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10. 凱旋

凱旋


 海斗は淡々と告げた。


「一つ。公的な場で自分の誤りをみとめ、はっきりと謝罪すること。詳細は俺の指定する通りに」


「分かった! 謝罪する!」


「二つ。俺の願いを何でも一つ叶えること。内容は、この手術が終わった後伝えます」


『……わ、分かった。約束する。何でもする……』


 権田原は力なく答えた。


「結構です」


 海斗は最後に言った。


「ヘリを、大豆島の南側にある旧・大豆島中学校のグラウンドに着陸させてください。今から向かいます」


 電話を切る。


 海斗の顔に、もはや復讐心の色はなかった。


 美波が安堵と、尊敬の眼差しで海斗を見つめた。


「先生」


「はい」


「……うちも行くで」


「ええっ?」


 反撃の狼煙は、上がった。


 昼下がりの大阪上空。自衛隊ヘリコプターの音が、街の喧騒を切り裂いていく。しかし窓の外を眺める海斗の瞳には、何の感慨も浮かんでいなかった。


 海斗の思考はこれから始まる戦いに、極限まで集中していた。


 ヘリは、大阪中央総合医療センターの屋上ヘリポートに着陸した。


 タラップを降りた海斗を待っていたのは、スーツ姿の政府関係者たちだった。


「守屋先生! お待ちしておりました! こちらへ!」


 彼らは海斗を、まるで救世主でも迎えるかのように、特別エレベーターへと誘導する。


 海斗の手には、革製の古風なドクターズバッグが一つだけ握られていた。


 特設第一オペ室の、分厚い扉が開かれる。


 その瞬間、むわりとした血と、濃密な絶望の匂いが海斗の全身を包んだ。


 中は、地獄だった。


 世界中にライブ配信されていた華やかな雰囲気は、跡形もなく消え去っている。


 スタッフたちは蒼白な顔で右往左往している。


 そしてその混沌の中心。


 手術台に横たわる総理大臣の、閉じられた腹部を前に、まるで石のように動けなくなった権田原敬介の姿があった。


「き、君か……。申し送りを」


「……状況はヘリで申し送りを受けました。時間の無駄です」


 海斗は一瞥もせず権田原に告げた。その声は絶対零度の静けさを保っていた。まず患者の顔色を見る。次にバイタルモニターの数字を冷静に確認する。


 権田原は亡霊でも見たかのような顔で、海斗を見つめた。


「その……患者は極めて稀な金属アレルギーで……」


「分かっています。始めましょう」


 海斗は権田原の言い訳を一言で遮ると、持っていたドクターズバッグを椅子の上に置いた。


 オペ室にいる誰もがその古びたバッグに注目する。


 一体何が出てくるのか。最新鋭の医療機器か。あるいは見たこともない新薬か。


 海斗はゆっくりと、バッグの口金を開けた。


 そして中から取り出したのは、あまりにも場違いな二つの道具だった。


 一つは光を吸い込むかのような、艶やかな漆黒のメス。ガラス質の輝きを放ち、その刃は恐ろしいほどの鋭さを秘めていた。


 もう一つは鼈甲べっこうのような深い飴色をした一対の鉗子。


 それは彼らが知る、どんな医療器具とも似ていなかった。


「……なんだねそれは」


 権田原の側近の准教授が、訝しげに尋ねた。


「石か……? まさか、そんな石器時代の道具で手術をするとでも言うのかね」


 嘲笑がその声には含まれていた。


 海斗はその准教授を一瞥すると、静かに答えた。


「これは石器時代の道具ではありません。俺と、俺を信じてくれた仲間たちの知恵の結晶です」


 海斗は漆黒のメスを高く掲げた。


「このメスの素材はダイカイトという堅牢な石です。島の石工の棟梁・村上さんが、彼の持つ最高の技術で石の原石から『削り出して』くれたものです。その刃先の鋭さは理論上、金属のメスを遥かに凌駕する。細胞を破壊せずにその間を分離させることができる、究極の刃です」


「不潔では?」


「百二十四度のオートクレーブ滅菌に耐えられます」


 次に飴色の鉗子を示す。


「この鉗子は醤油蔵の巨大な木桶を修理していた桶職人の知恵を借りました。彼らがたがを締める際に使う特殊な樹脂を、精密樹脂工場の職人が精密に加工してくれた。金属と同等の把持力と、髪の毛一本を掴めるほどの繊細さを、両立させています」


 海斗の言葉にオペ室は水を打ったように静まり返った。


 石? 醤油蔵? 桶職人?


