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歩く影の記憶

作者:
掲載日:2025/11/18

あるところに男がいた。


真っ黒なスーツに真っ黒なシルクハット。


彼の全身は黒に覆われていた。


彼はただ歩いている。


ここがどこなのかもわからない。


自分がなぜここを歩いているのか。


いつからここにいたのか。


何もわからないままただ雨の中傘もささずに歩いている。


歩き始めてしばらく経った頃、彼は立ち止まった。


通行人が、ギョッとしたように彼を見つめる。



何人も。



何人も。



それでも彼は立ち止まったまま動かない。


やがて、彼を見つめていた内の1人の男が恐る恐るといった様子で彼に近づいた。


彼と同じぐらいの背丈の男。


その男はゆっくりと彼の顔を下から覗き込んだ。




刹那。





男は彼の黒い影に覆われた。




彼はつぶやいた。




「これじゃない。」



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



雨か……。


仕事帰り、家路を急ぐ中で私は急な雨に見舞われた。


雨を避けるよう、革製のカバンを頭の上にかざしながら足を進める。


昨日やっと長い出張から解放され、今日久しぶりに我が家に帰れる。



家まで後少し……。



家で私の帰りを待っているであろうまだ幼い我が子の姿を思い浮かべると自然と頬が緩んだ。


早く帰って妻と子供に会いたい。


私の頭にはそれしかなかった。


ちょうど街の広場に差し掛かった時、前をゆく人が何かに群がっているのに気づいた。




なんだろうか?




不思議に思って近づいてみると、人だかりの中心に黒いスーツにシルクハットを目深に被った男がいた。




背は私と同じくらいだろうか?




何よりも目を引くのはその全身が黒に包まれていたことだ。


そして彼の目はシルクハットに覆われている。


私は興味本位で彼の顔を下から覗き込んだ。




瞬間、視界が真っ暗になった。




今まで映っていたはずの美しいこの街の姿はどこにも見えなかった。


ただ、そこにあったのは黒い影。




「これじゃない。」



その呟きが聞こえた時、私の視界には色が戻った。


周りを見渡してみると見慣れた街の姿。


黒に包まれた男の姿はどこにもなかった。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



街の広場を抜けた彼は足を進め続けている。


人通りはまばら。


先程とは違い、今度は誰も彼をみている人は居なかった。


彼の足取りは一定で迷いはないように見える。


が、


どこか宙に浮いたような空気を纏っている。


やがて、街の喧騒が遠のき小さな公園に差し掛かった。


滑り台やブランコには誰もおらず木々の葉に滴る雨粒が静かに揺れる。


彼は足を止め、しばらく何もせず公園を眺めていた。


遊具やベンチ、舗道の小さな水たまり。


それらすべてがただ静かにそこにあるだけ。


にも関わらず、その公園はどこか懐かしさを帯びた空気を纏っていた。


彼はまだ、その光景をぼんやりと見つめている。


しばらくするとまた彼は歩き始めた。



歩き続ける理由も、立ち止まる意味も、誰にもわからない。


ただ、彼はそこにいる。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


ある雨上がりの晴れた日に子供が公園で遊んでいる。


街の広場から少し離れた場所にある、小さな公園。


そこで、小さな子どもが長靴を履き、笑い声をあげながら水たまりに飛び込んでいた。


母親は傘を片手に少し距離を置いて見守っている。


その表情には慈愛が満ちており、温かさを感じさせる。


父親は肩まで濡れたコートを羽織りながら子どものはしゃぐ姿に微笑みを浮かべた。


空を覆う灰色の雲と雨に濡れた葉の匂いが混ざり、静かな日常の匂いを作る。


遊具の軋む音も、子どもの跳ねる水の音も、すべてが幸せの一部に感じられる。


誰も急ぐことなく、ただそこにいるだけで満たされている。


雨の日の静かな公園で、時間はゆっくりと流れ、世界は小さくても確かな幸せに包まれていた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


公園をあとにした彼はまた歩き始めた。


いつの間にか雨はあがり、濡れた石畳に光が反射している。


人通りは少なく、誰も彼を意識してはいない。


やがて、墓地のようなところに差し掛かった。


そこでは、一組の親子が大きな石に向かって手を合わせている。


彼は足を止め、ぼんやりとその光景を眺めた。


手を合わせ終わると、母親が空の方を指差した。


一緒にいた幼い子どもも、母親が指差した方を見上げている。


その視線の先には清々しいほどの真っ青な空。


母親は自然と墓地の入り口へと視線を向ける。



もちろん、そこには誰もいない。



しばしの間立ち尽くしていた彼は、こう呟いてその墓地をあとにした。



「これじゃない。」



だが、その表情は先ほどより幾分か柔らかった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


歩き続ける彼の姿が見えるものは数少ない。


それでも、ある一定数の人は長い人生の中で彼と出会う。


そして、彼と出会ったものは、皆、こう言う。



彼は、


「これじゃない。」


と呟いていたと。


彼がいつから存在しているのか、何者なのか、彼の正体を知るものはいない。



彼は今日も歩き続ける。


自分が求めるものを探し続ける。


自分が求めているものが何なのか、そしてそれがこの広い世界のどこにあるのか、彼自身もよくわかっていない。


それでも彼は歩き続ける。


もう彼自身、思い出すことができなくなってしまったかつての懐かしい記憶と共に。





ここまで読んでくださりありがとうございました。

考察、感想、等受け付けていますのでもしよければ願いします。

あなたの考察がこの物語の真実になるかもしれません。


さて、私は今、全く別の作品を連載しています。

(光の墓〜光は僕を魔術師に変えた〜)

そちらの方はこの作品とはまた違った雰囲気ですので、もしよければ覗いてみてください。

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