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『土佐日記』の秘密~海賊と旅した男

作者: 不思議楽団




「よう、佐助、うまい仕事を引き受けたらしいじゃないか」

仲間うちから、風太と呼ばれている男が声をかけてきた。

「まあね」


俺は、にやりと笑った。俺は、船頭の佐助と呼ばれていて、このあたりでは一番大きな船を持っている。

「なあ、佐助。独り占めはよくないぜ」

「わかってるって。こっちから頼みに行こうと思ってたところさ」


嘘ではなかった。この仕事に、風使いの力は、欠かせない。


「何でも、国司様が、交代になるのに、船でお帰りになるそうじゃねえか。よお、なんだってまた、お前の古い船なんかに決めたんだい」

風太は、不思議に思ったらしい。


「たしかに、船頭の佐助といえば、この辺りで一番腕が立つのは、認めるが、貴族向きの新しくて良い船は、他にいくらだってあるだろう」


「大きな船が御所望だとか言ってたぜ。国司をやってがっぽりため込んだんだろうよ」


国司は、富をため込むらしいという噂は誰もが知っていた。


「ま、いつものように、いい風を頼むぜ」


こうして、俺たちは、元国司様の御一行を船で送り届けることになった。

荷物の積み込みだけでも、けっこう時間がかかった。国司様ががっぽりためこむという噂は、どうやら本当らしい。


あらかじめ取り決めた手間賃は申し分なかった。それに、連日の貴族たちの酒宴の際には、俺たちにもぞんぶんに御馳走してくれた。元国司様が、やたらと歌を詠むのには驚いたが、そんなことはどうでもいい。俺たちには関係のないことだ。






<元国司の日記>

12月21日。戌の時(夜八時ごろ)出発する。大騒ぎしているうちに夜が更けた。


12月22日。和泉の国までの船旅が平穏でありますようにと願いをたてる。藤原のときざねが船旅だけれども、馬のはなむけをしてくれた。上中下の身分の者たちが、酒に酔った。


12月23日。八木やすのりが、立派な態度で、餞別をしてくれた。


12月24日。国分寺の住職が餞別に来た。皆たいそう酔った。<日記ここまで>






国司は、何年かごとに交代で、都から人がやって来る。その間に稼げるだけ稼ぐのだそうだ。この交代のための引継ぎの間も毎日のように宴会をやっている。俺たちにもご馳走が振る舞われるから、結構なことだ。都の貴族たちは、俺たちをやたらと田舎者扱いする。






<元国司の日記>

12月25日。国守の官舎から使いが来て、招かれた。一昼夜、あれこれ騒いで夜が明けた。


12月26日。依然として国司の官舎で、ご馳走し、騒いで、従者にまで祝儀を与えた。漢詩や和歌を詠んだ。新任の国司が詠んだのは、


都出て君と会はむと来しものを来しかひもなく別れぬるかな

(都を出てあなたにお会いしようと来たのに、来たかいもなく別れてしまうのだなあ)


これを受けて前の国司が詠んだ歌。

しろたへの波路を遠くゆきかひてわれに似べきはたれならなくに

(白波の立つ航路をはるか遠く行き違いにやって来て、いずれ私と同じように帰京するのは、私ではなくてあなたですよ)<日記ここまで>







なんでも元国司様は、出発の直前に女の子を亡くしたのだそうだ。こればかりは、さすがに気の毒だと思う。それにしても、貴族たちは歌を詠んでばかりいる。俺のことを、ものの情緒がわからないといって馬鹿にしているらしい。これだけは、気に食わない。






<元国司の日記>

12月27日。大津から浦戸を目指して漕ぎ出す。

このような中で、京で生まれた女の子が土佐で急に亡くなったので、この頃の急な出発を見ても何も言わない。京へ帰るのに、娘のいないことだけが悲しく恋しい。


都へと思ふをものの悲しきはかへらぬ人のあればなりけり

(都へ帰れると思うのに、悲しいのは、いっしょに帰らない人がいるからなのだ)


あるものと忘れつつなほなき人をいづらと問ふぞ悲しかりける

(生きているものと、亡くなったことを忘れては、今なお、あの子はどこかと尋ねるのは、悲しいことだ)


鹿児の埼という所で、新任の国司の兄弟やその他のいろいろな人たちが、酒などを持って追いかけて来て、磯に下りて、座って、別れ難いことを言う。この人たちは、とくに思いやりが深い人たちなのだ。


をしと思ふ人やとまると葦鴨のうち群れてこそわれは来にけり

(名残惜しいと思う人がとどまってくれているかと、葦鴨が群れるようにして私たちは来ましたよ)


棹させど底ひも知らぬわだつみの深き心を君に見るかな

(棹をさしても底がわからないほど、海のように深い心をあなたの中に見ることだ)


船頭は、ものの情緒がわからない男なので、自分の酒を飲んでしまうと、早く行こうとする。

「潮が満ちた。風も吹くだろう」と騒ぐと船に乗ろうとする。


西国ではあるが、東国、甲斐の歌などを歌う。

「船屋形の塵も散り、空を行く雪も漂ってしまう」と言っているようだ。


今夜は浦戸に泊まる。

藤原のときざね、橘のすえひら、その他の人たちもが追って来た。


12月28日。浦戸から漕ぎ出して大湊を目指す。

以前の国司の子、山口のちみねが、酒や良い物などを持って来て、船に差し入れした。進みながら飲み食いする。<日記ここまで>






気前のいい元国司様には、何の恨みもないけれど、今回だけ例外というわけにはいかない。


大湊のくす師に頼んで、いつもの薬を渡すように手配した。心に作用するとかで、人の話を信じやすくなる。元国司様が思い通りになってくれれば、仕事がすんなりいくというものだ。