 エリート医師たちの頭の中は、疑問符で埋め尽くされた。


「大豆島に、患者と同じ特異体質の漁師がいたんです。彼を救うために、俺と島の皆が作り上げた、俺たちだけの医療です。あなたが、俺を追放した……あの何もないはずの島で生まれた医療ですよ、権田原先生」


 権田原は顔を屈辱に歪ませ俯いた。自分が無価値と断じて捨てた石が、今や国を救う宝石となって目の前で輝いている。その現実を、認めざるをえなかった。



「これより手術を再開します」


 海斗の静かな宣言が、オペ室に響き渡った。


 海斗は権田原が座っていたコンソールの前に立つとAIロボットのモニターを一瞥した。


「AIの設定はどうされますか?」


「AIによるサポートは不要です」


「なっ……!何を言っているんだ君は!」


 権田原が思わず叫んだ。


「このAIは、日本の医療技術の粋を集めた……神業を可能にする……!」


「その結果がこの惨状でしょう」


 海斗は冷たく言い放った。


「あなたが無条件で信じる神のようなAIは、前例のない事態にはあまりにも無力だ。いずれ、俺が神を再開発して、島でもAI医療を可能にしますが、今のレベルのAIではむしろ邪魔だ。……ここからは人間の領域だ。美波さん、助手を」


