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向日葵畑と無明の間で“そっ”とさようなら  作者: 豚煮豚


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3


 無量(むりょう)のような悲しみ、のような物に覆われた世界。

快晴からは遠く離れた場所に移動した悲しいような世界。

これが本当に悲しみなのかは定かではない。

世界の人々は悲しいような素振りをしているだけかもしれない。

ニュースなどで流れてくる声は演技なのかもしれない。

夜が来ないということに苦しめられている人が本当にいるのか。

こうして生きている僕にとっては、そこまでの悲しみではない。

そして、おそらくなんでもなさそうな彼女にとってもそうだ。

ずっとそれを見ている僕の目測ではそういう風になっている。

しかし、無量と形容できるほど巨大ななにかに覆われているのは確かだ。

その中で誰もがなにかしらを考えているのも確かだ。

終末のような気配が立ち込めている。

本当に全てが終わりそうな気配だけがこの世に流れている。

ポンコツのような僕はその中において傍観者のようだった。

そんな傍観者のような僕はこの空を美しく思う。

それは人間にとって当たり前の感性だった。

が、新しい世界に発生した文脈においては理解しがたいおかしな感性だった。


 黄昏(たそがれ)がこの世界の始まりであったかのように思える。

黄金のような空の片隅にはいつまで経っても下りない(とばり)があった。

(かいこ)が吐き出した滑らかなシルクが月と星を(きら)めかす。

その帳は視界の端で自らの存在の滑らかさを主張している。

触れれば(とろ)けそうな感触を(ほの)めかしている。

この世界の端倪(たんげい)を味わっているようだ。

時が経つ中で夕陽から夕陽へ変化するようなこの空。

昔の暇な貴族が空模様に無数とも言えるような表現を残したその意味。

その意味の一端を味わっているような感覚だ。

これから姿を変えるであろう三日月。

光の中で届ききらない月光が僕たちを照らしている。

ないのと同じような光だった。

ないのと同じような幸福があった。

完全に内臓に溶け込んでしまった幸福があった。


「ただいまあ」

「おかえりなさい」


「小腹が空いた」と言って外出した彼女が戻ってきた。

なにも点いていないモニターを使って強風で乱れた髪を“さっ”と直す彼女。

この家にはお菓子のような物が置かれていない。

体型を気にしている彼女は近くにつまめるような物を置きたくないらしい。

だから、小腹が空いたら我慢するかお菓子を買いに歩かなければならない。

中途半端なこの場所にはコンビニが乱発的に存在していない。

この家の近くにもそういうお店はない。

なので、お菓子を買いに行くだけでもそれなりに歩くことになる。

それによって、食べる分のカロリーを消費したいと思っているそうだ。 

その努力もあってか、モデルのような体型をしている彼女。

二人で歩くと月とすっぽんが並んでいるようだった。

光を放っている彼女の横で、醜いすっぽんは首を伸ばすだけ。

歩みの遅い亀は、自分のために歩くだけ。

自分の幸福という他人には関係ない物に向かって歩くだけ。

たったそれだけで望月のようだった。


 美しい月のような彼女のその手にはたしかに小さな紙袋がある。

幸福のことを考えていた僕の正面に座った彼女。

持っていた紙袋をテーブルの上に置き、“グっ”と伸びをする。

その背後に見える風車はいまだに“グルグル”と回っていた。

座った彼女は履いていた靴下を脱いで、その辺に“ポイっ”と投げる。

投げられた靴下はカーペットの上で静かに旅の疲れを癒していた。

投げるという行為を見て愛らしい気持ちになってしまった僕。

そんな行儀が悪い行為をする彼女を知ったのは同棲してからのことだ。

こんな警戒心の塊のような僕に心を許してくれている彼女がいる。

嬉しい気持ちにしかならなかった。

不快だとか、はしたないなんて一ミリも思わなかった。

心に夕陽のような色をした感情が“ブワっ”と広がっていく。

厭世(えんせい)的な気持ちの密度が低くなる。

嫌な気持ちが希釈されて生きることに満たされる。

生きていることの意味を感じられるようだ。


 しばらくゆっくりしたあと、二つのドーナツを紙袋から取り出す彼女。

既製品であろう、英字が書かれたワックスペーパーはドーナツを半分だけ隠す。

どちらも同じ味のドーナツで、シンプルなグレイズドドーナツだった。

違う味ではなくて同じ味のドーナツを買ってきているのはどうしてだろうか。

慢性的な疎外感に悩まされている僕は、その意味を考えないようにした。

シュガーシロップが固まったドーナツには気泡のような物もできている。

“キラキラ”とした、光沢がかったドーナツはとても美味しそうだった。

グレーズらしい半透明な膜は純朴なプレーンドーナツに似合う煌びやかな装飾。

食べることをしなくても、そのシンプルかつ奥深いドーナツの味が想像できる。

それはチェーン店の物ではなくてローカルな店のドーナツだ。

個人が都会に憧れて経営している、小綺麗なドーナツ屋。

ある種の誠実性を持っているドーナツ屋さんのドーナツであれば味は間違いない。

ドーナツらしいドーナツの味がするであろうドーナツを見ている僕がいた。


「ドーナツ。買ってきたけど食べる?」

