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夢から覚めてもまだ大暑だ。
そして、朝なのに外はまだ夕方だ。
こんな不可解な現象にも慣れてきているというのだから恐ろしい。
二時半頃に眠ったはずの僕は七時に起きたらしい。
予定がないので、いくらでも睡眠を取っていいはずなのにこうだ。
浅いところにしか到達できない眠りが続いていた。
もちろんまだ眠気がある僕だったが、二度寝ができるほどの体力もない。
二度寝をすると頭が痛くなり、元気もなくなる。
それに耐えられるだけの体力はもうなかった。
それなのになにも解決策を持たない僕はどうしてか幸福だった。
相も変わらず上はよく熟れたマンダリンのような色をしている。
そんな状態だから、感覚的には昼寝の後のようだった。
非現実感に苛まれることになりそうな僕はまだ眠っている彼女を見た。
その寝顔は子供のようであり、ほっぺでもつつきたくなる。
柔らかいその肌に純粋な気持ちで触れてみたくなる。
幼く見える彼女は内心に完璧な無垢を潜ませているような気がした。
普段は整えられている前髪が無造作になっている。
前髪の横の長い髪が口に入りそうになっている。
心から愛情が沸き上がってくるのを自覚する。
そこに発生した愛情は恋人よりも家族に対して発生するような愛情だった。
近くに居るだけで満足できるような、自己のための愛だった。
現実に戻りたかった僕は沈んだソファーに移動することにした。
桐始結花の通り、大暑では桐の実が生る。
二十四節気の中にある七十二候ではそう言われている。
こんな状況でちゃんと実ってくれるのかはわからない。
しかし、無事に咲き終えた物憂げでお淑やかな薄紫の花。
そんな桐の花であればこの天気に順応し、実りの準備を終えられているだろう。
なぜならば、この近所にある向日葵畑の向日葵が一斉に西を向いているからだ。
いや、正確には向日葵の蕾がみんな西を向いていたからだ。
中途半端な田舎に住む僕の近所の観光地じみた向日葵畑。
この時期になるといつもほどほどの人混みができている所。
いかにも太陽が無ければ生きていけなさそうな向日葵が群生できているんだ。
太陽なんて必要そうには見えない儚い桐の花はなんの問題もないはずだ。
また来年に向けて種を蒔いてくれるはずだろう。
根拠もないのに純粋にそんなことを思った。
純粋であるがゆえに正しいのだと勘違いした。
ソファーに座っていた僕のところに目が覚めた彼女がやってきた。
まだまだ夢見心地といった感じでそっとしていた方がよさそうな空気。
半分だけ大人に戻ったような彼女。
まだまだ無造作な前髪はその太い線で瞳の一部を隠していた。
しばらくは呆けているだけの時間が流れる。
堕落しているような僕たちの視界の先にはやはり風車があった。
一定のリズムで何回も何回も同じ場所を“グルグル”と巡る。
それは見ているのに見ていないように感じるような存在。
あの存在は、なにか人の心を揺らそうとしているようにも思えてきた。
ゆりかごのように心地よく揺らすためにある物のようにも思えてきた。
空を切るように回る羽根が催眠術のように眠気を誘ってくる。
レム睡眠の中にいた僕らにとってはあまりにも危険な誘惑だった。
さっきまでの延長線上にその回転があった。
惰眠を貪ることになる。
そう思うと「なにかをしなければならない」という焦燥感に襲われる。
眠らないようにしなければいけないと思う。
それはお互いにそうだったようで、不思議と視線が交差した。
二人は同じ瞬間に風を見るのを止めた。
その状態で必要に迫られるように口を開いたのは催眠が怖かった僕だった。
この場所から抜け出すために声を発した。
が、その声は声を発した意味を無意味で希釈させていた。
だから、ほとんどなにも価値らしい物はなかった。
アイドリングトークをひたすらに続けるという幸福があった。
しばらく無為なコミュニケーションを取っていた僕たち。
今日もバイトがある彼女は少しでも有意義なことをしたいと思っていた。
だから、なにか生産性があること、または健康的なことをしようとする。
それでもまだ睡眠に後ろ髪を引かれていて、具体的なことはなにもできない僕ら。
なので、やろうとしたことは睡眠のような行為だった。
未だに覚め切らない意識を覚まし、泥濘へ至る眠気を切るための行為は散歩だ。
その睡眠のような行為の正当性を得るために二人で公園へ向かうことになった。
無駄に外を歩いていることを非難されたくなかったのだ。
だから、公園へ向かうという無意味な意味を持たせようとした。
単なる散歩のような外出でも軽くメイクをしようとする彼女。
身だしなみを整えることに興味がない僕。
どうせ今日もいつもと同じように外では強風が吹いている。
生命力が欠けている僕は吹き飛びされないようにするので精一杯だ。
洗面台へ向かった彼女を催眠術にかかりそうになりながら待っていた。
そして少ししてから、前髪をスプレーで固めた彼女と家を出た。
しばらく歩き、人気がないのに十分に整備された大きな公園に到着する。
