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石鎚の毒煙

夏の終わり、小児科の外来は普段よりも混み合っていた。

皮膚がただれた子ども、息苦しさを訴える子ども。


若い小児科医はカルテをめくりながら眉をひそめた。

「おかしいな…、先週から急に似た症状が増えている。アトピーでも喘息でもない。原因が見当たらない…」


保護者たちは口々に言う。

「同じ町内の子たちがみんな同じ症状で…」

「川遊びのあとから咳が止まらなくて…」


その場の空気がじわりと重くなる。

水道水を飲んでいる家庭も、井戸を使っている家庭も関係なく、共通の“何か”が子どもたちを蝕んでいた。


10年前 ― 第一の分岐点


石鎚山系の山奥に、何台ものトラックが夜な夜な走っていた。

積み荷は「産業廃棄物」としか書かれていないコンテナ。

中身は廃棄されたリチウムイオン電池や処理困難な化学薬品であった。

業者は処理費を浮かすため、谷底にこれらを投棄していた。


5年前 ― 眠れる火種


投棄された電池は風雨にさらされ錆びつき、内部の電解液がじわじわと漏れ出していた。

ただこの時点ではまだ漏洩はごく微量で、周囲に目立った被害はなかった。

そして投棄を繰り返していた廃棄物業者は倒産し、この場所は闇から闇に消え、忘れ去られていった。


1年前 ― 毒煙の発火


ある夏、谷に雷が落ちた。それをきっかけに、不法投棄された数十万個のリチウム電池が一斉に発火。

フッ化水素(HF)を含む白煙が立ちのぼった。

同時に、電池と一緒に投棄されていた様々な廃棄物が熱と反応し、未知のフッ素系化合物が生成された。

それは雨に溶け込み、谷川から石鎚山系の水脈へと流れ込んでいった。


山火事を消火しに来た消防士は、谷底に埋もれた大量の廃棄物を目にして思わずつぶやいた。

「…これは、ただの火事じゃない」



8か月前 ― 燃えカスの処理


石鎚山で発生した火災は収束したが、谷底には燃え尽きずに残った膨大なリチウム電池のカスと、灰に混じった化学物質が堆積していた。

それらは雨で川に流れ込み、すでに局所的な異臭と魚の大量死を引き起こしていた。


県議会で臨時の環境対策会議が開かれる。

議員の一人が口を開いた。

「地元大学の有識者は、燃えカスをすべて掘り返して除去すべきだと主張している。しかし、数千トン、いやそれを含んだ土壌までの規模の処理となれば県予算では到底まかなえない」


国立大学環境学部の教授が委員会に参考人として呼ばれ、強い口調で意見を述べた。

「ここで費用を惜しめば、汚染は地下水系を通じて四国全域に広がる。いま撤去しなければ取り返しがつかなくなる」


しかし最終的に県はこう結論づけた。

「予算措置が困難なため、現場をコンクリートで覆い、封じ込め処理を行う」


議場に重い沈黙が落ちた。

「埋めたものは見えなくなる。だが消えるわけではない」――教授の声だけが、虚しく記録に残った。



半年前 ― 蓄積の島


西条市で、原因不明のアレルギー症状から死に至る事例が相次いだ。

県はまず近隣工場を疑ったが、特に汚染物質は検出されなかった。


県環境保全課の職員は会見でこう述べた。

「水質検査では異常値は確認されておりません。フッ素イオン濃度も基準以下であり、安全であると考えております」


実際、県の環境センターが用いた機材は GC-MS、LC-MS/MS、ICP-MS、イオンクロマト。

いずれも農薬、重金属、フッ素イオンなど既知の規制物質を調べるには十分だったが、未知の有機フッ素化合物を特定することはできなかった。

報告書には「検出限界以下、異常なし」とだけ記されていた。


しかし、地元国立大学の環境学部研究室は独自に試料を採取し高分解能質量分析計(HRMS)にかけた。

モニターに現れたのは、既知のPFASデータベースに一致しない鋭いピークだった。

研究者は首を振りながら語った。

「小さなピークが確かに出ている。データベースにないだけで、未知の有機フッ素化合物が存在している可能性が高い」


同じ大学の医学部教授は臨床データを示しながら語った。

「皮膚炎、呼吸障害、そして免疫不全の進行。これは通常のアレルギー反応とは明らかに異なる。体内に蓄積する“何か”があるとしか考えられない」


さらに一部の記者からは、昨年の山火事で燃え残った産廃との関連性を問う声も上がった。

「火事の後に谷川の魚が大量死したという報告がある。今回の症状も同じ水脈に沿って広がっているのではないか?」


それでも行政は「基準値以下」「安全」という言葉を繰り返した。

透明で冷たい水を口にしながら、住民は安心と不安の間で揺れていた。


現在 ― 死国の水


後になって国立大学の研究チームが詳細解析を行い、ようやく原因物質の一部が同定された。

結果、それは 複雑な重合構造を持つ有機フッ素化合物群 であることが判明した。

既知のPFASよりもはるかに複雑で、既存データベースでは対応できず、最初の段階では見逃されていたのだ。


さらに追試で明らかになったのは、この物質が 海水や高イオン濃度の溶液と接触すると沈殿する性質を持つこと。

完全に無害化されるわけではないが、四国外に出た途端に海で沈殿し拡散しない。

つまり、汚染は四国の内側に閉じ込められるという皮肉な特性を持っていた。


しかし、石鎚山系の水脈は四国全域へと広がっており、すでに島内の水系は汚染に覆われていた。

致死量は極端に低く、検出限界以下でも人が死に至ることが分かった。

「基準値以下=安全」という行政の言葉は完全に裏切られたのだ。


汚染された人間の体内からは、排泄物レベルでも有害物質が放出されることが確認された。

わずかな量でも環境に拡散すれば危険とされ、四国の人々は島外に出ることを完全に禁じられた。


犠牲者を火葬すれば再び毒煙が立ち上る可能性が指摘されたが、燃焼による汚染の影響についてはまだ十分に検証されていない。

土に埋めても地下水に再び毒を流し込むだけであり、死者すら処理できない島は封鎖された。


政府は外への流出を防ぐため、四国を完全に閉じ込めた。

本州の人々は、やがてその名を口にするようになった。


「死国」と・・・

かなりひどい話にしてるんですが、実際問題、やばい物質を含むリチウムイオン電池の

処理の問題はかなりやばいんですよね・・・

ここまでもいかなくても、どこかで不法投棄&火災なって起きたら

環境汚染がかなり深刻なことに・・・

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