腎臓も肺も悪いんだ、肺炎なんか起こしたら命取りになる」


「先生だけに任せて、茶でも飲んでろっていうんか!」


「先生だけやない。うちもおるで。子供の頃から、荒れ狂う海を、整備されていない河川を、筏みたいなボートでさんざん行き来してたんや。日本でも何度も操縦しとるし、大丈夫や」


「……船は漁師の魂や。沈めるなよ」



「行き先は、登島……西に20分くらいやな。……荒れるな」


 美波の呟きと共に、出航する。


 小さな漁船「剛栄丸」が港の防波堤を越えた瞬間、世界は一変した。


 穏やかな港内とは比較にならない、巨大な波の壁が次々と牙を剥く。船は木の葉のように翻弄され、雨と波飛沫で視界はほとんどゼロに近かった。


 大きな波が操舵室を襲い、衝撃と共に、小さなモニターが『ぷつ』と音を立てて消えた。


「GPSモニターが落ちた!」


 現代の羅針盤が死んだ。もはや自分たちがどこにいるのかさえ分からない。


「こういうんは、ようあることや!」


 美波は動じなかった。


「先生、海図とコンパスは!」


 海斗は防水ケースから古びた海図を取り出す。だがこの視界ゼロの状況では、周囲の景色と、海図に記された岩礁や陸地の情報を照らし合わせようにも、上手く行かない。


「先生、コンパスは! 磁気コンパスを見て!」


 海斗は操舵席の前に備え付けられた、アナログな球体のコンパスを覗き込む。


「コンパスは生きてる! ……でもだめだ、揺れが酷すぎて正確な方位が定まらない!」


「せやったら、灯台の光を探すんや! 先生、目を凝らして!」


 海斗は船の揺れに耐えながら、波しぶきの向こうの闇を睨み続けた。


 数分に一度、嵐のカーテンの向こうに、ぼんやりとした光が滲む。


「……見えた! 前方の、あの光だ!」


「あれが登島の灯台!?」


「いや、あの点滅のパターン……」


逸る心を抑え、海斗は前方の暗がりに目を凝らす。


「『4秒に一閃』だ。あれは登島灯台じゃない、その手前にある『南小島灯台』の光だ!」


 海斗の頭脳が、海図データと、目の前の光の情報を瞬時に照合する。灯台はそれぞれ「灯質」と呼ばれる固有の光り方を持っている。


「あの方角に南小島があるなら、僕らは想定より北に流されている! 美波さん、針路をあと15度、左へ修正! 気をつけて下さい、この辺り、この海域で最も危険な岩礁地帯が広がっています。隠れ岩が無数に存在する、一歩間違えれば岩にぶつかって船が大破する、船の墓場だ!」


「了解や!」


 美波は舵輪をしっかりと掴み、目を細めた。


 美波は、目の前の波のうねり、その形、その色、そして白波の立ち方を凝視していた。


 開発途上国で、荒れ狂う海を、整備されていない河川を小さなボートで行き来していた少女時代の経験。それが美波の身体に染み付いていた。


「舵輪から手を離したら持っていかれそうや! 先生、エンジンを微速前進してや!」


「了解!」


 美波の、短く鋭い指示が飛ぶ。


 船はまるで、巨獣の牙の間をすり抜けるように、波を分けて左右に大きく蛇行する。海斗は美波の言葉だけを信じ、スロットルレバーを操作した。


 なぜ、その動作が必要なのか。海斗は、すぐには理解できない。説明を求める時間も無い。


 だが海斗は、ただ信じた。


 美波を、自分のパートナーの五感を。


 その時だった。


 船のすぐ左前に、山のような大波が現れた。その下から、黒く巨大な岩の肌がぬらりと姿を見せる。


面舵おもかじいっぱい!」


 船が、ぐらりと傾いて、岩を避ける。あと数メートルずれていれば、船は粉々になっていた。


「避け……られた!」


 海斗が光を読み、進むべき道筋を示す。


 美波が波を読み、危険を避ける。


 二人の息のあった連携は続いた。

 