「でも、二つしかないように見えますよ。ドーナツなんて一つだけで食べる物でもないのではないですか?」

「どうだろうね? 君が要らないなら食べちゃうけど」

「いや、要らないと言うよりかは――」

「どうするの? 食べる? 食べない?」

「……食べないでおきます。お腹もそこまで空いていませんし」

「ふーん。じゃあ、食べちゃおー」


 意味不明な僕はドーナツを断った。

明らかに食べてほしそうにしていた彼女がいたのに断った。

同じ味のドーナツを二つ買った彼女がいたのに断ってしまった。

明らかにメッセージを発していたはずなのにだ。

その理由は自分にもよくわかっていない。

そんなに固まりきっている理由があるとも思えない。

ドーナツに興味がなかったとは到底思えない。

ダイエットをしている彼女のためを思えば食べるべきだった。

この行為に理由らしき物があるとするならば、それは自己防衛本能から来る物だ。

他人のためではなくて自分のための理由だ。

もう少しだけ(おもんぱか)れるような人間になった方がいい。

このままだと本当の孤独を味わうことになってしまう。

が、その中でも幸福になっていそうな惨めな僕だ。

対等な立場ではない僕たち。

今でも上にいる彼女にこれよりも上へ行かれると怖いから断った。

与えられる僕でありたくなかった。

だから与えてくれる彼女を遠くに押しやった。

しかし、結局は目の前には憐憫(れんびん)を含んだ瞳をしている彼女がいる。

そして、見られている僕はこうなることを知っていた。

そのフクロウのような瞳で見られることを知っていた。

他人のことばかり考えてしまう僕にとっては当たり前にわかることだった。

それなのに拒絶することを選んだ。

やはり、その理由をよくわかっていない僕がいた。

なぜならば、わかっていたはずの結末に傷ついている僕がいるからだ。


 買い物から帰ってきた彼女はドーナツを頬張った。

少しだけ黒みがかった唇は並びのいい小さな歯を表に出す。

自然とそれに共鳴した僕は自分にしかわからない程度の音で歯を鳴らした。

かじりついたタイミングに合わせて、上の歯と下の歯を噛み合わせた。

共鳴してしまったことで口が勝手に動いてしまった。

ただ、当然のようになにも食べていない僕の舌にはなんの味もやってこない。

なんの食感もなければ、なんの風味もない。

なんの喜びもない。

空気を食していただけだった。

この場の空気を取り込んで、呑み込もうとしていただけだ。

むらだつような渇望。

共感性によって想起されたのは食べた記憶が残っている昔のドーナツの味だけだ。

拒絶をした僕は本当のドーナツの味を知ることができない。

今のこのタイミングのその味を知ることができない。

後で自分で同じ物を買って食べても、別の味がするそれを食べることになる。

仮に味が同じだったとしても、同じ感覚を味わうことは絶対にない。

逆に言えば、なにも食べてない僕が今味わっているこの感覚。

それはドーナツを食べることでは絶対に味わうことができなかった物だ。

視線は窓の外に移る。

そこには風車(かざぐるま)のような物があった。

感情のように“グルグル”回っている。

止まってくれない羽根が気になって仕方がない。

止まってくれないこの世界と鼓動が気になって仕方がない。


 自分が愛している物を他人が愛しているとは限らない。

だから、人は自分の好きを否定されないように必死に自分を守るのだ。

しかし、そんなことをしていては誰にも触れられない。

自分を守っていては他人と関われない。

他人と触れ合うと用意に踏み込まれるからだ。

踏み込まれたくない場所に踏み込まれるから触れられなくなる。

触れるためには傷つかなければならない。

どれほどの血液が流れたとしても、残った愛を捨てたくない僕がいた。

例え、視界が真っ赤に染まったとしても愛している彼女を愛したい。

心があることで感じる苦痛すらも“ギュっ”と抱きしめるのだ。

そうしないと人間じゃなくなる。

もうすでに半分くらいは人間じゃない。


 光が届かない場所にいる僕とそれ自体が輝いている彼女。

あらゆる物を照らす彼女のその光は月光のような光だった。

白くてなにも混ざっていないようなピュアな月白(げっぱく)色の光。

柔らかくて、なにかを責めてくることもないような光。

輝いているはずの彼女の光でさえ目を閉じている僕には届かない。

結局のところ、どれほどの恵みが与えられたとしても意味はない。

なぜならば、ありとあらゆる物を受け取ろうとしない僕がいるからだ。

愛を受け取る責任から逃れようとしている僕がいるからだ。

多少の積極性で世界を変えることができるのにそれをしない僕。

どこまでも消極的で呼吸に合わせて歩いているだけの僕がいるからだ。

能動とは程遠いような場所に居る。

居ることすら恥じなければならないような場所を安住の地としている。

ここで尽きることすら考えてしまっているのだ。

地獄の側にある、もう決めてしまった(つい)住処(すみか)から動こうとしていない。

それによって周囲に溜まった瘴気(しょうき)に心を侵されそうになっている。

それでもまだまだ動こうとはしていない僕。

自分の責任で自分の存在そのものが崩壊してしまう。

それはいかにも(つゆ)()と言った感じだ。


たくさん同時連載しているので失踪する可能性大です。

評価や感想をくれると失踪しない可能性が高まります。

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