「くす師様、ちゃんと渡してくれたかい」

「もちろんだとも」


くす師は、どこを見ているのかよくわからないような目を細めて、うなずいた。

けっ、どうもこいつは、何考えてんだかわからないな。ま、仕事は確実だからいいんだけど。


「すぐに出航かい。佐助」

「引き延ばせるだけ、引き延ばすさ。なにせ元国司様は、気前がいいんだ」

「皆に伝えておこう」

「おう、頼むぜ」






<元国司の日記>

12月29日。今日も大湊に宿泊。くす師が薬と酒を持って来てくれた。どうやら誠実な人のようである。


1月1日。依然として、大湊に停泊。

くす師にいただいた薬を、夜の間だけだからといって、船の屋根のところに挟んで置いたら、風に吹かれて海に落ち、飲めなくなってしまった。<日記ここまで>






「どうやら元国司様は、薬を海に落としてしまったらしいですぜ」

手下の一人が言った。


何やってくれてんだよ。間抜け過ぎだろう、いったい、いくらかかってると思ってんだ。これだから貴族のやつらは。こうなれば、もっと引き延ばして、搾り取れるだけ、搾り取ってやる。


元国司様は、とても人望があるらしく、あちらこちらから餞別だと言って、やたらとご馳走だの酒だのが届く。俺たちにも分けてくれるから、とても嬉しい。やはり、もう少し出発を遅らせることにしよう。






<元国司の日記>

1月2日。依然として大湊に泊まっている。

国分寺の住職が食べ物や酒を贈ってよこした。


1月3日。同じ所にいる。<日記ここまで>






「元国司様は、すごく気前がいいらしいぜ。ちょっと贈り物をすれば、何倍ものお返しをくれるらしい」

大湊の人々の間に、そんな噂が流れていた。


「結構結構。これなら、元国司様も長く滞在してくれるだろうよ」

俺は、ひとり、ほくそ笑んだ。


ただ、薬の件だけは、やはり何とかしなければならない。食べ物などに混ぜることができないものだろうか。手配してみようと思う。






<元国司の日記>

1月4日。風が吹いたので、今日も出航できない。

入れ替わり立ち替わり人が来て、贈り物をもらうので、わずかばかりの返礼をさせる。気の引ける思いがする。


1月5日。風も波もやまないので、そのまま同じ所にいる。今日も人々が途絶えることなく、訪ねて来る。


1月6日。昨日と同じようである。


1月7日。同じ港にいる。毎年、都で行われているはずの白馬の節会のことを思い出すが、海の上にいるので、どうしようもない。ただ、波の白さだけを見ている。


そうこうしていると、鮒などの川魚や海の幸、いろいろな食べ物を入れた大きな長櫃が、次から次へとかつぎこまれて来た。池村という人から届けられた贈り物だった。


若菜が今日は正月七日の七草の日であることを思い出させてくれる。和歌も添えられていた。


あさぢふの野辺にしあれば水もなき池に摘みつる若菜なりけり

(短い茅の生えている野辺なので、水もない池で摘んだ若菜でございます)


趣深い。食べ物は皆に配った。子どもにも分け与えた。水夫たちは、腹いっぱいになって、腹鼓を打って、海神を驚かせて、波を立ててしまいそうだ。<日記ここまで>






池村様と呼ばれている俺たちの首領から差し入れがあった。もちろん、元国司様たちは、このことは知らない。ただの地方の豪族だと思っていることだろう。


元国司様と北の方だろうか。話し声が聞こえてきた。

「ありがたいですね。七草でございますか」

「水もない池で摘んだ若菜だそうだ」

「まあ、なんでございましょう」

「地元の特産品だろう」


もちろん、そんな特産品などではないが、それは、誰も言わない。

酒盛りが始まった。俺は、耳をそばだてていた

荷物を運んで来た男の声を待っていた。

おおいに騒いでいる頃、歌を詠み始めた者がいる。


「行く先に立つ白波の声よりもおくれて泣かむわれやまさらむ」

(行く手に立つ白波の音よりも、取り残されて泣く私の声の方が大きいに違いない)


俺たちの世界では、狙う相手を白とか白波と呼ぶ。仲間の多くは、遅れて行くが、先に出発しろという指示だった。


池村様からの使いには、返事をしなければならない。

だが、船頭がしゃしゃり出て、歌を詠唱したら、どう考えても変だ。


俺は、子どもに返事の歌を教えた。あらかじめ池村様から教えられた二つの歌のうちの一つだった。承諾ならこれ、無理な時には別の歌で返事をするという約束だった。子どもが間違えることのないように、何度も練習させて送り出したら、けっこう遅くなってしまった。子どもは、堂々と歌を披露してくれた。


「行く人もとまるも袖の涙川みぎはのみこそ濡れまさりけれ」

(行く人も止まるほどの袖の涙で、涙川のほとりは濡れてしまっているよ)


何も知らない元国司様たちは、子どもなのにずいぶん上手に返歌を詠んだと、たいそうおほめになったらしい。誰かが返歌を詠んでくれるまで帰らないと、くだを巻いていた池村様の使いの男は、夜中に帰って行った。


次の日、いい具合に晴れていた。俺は、元国司様に言った。

「元国司様、今日は、出発できそうですが」

元国司様は、ちょっと顔をゆがめて答えた。

「いや、今日は、差しさわりがある。すまんな」


昨日の差し入れの中の薬が効きすぎてしまったのだろうか。もちろん、俺たちの仲間は、あの若菜を誰も食べていない。俺はそれ以上、尋ねなかった。






<元国司の日記>

1月8日。差しさわりがあって、今日も同じ所である。


今夜、月は海に没した。これを見て、在原業平が詠んだという和歌が思い出される。

「山の端逃げて入れずもあらなむ」というところを「波立ちさへて入れずもあらなむ」とでも変えただろうと思う。


てる月の流るるみれば天の川出づる港は海にざりける

(照る月の流れるのを見れば、天の川が流れ出している港は海に似ていない)


1月9日。朝早く、大湊から、奈半へ向かって、漕ぎ出した。見送りに来る数多くの人の中に、藤原のときざね、橘のすゑひら、長谷部のゆきまさたちの姿もある。本当に情の厚い人たちなのだ。その深い志は、海の深さにも劣らないだろう。<日記ここまで>