 ……どれほどの時間が経っただろうか。


 荒れ狂う波の向こうに、ちろちろと頼りない一つの光が見えた。


 登島の港の灯りだった。


 船が桟橋につき、ロープで繋がれた瞬間、二人はほっと息をついた。


 ずぶ濡れのまま、ただ笑い合った。



 薬は無事に届けられた。子供の喘息発作は改善し、命はとりとめた。


 その夜、登島の小さなクリニックで、二人は毛布にくるまり温かいお茶をすすっていた。


 嵐はまだ窓の外で猛威を振るっている。だがその音はどこか遠くに聞こえた。


「……あなたの操船がなければ、死んでいたかもしれません」


 海斗がぽつりと言った。


「先生のあの読みがなかったら、とっくに海の藻屑やったかもな」


 美波が笑って答えた。


「……でもほんま、ひやひやしたわ」


 美波は湯気の立つカップを両手で包みながらぽつりと漏らした。


「昔な、県の医療船がちゃんと動いとった頃は、こんな薬が足らんようになることなんて、あんまりなかったらしいんやけどな」


「医療船……?」


 海斗が初めて聞く言葉に聞き返した。


「うん。もう何年も前の話やけどな。今は、桟橋で隅で錆びついてるだけ」


 美波は、窓の外のまだ荒れている黒い海を、見つめた。


「……なあ先生。嵐がやんだら、一回、見に行かへん?」


 美波は海斗に向き直り、少し寂しそうに笑った。


「かつて海の希望やった船の--墓標を」



 数日後。


 台風一過の空は洗い流されたように青く澄み渡り、瀬戸内海は鏡のように凪いでいた。


 往診を終えた帰り道、海斗と美波は軽トラックを、港を見下ろせる高台の道端に停めた。眼下には、大小さまざまな島々。少しずつ、夕日が海に落ちていく時間だった。


「……こうして見ると、本当にたくさんの島があるんですね」


 海斗は、遠くに見える島々を眺めながら、呟いた。


「人が住んどる有人島だけでも、このあたりに十以上はあるんよ」


「美波さん。あの島々にもお年寄りはたくさん住んでいるんですよね。あそこにはクリニックはあるんですか?」


 海斗の問いに、美波は少しだけ表情を曇らせた。


「うーん……」


 美波は窓の外に視線を移した。


「あるにはあるけどな。うちみたいな看護師が一人おるだけの所も多いんよ。週に一回本土からお医者さんが船で来てくれるだけの島もあるし……。急な病気や怪我があった時が一番大変なんや」


 その声には、長年の無力感が滲んでいた。


「……そうでしたか」


「……あ、あそこやで、昔の医療船」


 美波は港の一番隅にある、今はもう使われていない古い桟橋の先を指さした。


 その先に一隻の中型の船が、まるで忘れ去られた巨大な骸のように係留されていた。


 船体は一面赤錆に覆われ、かつては白かったであろう塗装は、潮風に晒され、見る影もなく剥げ落ちている。


「あれが……?」


 美波の言葉に海斗は驚いた。あれが医療船?


「ピカピカやったんやで、最初は。レントゲン室もあってな、『海を渡る病院』なんて新聞にも載ったもんや。うちも看護師になろうって決めた頃、あの船で働くのを夢見てたわ」


 美波の横顔が少しだけ寂しそうに揺れた。


「ですが……なぜあんな状態に?」


「……一言で言えばお金やな」


 美波は吐き捨てるように言った。


「『維持費がかかりすぎる』って県の予算がどんどん削られていったんよ。常駐してくれるお医者さんも結局見つからんかった。船を動かす船長さんかて、なり手がおらんようになって……。だんだん、簡単な健康診断で島を回るだけになって……最後は、ついに動かすための燃料代さえも、予算がつかんようになってしもうた。……今となっては、ただの、海の墓標よ。中にある医療機器も、潮風でもう、めちゃくちゃやろな。誰も手入れなんてしとらんし」


