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今日という日はカレンダー曰く大暑という日らしい。
季節を分けるために作られた二十四節気。
昔の人たちは意味のない暦に意味を持たせようとした。
意味がわからない空の動きに意味を持たせようとしていた。
そうすることでわからない世界のことをわかった気になろうとしていた。
全てを知っているかのように振る舞おうとしていた。
しかし、やはり意味がなかったので今の人々はあまりそれに興味がなかった。
そして、他の形でこの世界のことをわかった気になろうとしていた。
忘れ去られた文化は拾うように利用されるだけだ。
拾われた物はまた捨てられる。
ふと思うのは、いつも幸福のことだった。
日本海に吹く激しい風が遠くの海上の風車たちを回していた。
沖の方にある風車はお互いの羽根がぶつからないように等間隔で置かれている。
向かいの窓の先にある遥か彼方とは言えないほどの距離のそれ。
円を描くように常に羽根が動いているそれを見ながら座っていた。
夕陽に照らされ、輝くような色に染まった白い風車を眺めていた。
あれは浮体式洋上風力発電と呼ばれている物だ。
海底に繋ぎ止められた浮体する構造物の上に風車が設置されている。
洋上に浮かんでいるから水深が深いところであっても設置することができる。
浮体式の風車は主に沖にあり、視界でしかその存在を感じることはない。
距離が離れているので必然的にここから見える風車の群れは小さく見えた。
沈んだ紺色のソファーの上で遠くの風車を眺めているだけの僕。
そして、その横に座って背もたれの角に頭を置いてうたた寝をしている彼女。
中途半端な田舎にある、広さを考えると格安の借家の屋根の下。
誰かに気を遣う必要もない二人の世界。
こうして風車を見ていると幸福だ。
世界が姦しく騒ぎ立てる環境問題のことなんてどうでもいい。
その精神性が好きだからそれを望んでいるわけではない。
この世界が熱くなろうが寒くなろうがもはや関係ない。
今となってはそんなことは些細なことでしかない。
とにかく、そんなことはどうでもよかったが、風車は好きだった。
いつでも動き続けている風車を見るといつでも心に幸福がやってきた。
それは去来するかのように心の内と外を行き来する。
表皮と皮裏を行ったり来たりする。
幸福が行き来する度に当たり前のように幸せを自覚するのだ。
円環のようにささやかな多幸が心を巡っている。
でも、風車を見ていなくても幸福だ。
なんでもない僕にとっては、幸福だけが人生だ。
だから、この世界の異変すら気にならない。
しかし視界には異変が紛れ込んでいた
穢れた大地に見切りを着けようとしている巨大な存在があった。
異変とは夕方が終わらなくなったという異変だ。
無限に引き延ばされたような夕方がいつまでも空に広がっている。
太陽は空の低いところから、困惑する僕たちのことを監視していた。
見られている僕たちはどこか窮屈な思いをする。
肩身が狭いような思いで圧縮されそうになる。
太陽がなにを望んでいるのかはわからない。
それは一週間ほど前からずっとそのような状態のままだった。
その理由はまだ解明できずじまい。
どれだけ賢い人たちが集まってもわからないことはわからない。
天体を観測すると通常通りの動きしかしていないはずらしい。
それなのに、空だけがこうなっているようなのだ。
科学的なアプローチはこの事態の解明に失敗している。
それのせいで別のアプローチが活発になっていた。
誰もが思案投首で科学者も政治家もなにもかもがなにもわかっていない。
無学で無教養な僕には考える余地すらなかった。
そして、なにかを受け入れる必要もなかった。
もっと言うとなにかを飲み込む必要もなかった。
ありのままでも十分生きていけるほどの余裕がある僕だった。
さらに不思議なのが、夕陽はいつものように微かに動いているということだ。
西の空を上下するだけの太陽は夕方という範囲で我々に光の変化を与えてくれる。
なにがどうなっているのかなんてサッパリだ。
そのはずなのに、わかっているようなことを言ってる人も大勢いる。
その人たちはわからないという状態が嫌いなんだろう。
彼らにはなにもわからないことがないらしい。
羨ましい限りだ。
その賢さゆえにいつかは悟りを開くのだろう。
悟りを開いて幸福を放棄するのだろう。
雲は重たい色をしていて、すぐにでも辺りは真っ暗になりそうだ。
最後の時を“キラキラ”と過ごす太陽。
最後であるはずのときを過ごし疲れるとまた終わりかけの最初に戻る。