今日、ようやく出航した。晴れた日の海風は、やはり気持ちいい。

今まで見たこともないほど、やたらたくさんの人たちが、見送りに来ていた。元国司様は、人望がある。それは、この数日、そばで見ていたので、俺にもわかる。元国司様は、ともかく義理堅くて、礼儀正しい。情が深くて、すぐに涙ぐんだりもする。

いやいや、そんなことは、どうでもいい。相手は貴族だ。俺には、関係ない人たちじゃないか。


順調に船を進めて、宇多の松原を過ぎた。元国司様がまた、和歌を詠んでいる。


「見渡せば松のうれごとにすむ鶴は千代のどちとぞ思ふべらなる」

(見渡せば、松の枝先ごとに住むという鶴は、松を永遠の友だと思っているようだ)


元国司様は、不満そうだ。

「どうなさいましたか」

俺が、できるだけ丁寧に話しかけると、元国司様は、悲しそうに言った。

「実際の景色のすばらしさを見ると、この歌では、とても及ばないよ」

「そうですかねえ」

俺には、わからなかった。俺たちは、もっとふさわしい歌を歌う。


「春の野にてぞ音をば泣く 若薄に 手切る切る摘んだる菜を 親やまぼるらむ 姑や食ふらむ かへらや」 

(春の野で声をあげて泣く。若ススキで手を何度も切りながら摘んだ菜を、親が食べるだろう、姑が食べるだろう。帰りたいよ)


「夜べのうなゐもがな 銭乞はむ そらごとをして おぎのりわざをして銭も持て来ず おのれだに来ず」

(昨夜の少女がいればよかったのになあ。銭を欲しがり、うそをついて、掛け買いをして、銭も持って来ないで、本人さえ来ない)


海は荒れているから、お客人たちは、みんな具合が悪そうだ。正直、貴族に旅なんて無理なんだろうと思う。元国司様は、俺たちの歌う歌を書き留めているようだ。貴族の考えていることは、わからない。

夜が更けて、暗くなっても俺は船を止めない。暗闇の中、俺は船を進める。






<元国司の日記>

1月10日。港についた時、老いた男と老婆が、とりわけ気分が悪くなって、静かに引き籠って寝てしまった。今日は、奈半の泊に停泊した。


1月11日。夜明け前に船を出して、室津に向かう。皆は寝ているので、海の様子もわからない。ただ、月を見て西東の方角はわかった。昼過ぎに、羽根という所に来た。


小さな子が「羽根という所は鳥の羽のような所かな」と言って、皆が笑った。女の子が詠んだ歌。


まことにて名に聞くところ羽根ならば飛ぶがごとくにみやこへもがな

(本当に地名のとおり羽根があるのなら、飛ぶようにして都へ行きたいものだ)


1月12日。雨は降らない。一行の中で、ふむとき、これもちの船が遅れていたが、ようやく奈良志津から室津に来た。


1月13日。夜明け前に、すこし雨が降った。しばらくして止んだ。女たちが、身体を洗いに、適当な所へ降りて行った。


雲もみな波とぞ見ゆる海女もがないづれか海と問ひて知るべく

(雲も皆、波のように見える。海女にどこが海なのか聞いて知りたい)


1月14日。明け方から、雨が降ったので、同じ所に泊まった。<日記ここまで>






船を出さないと時間があるので、俺は、釣りをする。釣った魚を持って行くと、元国司様のところでは、お礼だと言って米とか酒をくれる。こんな気前がいい客は、初めてだ。釣れるたびに、この交換をしている。すこぶる嬉しい。






<元国司の日記>

1月15日。小豆粥を煮る日だが、それもできない。残念だ。天気が悪く、船が進まないでいるうちに、出発してから今日でもう二十日ほど経ってしまった。<日記ここまで>






お客人たちが、苛立っている。それはそれで、いいかもしれない。神頼みしたくなるだろうから。女の子がまた、歌を詠んでいた。


「立てばたつゐればまたゐる吹く風と波とは思ふどちにやあるらむ」

(立てば波がたつし、そして、座っていると風が吹く。風と波とは友だちなのかな)


俺にもだんだん、歌の詠み方が、わかってきたような気がする。






<元国司の日記>

1月16日。風も波も止まないので、そのまま、同じ所に停泊している。いつになったら御崎という所を通り過ぎるのだろうか。


霜だにも置かぬかたぞといふなれど波の中には雪ぞ降りける

(霜がおりない場所だというものの、波の中にも雪が降ることだ)


船に乗り込んだ日から、今日までに二十五日が過ぎた。<日記ここまで>






うとうとしていたら、元国司様に起こされた。

「月がきれいだから、すぐに海に出られないか」

俺は、寝ぼけ眼で空を見た。雲がなくなってきている。

「雲が晴れたので、出られますよ」

普段だったら、もう少し様子を見るのだが、いつもよくしてもらっているから、せめてものお礼だ。

船を漕ぎ出すと、お客人たちは、月が美しいとか言って、騒いでいる。やたらと歌を詠んでいるので、俺もすっかり、歌の調子が身についてきたような気がする。


「雲の上も、海の底も、同じように月が輝いている」と元国司様が言った。

「昔の男は、棹は穿つ波の上の月を、船はおそう海の中の空を、と歌ったのだよ」

俺に言っているのだろうか。


「水底の月の上より漕ぐ船の棹にさはるは桂なるらし」

(水底の月の上を漕ぐ船の棹に触れるのは、月に生えているという桂の木らしい)


「かげ見れば波の底なるひさかたの空漕ぎわたるわれぞわびしき」

(月だと思って見たら、波の底に映った空を漕いで渡る私はさみしいことだ)


夜が明ける頃に、急に黒い雲が出てきた。

「元国司様、黒い雲です。すぐに引き返します」

そうこうしているうちに、雨が降って来た。やっぱり、無理しなきゃよかった。






<元国司の日記>

1月18日。まだ同じ所にいる。海が荒れているので、船を出さない。

この港は遠くから見ても、近くからみてもとても美しいのだが、さすがに嫌になって、何も感じない。船も出せないので漢詩や和歌を詠む。


磯ふりの寄する磯には年月をいつともわかぬ雪のみぞ降る

(海辺に寄せる海辺には、年月がいつだともわからない雪だけが降る)