 美波はぐっと唇を噛み締めた。


「……あの船が、ちゃんと動いてくれてたら」


 美波の声が悔しさに震える。


「助かった命も、きっとあったはずなんや。お隣の島の山本さんとこのおばあちゃんも脳梗塞で倒れた時、もっとはよ本土の病院に運べとったら……後遺症も、酷うはならんかったかもしれんのに……」


 海斗は何も言えなかった。


 ただ黙って、錆びついた白い船体を見つめていた。


 それは、離島医療の厳しい現実の象徴だった。

 

 そして、海斗の合理的な頭脳が目の前の「墓標」を瞬時に分析し再構築していく。


 ……あの船のスペックは? 全長、排水量、エンジンの馬力。


 ……搭載できる医療機器の最大重量と消費電力は?


 ……船体を修復しエンジンを換装すれば、航行速度はどれだけ向上する?


「……先生?」


 考え込んでいた海斗の横顔を、美波が不思議そうに覗き込む。


「……どうかしたん?」


「……いえ」


 海斗は我に返ると、静かに首を振った。


 夕日が、錆びついた船体をまるで血のように赤く染める。


 墓標と呼ばれたそれは、だが海斗の目にはまだ完全には息絶えておらず、再生を待っているようにも見えた。



 まだ暑さの残る、ある日の夜。


クリニックの古びた玄関の戸が、がらりと音を立てて開いた。


「先生、美波ちゃん、おるかー?」


 現れたのは、日に焼けた顔をしわくちゃにして笑う、漁師の剛さんだった。その手には、オレンジ色に、赤橙色の斑点が散りばめられた、大きな魚が抱えられていた。まだぴちぴちと、かすかに尾を震わせている。


「剛さん! すごい立派なキジハタ!」


 美波が駆け寄ると、剛さんは胸を張った。


「おう。今日揚がった、とびっきりのやつじゃ。先生にはこの間、お世話になったからのう。今夜はこれでも食ってくれや」


「ありがとうございます剛さん。ですがこれは…」


 海斗が恐縮して言うと剛さんは豪快に笑った。


「ええんじゃええんじゃ! 持ちつ持たれつじゃ! それじゃあな!」


 言うが早いか、剛さんは嵐のように去っていった。


 残されたのは素晴らしいキジハタと、目を輝かせる美波、そして――どこか違う種類の強い輝きを瞳に宿した海斗だった。


「うわーすごい! 塩焼きかな、お刺身もええなあ!先生、瀬戸内海を代表する高級魚やで! うちで捌いてくる、一緒に食べようや!」


 最近、二人は、美波が作った夕食を、クリニックで一緒に食べるようになっていた。三食全てを栄養剤のみで食事を取ろうとする海斗に呆れ、美波がまともな夕食を一緒に摂るという『業務命令』を、海斗に下したのだ。


海斗は『栄養剤で食事を済ませるという俺の選択は一日あたり平均して約90分の可処分時間を生みます。その時間で読める論文の数は少なくとも三本……』と抵抗したが、美波に逆らえるはずもなかった。ちなみに、片付けは海斗の仕事である。