夕方の始まりに戻る。
一日よりも短い周期でそれを繰り返す。
暦なんて曖昧な物には頼れるところがなくなった。
それでも一等星や二等星は夕空に輝いていた。
目印にするために設置されたような星々はその存在を証明していた。
そして、もっとも輝けるときが来るのを待っていた。
そこまで都会ではないここではそれなりに星が綺麗に見えていた。
が、夜に近くなっているだけで夜にはならない。
なので、星の輝きは不十分なままだった。
アキレスと亀のようだ。
俊足なアキレスは鈍重な亀と同じ点に位置することができない。
亀の微かな歩みによって二人の座標は合わない。
移動が存在している限り、アキレスは亀の居る座標に触れることができない。
追いかけても追いかけてもどうにもたどり着くことができない。
太陽は沈まない。
不快な長い夜さえも恋しくなる今日この頃。
せん妄のような眠りよりは眠れない方がよかった。
否応なしに人恋しくなった僕たち。
前よりも一緒に居る時間が増えた。
移動している僕たちは同じ点に居られない。
ただ、近くに居るだけだ。
いつまでも輝き切れない星空と、居心地が悪そうな細い月があるだけだ。
安らぎのようなぬるま湯が終わることのない一日を直視させる。
夕方からより深い夕方に変わっていくだけ。
そしてまた浅くなるだけ。
その中で浅い眠りをする僕たちがいるだけ。
明日になったら夜がやってくるのか。
不格好であることが許される暗闇がやってきてくれるのか。
誰にも見られない世界は戻ってきてくれるのだろうか。
薄い光の中では影の中すらも明るい。
この一週間、何度もそれを再確認した。
暗くならないと秘密は秘密でなくなる。
二十四節気では夏至、小暑の次に来る節気である大暑。
その名前の通り、大暑のタイミングは暑くなるらしい。
が、今日は全くもって暑苦しくなどない。
本当はもっと暑くなるはずなのだろう。
だが、太陽が昇らないということは気温も上がらないということだ。
照り返すような日差しなどもうどこにもなく、ひたすらに斜陽に差されている。
アスファルトが水滴を蒸発させることももはやない。
太陽が苦手な僕からしてみれば、この方がありがたいことも多い。
日中は快適で生きていきやすく、買い物や散歩をためらう必要などない。
犬を飼っている人もこの状態が嬉しいだろう。
もはや幸福さえ感じられる天気だ。
それがいいことかどうかは知らない。
そんな大暑には桐の実が生るらしい。
風情のない僕は桐の実のことなんて知らないが、儚い桐の花は好きだ。
壊れてしまいそうな物が好きだったから。
それのせいか、このままではいけないような気持ち。
そしてこのままでいてほしいような気持ちが混ざっていた。
混在していた気持ちは後者の方が盛んだった。
そこには正義感も倫理観もなにもない。
単純に正常性バイアスのような物がこの世界を認めようとしている。
ここにあるのは自分のエゴイズムだけだ。
どこまでも本質的な感情があるだけだ。
風車を見ながらくだらないことを考えていた僕の隣にいた彼女が目を覚ました。
それに気がついた僕はまだ寝ぼけているであろう彼女の顔を見る。
さっきまで居酒屋のバイトに行っていたから化粧もしている。
少しだけ暗い色が入っている口紅が窓から差す光に似ていた。
薄い光の中にある彼女はやはり表情がよく見えるのだった。
きっと優しくてどこまでも綺麗な心を持つ彼女の表情がよく見えた。
ずっと見てもいいくらいだ。
このまま眠りに着かずに、ずっとその表情を見続けてもいいくらいだった。
今は深夜の二時頃だ。
布団に入って眠ればよかったのに、出勤前に昼寝をしていたせいで眠れなかった。
だから、ソファーで話をしていたはずなのに結果的には寝落ちしてしまった彼女。
夜にならないから生活リズムはめちゃくちゃになってしまっている彼女。
その一方で、そんなことは全く関係がない僕。
生活リズムがめちゃくちゃになっても関係がない僕。
それはつまりは生活がないということ。
「ん~。おはよぉ」
「おはようございます」
季節の輪郭の中で密かに眠っていた彼女。
誰かに言われたわけでもないのに、じんわりと汗をかいていた。
今年の夏はどこまでも夏らしくない。
晴天と言えるような空がない。
それだけで夏は夏ではなくなり、そこに輪郭だけを落とすのだ。
それなのに、向日葵は夏のような顔をして咲いていた。
真綿の腫瘍が壊そうとした無明を背後に感じながら、誰に言われるでもなく咲いていた。
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