風による波の磯には鶯も春もえ知らぬ花のみぞ咲く

(風に寄る波の磯には、ウグイスも春も知ることができない波の花だけが咲く)


立つ波を雪か花かと吹く風ぞ寄せつつ人をはかるべらなる

(立つ波を雪か花かと吹く風は、寄せながら人を欺くようだ)<日記ここまで>






お客人たちが、いつも歌を詠んでいるので、俺にもそろそろできるかもしれない。まねして詠んでみた。

「三十七文字になっているよ」

元国司様が気の毒そうに言った。

皆が笑う。くやしい。






<元国司の日記>

1月19日。天候が悪いので、船を出さない。


1月20日。昨日と同じようなので、船を出さない。

みんな心配して、嘆いている。苦しく、不安で、とてもわびしい。夜は安眠できない。<日記ここまで>






夜になって、月が出た。お客人たちは、みんな塞いでいたのが嘘のように、月を見に出て来た。貴族は、ともかく月が好きらしい。月さえ見ていれば、歌を詠んで元気になるようだ。

元国司様が言った。


「昔、阿倍の仲麻呂という人は、唐に渡って、帰国する時に、乗船するはずの場所で、あの国の人たちが餞別をし、別れを惜しんで、すばらしい漢詩を作ったのですよ」


話しているうちに、月が海の中から姿を現した。元国司様が、言った。

「この月を見て仲麻呂は、『私の国では、このような歌を神代から神様もお詠みになり、今日では、上中下いずれの身分の人でも、このように別れを惜しむ時や、嬉しい時、悲しいことがある時も歌を詠むのです』と言ってね、歌を詠んだのですよ」


「青海原ふりさけみれば春日なる三笠の山に出でし月かも」


元国司様の声は、朗々と響き渡った。


「どうですか。いつも海の上、月の下で、こうして旅をしているあなたなら、わかるのではありませんか」

俺は、なにかわかるような気がした。船を出している時、たしかに大海原の上の月を見て、今頃、みんなどうしているかなあと思うことはある。


「はい。どれだけわかっているか自信はありませんが」

俺は、月を眺めるのも、歌を詠むのも、そう悪くないかもしれないと思い始めていた。

「それで、その仲麻呂の歌はどうなったんですか。唐の国の人たちにはわからなかったのではないでしょうか」


「おや、そう思うかね。この歌の内容を漢字でおおよその様子を書き表して、通訳に説明したら、歌の心を理解することができたのだろうね。驚いたことに、この歌を称賛したそうだよ。唐と日本とは言葉は違うが、月の光は同じはずだからね。人の心も同じなのだろう」


「都にて山の端に見し月なれど波より出でて波にこそ入れ」

(都では山の端に見た月であるが、波から出てきて、波に入って行く)


元国司様は、すぐに和歌を思いつくらしい。元国司様の声も波から現れて、波に消えていくみたいだった。






<元国司の日記>

1月21日。朝から船を出す。他の人たちが乗る船も出航する。これを見ると、まるで春の海に秋の木の葉が散ったようである。格別な願掛けのせいだろうか、風も吹かず、良い天気になって、漕いで行く。<日記ここまで>






下働きをしたいと言って、付いて来た子どもが、歌を歌った。


「なほこそ国の方は見やらるれ、わが父母ありとし思へばかへらや」

(そのまま国の方を見やれば、私の父と母がいるように思えるので帰りたい)


一行は、感動している。だが、俺には、やらなければならないことがある。この歌は、我々の合図だった。俺たちは、家族のようなものだ。池村様を父や母だと思えとずっと教えられて育った。本当の親は知らない。俺たちは、黒い鳥だ。どんなに白い波の花を全身にあびても、黒い。

岩の上に、黒鳥が集まっていた。俺は、つぶやくように言った。


「黒鳥のもとに、白き波を寄す」

(黒い鳥のところに、白い波が寄せる)


元国司様が、驚いたように、俺の顔を見た。

ここから、始まっていく。

申し訳ないとは、思ったが、俺は、罠を仕掛け始める。

これだけの時間、ともに過ごしていれば、もうだいたい心の在り方は把握できている。少しばかり、言葉という暗示で、罠を仕掛ける。


「元国司様は、海賊の取り締まりもなさったんでしょうねえ。仕返しされないように気を付けないといけませんなあ」


効果はてき面だった。元国司様が、怯えている。


「土佐の国府を出てから始めて、海賊が報復しに来るかもしれないと思う上に、海がまた恐ろしいので、海の波だけではなくて、私の髪までも白くなってしまったよ。七十歳、八十歳は、海の上にあるものなんだねえ」


元国司様が、なんだか急に歳を取ったみたいだ。怯えた普通の老人のように見える。


ところが、その老人が、急に歌を詠み始めたのだ。深い声が響き渡る。あたりの空気が、歌の世界に支配されていく。


「わが髪の雪と磯辺の白波といづれまされり沖つ島守」

(私の髪の白いのと、海辺の白い波では、どちらの白がまさっているのか、沖の島守よ)


元国司様が、俺を見つめる。

もう、怯えたところなど微塵もない。むしろ、いつもより威厳があって、いい知れない迫力がある。


「さあ、船頭よ、言いなさい」


問い詰められて、俺は、たじたじとなった。海賊を恐れるように導いたつもりだった。なのに、なんだ、この威圧感は。俺を責めているのか。全部、お見通しなのか。俺にどうしろというのだ。何を言えというのだ。






<元国司の日記>

1月22日。昨夜の港から別の港に向かって行く。

遠くに山が見える。九歳くらいの男の子の詠んだ歌。


漕ぎて行く船にて見ればあしひきの山さへ行くを松は知らずや

(漕いで行く船から見ると、山に行くことさえ松は知らない)


今日は、海が荒れていて、磯には白波がまるで雪が降ったように波の花が咲いている。ある人が詠んだ歌。


波とのみひとつに聞けど色見れば雪と花とにまがひけるかな

(波とだけ一つに聞いたけれども、色を見れば、雪と花とが紛らわしいことだ)


