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あまりにも無駄な日々を送っている。
無駄に傾き続ける日の下では待っているだけでも重労働だ。
だから、無駄な僕は浮き草らしく向日葵畑の周辺を散歩することにした。
夕凪のような世界だが、どちらかと言えば夜凪だ。
今日は家に一人で居るのが心が潰されそうになるほど辛かった。
自分の存在価値について悩むことで自分で自分を潰しそうになった。
だから、現実逃避をするためにここまでやってきたのだ。
一人でなければこうしてゆっくりすることもできない。
特に、心がゆっくりするためには一人でなければならない。
人の目を気にしてばかりの僕は隣に優しい彼女がいても気を遣ってしまう。
意味性を持たない僕が隣に居ることが申しわけなくて仕方がないのだ。
向日葵畑以外は大したことない施設を目的もなく“ブラブラ”と歩いている僕。
園内はほどほどに整備されているが、やはり細かいところに粗が目立つ。
一部が赤錆になっている手すりに、塗装が剥がれきったキャラクターのイラスト。
そのキャラクターはウサギをモチーフにしたどこにでもいるようなキャラクター。
それ自体が価値を持つことなど絶対にないと断言できるような存在だった。
ここは都会のように完璧な場所ではない。
完璧を目指そうとしているわけでもないし、完璧になれるわけでもない。
本当に優れた人は行くべき場所へ行くものだ。
漂流だったとしても辿り着いた場所が自分に相応しい場所だ。
なににもなれない僕に相応しいのはこの中途半端な街だ。
そして、いつまでも黒くならない中途半端な夜だ。
妖異幻怪な空は茜色をしていた。
血色のいい唇のような色をしているこのいつもの光景。
これから秋になっていくに連れて、世界はこの色がもっと似合うようになる。
茜の根っこで染めたような景色は次の季節を楽しみにしていた。
自分に相応しい世界がやってくるのを期待していた空。
そして、次の季節を楽しみにしているのは秋が好きな僕もそうだった。
秋が相応しい人間というわけでもない僕は自分のために秋を愛していた。
極度な物がなにもない柔らかい平板とした世界のことを愛していた。
反面、現状に満足している僕はなにも変わらないことを望んでいた。
それでも、時々、現状に殺されそうになるのだ。
その殺害方法はほとんど完全犯罪のようなものだ。
だから、殺されそうになっている僕以外は誰もそのことに気づかない。
死にかけていても助けは出されない。
どんなに非難されても逃げなければならないのだ。
隠れるためにここにいた。
ここに隠れることで命を長引かせようとしていた。
進化論のことを考えれば生きている価値がない人間なんて存在しない。
同質性が高い個体を量産するという生存戦略を人類は獲得しなかった。
一斉に哀愁を歌う向日葵のような生存を人類は獲得しなかった。
同じ個体のように振る舞うことを人間は許容しない。
社会には類似する人こそ居れど、同じ人は存在せず、違う人しかいない。
個々としての行動原理に差異を生み出すことによって生存することとなった。
同じ物を見ても、違うことを思い、それぞれ別の行動に変換される。
別の行動が発生することによって様々な場所で様々な生き方をする。
生き方が異なる同種が存在することで同種族間でも共生が進んでいく。
まるで犬と人間のような共生が人間と人間の間で成立するようになる。
分散するというのが人類がしたリスクに対する解答だった。
そう考えれば行動原理の差異によって発生する物全てに価値があるとなる。
それはつまり人間のする行為全てが人類が獲得した生存戦略ということだ。
遺伝子よりもより深い場所に刻み込まれている決まりなのだ。
それが人類が選んだ道なのだ。
今は陳腐な場所を歩いているが、入ってきてすぐには向日葵畑も少し見た。
そこで見た一面の向日葵畑を綺麗だと思う程度には脳は働いてくれている。
綺麗な物を綺麗だと思えないことで蚊帳の外に追い出されることはない。
きっとこの感受性が残っているのであれば大丈夫だ。
しかし、最近同じ物を見たという理由だけですぐにそこから去ってしまった。
前よりも簡単にそこから去ってしまった。
メインとなる場所をほとんど素通りするように行けるのは一人だからだ。
二人でここに来ていたらやはり向日葵畑を見るしかない。
一人であればその呪縛のような物から解き放たれることができる。
呪縛のような物である僕から解き放たれた彼女は今なにをしているのだろうか。
きっと、居酒屋という雑多な場所で摩耗するように仕事をしているのだろう。
その居酒屋の床に昨日まであった彼女の本質が落ちてしまっていないか心配だ。
それを思うと身震いによって皮の裏にある物が表皮まで飛び出てしまいそうだ。
ただ、これほどまでに他人のことを思える僕がいたことがわかって嬉しくもなる。
自己満足的な内心は他人に打ち明けることなどできないだろう。
しかし壊れそうなほどに他人のことを考えられる僕が居ればきっとなんとかなる。
今はここにいない彼女のことを心配に思う気持ちがあれば大丈夫なはずだ。