「はい!」


 大豆島から共に来た美波だけが、海斗の意図を理解し素早く隣に立つ。


 海斗は漆黒のメスを手に取った。


 ひんやりとしたガラスの感触が、滅菌手袋ごしに指に馴染む。


 海斗は大きく息を吸い、総理の腹部に刃を当てた。


 すっと、信じられないほど滑らかに、音もなく刃が皮膚に吸い込まれていく。


 アレルギー反応は全く起きない。


「出血が……ほとんどない……」


 助手の医師が驚愕の声を漏らす。


「細胞レベルで綺麗に切れているからだ……。組織の損傷が最小限に抑えられている……!」


 金属メスが組織を「押し潰しながら」切るのに対し、ダイカイトの刃は細胞と細胞の間を「分離させて」いく。


 樹脂製の鉗子がまるで彼の指の延長のように動き、腹部に到達していく。微細な血管を的確に剥離していく。


 その時だった。


 手術室に設置されたAIが、再び警告音を発し始めた。安全管理用のサブシステムが異常を検知したのだ。


「『WARNING! UNIDENTIFIED SURGICAL TOOL DETECTED. (警告! 識別不明の手術器具を検知しました)』


『WARNING! PROCEDURE NOT FOUND IN DATABASE. (警告! 該当する術式がデータベースに見つかりません)』


『CANNOT CALCULATE RISK. ABORT! ABORT! (リスク計算不能。中止! 直ちに中止せよ!)』」 


AIは、海斗のアナログな技術を理解できず、エラーを吐き出し続ける。


「AIが危険だと警告している!」


 権田原が狼狽して叫ぶ。


 海斗は術野から目を離さずに答えた。


「黙っていてください、権田原先生。今のAIには聞こえないでしょうが、俺には聞こえる。骨の声も血の声も。そして今、目の前でか細く燃えている……この命の声も」


「……」


「俺の神はデータベースじゃない。この手と、島の仲間たちの知恵です」


 海斗のその言葉と時を同じくして。


 AIは『SYSTEM FAILURE(システム障害)』という最後のメッセージを表示し完全に沈黙した。


 神は、死んだ。


 そこからの手術は圧巻だった。


 素早く腫瘍を取り除き、皮膚が弱くなった高齢者のために考案した「漁網マットレス縫合」で、組織を優しく、確実に閉じていく。


 全ての動きに無駄がなく、そして美しい。


 オペ室にいた全ての人間が、息さえ忘れ、その奇跡のような光景に魅入られていた。


 数時間後。


 最後の一針が、縫い合わされた。


「……手術、終了です」


 海斗の静かな声が響く。


 モニターに映し出された総理のバイタルサインは、まるで嵐が過ぎ去った後の海のように穏やかに安定していた。


 誰もが声も出せずただ呆然と立ち尽くしていた。


 人知を超えた現象を目撃したかのような、畏怖と感動だけがその場を支配していた。


 「ご協力、ありがとうございました」


 海斗は深く一礼した。



 手術の翌日。


 大阪中央総合医療センターで、緊急の記者会見が開かれた。


 テレビカメラのフラッシュが眩く瞬く中、官房長官が神崎総理の手術の成功と、安定した術後経過を発表した。


 会場が安堵と興奮に包まれる中、一人の記者が手を挙げた。


「総理の命を救ったのは一体誰なのですか!? ライブ放送中止後、手術中に執刀医が交代したとの情報もありますが!」


 その問いを皮切りに、会場は騒然となる。


「権田原教授の判断ミスでは、なかったのか!」


「政府は、何かを隠しているのではないか!」


 官房長官が、冷や汗をかきながら対応に窮したその時。


「……私がお答えします」


 一人の男がマイクの前に進み出た。


 権田原敬介、その人だった。


 権田原の顔は土気色で、この一晩で十年は老け込んだかのように見えた。


「昨日の手術における全ての責任は、私にあります」


 権田原は深く頭を下げた。会場がどよめく。


「私は予期せぬ事態に対応できず、手術を停止させるという過ちを犯しました。私の知識、技術、そして私が妄信していたAIシステムでは、総理の命を救うことはできなかった。……いやそれどころか、危険に晒してしまった」


 権田原は一度言葉を切ると、震える声で続けた。


「総理の命を、そしてこの国の危機を救ったのは……私ではありません」


 権田原は顔を上げると、会見場の隅に静かに立っていた海斗をまっすぐに見つめた。


「……彼です。守屋海斗君です」


 全てのカメラのレンズが一斉に海斗に向けられる。


「彼は私がその若すぎる才能に嫉妬し、不当に医局から追放した若き天才外科医です。彼は私が打ち捨てた離島の地で我々が忘れ去ってしまった『本当の医療』を、たった一人で学び身につけていた。昨日の手術で彼が使った道具・技術はその島で生まれた知恵の結晶でした」


 権田原の目から涙がこぼれ落ちた。


 権田原は海斗の前に歩み出ると、マイクを通さず生の声で、低く告げた。


「……約束を、果たさせてもらう」


 そして、権田原敬介は世界中が見守るその場所で。


 海斗の足元に崩れ落ちるかのように膝をつき、額を床にこすりつけて言った。


「私が……私が全て間違っていました……! 君の才能を妬み君の未来を奪おうとした私の愚かさを許してくれとは言わん……! だがこれだけは言わせてほしい。……ありがとう。この国を、そして医者としての私の最後の誇りを救ってくれて……! 本当に本当に申し訳なかったッ……!」


 土下座。


 権威の化身だった男が、追放した若者の前で全てをかなぐり捨てて謝罪している。


 カメラのフラッシュが、滝のように二人を包み込む。


 海斗は権田原の醜態を、ただ無表情に見下ろしていた。


 日本中が、19歳の天才外科医の活躍に沸き立った。


 海斗の元には、世界中の有名病院や研究所から破格の条件でのオファーが殺到した。


 だが海斗はその全てを断った。



 数日後。大阪のホテルの一室で海斗は権田原と向き合っていた。


「……それで守屋君。君の二つ目の条件、願いとは何だね?」


 権田原はすっかりやつれ果て、もはや権威の欠片もなかった。権田原は海斗が自分の地位や権威を要求するのだろうと、覚悟していた。


「俺の願いは」


 海斗は静かに言った。


「大豆島の医療船を修復して下さい。あなたの資産でも、公的機関に働きかけるのでもいい。毎年の維持費も」


「……え?」


 権田原は耳を疑った。


「それだけでいいのかね……? 私の教授の地位でも病院の理事の席でも……」


「興味ありません」


 海斗はきっぱりと言い切った。


「それよりも、島のじいちゃんとばあちゃんが、一人でも多く安心して暮らせるようになる方が、俺にとっては重要です」


「……約束は守る。……私もな、昔は一つのメスですべてを救えると思っていた。だが、上に行くとな。私立とは違い、金にならない研究と、金になりにくい教育も国立大学病院の義務だ。国立大学病院という巨大な組織を維持するには、清濁併せ呑む必要があったのだ」


「俺だって大学にいました、知らない訳じゃない。ですが、一つのメスで足りないなら、濁った水を飲む前に、石でも樹脂でも使えばいい。……組織を守るより、患者一人一人を助ける方に頭を使えばいいと、思いますが」


 権田原は力なく頷いた。



 その一週間後。


 大豆島の港に一人の若者が降り立った。


 海斗だった。


「先生! お帰り!」


 出迎えたのは美波と島の仲間たちだった。


「日本を救った英雄の凱旋じゃ!」


 子供たちが海斗に駆け寄り、剛さんや坂上さんたちも、晴れやかに笑っている。


 秋の空はどこまでも青く、潮の香りが優しく海斗を包み込む。


「……ただいま、帰りました」


 美波の前で、海斗の口から自然に笑みがこぼれた。


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