1月23日。日が照り、その後曇った。

このあたりは海賊が来る恐れがあるということなので、神仏に祈る。


1月24日。昨日と同じ所である。


1月25日。船頭たちが「北風が吹いて具合が悪い」と言うので、船を出さない。

海賊が追いかけてくる、という話が絶えず聞こえてくる。<日記ここまで>






「海賊が追ってくるという話をもっとさせろ」

俺は、手下に言った。

「へい」

「もっと怖がってもらうには、どうすればいいだろうか」


元国司様が、ただ者ではないことは、この前、問い詰められて、よくわかっていた。海賊への恐怖がまだ足りないように思えたのである。


「夜中にちょっとばかり、元国司様を襲えばいいじゃないですか。いつもみたいに」

手下の男は、悪びれずに言った。


俺は、ちょっと考え込んだ。できれば、それは避けたい。元国司様には、そんな危ない目に遭ってほしくなかったのである。


「ちぇ、じゃあ、俺たちは、別の所ですこしばかり稼がせてもらいますぜ」

「好きにしろ。帰ってきたらすぐに、出航だ。こんな所で捕まるわけにはいかないからな」


真夜中、手下たちが帰って来た。

「けっこう稼げましたぜ」

「しっ、聞かれたらどうする。無駄口はたたくな。すぐに出航する」


騒ぎを聞きつけて、元国司様が起きてしまった。

「どうかしたのですか」

「海賊が追ってきているので、今すぐ出航しようと相談していたんですよ。なに、心配いりません」

元国司様は、あまり信じていないようだったが、なんとか誤魔化して、出発することにした。






<元国司の日記>

1月26日。本当だろうか。海賊が追って来ると言うので、夜中から船を出して、漕いで出航する。

航路上に安全を祈る場所がある。


船頭に命じて、幣をささげたところ、幣が東の方角に散らばった。

「この幣の散る方角に、御船を速やかに漕がせてください」と船頭がお願い申し上げる。

女の子が詠んだ歌。


わたつみのちふりの神に手向けする幣の追風やまず吹かなむ

(海の神様に手向ける幣の追い風が、最初に吹くのだろう)


手向けをしてからは風の具合もよいので、船頭はすっかり得意げに、船に帆を上げて喜んでいる。


追風の吹きぬるときは行く船の帆手うちてこそうれしかりけれ

(追い風が吹く時には、行く船の帆もはためいて手を打ってうれしがっている)


天気のことについて、いつも祈る。


1月27日。風が吹いて、波が荒かったので、船を出さない。


日をだにも天雲近く見るものをみやこへと思ふ道のはるけさ

(太陽でさえ天の雲を近くに見るというのに、都へと思う道は遠いことだ)


吹く風の絶えぬ限りし立ち来れば波路はいとどはるけかりけり

(吹く風の絶えない間に立ち来ると、航路はますます遠いことだ)


一日中風が止まなかった。


1月28日。一晩中雨が止まなかった。今朝も。


1月29日。船を出して行く。うららかに日が照って、漕いで行く。


おぼつかな今日は子の日か海女ならば海松をだに引かましものを

(はっきりしないことだ。今日は子の日だろうか。私が海女ならば松の代わりに海松を引いただろうものを)


今日なれど若菜も摘まず春日野の我が漕ぎ渡る浦になければ

(今日ではあるけれども若菜も積まないで、春日野の私が漕ぎ渡る浦ではないので)


景色のいいところに船を寄せて、「ここはどこか」と聞くと「土佐の港」と言う。


年ごろを住しところの名にし負へば来寄る波をもあはれとぞ見る

(何年も住んだ所のその名の通りならば、来る波も趣深く思える)<日記ここまで>






「いつまでも大人しくしていたら、腕がなまっちまいます」

手下たちが、どうしても稼ぎに行きたいと騒ぎ始めた。

「わかった。帰ってきたらすぐに出発するぞ」

俺は、しぶしぶ承諾した。何度もあの元国司様を騙せるとは思えないのだ。


夜遅くなって、手下たちが帰って来た。ずいぶん荒稼ぎしてきたようだ。手傷を負っている者もいる。

追手が来ないうちに、夜中に、出発することにした。元国司様には、

「海賊は、夜には出ないもんです」

と言っておいた。さすがに信じてなさそうだったが、海の上で船頭に逆らうのものではないと思ったのか、海賊が怖かったのか、それ以上は何も言ってこなかった。






<元国司の日記>

1月30日。雨も降らず風も吹かない。海賊は夜、活動しないと聞いて、夜中から船を出して、阿波の海峡を渡った。夜中なので、西も東もわからない。男も女も一心に神仏に祈って、この海峡を渡った。


寅卯(朝の五時頃)に、沼島という所を通り過ぎて、たな川と言う所を渡る。


一心に急いで、和泉の灘という所に到着した。今日は、海に波らしいものはない。神仏の恵みをいただいたようだ。


今日、船に乗った日から数えると、三十九日になる。

今はもう、和泉の国に来たので、海賊が出る心配は、ほとんどない。


2月1日。朝のうち、雨が降った。昼ごろ止んだので、和泉の灘という所から出て、漕いで行く。


海上は、昨日と同じく、風も吹かず波も立たない。黒崎の松原を過ぎて行く。

今日は、箱の浦という所から、綱をつけて引っ張って進む。


たまくしげ箱の浦波立たぬ日は海を鏡とたれか見ざらむ

(箱の浦に波が立たない日は、誰が海を鏡だと見ないだろうか)


二月にまでなってしまったと嘆いて、あまりの長い旅路の苦しさに堪えきれず、歌を詠む。


引く船の綱手の長き春の日を四十日五十日までわれは経にけり

(船を引く綱手のように長い春の日を、四十日、五十日まで私は過ごしてしまったなあ)