生え揃った芝生を見渡せる場所にあった、雨風によって薄汚れた白のガゼボ。
座りたかった僕たちは西洋風の庭園にでもありそうなそこに足が向かう。
そして、椅子の汚れを軽く払ってから二人で小さなテーブルに収まった。
背が高い六角形の屋根はなだれ込んでくるかのような日光を遮らなかった。
「ふぅ。今日も風が強いね」
「そうですね。うっとうしいくらいですね」
「うっとうしいねー。でも、この場所で暮らす以上は仕方がないよね」
「海沿いですからね。まぁ、僕は海に興味なんてないですが」
「なんでないの? 海に」
「動き回るからですかね。わかりません、正確な理由は」
「ふーん、そっか。ねぇ、知ってる? 近くにナイトプールのお店ができたんだってさ。三日前にさ」
「ナイトプールですか? 正直、僕はあまり詳しくないのですが、ナイトプールと言うと若者たちが夜のプールで音楽を楽しみながら遊んでいるというアレですか? 都会にしか存在することができない物だと思ってましたけど、こんなところにできることがあるんですね」
「そうだよ。というか、若者たちって、君も若者じゃん」
「そうですね。ですが、流行はてんでわからなくて」
「私もそこまで流行に興味はないよ。でも、楽しそうなのは好きだから。そうなってるからね」
「しかし、元々計画していた物だから仕方がないのかもしれませんが、この世界には夜がやって来なくなってしまっています。そんな中でナイトプールだなんて」
「バカみたいな話だよね。でも、私はちょっと気になるな」
「そうですか」
「君は全く興味がなさそうだね」
「そうですね。僕には関係ない世界の話だと思っています。そもそもナイトプールなんてどこか不純な理由で存在しているものという印象があります。違う世界の話ですね、間違いなく。
こうして『ナイトプール』という言葉を口にすると、この言葉を発しているのがここにいる自分ではなくて、自分の身体を乗っ取っている誰かなのではないか? と思ってしまうような感覚さえあります」
「自分の方向性を定めなくてもいいのに」
「定めなくてはならないのがこの世界じゃないですか」
「もっと破壊的になろうよ。その固まった力を違う方向へ向けてみない?」
「そうですね。気が向いたらそうします」
意味のない会話。
ガゼボの低いテーブルに頬杖を突いていた彼女。
その視線の先にあったのはオレンジに染まった白の風車。
思えば、この空が馴染んでいるかのような彼女は眩しいだけの太陽を眺めない。
それよりかは遠くで回り続けている風車を見る機会の方が多い。
直視することも可能なその光には惹かれないのだろうか。
どちらにも惹かれすぎている僕はそれを少しだけ不思議に思った。
光を見ない彼女の前髪の横っちょにあるいわゆる触角と言われている部分。
その束になった髪が風になびいて、“サラサラ”揺れる。
風は可愛い彼女が顔を小さく見せるために隠していたはずの輪郭を露にした。
どこか見てはいけない物を見てしまったような感覚を覚えた僕は視線を反らす。
僕が反らした視線の先には眩しいが、直視することが可能な太陽があった。
その輪郭は真っ黒な雲によって隠されている。
見ていい物だと思ったからいつもよりも小さく見える太陽を見ていた。
まだ慣れていない。
この世界に慣れることができていなかった。
それでも、馴染んできている感覚はあった。
異変が日々に溶け込もうとしていた。
青空なんて見えなくなって久しいのに海闊天空としている彼女。
どこでそんなに明るい気持ちを作っているのだろうか。
太陽の下に居るみたいな笑顔で方向性に囚われている僕の近くに居てくれる彼女。
ある種の天才だと思う。
融解させる才能を持っている人。
固体としての方向性を液状化させることができる人。
その才能を多少は持ち合わせている僕。
色々なところで世間の声と言われている個人の意見を聞くことがある。
彼らは世界に闇が訪れることを希っていた。
が、社会に興味がない僕は弱い力でしかそんなことを願っていなかった。
別にどうでもいいような、そんな心持ちで世界が治ることを祈っていた。
そして、それよりも強い力で世界がこのままでいてくれることを希っていた。
この世界の方が今だけを見ている僕の方向性に合っている。
この世界であれば、光に弱い僕も太陽に顔を向けることができる。
向日葵のように、“パっ”と咲くことができる。
溶けた世界の中でヒグラシが鳴いているのを聞いた。
どこかにあるはずのなにかを探している。
つまりは、なにが欲しいのかわからないのだ。
天井がどこにあるのかもわからないこの部屋の中で欲しい物を欲しがっていた。
欲しい物がわからない僕には欲しい物が必要だった。
それでも、日々には満たされているような感覚がある。
目の前にはそれの主な成分である彼女がいる。
しかし、ダメだった。
どこかにあるはずのなにかを欲してしまうのだ。
ここにはない物が欲しかった。
それはここにもありそうな物だった。
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