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夜が来なくなってから何度も何度も眠りに就いている。
それなのに一度も眠っていないような気さえしてくる。
こうなってから何度も夜を迎えているのにまだこの問題は解決していない。
何度も何度も同じ問題に対して苦悶している。
生活習慣さえも乱れてしまっている。
明暗によって整えられるリズムが不調子で人生として成立していない。
人として当たり前に守られるべき習慣がダメになっている。
常に差す太陽と自由な人生は相性がよくない。
一日の周期を整えてくれる物がない。
いつも近くにいる彼女以外に生活のリズムを整えてくれる物がない。
それ以外に当たり前の習慣を守ることができる物事が存在していない。
当たり前である必要に迫られることがない僕は不必要な人間だった。
特定の地域では白夜という夜が来なくなる現象が起こるらしい。
ここでいう特定の地域とは北極圏付近と南極圏付近の一部のことだ。
地球の軸は北極点と南極点に真っ直ぐ直線に伸びている。
その地軸と呼ばれる物を中心として地球は自転をしている。
地球儀のように“グルグル”回っているのだ。
そして、その地軸は公転軸に対して傾きがある。
それによって白夜という現象が発生する。
白夜の下に住む人たちはどのようにして毎日を送っていたのだろうか。
参考にする必要に迫られることになるかもしれない。
とにかく地球には白夜という今の現実と似て非なる現象があった。
非なる一番の理由は天体的な動きではこれを説明できないというところだろう。
もっと詳しい話をする。
地軸を中心に回っている地球。
そこに一つの回転が存在する。
自転という自らの軸を中心とした回転が存在している。
そして、この世界は天動説ではなくて地動説だ。
なので、地球自体も太陽の周りを回っている。
地球が太陽を回っているということによって発生する回転も存在する。
その回転のことを公転と呼ぶ。
公転と呼ばれる回転と自転という回転がある。
つまりは地球とは常に二つの回転の中にあるということだ。
ゆっくりと回転し続ける地球儀が環状型の回転寿司のレーンに乗っている。
その回転寿司のど真ん中には360度を照らす光源がある。
ここではそれ以外の光源がないとする。
大体そんな感じだ。
とはいえ宇宙はもっと立体的なので正確な例えというわけではない。
まるで螺旋のように太陽の周りを動いているのだ。
この地球儀は回転寿司のレーンを真っ直ぐ立っているわけではない。
少し傾いた状態で環状線を“グルグル”と回っている。
暗闇に一つだけ光源がある世界。
そんな世界ではそれが当たっている部分だけに光が届くことになる。
我々の世界は光が当たっている部分のことを昼と呼んでいる。
当たっていない部分のことを夜と呼んでいる。
つまりは、光源に照らされ続けた場合、ずっと昼になるということだ。
白夜とは傾きの影響でずっと光源に照らされ続けているという現象のことだ。
地球が公転軸に対して傾いた状態で立っていることによってこれは発生する。
その傾きの影響で北極圏と南極圏の一部には太陽の光が届き続ける時期がある。
それが白夜だったり、極夜と呼ばれる物になる。
極夜は白夜の逆で終日柄昼がこない現象のこと。
そんなわけで、今の世界と似たようなことが元の世界でも起こってはいた。
しかし、今回のケースが白夜などと圧倒的に違うのはそこではない。
どれだけ天体を観測しても、我々の地球は今までと同じ動きをしているのだ。
どんな高性能なカメラで天体観測をしても異変は見つけられない。
地球には異変しかないのに宇宙には異変がない。
自転にも公転にもなんら変化は見られない。
そんな世界であるはずなのに、太陽が沈まなくなっている。
これはどういうことか。
そんなことは誰にもわからないのだった。
もはや神様ですらこの原因はわからないかもしれない。
神様はこの地球上から去ったのかもしれない。
太陽の中に籠ってしまったのだろうか。
神性が日常から失われようとしている。
もしくはそれが存分に発揮されようとしている。
神様の力を前に我々の科学など無力でしかないのだ。
めちゃくちゃな現象が起こっている。
現象という名前を付けることもためらわれるような出来事だ。
そしてそんな出来事が起こった世界ではめちゃくちゃな思想が蔓延りやすかった。
わかったような顔をしてわかり得ないことを語る人たちがいた。
神様に触れた気になっておかしなことを語る人たち。
きっといつかは暴走する、そんな人たち。
意見とは作り上げることができる物だ。
賢い人たちは厳密性を持たなくてもいい意見や思想といった物を作れる。
厳密性を必要とするような科学的な物でなければ作り上げることができる。
どのようなおかしな語りにも一定の合理性を付加させることもできる。
それはどんなことでも肯定し得るし、否定し得るということだ。
今もこの世界には新しい意見が彼方此方で勃興していた。