2月2日。雨風が止まない。昼も夜も一日中、神仏に祈る。


2月3日。海の上が、昨日のように荒れているので、船を出さない。


緒を撚りてかひなきものは落ちつもる涙の玉を貫かぬなりけり

(糸をよっても甲斐がないのは、落ちて積もる涙の玉を貫きとめられないからなのだ)


このようにして、今日も暮れた。<日記ここまで>






「おい、準備は大丈夫なのか」

俺は、人目をはばかって、小声でひそひそと話した。

相手は、もぐりの松蔵と呼ばれている男だ。その名のとおり、海の中に長い時間、もぐっていることができる。

「もうちょっとかかりそうだ。波の仕掛けが故障しちまって、修理に丸一日かかる。あと一日だけ引き延ばしてくれ」

「天気もいいのに、船を出さないのは疑われるだろう」

「そこは、なんとか誤魔化すしかないな。そういうのは、得意だろう。仕掛けが失敗したら、どうにもならないんだから」

お客人たちは、もうだいぶ苛立っている。はたして納得してくれるだろうか。






<元国司の日記>

2月4日。船頭が「今日は、風、雲の様子がとても悪い」と言って船を出さないことになった。しかし、一日中風も吹かず、波も立たなかった。

この船頭は、天気も予測できない馬鹿者である。


この港の浜には、いろいろきれいな貝や石などが多かった。だから、ひたすら亡くなった子のことばかりを恋しく思って、船にいる人が詠んだ歌。


寄せる波うちも寄せなむわが恋ふる人忘れ貝下りて拾はむ

(寄せる波が、また打ち寄せたら、私が恋しいと思う人を忘れるという忘れ貝を、海辺に下りて拾おう)


忘れ貝拾ひしもせじ白玉を恋ふるをだにもかたみと思はむ

(忘れ貝を拾うまい。白玉のような娘を恋しく思う気持ちを形見に思うから)


手をひてて寒さも知らぬ泉にぞ汲むとはなしに日頃経にける

(手を浸しても冷たくもない和泉にいて、水を汲むこともなく日にちが経ってしまったなあ)


2月5日。今日、やっと和泉の灘から小津の港を目指す。松原が続いている。


行けどなほ行きやられぬは妹が績む小津の浦なる岸の松原

(行ってもやはり行き過ぎないのは、貴女がつむぐ糸のように長い小津の浦の岸の松原だ)<日記ここまで>






ようやく出航できた。元国司様のご機嫌は、相変わらず悪い。いくらなんでも進みが遅すぎると怪しんでいるようだ。


「船を早く漕ぎなさい。天気もいいんだから」


本当は、早く着きすぎてもいけないのだが、元国司様の手前、俺は、手下たちに大声で怒鳴ってみせた。


「御船より、仰せたぶなり。朝北の出で来ぬ先に、綱手はや引け」

(元国司様から命令をたまわったぞ。朝、北風が吹く前に。綱手を早く引きなさい)


ところが、これを聞いたお客人たちは、なにやら騒ぎ始めた。


「みふねより おほせたぶなり あさきたの いできぬさきに つなではやひけ」

子どもたちが、区切るようにして、繰り返して言ってはしゃいでいる。


元国司様が、感心したように言った、

「素晴らしい。ちょうど三十一文字です」


こんなことで、機嫌が直ってしまうのだから、やっぱり貴族はわからない。

京が近づくのが、よほどうれしいのだろう。子どもも大人も歌を詠んでいる。


「祈り来る風間と思ふをあやなくもかもめさえだに波と見ゆらむ」

(ずっと祈っていた風と風の絶え間に、道理に合わないことだが、かもめまでもが、波に見えるようだ)


「今見てぞ身をば知りぬる住江の松より先にわれは経にけり」

(今見て自分のことがわかったよ。住之江の松よりも先に私は歳をとってしまったことだなあ)


元国司様と北の方は、ことあるごとに女の子を亡くしたことを嘆いている。


「住江に船さし寄せよ忘草しるしありやと摘みて行くべく」

(住の江に船をさし寄せなさい。忘れ草の効き目があるかどうか摘みに行きたいから)


俺に、父母はない。妹はいたが、亡くなっても誰も泣いてくれなかった。俺一人が泣いた。こんなふうに泣いてくれる母というものが、いるのだと俺は初めて知った。だが、この人は俺や妹の母ではない。この人が泣いているその女の子を俺は知らない。いつまでも嘆いて、優雅に歌を詠み、歌の中で船頭の俺に指図することに、どうしようもなく腹が立った。貴族なんだから仕方がない。この人は、ただ娘を恋しがって嘆いているだけなのだ。理屈ではわかるのだが、腹の底の方から、ふつふつと怒りが沸き起こってくる。

俺の中で、何かが弾けた。


急に風が吹いて来た。

風はどんどん強くなる。

船は、どんなに漕いでも進まない。

それもそのはず、後ろから、綱をかけて、引っ張っている者がいる。

もぐりの松蔵が、海の中の見えない所から綱を引いているはずだ。


俺は、重々しくお客人の一行に告げた。

「この住吉の明神は、いつも海の安全を見守ってくださっています。何か欲しい物がおありなのでしょう」


元国司様が、露骨に、なんとも嫌そうに顔をしかめた。

俺は、澄まして続ける。

「御幣を差し上げてください」


細かく刻んだ布やら紙やらをまこうとするが、袋から出しもしないうちに、風に飛ばされて、勝手飛んで行って、あっという間に見えなくなった。


俺は、淡々と続ける。

「御幣では神様がお気に召さず、船が進まないのです。やはり、もっと神様がお気に召すものを差し上げてください」


「どんなものを差し上げたらいいんですか」

誰かが言った。

「さあ、何とは申せませんが、やはり、貴重な物でないといけないでしょうなあ」


皆が、相談しはじめた。元国司様は、ずっと怒っていたようだが、どうやら話し合いが済んだようだ。

元国司様が言った。


「眼だって二つだが、一つしかない鏡を奉ります」

海に鏡を投げ込んだ。


その瞬間のことである。水の中に黒い影のようなものがさっと動いたかと思うと、風がぴたりとやんで、波が静まってしまった。後には、鏡のように静かな水面が広がっていた。

「神様も満足されたのでしょう。神に感謝して、旅を続けましょう」

俺は、厳かに言った。






<元国司の日記>

2月5日のつづき

「何か欲しい物がおあり」の神様とは、なんと当世風であることか。


ちはやぶる神の心を荒るる海に鏡を入れてかつ見つるかな

(荒れた海に鏡を入れたら、すぐに神の心が見えたことだなあ)


