夜行バスでいいや
私が学生だった頃、通っていた地方大学の街から東京へ出るには、主に二通りの方法があった。一つが新幹線、もう一つが夜行バスだ。前者と後者のメリット・デメリットは明確に分かれている。前者は速くて快適だが、値段がかさむ。後者は安いが、狭苦しい空間で何時間も箱詰めにされる。
当時の私は、よく後者を用いたものだ。東京という都市は好きじゃなかったが、行かねばならない機会は山ほどあった。帰省の中継地、アニメ関連のイベント、好きなバンドのライブ……嫌いな街が日本一憧れられている場所だと知ったとき、私はそこそこ絶望した。現実の厳しさというものは、東京から突きつけられて教わったのだ。
話を戻そう。夜行バスという手段は、貧乏学生である私にとって革命的だった。家族旅行では主に新幹線、稀に飛行機しか使わなかったし、その移動は白昼下だ。バスで長距離をゆきながら、しかも夜を越すという発想がなかったのである。
初めて知ったのは大学のサークル仲間からだった。私の所属していた文芸サークルには、同じく関東出身の友人がいた。彼は高校時代から頻繁に旅をしていたらしく、夜行バスという手段は、すでに使い慣れた手札の一枚として持っていた。
「ヤコバは腰がキツイんだよなぁ」
その何気ない独り言に、私はずいぶんと衝撃を抱いていた。「ヤコバ」という聖書に出てきそうな略称を、さらりと言ってのけたベテラン感。「腰がキツイ」という若者が零さないような不満。フレッシュな大学生の背中が、あの瞬間だけは、歴戦の老練兵に見えたのである。
「私、乗ってみるよ……やこば」
「……急にどうした?」
そうして、初の夏休みの帰省に「ヤコバ」を用いることにした。新幹線の予約ですら親に任せてきた身だ、夜行バスの小難しい契約書に数十分かけて目を通し、やっとのことで深夜24:00発のバスを予約した。
やがて搭乗日の夜になり、私は不思議な気分で家を出た。新入生歓迎会のおかげか、23時付近の光景は見慣れていたのだが、いつもとは逆の道を辿ることが新鮮だった。そうか、私は大人になったんだ。夜行バスに乗りに夜へ繰り出しても、誰も叱ろうとはしないんだ。ちょっと後ろめたい気分もありつつ、スーツケースをなるべく平坦な道に滑らせながら、大通り沿いのバスターミナルへと着いた。
そこには、たまに見る観光バスが数台と、無数の人々が集っていた。おおよそ大学生のようだったが、なんの仕事をしているか分からない中年男性や、やけに若く見える少女もいた。彼らは日本人らしく一様に列に並び、各々が乗るべきバスの前でスマホと睨めっこしていた。私もその集団に吸い込まれるように溶けていく。
「はい、Bの1に座ってください」
やがて係の人に案内され、スーツケースを預け、私は意気揚々とバスへ乗り込んだ。そこは恐ろしく静かな空間だった。白色光の元、ぞろりと人が座っているにもかかわらず、皆一様に押し黙っている。カーテンは閉め切られ、空気の密度が一気に高まった気がした。神妙な表情をしていたと思うが、私は自然を装って席に着いた。平日の夜だったからだろう、幸い、隣に人が来ることはなかった。
「それでは、発車します」
ぼそっとした発車のアナウンスが流れ、バスはぬるりと走り出した。外の風景はグレーのカーテンに閉ざされていて、慣性だけが身体に伝わってきた。ああ、本当に行くのだ、と妙に他人事のように思った。
最初の数分は、遠足の前夜のような高揚があった。座席のリクライニングをどこまで倒していいのか分からず、何度もレバーを探る。前の席の人に睨まれはしないか、後ろの人に舌打ちされはしないか、過剰に気を遣ってしまう。ブランケットを膝にかけ、アイマスクを装着してみるが、エンジンの振動が背骨を通じて頭蓋に伝わってくる。
