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「近くにおにぎり屋さんができたみたいだよ」
「そうなんですね。そこは繁盛してますか?」
「してるみたいだね。あきたこまちのお米を使ってるみたいで、かなり美味しいらしいよ」
「そうですか。あきたこまちなら馴染みがありますし、僕も食べに行ってみようと思います。別にためらう理由もないですし」
「そっか。ちょっと私もいつか行ってみようかな?」
「きっといつかは行くことになるかもしれませんね。長続きしてくれるといいのですが」
「そうだね。私はそろそろバイトだからさ。また後でね」
「そうですね。また後で」
そんな会話をした矢先だった。
朝と昼の間の食事を朝でも昼でもない空の下で探していた僕。
強風に吹かれながらご飯を探していると噂に聞いていたおにぎり屋があった。
おにぎりのマークが描かれた暖簾と、まだ新しそうなポスターの張られた店。
ポスターには写真加工によって綺麗にされたおにぎりの画像が載っている。
少し嘘臭すぎるような気もしたが、これが当たり前なのだから仕方がない。
ここは思っていたよりも家の近所にあり、徒歩数分といったところだ。
これなら二人で一緒に来ることもできるだろう。
本当に来るかどうかはこれから決めることになりそうだ。
さっきの彼女の話の通り、数人の列がそこにはできている。
ガラス戸の先にある店内にも数人の客がおり、商品を物色しながら悩んでいた。
昼休憩くらいの時間になればもっと人が増えそうな気配がある。
元々あった店舗を居抜きで使っている感じの外見。
ちゃんと調理している様子も見ることができる、商店街に立ち並んでいる店構え。
たしか、ここには総菜屋があったような気がする。
たまに買いに来ることもあったが、そこまでの思い入れはない。
惰性でやっているような店だったから記憶にはあまり残っていない。
最初っからそう決まっていたかのように“フラッ”と列に並ぶ。
回転率がいいのか、すぐに順番が来たので数分で店内に入ることができた。
そして、数人の客の内の一人になった。
デリカが置かれていたであろうショーケースに並ぶラップがされたおにぎり。
お昼には客が大量に来ることを予感させる、“びっしり”と並べられたそれら。
総菜屋の面影がある、どこか古めかしいタイル壁の厨房がここから見える。
水色よりも薄い色のタイルは清潔で不快感はなかったが、やはり造りは古い。
今もどこか窮屈そうに若い男女が二人で型を使っておにぎりを作っていた。
総菜屋の面影がある店内も和風な装飾で都会的な雰囲気をわずかに出していた。
どうしてここにはそういう物ばかりがあるのだろうか。
都会になりきれないことをアイデンティティにしているようにも思えた。
なにを食べようかと商品を物色する。
それをしているとそれなりにビックリするようなおにぎりがあった。
都会的なことを知らない僕には驚愕といえるほどの物があった。
もちろん、ショーケースには鮭や梅などの普通の具もあった。
どこにでもあるようなおにぎりがほとんどではあった。
しかし、まさかのローストビーフで巻かれたおにぎりもある。
そんなおにぎりは今まで一度も見たことがなかった。
こうなるともう迷走が行きすぎていて逆に気になった。
都会への憧れが悪魔合体されている感じだ。
流行りものと流行りものをぶつけている。
それとも、知らないだけでローストビーフおにぎりの文脈があるのだろうか。
おにぎり業界にとってはローストビーフおにぎりは当たり前なのだろうか。
さすがに買うべきか?
まさかの選択をしそうになっている僕。
こういうのもアリなのか?
ナシだとしたらどうしてここに並んでいる?
それはローストビーフおにぎりもそうだし、客もそうだ。
並んでいるということは、安心していいということ、のはずだ。
……いやぁ、買ってみるとするか。
こんな物を買うだなんて僕さえ迷走しはじめている。
しかし、好奇心には従った方がいい。
悩んだ挙げ句ローストビーフと鮭のおにぎりを買った。
会計をしてくれた女性も若い女性だった。
内心笑われているのではないか? と疑心暗鬼なことも少し思った。
ローストビーフのおにぎり、本当に美味しいのか?
美味しくなかったときに得られる物はあるのか?