とても、住の江、忘れ草、岸の姫松などと歌にいう神ではないようだね。はっきりと目のあたりに、神の本心を鏡に映して見てしまった。まったくとんだ神様だよ。船頭の心は、神の御心なのだ。


2月6日。澪標のところから船を出して、難波に着いて、河口に入る。

淡路の老女が都が近づいたと言って喜んで詠んだ歌。


いつしかといぶせかりつる難波潟葦漕ぎ退けて御船来にけり

(いつになることかと気にかかっていた難波潟に、葦を避けながら漕いでお船が来たことだなあ)


2月7日。河口に船が入り進んで、漕ぎ上がったが、川の水が枯れて少なく進んでいかない。船が川を上って行くのは、大変難しい。


来と来ては、川上り路の水を浅み船もわが身もなづむ今日かな

(はるばる来たけれども、川を上る航路の水が浅いので、我が身も進んでいかない今日であることよ)


とくと思ふ船悩ますはわがために水の心の浅きなりけり

(早くと思う船を困らせるのは、私の思う心が浅いせいで水が浅いのだ)


2月8日。川上りが難行していて、鳥飼の御牧のほとりに泊まる。

ある人が、新鮮な魚を持ってきた。お返しに米を持たせた。男たちが、「飯粒してもつ釣る」と陰口を言う。つまらないものに、返礼が立派過ぎると言いたいらしい。


2月9日。じれったいので、夜が明ける前から船を引きながら川を上るが、川の水が少ないのでまったく、はうようにしか進まない。


和田の泊の分かれという所で、米や魚などを物乞いするので、施した。

船を引きながら上って行くと、渚の院という所が見えた。

まことに趣のある所で、松の木などが植わっていて、梅の花が咲いている。

ここは、昔、惟高親王のお供で在原業平中将が、歌を詠んだ場所だという。


世の中に絶えて桜の咲かざらば春の心はのどけからまし

(世の中に全く桜の花が咲かなかったのなら、春の心は穏やかだったろうに)


この場にふさわしい歌を詠む。


千代経たる松にはあれどいにしへの声の寒さは変はらざりけり

(千年たつという松ではあるけれども、松風の音の寒々しさは昔と変わらないことだ)


君恋ひて世を経る宿の梅の花むかしの香にぞなほにほひける

(あなたを恋しく思って時が経ちましたが、梅の花の香りはやはり昔と変わらずにかおることだ)


都が近づいているのを喜びながら上って行く。

子どもが生まれて帰ってきた人たちを見て、亡くなった子の母が悲しさに堪えて詠んだ歌。


なかりしもありつつ帰る人の子をありしもなくて来るがかなしさ

(子どもがいなかった人も帰る時には、子どもがいるというのに、私の子どもがいなくて帰って来る悲しさよ)


今夜は、鵜殿という所に泊まる。<日記ここまで>






「うまくいったな」

合流して来たもぐりの松蔵が、興奮気味に言った。俺もまったく同じ気持ちだった。

「今回の仕事はよかったなあ。気前はいいし。鏡もすんなり海に投げ入れてくれたし」

「そのことなんだけど」

松蔵が口ごもった。

「実は、あの時、俺、姿を見られたような気がするんだ。一瞬だけど、目があっちまった」

「だけど松蔵、あの時は、元国司様からは見えるはずのない海の中にいたじゃないか」

「それが、鏡の中なんだよ」

「えっ」

「あんまり鏡が立派そうだったから、ちょっとばかり見てやろうと思って、つい水面から顔を出しちまった。そしたら、鏡の中に元国司様の顔が見えたんだ。こちらから見えたということは、向こうからも俺の姿が映って見えたということだろう」

「そうなるな。でも元国司様は、素直に鏡を投げ入れてたよなあ」

「うん。気のせいだと思ってくれたのなら、それでいいんだけどね」


そこで、俺は、急に思い出した。

鏡を投げ入れる時に、元国司様が言った言葉だ。

「眼だって二つだが、一つしかない鏡を奉ります」

なんだか、妙な言葉ではないか。あれは、鏡の中に目が二つ見えたということを言っていたのなら、納得できる。


振り返ってみると、あの頃から、たしかに元国司様の様子が変だったような気もする。もしかすると、和田の泊の分かれで、物乞いたちに、魚だ米だと大盤振る舞いしていたのと同じように、俺たちに鏡を投げてよこしただけなんじゃないだろうか。


「それにしても、あの時の風は、よかった。やっぱり風太の風は、一番だ。幣なんか出す前に飛んで行っちまったぜ」

風太は、照れたように笑っている。

「せっかくだから、今夜は思う存分に祝おうぜ。鏡は思った以上に良い品だったと、池村様も大満足らしい」

松蔵が言った。

「本当にうまくいってよかった。今夜と言わず明日の晩まで皆で盛り上がろうぜ」

俺は、最高の仲間たちといっしょに、成功の喜びを分かち合いたかった。

「おまえの大事な元国司様は、どうするんだい」

風太がからかうように笑って言う。

「いつもの手しかないでしょうなあ。きっと今ごろ鵜殿様は、例の特別なご馳走でおもてなししているだろうよ」






<元国司の日記>

2月10日。差しさわりがあって、上らない。

2月11日。雨が少し降って止んだ。

棹をさしながら上って行くと、東の方に、山に横穴が掘られているのを見えた。八幡の宮だというので、皆で拝んだ。

相応寺のほとりに、決めなければならないことがあって、しばらく船を止めた。


さざれ波寄するあやをば青柳の影の糸して織るかとぞ見る

(細かい波が寄せる水面の模様を青柳の糸で織るようだと見る)<日記ここまで>






元国司様は、人目をはばかるようにして、相応寺に入って行った。

その後をついて来ている者がいることには、まったく気付いていないようだった。


「ご相談したい件がございまして」

元国司様は、いつになく厳しい顔で話し始めた。住職は、じっと話を聞いていたが、穏やかに応じた。

「ほほう、では、あなた方は、そうとは知らずに、海賊の船に乗り合わせてしまったということですか」

「どうも、そのようです。どうしたものかと決めあぐねております」

「これは、下手に逆らわない方がいいかと存じます。なにせ相手は海賊。若造一人の仕業ではありますまい。何千人、何万人もの悪党どもを相手に戦うのはおよしなさい。悔しいお気持ちもおありでしょうが、ここは、ぐっと我慢して、貧しい者への施しだと思って、見て見ぬふりをなさるのがよろしいでしょう」