やがて消灯の時間になり、車内は完全な闇になった。わずかな非常灯が、墓標のように足元を照らしている。私は目を閉じた。その選択肢しか与えられていなかった。
――眠れない。
首は前に折れ、肩は引き上げられ、腰は折りたたまれた傘のようにぎこちない。友人の言葉が、今更ながら実感を伴って蘇る。なるほど、これは「移動」ではない。「輸送」だ。荷物と同列の扱いで、夜の高速道路を運ばれているのだ。
サービスエリアに停まるたび、私は半ば救われた気持ちで外に出た。夜気は冷たく、妙に甘い匂いがした。トラック運転手らしき男たちが自販機の前で無言で缶コーヒーを飲んでいる。青二才の私は、夜は誰もが静止している時間だと思っていた。しかし彼らは今この瞬間、世界の歯車を回していた。その横で、私は自分の小ささを知った気がして、ぎこちなく腕を天へ伸ばした。再びバスに戻るときは、処刑台に上る囚人の心持ちになっていたものの。
やがて、無事に朝は来てくれた。やけに大きなアナウンス音で目を覚ますと、運転手は「もう東京だ」と言う。身体は鉛のように重いが、確かに着いているらしい。私は夜を越えたのだ……そうであってくれと思っていた。
降車後、私はスーツケースを受け取ると、棒のような足で東京駅へと向かっていった。首に重しでも付けられたような感覚で、眠気がまだ顔中に張り付いていた。ここからさらに電車を乗り継いで、実家へ向かわなければ。
……もう乗らないかも。
その旅の帰り、私は新幹線を選んだ。実家であれこれと家業の手伝いをさせられ、疲労も限界だったのだ。せめて帰りくらいは、と自分に言い訳をする。座席は広く、背もたれは柔らかく、窓は明るい。弁当と梅サワーを買い込み、優雅な移動を堪能した。流れる田園風景はいかにも「旅」であった。
だが、家に着いて財布を開いたとき、私は愕然としてしまった。
薄い。あまりにも薄い。
諭吉どころか、野口英世の姿すらなかった。
そのとき、私は悟った。快適さには値段がつくが、その値段を、私はまだ払える側ではないらしい。今思えば当たり前だ、親に扶養された学生の身なのだから。
それからというもの、東京へ行くたび、私は夜行バスを選ぶようになった。最初は渋々だった。だが、二度、三度と使ううちに、身体が少しずつ「慣れ」を覚えた。腰の痛みは消えないが、予防の仕方を知った。首が折れない角度を探し当て、耳栓とネックピローを持参するようになった。サービスエリアでの過ごし方も洗練され、あの冷たい空気を楽しむ余裕さえ出てきた。
ある夜、ふと思った。
夜行バスくらいの程度が、今の自分の身の丈なのかもしれない。
私は新幹線のように、明るく、速く、誰もが羨むルートを選べる人間ではない。夜の闇に紛れて、こそこそと運ばれていっても、確実に目的地へは着く。誰に誇るでもなく、ただ必要だから乗るのだ。
……東京を嫌う理由も、多分私が私だからだ。あの街はいつもまぶしかった。高層ビルも、広告も、人の数もだ。あそこではみんな、堂々と昼間を生きているように見える。だけど、私には夜くらいが丁度いいのかもしれない。
少し疲れた顔で、少し曲がった背中で。
それでいいのではないか、と思うようになっていた。
夜行バスの座席は窮屈だが、不思議と孤独ではなくなっていた。見知らぬ他人たちが、同じ姿勢で、同じ揺れに耐えている。互いに言葉を交わさないが、同じ闇を共有している。その無言の連帯は、どこか文芸サークルの部室に似ていた。貧しく、狭く、しかし妙に居心地がよかったあの空間に。
「ヤコバは腰がキツイんだよなぁ」
あの友人の言葉は、少し違う意味で噛みしめるようになった。確かに腰は鈍るし、肩や首なんて尚更だ。でも、きついと感じられる程度には幸せな人生を、私は送れているらしい。
夜を越えれば、必ず朝は来てくれる。
だから私は、夜行バスでいいや。