「待ってください美波さん」


 海斗が静かに、キジハタと共に去ろうとする美波を制した。


「……この体型。岩礁域での生活に特化した、実に合理的な形だ。瞬間的な加速と制動、方向転換に最適化されている」


 海斗はまるで希少な美術品でも鑑定するかのように、魚体を様々な角度から眺め始めた。


「美波さん、メスとピンセットを借りていいですか。俺のスケッチブックと顕微鏡もいるな、持ってきます」


「……え?」


 美波はきょとんとした。


「すけっちぶっく? 先生、今から晩ごはんの準備やで?」


 だが海斗の耳には届いていなかった。


 海斗はキジハタを、海斗が“研究室”と呼んでいる、外来診察室の隣の部屋の、清潔な流し台の上へと恭しく運んだ。


 そして海斗はメスを握った。それは料理人が魚を捌く手つきではなかった。外科医が未知の臓器を解剖する精密で冷徹な手つきだった。


 海斗は完全に「ゾーン」に入っていた。心做しか、言葉遣いもロボットのように機械的になっていく。


 海斗は驚くべき速さと正確さで、氷の上に置いた魚を解剖し内臓を一つ一つ取り出していく。


 スケッチブックに、臓器の配置を几帳面に描き込む。


 続いて筋肉を薄く切り取り、顕微鏡で観察した。


「白筋が優位……この比率が、待ち伏せからの瞬発力を生む」


 美波はだんだん不安になってきた。


「せ、先生……? はよせんと、お刺身にする身の鮮度が落ちてしまうで……?」


「問題ありません。冷却しながら作業しています」


海斗はキジハタの腹腔内を丁寧に観察し、内臓周囲を確認し始めた。


 キジハタの内蔵周囲からピンセットでつままれ、ガラス皿に移されたのは、細い白い糸状のもの。


 海斗のカウンターが、カチ、カチ、と鳴る。


 異様な光景に、美波はおそるおそる尋ねた。


「……先生。今度はいったい何を数えとるん……?」


 海斗は顔も上げず、完全に没頭したまま答えた。


「アニサキスです」


「あにさきす……?」


「ええ。魚類に寄生する線虫の一種です。この個体におけるアニサキス幼虫の含有量と内臓における分布状況を調べています。普通の魚屋に売っている魚にもいることがあります、美波さんも気をつけたほうがいいですよ。……n=1とはいえ、面白いデータが得られるはずだ」


 その瞬間、美波の中で何かが切れた。


 美波は、流し台に歩み寄ると、解剖の途中だったキジハタをひったくった。


「ええ加減にしいやーーーーーッ!!」


 美波の魂の叫びが静かなクリニックに響き渡った。


「これはデータやない! 研究対象でもないんや! 剛さんがうちらのために『美味しいもん食べや』って持ってきてくれた、心のこもったお魚や、言うとるやろ!」


 その大声に海斗ははっと我に返った。


 海斗はゾーンから引き戻され、怒りに肩を震わせる美波と、解剖されたキジハタとを交互に見つめ、心底不思議そうな顔をした。


「……ですが美波さん。この魚の生態を科学的に理解することは、剛さんのような漁師の皆さんの今後の漁業活動や島民の健康管理にも貢献できる、極めて有意義な行為だと思いますが……?」


 その反論に、美波は天を仰いだ。


「……そういうとこやぞ先生!」


 美波は深呼吸すると言った。


「ありがとう、と、いただきます、が先やろ、普通は!」


 海斗はその言葉に、雷にでも打たれたかのように、固まった。


 そして海斗の頭脳が、新しい定理を理解しようとフル回転を始める。


「……なるほど。感謝の表明と摂食行為の優先順位が科学的探査活動を上回る…と。了解しました。次回の生物サンプル受領時より、そのように行動フローチャートを修正します」