<元国司の日記>

2月12日。山崎に泊まる。


2月13日。依然として山崎に。


2月14日。雨が降る。今日、車を京都へ取りに行かせる。


2月15日。今日、車を引いてきた。狭い船中の生活の窮屈さに、船から山崎という人の家に移る。

この人の家では、いかにも嬉しそうに、歓迎してくれる。

この家の主人の、接待ぶりの良いのを見ると、なんとなくいやな気持ちがする。家人の立ち居振る舞いは、上品で礼儀正しいのだが。<日記ここまで>






「いよいよこれで最後だな」

荷物を車に運びながら、俺は風太に声を掛けた。

「あんまり欲張って取りすぎるなよ」

「わかってるって。山崎様がわからないように暗示をかけて下さるとはいえ、用心するにこしたことはないからなあ」

風太が、何かを懐にさっと入れながら言った。


今ごろ、元国司様たち御一行は、何の疑問も持たずに、上品で礼儀正しい山崎様の手厚い接待を受けているはずである。


だが、相手はあの元国司様だ。念には念を入れておいた方がいいかもしれない。今回は、念のため、島坂の者たちにも声をかけよう。御馳走をふるまいながら、さらに暗示をかけてくれるだろう。まあ、少しばかり手数料代わりの盗みは働くだろうが。


俺は、今回の旅を思い出してみる。本当にいい旅だった。

元国司様は、神か仏が、この世に姿を変えておいでになられたのかもしれない。貴族なのに、俺を一人の人間として、話しかけてくれた。仲麻呂という人の気持ちがわかるはずだと言ってくれた。これからは、海の上で月を見るたびに、唐の国の仲麻呂のことを思い、元国司様の詠じた力強い声を思い出すに違いない。もう二度と会うことはないだろうが、俺は和歌の神様のような元国司様のことを、一生、忘れることはないだろう。






<元国司の日記>

2月16日。今日、夕暮れ時、京へ上る。

街の様子は。変わらない。


「商人の心はわからない」などと言うようである。

島坂という所で、ある人がもてなしをしてくれた。これはしなくてもよいことのはずだ。出立していった時よりも、帰ってきた時の方が、皆このようにする。ここでも物が盗まれた。

このようなことは、旅の途中、所々であった。


夜になって、京に入ろうと思ったが、急ぎもしないうちに月が出た。


ひさかたの月に生ひたる桂川底なる影も変はらざりけり

(月に生えているという桂の木は、桂川の底に映る姿も変わらないことだ)


天雲のはるかなりつる桂川袖をひててもわたりぬるかな

(天の雲のはるか遠くにあった桂川を、袖が濡れても渡ることだ)


桂川わがこころにもかよはねど同じ深さにながるべらなり

(桂川は私の心の中には、流れてはいないが、京を思う私の気持ちと同じくらい深く、流れるに違いない)


京に着いた。あまりの嬉しさに、歌も多すぎるほどだ。

夜も更けてから来たので、見たかった所もよく見えない。京の土を踏んで嬉しい。

家に到着して門に入ると、月が明るいので、たいへんよくあたりの様子が見える。

聞いていたよりもずっと、言いようもなく、壊れて古びている。


人の心も、すさんでいたのだろう。間に中垣はあるものの、一つの屋敷のようであったので、隣人は自ら望んで預かったのだ。土佐から便りをする度毎に物品を欠かさず送っていたというのに、このありさまだ。

とても薄情だとは思うが、お礼はしようと思う。


さて、家の庭に、土地がくぼんで、池のように水がたまっている所がある。そのほとりには松も生えていたのだが、たった五、六年のうちに、まるで千年も経ってしまったのだろうか、長生きするはずの松が、半分くらい枯れてなくなっている。その足元には、つい最近生えてきた若松も交じっている。松だけではない。そこいらじゅうが荒れ果ててしまっているので、「ああ」と皆が言う。


生まれしも帰らぬものをわが宿に小松のあるを見るが悲しさ

(この家で生まれた娘が帰って来ないというのに、我が家に小さい松の木が育っているのを見ると悲しい)


見し人の松の千歳に見ましかば遠く悲しき別れせましや

(娘が松のように千年生きると思っていたら、遠くの土地で悲しい別れをしてきたことであろうか)


とても忘れられそうにもない、くやしいことは多いのだが、とてもここには書き尽くせない。とにもかくにもこんなものは早く破ってしまおう。<日記ここまで>



元国司の男は、紙を破ろうと手をかけたが、ふと手を止めた。住職の言葉に従い、今まで、ずっと言いたいことも言わず、我慢してきたが、このまま泣き寝入りしてしまうのは、あまりにも口惜しい。この悔しい気持ちをわかる人にだけわかるような形で、世に知らしめることはできないだろうかと考え始めたのである。


今回の旅の日記を正式な記録としてではなく、物語風の文学作品に書き直してしまえばいいではないか。女性が書いた娯楽の読み物として世に広まれば、あまり重要なものとして扱われず、これ以上、自分自身や家族の身に危険が及ぶこともあるまい。念のため、怪しい術を仕掛けてきた人たちの実名は避けて、ぼんやりとわかる程度にしておこう。


元国司の男は、筆に黒い墨をつけると、真新しい白い紙に書き始めた。



男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。


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