そんな当たり前のことがあっても、話のタネにしかならない。
が、プライドが高い僕は自分の失敗談を当たり前の顔で話せない気がする。
それにしても、この三人はどういう関係なのだろうか。
大学時代の友人かなにかだろうか。
そうだとしたら都会に憧れてこの店を開いた理由にも納得だ。
しかし、そんな三人が作ったおにぎりが本当に美味しいのだろうか。
こだわりがあってこれをやっているようには思えなくなった。
急にチープな物を買った気になってきた。
この三人がどんな三人なのか、気になってもそれを確かめる手段はない。
とりあえず今はおにぎりの味を確かめることだけしかできない。
好奇心に騙されたような僕は袋に二つのおにぎりを入れて家に帰る。
まだ騙されたわけではないが、騙されたと思っている方がいいだろう。
後悔しないように騙されたと思っておこう。
道中も空は空の色をしていた。
夕陽を見るとノスタルジーに襲われることがあった。
日常が郷愁的になった今も時々、それに襲われることがある。
生まれも育ちも近くにある田舎の町だった。
子供のころには車でここまで遊びに来ることもあったので地元と言えば地元だ。
あの向日葵畑を見に来て、小綺麗なファミレスに入るのがいつもの流れだった。
夕焼けに郷愁を感じるのは、遊び疲れた僕の寝落ちしそうな意識のせいだろう。
家に向かっている、揺れる車の中で“ぼんやり”と見ていた光景。
眠気で車内が現実なのか夢なのかがわからなくなり、深い場所に消えたある日。
勁烈な光を前にしたまま目を閉じているかのような色をしたあの日。
境界線が不安定な記憶は意識よりも無意識に収められることが多かった。
だから、ノスタルジーという無意識が不意に沸き上がってくるのだ。
子供のころの記憶だから、それがやってくると苦しくなる。
まだ小さかったそのときの心を無理矢理に拡大するから痛いのだ。
ここにいる僕には合っていないのだ。
昔日は昔日として保管する。
子供の僕と今の僕は同じ倉庫を使っている別人だ。
なんでもないような顔で帰宅した僕はリビングのいつものソファに座る。
そして、買ってきたおにぎりを食べようと手を洗いに洗面所まで行った。
その最中に、ローストビーフおにぎりの味の想像をする。
ローストビーフを巻いたおにぎりがおにぎりとして成立する。
そのためには相当な柔らかさがないとダメだろう。
お肉が赤身肉とは思えないほど柔らかくなければいけないはずだ。
噛んだ瞬間に肉と米が分離するようでは美味しくならない。
となると、そもそもローストビーフ自体がかなり高クオリティな物なのか?
もし仮にそうだとしたらローストビーフ単体で食べたいという気持ちもある。
おにぎりが主体の店でそこまでローストビーフにこだわる意味はあるのか?
あの若い三人がこだわりを持ってそんなことをやっているのか?
若者のはずの僕はなぜか若者の敵のようなことを思っていた。
いくつかのことを疑問に思いながら手を洗い終え、いつものソファに座る。
結局は食べてみれば全てがわかる簡単な問題なのだ。
改めて見ても奇々怪々なローストビーフおにぎり。
保険として買ってきた鮭のおにぎりから先に食べようか。
美味しい物は先に食べるタイプの僕だった。
包んでいたラップを剥がし、柔らかい海苔が張り付いたおにぎりを“パクリ”。
それは一口噛んだだけで具まで届き、すぐに鮭の味わいがやってくる。
これは、中々美味しい。
鮭のほぐし身には脂が乗っていて、若干の塩気とともに口の中に風味が広がる。
柔らかくなって深い味になった海苔も、立つように存在感のあるお米も美味しい。
これが噂のあきたこまち。
出汁塩を使っているのかお米自体にも深みのような旨味がある。
それなのにおにぎり全体に具が入っていて、どこを食べても鮭がいた。
自然と完食していた、これは想像以上だ。
これはもしかしたら期待してもいいのかもしれない。
これだけの鮭おにぎりを出せる店だったら、変わり種もちゃんとしているはずだ。
完全に見くびっていた。
そんな期待とともにローストビーフおにぎりに手を伸ばした。
そのピンクのような色をした赤身肉は“しっとり”としてそうではある。
さっきのおにぎりを食べたせいか、なんだか肉も柔らかそうに見えてきた。
包んでいたラップを剥がして、ローストビーフが巻かれたおにぎりを露にする。
期待と不安が入り交じった感情はマーブルのような色合いをしていた。
しかし、今となっては期待の色が完全に優勢だった。
それでも、ためらいもあった僕は意を決したようにした噛りつく。
食べる直前、胡麻油の上品な香りがした。
とても美味しかった。
想像していた以上、お肉は信じられないくらいに簡単に歯が入っていく。
なので、肉が巻かれていることの食べづらさもない。
しっかりと分厚いローストビーフは口の中で赤身肉らしい肉々しさを発揮する。
肉々しさと柔らかさが共存していることによってお米との相性もバッチリだ。
そして、お米に胡麻油が塗られているのでお肉とお米が喉を“スルスル”と通る。
これは、もしかすると絶品といっても大きく間違いにはならないかもしれない。
これはかなり美味い。
騙されたと思って買ったが騙されなかった。
絶対に今度二人で一緒に食べよう。
そうしたら話も弾む気がする。
失敗談を語らなくて済んだ僕は安心した。
変な顔で奇妙な出来事を向こうに伝えなくて済んだ。
ドーナツは買ってきた彼女の物だった。
おにぎりも買ってきた僕の物だ。
でも、本当に美味しかったのならまた買ってくればいい。
そのときは二人でおかしなローストビーフおにぎりを食べよう。
きっと楽しいだろう。
そんな時間が一番楽しいんだ。
一番幸福なんだ。
幸福を想像しながら、完食した。