あらゆる物を肯定し、あらゆる物を否定しようとしていた。
当然のようにその中には極端な物もある。
そして、その極端な物がそれなりに支持をされているのだった。
それに対抗するような極端な意見さえも生まれつつあり、世界はカオスだ。
変わらない世界でも人々は変わろうと必死だった。
誰がなんのために作り上げた意見なのだろうか。
意見を作り上げた人も意見が作れる物だとは知らないのかもしれない。
自分の能力を過小に見積もったことで真理に達したと勘違いしているのだろうか。
なんにせよ、世界には様々な意見、思想が沸き上がってくるのだった。
そんな作られた意見、思想への有効な対策は一つしかないだろう。
無知であることを認めることしか動かされる者に対策はない。
わからないことをわからないとしなければそれらに飲み込まれてしまう。
飲み込まれたら正しさのために狂気的になるのだ。
正しい意見を持ったあとには行動しかやることがないから。
この夕焼けは天涯まで広がっている。
わざわざ実家から少し離れた街で暮らしながら、この空を見ていた。
いつもの場所でいつもの回転を見ながら、見ていた。
孤独に耐えながらそれを見ていた。
こんな時計だけの世界では終日柄もなにもない。
ずっと一日は終わっているような物だ。
少なくとも始まっている、始まろうとしている気配はない。
終わっている毎日がひたすらに続いている。
一人だけでは生きている意味が見つけられない。
終わりが目の前にあるのに努力する理由はない。
明日死ぬとしたら今日にはなにもしない僕だ。
する意味がないことをするのは苦手だった。
もしも大事な彼女が去ってしまったらどうしようか。
終わっている僕も一緒にここから去ろうかな。
去る先はどこになるのだろうか。
徹宵徹夜同じことを考えているみたいだ。
もう寝不足で気を失ってしまいそうだった。
寝ているのに寝不足だなんて不思議だ。
薄明の中で時間感覚を失うのが白夜。
であるならば、今のこの世界はなんと呼べばいいのか。
奇怪な空は象徴的な色をしている。
もはや写実ではなくて象徴に近いような解釈だ。
本当はこんな世界ではないのに、そうやって見えているかのようだ。
ずっと同じ色。
ずっと同じような色。
このままだと空から叫びが聞こえてきそうだ。
カレンダーにはそろそろ立秋が来ると書かれている。
が、暑くないこの夏はすでに秋のようになっていた。
前にも思ったが現実味のない世界でも季節は動いている。
秋の象徴のような色をした空は夏の輪郭を消してしまっている。
完全に輪郭線が消された古典的な絵画は神話のような世界だ。
厳格な決まりの元で作られている作品のようでもあった。
誰かに決められた指標をひたすらに守っている太陽がいる。
自分を同じ場所に把住させている。
反復しながらも、一定の範囲内の地点に留まっている。
ここ最近で起こっている出来事は将来的には神話になっているかもしれない。
そこにはなにか寓意的な物も存在するのだろうか。
誰を主軸にしたどんな物語が展開されているのだろうか。
もうすでに芸術家たちはこれに沿ったような作品を発表している。
それらは話題になるばかりではなく、物議を醸すこともある。
特に世界の終わりを願うような作品は批判されてばかりだ。
一部の人以外はそれを批判するだけだ。
どんな作品が未来に残るのだろうか。
どんな流行が文脈へと変わるのだろうか。
それは数百年先にならないとわからない。
そこまで生きられない僕はそれに興味がなかった。
今この瞬間に答えが欲しい。
それはあまりにも高望みなのかもしれない。
天国へ連れていってほしいと願うよりも突飛な願い事のように思えた。
冬になっても太陽がこのままだったら氷河期になるかもしれない。
どこまでも冷えきった大地は沈むことがない太陽に冷やされる。
そうなったらどこか崩壊することばかり考えている僕も考えを改めるだろう。
そもそもここには幸せな人間がいた。
だから、わざわざ不幸を願う必要なんてどこにもなかった。
それなのに今のこの世界に同情してしまっている。
きっと、ずっと同じであろうとする空が自分みたいだからだ。
ずっと同じ場所を反復しているだけの僕とよく似ているからだ。
変わることができない自分を肯定するために空を肯定している。
雲の外に蒼天があるならばいくらでも飛び続けたいと思う。
が、本当にそんな物があるのかは疑問だ。
この“モヤモヤ”としていて先行きも不透明な世界の外は地獄かもしれない。
地獄のような空が世界には広がっているかもしれない。
そこには猿と心優しい少女がいることだろう。
そして、その二人は燃やされ、父親の絵の中に収まる。
なぜならば父親が描いていたのは地獄の絵だったからだ。
地獄の絵を完成させるために地獄を現世に作り上げる必要があった。
地獄は狂気的だ。
地獄のような昼と夜の間には狂気が介在している。
それのような僕にも狂気が介在している気がした。
同じ色の境界線の上にいる僕は泡沫のように儚い。
儚い物は狂気的であると決まっていた。