「もうええわ! はよ残りを食べるで!」


 美波はキジハタを抱えて、今度こそ、すぐ隣の自宅の台所へと向かうのだった。


 残された海斗は自分のスケッチブックと美波の背中を見比べながら「フローチャートの修正…」と真剣に呟いていた。


 夕食時。


 キジハタの刺し身と塩焼き、油揚げの味噌汁に、ほうれん草のおひたし。ほかほかの白米。いい匂いのする食卓を、海斗と美波は囲んでいた。


 海斗が、神妙な面持ちでキジハタの塩焼きを口に運ぶ。


「キジハタの焼き加減、タンパク質の変性が始まるギリギリの温度で火から下ろされている。それによって身の保水率が最適に保たれている……深い旨味と身の甘みが」


 美波は呆れてため息をついた。


「……『美味しい』て素直に言われへんのか、先生は」


「……はい。美味しいです」


 海斗は少し俯きながら、小さな声でそう答えた。



 ある秋の日、日本中が、そして世界中が、一つの手術に注目していた。


 阪都大学病院、第一オペ室。


 行われるのは現職総理大臣神崎誠一郎の膵臓癌に対する、膵頭十二指腸切除術。執刀医は第一外科教授、権田原敬介。


 そしてこの手術の模様は日本の最高医療技術を世界に喧伝するための、国家的な一大プロジェクトとして、全世界にリアルタイムでライブ配信されていた。


 オペ室はもはや、医療現場というよりテレビスタジオの様相を呈していた。壁面には巨大なLEDスクリーンが設置され、手術の進行状況や総理のバイタルサインがスタイリッシュなグラフィックで表示されている。複数のカメラが、あらゆる角度から術野を捉え、その映像は世界中の医師、医学生、研究者たちに配信されていた。


「権田原教授、準備はよろしいでしょうか」


 政府の広報担当官が、恭しく問いかける。


「うむ。いつでも始められる」


 権田原は手術着に身を包み、自信に満ちた表情で頷いた。権田原の背後には、権田原が率いる第一外科のエリートたちが勢揃いしている。


「今回手術をサポートするのは我が国が誇るAI手術支援ロボットの最新モデルバージョン4.0です。従来のモデルを遥かに凌駕する判断速度と精密さを兼ね備えています。この私と最新のAIのコンビネーションの前には、いかなる困難な手術も存在しません」


 権田原はカメラに向かって堂々と言い放った。権田原の声は衛星回線を通じて世界中へと届けられる。権田原の名声は、この日頂点に達するはずだ。


 かつて権田原の権威を僅かに揺るがしたあの生意気な19歳の天才のことなど、もはや記憶の片隅にも残っていなかった。


『それでは総理大臣神崎誠一郎氏のライブオペを開始します』


 アナウンサーの厳かなナレーションと共に手術は始まった。


 権田原はコンソールに座りロボットアームの支援を受けて、手術を開始する。その手つきは滑らかで力強い。


 開腹、腫瘍の確認、周辺組織の剥離。


 手術は驚くほど順調に進んでいった。


「素晴らしい……! まさに神業だ!」


「日本の医療技術は世界一だ!」


 配信映像のコメント欄には世界中からの賞賛の言葉が溢れかえっていた。


 権田原は口の端に満足の笑みを浮かべた。全ては権田原の筋書き通りだった。


 しかし手術が佳境に差し掛かり、膵臓と十二指腸を切除しようとした、その時だった。


 異変は唐突に訪れた。


 メスが組織に触れた瞬間。その接触部分が、じわり、と赤く腫れ上がったのだ。


「……ん?」


 権田原は僅かに眉をひそめた。


 接触部位をよく観察しようと、鉗子で組織を掻き分ける。すると今度は鉗子の形に沿って、組織がまるで拒絶反応を起こすかのように変色し、微細な出血を始めた。


 ピッピッピッ、と単調だったバイタルモニターの電子音が甲高いアラートに変わった。


「血圧低下! 頻脈!」


「サチュレーション低下! 90、88……!」


「なんだ!? いったい何が起きている!」


 オペ室の華やかな雰囲気が一変する。助手の医師たちの声が悲鳴に近い響きを帯び始めた。


「教授! 総理の全身の皮膚に発疹が!」


「アナフィラキシーか!? 」


 権田原は混乱していた。だが長年の経験が、最悪の事態を権田原に告げていた。


「まさか……術中覚醒型、接触性、全身性、金属アレルギー……だと……?」


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