これをなにかの物種にして明るい未来を築き上げていけたらいい。
まだある。
まだ心がある僕は、心を無くさない限りは大丈夫だ。
心さえ残しておいてくれればそれだけでいい。
それを種にして花を咲かせる。
他人にとって価値があると言えるような花を咲かせるのだ。
この施設には湖があった。
木々に囲まれた、“キラキラ”とした光を反射する静止した水面。
珍しいほどに無風だった。
時間が“ピタっ”と止まってしまっているみたいだ。
誰も人がいないこの水辺は違う世界のようだった。
ここはいつ来ても閑散としていて、誰もこの場所を望んでいる気配がない。
普通だったころも含めて数回しか来たことはない。
が、それでもいつ来ても人なんて誰もいなかった。
太陽が昇らなくなってからはさらに誰も人が来なくなったのだろう。
影すらないような場所になってしまっている。
その理由は簡単で、この周辺にたくさんの虫が沸いてしまっているから。
ボウフラが巨大な群れを作っている水溜まり。
そんな場所が湖の辺りに無数と言ってもいいくらいに大量にあった。
おそらく元々水捌けがよくない場所なのだ。
それに加えて日が照らなくなったことで虫が沸き放題になっていた。
ガラス瓶の中の肉のように、ここから発生しているように虫が沸いていた。
みんな、向日葵に夢中だ。
ここに遊びに来る人間も、管理人も全てが向日葵に目を取られている。
その片隅にある死体でも埋まっていそうな場所。
向日葵たちの養分になっていそうなこの死んだ場所。
そんなところに来る物好きな僕。
物好きな僕は好き者しかしないような妄想をする。
水涯のない湖に、ボートに乗って“ぽつん”と居る。
乗っているボートは木製で、あまり頑丈であるとは思えない。
しかし、だからといって脆いわけではない。
きっと、なにかしらの耐久性試験をクリアした既製品のボート。
規格に乗っ取って作られたそれは、不道徳な僕がなにかをしない限りは壊れない。
壊れることもなく、どこまでも行くことができるよくあるボート。
だが、ここには行くべき場所がどこにもない。
水涯がないということは向かうべき陸地がないということだ。
だから、なにかをしなければいけなかった。
が、幸福を噛み締めていた僕は、ここでなんにもせずに“ぽつん”と居た。
なにもしないという選択を取ることで自己の責任から逃げていた。
木製のボートが壊れることがないようにここに居た。
されども、影を見つければそれを追いかけるのだ。
希望、もしくは死を待っている。
その二つのどちらかが欲しかった。
今はもうどちらでもよかった。
なにか到達してはいけない場所まで到達してしまった気がした。
なので、それが怖くなった僕は帰ることにした。
ここで隠れていた僕はなにかに見つかった。
見つかったからまた逃げるのだ。
最後に、向日葵畑に寄ってみることにした。
どうせ向日葵畑にも人はいない。
どちらにしてもどこにも人なんていない。
気兼ねなくそれを見ることができる。
誰かの景色になることなく、景色を見ることができる。
自分という異物が他人の人生に紛れこまないで済む。
狂気的な人間に触れなくて済む。
人が居ない桜の森の満開の下。
無数の桜の花びらによって出来上がっている集合体。
そこに介在している狂気。
きっと、その場所で亡くなった人間は死体すらも花びらの集合体になる。
種のようになっている向日葵の筒状花。
向日葵の真ん中にある、タワシのような色をしたそれ。
やはりここには誰も居ない。
だから、ここに介在している狂気がよく見えた。
言葉を発しないだけでなにかを思っている生き物の集団。
そんな風に見えてしまった。
なにかの意志を持っているような生き物に見えた。
言葉にできないもどかしさからこの世を地獄だと思っている生き物たち。
それは向日葵畑のこともそうだが、向日葵自体の筒状花もそうだった。
集合体であるそれらは蠢いているようだった。
なにかしらのメッセージを伝えようとしているように思えた。
妙な不安感に囚われた僕はもう少しだけこの施設を巡ることにした。
このまま帰宅しては向日葵の集合体が夢に出ると感じたのだ。
それが出てくる夢はきっと悪夢だと思う。
それを避けるためにあてもなく歩く。
もう十分に見てしまったこの施設には見るべき場所なんてもうなかった。
そのはずだったが、目を引く場所を見つけることができた。
フラワーパークの端には電燈があった。
それの下には名前もわからない花が咲いている。
おそらく、咲かせようとして咲いた花ではない。
大地を見つけて勝手に咲いた花がそこにはあった。
青くて四枚の花が黄色い筒状花から伸びている。
真ん中から広がるように青くなっていく花弁。
そして、それを支えている茎、から生えている葉っぱ。
電燈の眩しいまでの光に照らされたそれはどこまでも青い葉っぱだった。
普段は影の中にあったそれに気づいていなかった。
それはどこまでも青い、青い葉っぱだった。
それを見つけた僕はどうしてか誰かに殺してほしくなった。
その理由はきっと、命を目の当たりにしたからだった。




